端切れ話(夏の日の夢)

端切れ話(夏の日の夢)


地球降下編

※リクエストSSです




 夏至祭を終えた日の朝、エランとスレッタは2人だけで近くの森へと訪れていた。

 すでに祭りに参加していた村人たちの大半が家へと引き上げ、外をうろついている物好きは自分たちだけのようだ。

 早朝の森は騒がしく、同時にとても静かな場所だ。

 その中を軽やかな足取りでスレッタが歩いていく。森とは言っても丁寧に手入れされた明るい場所なので、普通に進む分には支障はない。

 とはいえエランはスレッタのそばから離れるつもりはなかった。地球の森にあまり慣れていない身では、思いがけない危険があるかもしれないからだ。

 彼女の安全を確保しつつ、気が済むまで付き合おうと思っていた。

「…森の中、キラキラしてます」

 スレッタが感嘆したようにほうっと息をついた。

「今日はよく晴れているからね。こういう日は露が多くなるから、簡単にたくさんの朝露が取れると思うよ」

「なるほど、ラッキーデーなんですね。このキラキラしたものがすべて宝石のように見えてきました」

「ほどほどにね」

 徹夜明けとは思えないほど元気に森を歩くスレッタは、葉に付いた朝露を楽しそうに集めている。

 宝石とは上手く言ったもので、この日だけは何の変哲もない朝露が貴重な資源に変身する。夏至祭の日の朝露は、集めて塗ると健康や美が手に入る魔法の雫なのだ。

 彼女はそれを丁寧に体のあちこちに塗っている。髪の先につけた朝露が宝石のようにきらりと光った。

「あんまりお洋服につけないように気を付けなきゃいけないですね」

「借りものだからね」

 彼女の姿はいつもとは少し違っている。繊細な刺繍がされた白い上着に、鮮やかな赤いスカート。緩く編んだ髪に花を挿して、とても華やかな装いだ。そんな姿で朝露を纏っているので、まるで妖精が本から飛び出したようだった。

 妖精繋がりで、ふと思いつく。そう言えば、あの有名なウィリアム・シェイクスピアの『夏の夜の夢』も祭りの日の物語だ。

 夏至祭か、五月祭りか、いずれにせよ祭りの日の夜に森が騒がしく姿を変えるのだ。

 エランは明るい森の中を見回した。

 2組の男女と、妖精の王と女王、悪戯好きの妖精。

 当然のことながら彼らの姿はないし、夜が過ぎ去ってすっかり朝の装いになった森には怪しい気配はない。けれど何だか不思議な心地になる。

 どこか知っている場所のような気がした。

「………」

「エランさん?」

 近くの低木の朝露を集め終わったスレッタがエランの名を呼ぶ。首を傾げる彼女の姿にハッとする。

「ごめん、ちょっとぼんやりしてた」

「そういえば、徹夜しましたもんね。そろそろ帰りましょうか?」

 気を使ってくれているのが分かったので、エランは首を振った。

「大丈夫、朝の森が珍しかっただけ。せっかく来たんだしもう少し居よう。あ、ほら、あそこに野生のベリーがあるよ」

「えぇっ!どこですか?」

「ほら、あそこ」

 言いながらエランはもう少し奥に行こうとしていた。この不思議な既視感の正体を知りたかったのだ。

 スレッタの興味はすっかり野生のベリーに移ったようで、自分の背より低い低木を熱心に見つめている。緑の葉の間から鈴なりに顔を出している赤い実を見て、感心したように口を開いた。

「す、すごいです。こんなに小さい木なのにちゃんと実が付いているなんて。これ、食べられるんですか?」

「このままできちんと食べられるよ。ただ酸味が少し強いから加工することが多いかな。試しにちょっと摘んでみる?」

「は、はい…。では、失礼します」

 恐る恐るという風に、鈴なりに生った実の内の1つを指で摘まみあげる。おぉ…、と感嘆の声を上げつつ、採れた実を目の前に翳していた。

「これ、なんて言う種類なんでしょう。とっても可愛いです」

「レッドカラントだね。女将さんの手作りジャムの元だよ」

「あの美味しいジャムの元・・・」

 少し前に滞在していた宿の女将さんも料理上手だったが、今泊っている宿の女主人もとても美味しい料理を作ってくれる。スレッタは特にパンにつける手作りジャムがお気に入りだった。

 ジャムの元と聞いて気になったのか、スレッタは指に挟んだ小さい実をぱくりと口に入れていた。

「~~~っ」

 途端にきゅっと眉の間に皺が寄る。酸っぱかったらしい。先ほどまでの妖精のような可憐さは鳴りを潜め、まるで幼い子供のようだ。

「ふふ…っ」

 悪いとは思ったが、思わず笑ってしまう。彼女の様子があまりに無邪気で、なんだか嬉しくなってしまったのだ。

「~ッもう、エランさん!」

「ごめん、でも酸味が強いって言ったじゃないか」

「少しって言ってました。…でも確かにあのジャムの風味がします」

 口をもごもご動かしつつ、納得したように頷いている。彼女の姿を目にしつつ、エランはいつも持つようにしている小さな袋を取り出した。

「せっかくだからいくつか摘んで女将さんへのお土産にしていこうか。採りつくすのはダメだけど、程々なら大丈夫だから」

 森はみんなの共有財産だ。特にベリーやキノコ類は誰が採っても許される。

「そうですね。女将さんには良くしてもらいましたし、お土産が料理の材料になるなら、誰にとっても『うぃんうぃん』です!」

 やる気になったスレッタに手本を見せることにする。

 一粒ずつではなく房ごと採るやり方を教えつつ、エランはこのやり取りもどことなく覚えがあるような気がしていた。


 朝露集めが一転、ベリー集めになってしまったが、スレッタは相変わらず楽しそうな様子だ。コツを教えればすぐに飲み込み、せっせと率先して採っている。

 この森はスグリ系の果樹がよく生えていて、他にもブラックカラントやグーズベリーも近くにあった。唯一ラズベリーだけは毛虫が湧いていたので、怯える彼女の代わりにエランが無事な実を採取した。

 その間も妙に見た事があるような既視感が続く。むしろ頻発するので、もはや単なるデジャブではないかと思い始めていた。

 デジャブは脳の伝達ミスや視覚情報の差異によって引き起こされる、と言われている現象だ。ストレスがあったり頻繁に旅行に行ったりするとよく起きるらしい。

 自分にも素養はありそうだ。そう結論付けたエランは、今後はあまり気にしないことにした。

「見える範囲じゃもう採れるベリーはないかな。そろそろ戻ろうか、スカーレット」

「はい、エランさん」

 ベリーの本格的な旬は秋頃になる。他の種類の果樹もいくつか見つけたが、今はまだ小さな花を咲かせているだけだ。

 ちょうど戻って来たスレッタのそばにある木もそうだ。ベリーの木だと知らないスレッタが、小さな花弁をちょんと突いている。

「お花も一緒に集めればよかったかもしれません。昨日は女将さんのご厚意で花冠に使う花を分けてもらいましたけど、本当は自分で集めるものらしいんです」

「花を?でももう花冠は必要ないし、押し花にでもするの」

「いいえ、夢占いをするんです」

 夢占い。そう言えば夏至祭りには女の子だけの楽しみ方があったのだった。エランは男だし興味もないが、たしか枕もとに花を置いていると未来の夢を見れるらしい。

 夢…。

 エランは暫く考え込んだが、どうせならとスレッタに声を掛けた。

「ここに来るまでにいくつか花はあったから、戻るついでに摘んで行こうか。手伝うよ」

「え、本当ですか?」

「ベリー摘みと違って時間もかからないしね」

「えへへ、ありがとうございます」

 エランの言葉に、スレッタが嬉しそうに笑ってくれた。

 最初は朝露を集めようと森に入った。森の雫に飾られた彼女は妖精や精霊のように見えた。

 次にベリーを集めることになった。酸っぱい実を食べた彼女は、まるで小さな子供のようだった。

 そして今、彼女は花を集めている。丁寧に花を手折るその姿は、やはりどこか既視感があるような気がしていた。




「ただいま、帰りましたぁ…」

「おかえり。どうしたの?」

 宿へ帰った後、ベリーを渡すついでに衣装も返してきます!と女主人とお喋りする気満々で向かったスレッタが、しょんぼりと部屋に戻って来た。

 帰る時は両手いっぱいに花を抱えて嬉しそうに笑っていたのに、どうしたんだろうか。

 心配するエランに、この世の終わりのような顔をしたスレッタは「夢占い、もう遅いんだそうです…」と落ち込んだ原因を教えてくれた。

「夢占いって夏至祭のだよね。せっかく花を集めたのに、ダメなの?」

「昨日でないとダメだそうです。もう夏至祭は終わってしまったので、ただの夢しか見れないとか…。ショックです」

「……」

 落ち込むスレッタをどうにか慰めたくて、言うべき言葉を探してみる。

 ───花は綺麗なんだからいいじゃないか。

 ───駄目元で枕もとに置いてみる?

 どれもスレッタは笑顔で返事をしてくれるだろうが、何だかしっくりこない。

 しばらく悩んだ末に「前日…夏至祭の当日に夢は見なかった?」と聞いてみた。

 意識していなかっただけで、すでにいい夢を見ていたかもしれない。そう思ったのだ。

 エランの言葉が意外だったのか、スレッタは目を丸くして驚いていた。そうして真剣に考え始めた。

「夢…。言われてみれば、昨日のお昼寝では何だかいい夢を見た!と思って起きた気がします」

「少なくとも悪い夢じゃなさそうだね」

 夢の内容を覚えていなくても、やはり残滓のようなものは残るらしい。エランはホッとして、そういえば自分も前日の昼寝では珍しく悪夢を見た感覚がなかった事を思い出した。

 それどころか、とても目覚めがよかったのだ。まるでいい夢を見た後みたいに。

「あ、森です。森の夢を見た…ような気がします」

 スレッタの見た夢が詳しくなっていく。その内容に、エランはぱちりと目を瞬いた。

 ───夢。そうだ、僕も夢を見た。

 幻想のようなキラキラした豊かな森で、妖精のようなスレッタと一緒に過ごす。そんな夢の断片が、見えたような気がした。

「僕たち、同じ夢を見たのかも」

 弾むような声が出た。

 ずっと喉につかえていたものが流れたような心地よさを感じて、心が無防備になっていた。

「エランさん?」

「僕も森の夢を見たんだ。僕たち、夢の中でも一緒にいたのかもしれないね」

 その瞬間、スレッタが顔を真っ赤にして困ったような顔をした。

「え」

 驚いて間の抜けた声が出る。怒っている訳ではない、けれどジッと見てくる碧い瞳に射抜かれて、エランは身動きが取れなくなった。

 どうしてだろう。でも、彼女から目が離せない。

「「………」」


 女主人が朝食を持ってくるまで、まるで森の小妖精にイタズラされた後のように、2人は互いを見ながら硬直していた。






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