変貌

変貌



人間は汚い。男も女も、老人も子供も、生きた人間というだけで汚い。汚いものは嫌い。だから人間である自分自身も嫌いだ。

だが汚い人間の中で、俳優というのはその中にあって、人形のように美しくあれる職業だ。例えそれが束の間であっても良い。その間だけ美を信じられたならそれで構わない。

丑米静華はそう考えていた。



丑米静華は女優である深田島ムラクの美しさを純粋に下心なく敬愛していた。彼女の演じたキャラクターを、演じた作品を愛していた。

だからこそ、彼女の失踪に心の底から絶望した。


警察の捜査は続いているものの、彼女の行方は分からない。


そんな時、何かから声を掛けられた。


(彼女にもう一度会いたいか?)

(代償に、自らの全てを失うとしても?)


静華が聞いたのは男とも女とも分からない声の主はこの世のものではない怪物のものだった。


(会えるの?)

(ああ。私と契約をし、バトルに参加するなら…)


なんだって構わない。あの人を見つけ出せるなら何でも良い。


(じゃあ、契約しましょう)

(…宜しい)


怪物と契約した次の瞬間、臓腑を捩じ切るような苦痛に襲われ静華は気を失った。


自室で目が覚めた時には宵の口を過ぎていた。

早くあの人を見つけ出そうと動き出したところで、部屋の姿見に映ったのはグレーのダブルスーツを着た見知らぬ男だった。

静華が今まで見てきた男の中で一番整った顔立ちの男は静華と同じような動きをし、同じように見つめ返してきた。


「これは……」

(戦いやすいように身体を整えさせて貰ったよ。前の身体だと速攻で負けてしまうだろうからね。…ああ、服はプレゼントだと思ってくれ)


怪物に対し、怒りが込み上げたが押し殺す。考えてみれば言い分は理解は出来る。少なくとも上っ面の嘘を吐く人間よりはマシだ。

再度、今の自分の姿を見つめる。

私は死んだのも同然なんだな。

静華は淡々とその事実を受け入れ、行動に移った。



怪物と契約し、探していた人間に漸く会えた静華はその場に崩れ落ちそうになったのを堪えた。


(ほら、お前の探し人だ。会いたかったんだろう?)

怪物は笑って言う。


(お前と同じ、戦いの舞台にあげられたんだ)


(嘘だと言って…)


(嘘じゃあないさ。彼女も戦いやすいように姿を整えられただけ…お前よりよっぽど元の面影を留めているじゃないか)


怪物の言う通りだ。もし、深田島ムラクが男として生まれていればきっとこんな感じだろうと思える容姿だ。

静華は、ゆっくりとムラクと思しき男に近付いた。


「あの」

「…誰だ、お前…」

ぶっきらぼうな口調。ただ、何か既視感を感じる。恐る恐る、静華は問いかけた。


「貴方はひょっとして…深田島ムラクさんですか?」

「……! …違う、そんなわけないだろう…大体俺は…何処からどう見ても男じゃないか。

ムラクは女優だろう……」

「………」

「…もう良いか。急いでいるんだ…」


また何か既視感を感じる。なんだろうと考え、静華は思い当たる。ムラクが出演していた男性俳優の口調や仕草と似ているのだ。


やっぱりこの人は深田島ムラクだ。

静華は確信する。


立ち去ろうとするムラクの腕を無理矢理に掴む。骨ばった腕の感触が、彼を彼たらしめている。


「放せ…なんなんだ一体…」

「……いいや、貴方は深田島ムラクだ」

「…執拗いなアンタも。頭おかしいんじゃねえのか」

「ああ、おかしくなってるよ。貴方が失踪した日からずっと…おかしくなりっぱなしだ…」

「……なんなんだよ、アンタ…誰なんだよ……」

「貴方のファンなんだ…。貴方をずっとずっと探していた…! せめて何処へ行ったのか突き止めたくて…!」

「…ッ!! 近寄るなッ!! 違う! 俺は、違う!! ムラクじゃない!」


いいや、貴方は絶対に深田島ムラクだ、そういうよりも先に静華は突き飛ばされた。

呼び止める隙も与えられないまま、再び深田島ムラクの姿は消えた。


ああ、逃げられてしまった。


(逃げられてしまったな。まあ同じ舞台にいるんだ、また会えるさ…)

(また会える? そんな悠長なことを言う必要はないよ)

(ほう?)

(もう一度、見つけ出すよ。何と言っても一度出会えたんだ…簡単なことだよ)


それからの静華の行動は迅速だった。金もコネも、自分が使える手を使い尽くし、たった数日の内に彼女の今の名前、住所、勤め先を入手した。


程なくして静華は、現在の彼女…四万邑巧の住むマンションに向かった。


余分なモノのないマンションの一室で、静華は待っていた。彼女が帰ってくるのを、ただ只管に。


(人間はまた妙なことを考えるものだな。だが、まあこれはこれで面白いよ)


怪物の声はそう語りかけた。

静華は何も応えなかった。


やがて、ドアが開き深田島ムラクが、四万邑巧が帰ってきた。


「おかえりなさい」

「え……」

信じられないものを見て一瞬呆然とする巧。静華は畳み掛けるように言う。


「慣れないお仕事お疲れ様でした。ああ。一応、ご飯作っておきましたよ。風呂も沸かしたんで、入るなら…」

「そうじゃない!! 何でお前がここに…! まずどうやって入った!!」

「貴女が何処に住んでるか調べました。どうやって入ったかはまあ…想像にお任せしますよ」

「……ッ…お前、一体何考えてる…」

「……まあまあ、そんな怒らずに…。ライダー同士、仲良くしましょう」


「あ…アンタもライダー…なのか」


「……そうだ。だから協力したいんだよ、貴女

に」

「協力って…」


「貴女の力になりたいんだよ、ムラクさん。…俺の願いは、貴女に会うこと。そして、何とか貴女を元に戻す方法を探ることだ。…それを、伝えたくて……。急に押しかけて、申し訳ない…」


静華はやっとの想いでそう言った。


それから暫くの間が空いて、巧がゆっくりと口を開いた。


「アンタ…名前は…?」

「……」


不味いな、と静華は焦った。本名を答えたら元女性だとバレるだろう。それは避けたかった。必死に男性らしい名前を捻り出そうと考える。

私より背が大きかったはずの深田島ムラクが私を不思議そうに、上目遣いに見つめている。

その目には一人の男性の姿が映っている。

今の自分の姿は何処からどう見ても男性なのだから当然だ。だが、そう認識した途端、静華は心臓をギュッと掴まれたような感覚を覚えた。


「なあ、名前……」

「………! …かずしだ。丑米、一士…」


何とか名乗った名前は、分かりやすいアナグラムだった。彼女がそれに気付かないことを願いつつ、胸のざわつきを押し留める。

この奇妙な胸のざわつきはおかしくなってるせいだ。

肉体を変えられたせいであって、正常な状態なら私はこんな気持ちを抱いたりしない。

静華は何度も何度も自分に言い聞かせる。

上目遣いに見られて、胸がざわついたなんてそんな下世話なことがあってはならない。

とくに深田島ムラク相手に。


「…一士さん…」

「……はい」


名前を呼ばれた途端、また胸のざわつきが激しくなる。彼女は気付かない。悟らずにいて。



「本当に……俺の力に…なってくれるのか…」

「そりゃあ、勿論」


「俺は、貴女のファンなんですから」


そのことに嘘は微塵も無い。

丑米一士は、やんわりと微笑んだ。

本人が意図しなかったにせよ、それは実に完璧な笑みだった。


何人もの美男を見てきた深田島ムラクが、思わず見惚れるほどに。



家に帰って、静華は一気に気力が抜けていく感覚がした。

それでも尚、あの時感じた感覚が鮮明に残っている。


静華は自らの意思で、部屋の姿見の前に立った。

姿見に映る自分。容姿端麗な男は何度見ても静華自身であると思えなかった。

やはり、私は死んだに違いない。

ゆっくりとシャツを脱いでみると引き締まった筋肉質な身体が見える。

そのまま下半身も脱いでみる。骨格からして違う下半身には身体に見合ったサイズの男性器がついている。

仮にもし、女と避妊具無しで性行為をしてしまえば妊娠させることが可能だろう。今の自分の体格なら、逃げる女を無理矢理に押さえ付けるのも容易だ。例え、深田島ムラクでも…。


そう考え、ゾクリと身体が震えた。

今の考えに怖気を感じたからではない。邪な欲が自分の中に芽生えていることに気付き始めた。

鏡に映る口角をあげた自身の顔は、明らかに興奮を覚えた男のものだ。


ふと下を見れば、固く勃起させた男性器があった。


自分が何か、全く別のものへと変わり始めたのを静華は感じた。

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