夜明けは遠く
真夜中。
打ち捨てられた廃屋の中で少女は声を潜め震えていた。
何も起こらない事を祈りながら「どうして」と何百回繰り返したか分からない自問を続ける。
自分はただ両親や友達と一緒に、飢えや病に怯えることなく絵が描ける世界が欲しかった。
それが出来る力が有ると言われあの人達に協力した。
想い描いた自由なソラが、幸せな明日がみんなに訪れると信じて。
…だけど幼い子供が想像できる程、世界は単純ではなかったのだ。
黒煙が街を覆いつくし、お気に入りの風景は灰になり、物言わぬ躯がそこかしこに転がって。
それでも「希望」に縋って旗を振り続けた私を待っていたのは、掌を返す民衆と処刑台への道だった。
「どうして…」
朦朧とする意識で呟く。
最後にまともに眠ったのは何時だっただろうか?
私を憐れんで泊めてくれた人は、懸賞金に目が眩んだ隣人に切り捨てられた。
私に画材を分けてくれたお店は、あの人達に焼き払われた。
私を捕えた海兵は、どうせ金にならないからと私を弄ぼうとした。
出航直前に賞金稼ぎが乱入してこなければ、今頃どうなっていたか。
込み上げてくる吐き気を必死に抑える。
恐怖と諦め以外の感情がどんなものであったか、もう朧げになっていた。
「……」
絵筆に手を伸ばし、黄色の絵具を頬に塗り付ける。
誰かに見つかる危険より、今は何もかも忘れたかった。
「フフッ…あはっ。あははははははははは!」
気分が高まりどうしようもなく笑みが零れる。
そうだ私はまだ笑える。だから大丈夫。まだ生きていられる。
けれど生暖かい雨が頬を濡らし、絵具を洗い流してしまった。
「あは…ははっ……ハッ…」
怖い。
独りが怖い。
死ぬのが怖い。
どうして?貴女のせいでいっぱい死んだのに?
貴女を助けてくれた人は、皆死んだのに?
「こんばんは。お嬢さん」
突然の声に条件反射で筆を滑らせる。
色は緑。「友達の黄緑」なら確実に動きは止められる。
だが
「ああっ!?」
体から生えてきた『腕』が手足を掴み身動きが取れなくなってしまった。
必死に振り解こうとするが少女の力ではビクともしない。
「そう怯えないで頂戴」
ゆっくりとした足取りで女が近づいてくる。
「ねぇ」
女は少女に目線を合わせるように屈み、泣きはらした頬をそっと拭う。
月明かりに照らされた微笑はあまりに美しく、彼女への敵意は瞬く間に霧散していた。
「私と一緒に行きましょう?」
拘束が解かれそのまま地面にへたり込む。
逃げることも出来るはずなのに、少女はただ女の瞳を見つめていた。
「あの人達」のように自分を利用して捨てるはず。という考えは、どういう訳か湧いてこなかった。
「…私は、生きていいのかな……」
女は一瞬遠い目をしたが何も言わず少女の前に手を伸ばし、少女が悪魔の手を取って契約は成立した。
これが少女に新たな名を与え、
後に『海賊王』と長い旅を共にする家族との最初の出会いであった。