夜明け前が最も暗い

夜明け前が最も暗い




電伝虫を切って通信を終える。

細く息を吐き、肩から力を抜いて首を回した。

崖のような海岸沿いから、街の明かりの方を遠く眺める。


ハチノスはそのあだなの通り引っ切り無しに海賊が出入りし、四六時中誰かしらが宴だ喧嘩だと騒いでいる。

しかし夜明け前の最も暗いこの時間に関しては、流石に疲れて殆どの者が眠りについていた。

おまけに港も遠いここは、島で数少ない静かな一人になれる場所──


「何してんだ?こんなとこで」


──のハズだった。


「て、提督?そちらこそ、どうしたんです」


こんな時間に、と口にしてから噂を思い出した。

曰く、海賊黒ひげは決して眠らないのだという。

確かに彼のあくび一つ目にしたことはないが、誇張されたよくあるデマのひとつだろうと決めてかかっていたものだが。


「まさか、本当に眠らないんですか?」

「ああそうだ」


持っていた酒瓶をあおり、肯定する提督はおそらく、これまで同じ質問を幾度となく繰り返されたのだろう。

その体質というより、ほんの少しだけうんざりした顔が物珍しく、思わずまじまじと見てしまってから失礼だったなと慌てて目をそらした。


「それじゃあ、暇つぶしの夜の散歩ってとこですか」

「ああ、まあそんなとこだ」


自分のような下っ端に対しても、あくまで返答は気安い。

どれだけ残虐な行為に手を染めようと、同じ手で仲間の背中を軽く叩き、国庫に納められているような歴史書をめくる。

その二面性が二面性と思えないほど滑らかに続いているのが、おそらくこの男の最も恐ろしいところだった。


「で、お前は?」

「私も似たようなものですよ、寝るのが早すぎたのか酒が足りなかったのか、目が覚めまして」

「ゼハハハハ!よく言うぜ、酒豪自慢を3人潰してただろ」

「お恥ずかしい。まさか見られていたとは」

「次はバスコのやつとも勝負してみるか?」

「か、勘弁してくださいよ!」


本気で慌てて首をふるのを、面白がられてゲラゲラと笑われる。

冗談だと笑い返すこともできず、というかそれをしたらその瞬間に決定事項にされそうで、思わず目を空中にさまよわせた。


「あ、ほら、提督、夜明けですよ」


東の空を指差すのと同時に、強い風が崖下から吹き上げ、髪留めが外れた。

切る暇がなく、ざんばらに伸びた髪が潮風に踊る。


「質問を変えよう、電伝虫の相手は誰だ?」


そのまま飛び降りようとした体が宙に浮き、凄まじい力で引き寄せられた。

あまりの勢いに息が止まり、思わず咳き込む。

ガッチリとした手が軽々と私の首をつかんでいた。

皮膚に食い込む指輪が結構痛い。


「ここまで手の込んだ、実力のあるスパイを送り込めるやつはそう多くねぇ。他の四皇か、海軍か、はたまた世界政府か……そうだな、ビッグマムあたりか?」

「かふっ、は、ははは、お褒めにお預かり光栄ですが、なんのことかさっぱりですね」

「おいおい、今更そりゃねぇだろ。そう短い付き合いでもないはずだ。大体、肝が座りすぎてるぜ」


みしり、と首の骨がきしむのが分かる。

殺す気はないだろう、それだけは絶対に確実だ。

こいつは冷酷なほどに賢い。


「……海軍ですよ」

「マジかよ!意外だな、かなりココに馴染んでたが、ありゃ演技か?いや、そうは思えねぇ」


わざと抵抗せず両手を下に垂らせば、少し力が緩んで息が楽になる。

ほら、まだそのつもりじゃない。

こちらを見つめるまん丸い目は、ぱっちりとした下まつげのせいもありかなり愛嬌があるように思えた。

真正面から見返して、少しでもほかから気を反らす。

これだけ提督に近づけるなんて、貴重な機会だ。


「なあ、俺たちの仲間になれよ。お前にゃ見どころがある」

「……それに使い道もある?」

「わかってるじゃねぇか」


楽しそうな笑い声につられて口角が上がる。

二重スパイという立場になることを、考えたことはあった。何度も。


白状しよう、私はこの期に及んでこの男が全く嫌いじゃない。

いや、寧ろ好きだ。正直言って大好きとも言える。

いつも心から笑い、残忍で冷酷で計算高く、だが自分に正直で欲望のままに振る舞う。

マーシャル・D・ティーチのようなものをこそ、私は気持ちのいい男だと思う。

わかっている。多分、おかしいのは世間より私の方だ。


「海軍なんかガラじゃねぇだろ」


それもそう、そのとおりだ。

さり気なく後ろに回した片手が、腰のベルトに触れる。


「すいません、自分、義理堅くて」


考えるより先に、ベルトから伸びた細い紐を引いた。

悲鳴と怒号で散々に塗れたあの街で、私の手を引いたのがあの海兵でさえなかったら、私はこのピンを抜かなかった。

それも本当。


「ぐあああッ!」


ただの火薬と飛び散った破片に、彼はうめき声を上げる。

投げ捨てられた私の体はゴミのように地べたを転がった。

まあ実際、まもなく正真正銘生ゴミと化すのだが。


「畜生、こいつ!自爆しやがった!」


痛がる反応のあまりの普通さに、申し訳ないが思わず笑ってしまう。

喉を風が通るばかりで、音にはならなかったけれど。

目がかすみ、耳が曇る。かすかに残った感覚で、頬に朝日がさすのがわかった。


さようなら提督。今世では残念な結末だったけれど、来世ならその手を取ることもあるでしょう。

ああ、何も見えない、目の前が暗い。


闇へ、落ちていく。


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