多世界解釈
夢の話をする扉間の話。男二人さしで飲む、と言うと仲が良いように聞こえるが、実際のところ知り合い程度のものだ。これがまぁ、友好を深めるために飲む酒ならもっと情感や風情もあったかもしれないが、生憎暇潰し代わりの酒だ。それでも、酒に罪はなく、目の前の男が作った肴も悪いものではない。
「ただ、黙って酒を飲む、というのも興がないな」
「オレに期待すんじゃねぇ」
「別に貴様に話せとは言っておらん。まぁ、オレも口は上手くはないが余興代わりに聞くといい」
「お前のすかした面で講釈でも垂れるつもりか?」
盃を弄りながら、男が笑う。酒の所為かいつもの仏頂面が崩れている。普段からこういう顔をしていれば可愛げがあるのに、と思って、いや、ないな、と頭の中で訂正をする。自覚している以上に酔っているのかもしれない。喋らない分、酒量が増えたのだろう。一人で飲むときはそれなりに自制しているので、他者が居るというのは好意の有無に限らず影響があるらしい。
「酒の席での講釈なんて無粋なこと流石のオレもせん」
「お前が粋だとか風情を気にするとは」
「失礼な奴だな。オレも花を愛で、鳥の囀りに耳を傾けるさ。で?オレの話を聞くのか聞かんのか」
「オレを退屈させるなよ」
「退屈するかどうかは貴様次第だ。何事も受け取りようだからな。だが、あくまで酒の席の話。酔っ払いの戯言。肩肘張って聞くことじゃあない」
酔いで口が回るようになったのかよく喋る男が、盃に入った酒を飲み干し、こちらを向いた。何故か寺で仏と目が合ったような凄みを感じて咄嗟に目を逸らす。兄も似たようなところがあるので血によるものだろうと自分を納得させる。
「貴様は夢をよく見るか?」
「いいや。オレは元からあまり見ねぇ」
「そうか。オレは纏まって寝ないせいかよく白昼夢のような夢を見る」
「それがどうした」
「そう急かすな、怪談にしろ漫談にしろ掴みや導入というのは重要だぞ?オレは素人弁士だからな。先人の知恵に則って話しているわけだ」
やはり随分と上機嫌だ。この男の酔った姿など碌に見たことがないが、それでも常とは違うことは解る。仲の良い連中相手ならともかく自分にこうも言葉を重ねることなどない。不気味と言えば不気味だが、好奇心に駆られているのも事実であり、視線のみで男に次を促す。
「これから話すのはオレが見た夢の話だ。あくまでな」
因縁
走っていた。腕には赤ん坊を抱えていた。赤ん坊は主君から預かった大事な世継ぎで自分は今年になって奉公に来た若い使用人だった。横には自分より二年早く奉公にあがったこれまた若い使用人が居た。二人共追手から逃げるため、道なき道を走っていた。赤ん坊は事態を察してかよく眠っていた。それだけは幸運だった。
「二手に分かれよう」
「はっ?やめとけ、お前と赤ん坊二人でどうするつもりだ」
「■■■だけでも、生き残るべきだ」
「オレだけ生きてどうしろって!!」
腕の中の赤ん坊は、自分の兄だった。年下の血の繋がりのない兄なんて正気ではないことは自分も知っている。だが、確かに腕の中の赤ん坊は、兄だった。そうと分かれば、男を巻き込むわけにはいかない、と思った。それらしい理屈を並べて男に自分と別行動するよう勧めた。
「いいか、■■。たった一月の奉公先に忠義を尽くすな」
「違う、オレは」
「それは■■じゃねぇ!おいてけ!!」
「分かっておる!そんなことくらい……」
確かに■■ではない。でも兄なのだ。おかしなことを言っているのは自分が一番理解している。この赤ん坊を喪ったら本当に兄との縁が切れてしまう。それが、死ぬより恐ろしくて、手放せない。御家の復興も、仇討ちも絵空事だ。自分が助かりたければ、この生まれたばかりの幼子を置いて行くのが正しいことくらい、分かっていた。
「貸せ。代わりにオレが置いて行ってやる」
「だめだ。■■■、止めてくれ」
「お前はいつも■■のことばかりだ」
「……」
男に赤ん坊を取り上げられる。こんなにも騒いでいるのに起きないあたりもう死んでいるのかもしれなかった。そうであってくれ、と神やら仏やらに祈った。男が赤ん坊を木の根元に置いた。赤ん坊と目が合った。駆け寄ろうとするのを男に阻まれる。
「離してくれ。■■■!」
「もう死んだ。忘れろ」
死んでなんかいない、さっき目が合ったじゃないか、と抗議しようとした。月の無い夜に目が合ったと分かるわけない、と気付き腕を引く男に身を任せた。
「随分と奇妙な話だな」
「夢の話だからな。口に合わなかったか?」
「いや、暇潰しには丁度いい」
劇中劇
依頼人に頼まれて、夢の中に入り込んでいた。依頼人はまだ若い男で、心はともかく身体の方は健康そのものと言った感じだった。依頼内容は、夢の中の劇が終わらないので終わらせてほしいというものだった。自分は夢の中の町にある劇場に足を運んだ。観客の顔を見ながら、最前列に向かっていき、依頼人にそっくりな男の横に座った。
「間に合ったか?」
「丁度五分前だ。お前にしては遅いんじゃねぇか?」
「そうか。見込みが甘かったのかもしれん」
「まぁ、見てけよ」
二度しか会っていないのにお前にしては遅い、と言うのが引っかかったが、開演合図のブザーが思考をかき消す。幕が上がる。主演は依頼人の男と髪の長い男の二人らしい。親友である二人のすれ違いや友情を描いた物語らしいそれは興味深い劇だった。劇が始まって三十分程した頃、劇が急に止まってしまう。成程、依頼人の劇が終わらない、というのはこのことだったのか、と頷く。
「劇が止まったな」
「やっぱりだめか。今日こそはいけると思ったんだが」
「……劇が止まる原因に心当たりがあるのか」
「ああ、当然だろ。オレの夢だからな」
横に座る依頼人と劇に立つ依頼人。二人が自分のことを見た。夢に頻繁に潜っているおかげで同じ顔に見つめられるという体験も三度目だが、今回ばかりは冷や汗が背を流れた。夢の演出でこちらを見たのではなく、自分という存在を認知して見たというのが本能的に分かったからだ。
「……オレに何をさせたいんだ」
「舞台に立て。それでこの劇も終幕を迎える」
「良いだろう」
「……■■。あがらなくてよい」
もう一人の主演の男に制される。依頼人二人が舌打ちをした。観客席に座っていた依頼人が、自分の腕を掴む。壇上に居る依頼人が、男に刺される。舞台が、夢が、崩壊していく。離脱しようと、依頼人の手を振り払おうとする。中々振り払えない。
「お前は、オレと心中だ」
「やめろ!■■■。お前もオレも現実に帰るぞ」
「ああ、なんだ、やっぱり覚えてんじゃねぇか」
「■■■。■■を離せ。これはオレとお前の問題だ」
いつの間にか舞台から降りた男が、依頼人の腕を掴んでいた。力が緩んだ隙を逃さず、夢から離脱するための装置を作動させる。男がこちらを見て、苦笑いをした。
「オレのことは覚えておらんかの」
「■■」
「うむ。現実のオレによろしく頼むぞ」
「けったいな夢だな」
「違いない。だが、悪くなかっただろ」
「ああ。で?次は」
恋文
自分はとある男の恋人らしかった。らしかったというのは、つい最近事故か何かで頭を打ってここ三年の記憶がすっかり抜け落ちているからだ。これも恋人から受けた説明によって知ったことで、記憶がないという自覚はない。翻訳家という他者との交流が比較的少ない職業だったのもあって記憶がないことの支障は少なかった。
「またそいつからの依頼か」
「ああ、何故かオレを贔屓にしてくれるんだ」
「……単なる依頼だけか?」
恋人にそう聞かれ、言葉に詰まった。私的な手紙が依頼と一緒に来ているは事実だ。だが、体調を気遣うような文言や、他愛のない雑談ばかりで、世間一般的なストーカーというものからは外れていた。それに、滅多に家からでない分、届く手紙を楽しみにしている自分も居る。悩んだ末、内容は誤魔化すことにした。
「手紙も付いているな」
「捨てろ」
「いや、でも」
「依頼に含まれてねぇ私的な関係を望む奴は全員不審者だ。分かったか?」
正論なので言い返せず黙る。テーブルをこつこつと恋人が叩く。今すぐ手紙を出せ、という催促だ。仕方なく、先日届いた手紙を出す。また、こつこつとテーブルを叩かれる。どうやら全部保存してあるのがバレているらしい。渋々、ファイルから貰った手紙全てを吐き出す。どうしようもなく寂しい。
「なぁ、■■■」
「駄目だ。これは全部捨てるぞ」
「だが……」
「オレが居るだろ」
確かに、目の前に恋人が居るのに手紙の男に縋るなんて悪いことをしたかもしれない。やはり、記憶喪失によって■■■が恋人であるということにしっくりと来ていないのが原因だろうか。同性の恋人が居ることは不思議に思わなかったのに奇妙だ。頭がじくり、と痛んだ。
「うっ」
「痛むのか。薬持ってくるからじっとしてろ」
「……すまん」
去っていく恋人に背を見て、何か違う気がしたが、頭の痛みで上手く思考が纏まらない。それでも無理やり頭を動かそうとしている間に恋人が戻ってくる。礼を言おうと口を開いた。
「ありがとう。■■」
「……浮気か?」
「えっ、ああ。■■?ってオレに……」
「居ねぇよ」
恋人に否定され、そうだったか、と首を傾げる。薬を飲まない自分に焦れたのか、恋人に口移しで飲まされる。錠剤が喉を通る。そういえば、この薬は何の薬であっただろうか。
「怖い話じゃねぇか」
「嫌いか?」
「お前は刺身食ってるときに餡子食えんのか?」
「すまん。じゃあ、口直しにこの話はどうだ」
始まり始まり
明らかにお前のことは好かん、という顔をした男を無視して■■が溜めた書類を捌いていく。そもそも、自分のことが嫌いなら感知でもなんでもして会わないように避ければいいのだ。自分が気を遣ってこの場から去るわけがないと分かっているはずだが、頑なに男は自分の行く先を変えることは無かった。嫌いな男のために自分が動くのが嫌なのだとは分かるが、正直面倒くさい。
「■■■」
「…………なんだ」
「オレは後一刻はこの部屋に居る。用事があるのならその後にしろ」
「そうかよ」
男が椅子にドカリと座った。まさか居座るつもりか、と男の顔を思わず見てしまう。不機嫌の擬人化とも言える顔をしている。顔は悪くないのだから、笑っていれば周囲の評判も悪くないだろうに、と手を動かしながら考える。にっこりと笑った男の顔を想像して、つい笑ってしまう。男がこちらを睨む。素直に貴様の笑い顔を想像していましたとは言えないので適当に誤魔化す。
「■■はサボりか?」
「今頃ミト義姉様に絞られておるだろうな」
「また博打かよ……」
「貴様からも言ってくれんか?■■の褌姿は見飽きた」
「お前の仕事だろ。オレに押し付けんな。……今度会ったら一応釘は刺してやる」
珍しく会話をする気があるらしい男に内心驚きつつ、成程■■は■■■のこういうところが気にいっているのかもしれない、と頷く。意外と律義で真面目らしい。自分も知らぬうちに色眼鏡で男のことを見ていた、と反省する。……■■のチャクラが近付いてくる。説教が終わったのか、仕事をしろ、と説教されたのか。その両方か。
「すまん!■■!」
「■■。でけぇ声出すな。後、お前は博打を止めろ」
「ガハハ。昨日は勝てると確信しておったのだが」
「戦以外の自分の勘は信用すんな。お前は」
「それで?■■■。オレに何か用か?」
今から書類に手を付けられても邪魔なので放置しておく。静かな方が捗りはするが、男二人が会話しているくらいでは妨げにならない。決済書類と睨み合いをしていると、度々こちらに視線が向くのを感じた。どうせ■■だろうと無視をしていたが、何となく違う気がして上を向く。■■■と目が合った。
「■■■?」
「■■の邪魔だから部屋を移すぞ」
「……ちっ」
■■に連れられて去っていく■■■がまた、自分のことを見た。
めでたしめでたし??
「……夢の話か?」
「ああ。夢の話だ。そしてオレの話はこれで終わりだ」
「オチがねぇ」
「夢の話だからな。終わりも始まりもない」
「いや、始まりはあんだろ」
そう言った後に、ふと、この酒の席がいつ設けられたのかが分からないことに気が付いた。いつから酒を飲んでいただろうか。そして、何を待っての暇潰しだっただろうか。急に男が嬉しそうに笑い、すすき野の方に手を振った。■■だ。
「すまん、すまん。待たせたの。■■」
「いや、■■■が相手をしてくれたからな」
「■■■、■■が世話になったな」
「待て」
勝手に連れて行ってんじゃねぇ、と立ち上がろうとする。足元が泥のようにぬかるんだ。足を取られ動けない。二人は自分のことを無視して何処かへ行く。いつもこうだ。
胡蝶の夢
目が覚めた。どうやら全部夢だったらしい。ドアをノックする音が聞こえる。自分の部屋を訪れる者でこんな律義なのは■■しかいない。入れ、と返事をする。ドアが開く。予想通り■■だ。
「■■■。おはよう」
「おう」
「■■に伝言を頼んで良いか?」
「またあいつスマホ置いて行ったのか……」
■■からの伝言をメモし、またベッドに寝転がる。変な夢を見たせいか眠気が襲ってくる。その眠気に任せて瞼を下ろす。今度はもっとマシな夢を見たい。