変わっていくこと
「ここも、少し変わりましたね……」
空気の澄んだ早朝、久しぶりにソラシド市の街並みを高台から見渡したソラは感慨深く呟いた。
この世界にはちょくちょく戻ってきていたが、表向き外国に引っ越したことになっている都合上ソラシド市で大っぴらに出歩くことはなくなっていたのだ。
以前はあげはプロデュースの変装コーデでヤクモとデートした際はあわや浮気の濡れ衣を着せかけてしまったが、あれから数年が経過した今であれば一時的に戻ってきたということで問題ないだろう。
当時のランニングコースを流して見る景色は、ソラの記憶とは所々が異なっていた。
この世界は本当に発展していて、スカイランドでは考えられない早さで建物が解体され、また建てられを繰り返している。
流石に数年で景色が一変してしまうほどではないが、少しだけ寂寥感を覚えた。
「ああ、そういえばPretty Holicが改装したんだって。後で行ってみようか?」
ランニングに付き合ってくれたヤクモが事も無げに提案する。
中学生だった頃はソラのペースに付いて来るのがやっとだった彼も体力作りを続けていたようだ。
勿論ソラ自身も研鑽を続け、当時以上に体力に余裕がある。
「それは楽しみです! でも、まだまだ追い込みますよ!」
「はは……少しは追いついてるかと思ったけどそうでもなかったかも」
「こればかりは年季が違いますから!」
「そ、そっか。そりゃそうだ」
ふふん、と得意げに胸を張るソラだったが、ヤクモは徐に額の汗を拭うことで直視するのを避けた。
あの時と違うのは街の風景だけではない。
いつからかソラの健康的な身体は起伏が目立ち始め、ほとんど同じくらいだった身長は頭一つ分ほどヤクモの方が高くなっている。
今なお鍛錬と実戦を繰り返していながら次第に女性らしさが強調されていく様はとんでもなく目の毒だった。
今日一日はとことん彼女に付き合う予定になっている。
ただでさえ忙しいソラのたまの休日、ましろ達も楽しみにしていたのだがみんな急用ができてしまったというのだ。
少々作為的なものを感じないでもなかったが、追及してものらりくらりと躱されるのは経験上目に見えている。
兎に角、ソラに今日一日楽しく過ごしてもらうのがヤクモの役目だ。
熱くなった顔をタオルで隠しながらヤクモは自分自身にそう言い聞かせた。
「それじゃあ、もう1周行きましょうか!」
「うん、もうちょっとペース上げても大丈夫だよ」
「そうですか? では、お言葉に甘えて……」
体を動かしていれば邪な思いを抱く余裕もない。
先程よりもスピードを上げたソラに、ヤクモは必死で並走し続けた。
朝のランニングと朝食を済ませた二人は宣言通りPretty Holicを訪れた。
改装されたばかりの店舗はピカピカで、全く知らない店のような印象を受ける。
「むむ……以前よりはお洒落にも詳しくなったと自負していましたが、こう目新しいものばかりだと難しいですね」
新商品の棚が色とりどりのポップで飾られているが、数年ぶりに来店したソラにとってはどれも新商品のようなものだ。
顎に手を当てて考え込むソラに、ヤクモは己の失態を悟る。
女性陣はPretty Holicが好きだったなあという程度の浅い考えで来てしまった。
自分から言い出した以上何かプレゼントしたいところだが、化粧品というものは高額で似合っていればいいというものではなく肌質に合うかも重要だと聞いたことがある。
店内でテスターを使わせてもらうにしても片っ端から試すわけにもいかない。
ある程度候補を絞れるよう何か助言するべきだろう。
「……少なくなってきてるコスメとか、ある?」
考えた末に出てきたのは、そんな現実的な言葉だった。
そもそも化粧品の種類の知識すら覚束ないヤクモとしては精いっぱいなのだが、ソラの反応は芳しくない。
「それが、最近は遠征が多くてあまりメイクできてないんですよね。以前あげはさんからもらったオススメのチークもまだ手付かずになっていて」
「遠征で……?」
ふと、ソラと2人でキャンプした時のことを思い出した。
入浴施設が併設された公共のキャンプ場を利用したのだが、あの日ソラは終始ノーメイクだったような気がする。
そのとき以外も外出中にソラがメイクをすることはなかったように思う。
「そういえばソラさんって、外ではメイクしない?」
「? 外でできるものなんですか?」
「多分。外で手早くできるメイクってキャンプ雑誌で見たことあるよ」
「そうなんですか! ではその方向で探してみます、すみませ~ん!」
どうやら好感触だったらしい。ソラは早速店員に声をかけて外出中のメイクについて質問しに行った。
趣味で買ったキャンプ情報誌の女性向けコーナーに救われれるとは、世の中何が役に立つか分からないものである。
ヤクモはホッと胸を撫でおろし、ソラに続いて外出時向けのコスメやポーチ等が陳列されたコーナーに歩を進めた。
2人があまりコスメに明るくないことを見抜いた店員怒涛の営業トークを何とかやり過ごし、いくつか試した中でソラが気に入ったトラベル用のコスメセットと頑丈そうなポーチ、そして手鏡を購入した。
一応ヤクモも話を聞いていたのだが、あまりの情報量に目が回りそうになった。
あれほど多様な化粧品の特徴を正確に記憶して毎日のように施している世の女性達には頭が下がる思いだ。
「すみません、思ったより買うものが多くなってしまって……」
「大丈夫だよ。俺ももうバイトできる年だからね」
ソラはこの世界の金銭を持っていない都合上、こちらでの買い物はどうしても他人任せになる。
逆にスカイランドでの買い物はソラ持ちになるので釣り合いは取れている……とヤクモ自身は思っているのだが、青の護衛隊隊員として結構な額を稼いでいるソラと高校生になったばかりのヤクモでは違うというのがソラの見解だ。
ヨヨやあげはが相手なら贅沢をしてもかまわないというわけではないが、なるべくヤクモの負担は小さく済ませたかった。
「ありがとうございます。それじゃ、帰りましょう」
「え、もう? もっと色々回ろうと思ってたんだけど」
「お昼は私が作りますから! あ、キッチンお借りしていいですか?」
「え? でもソラさんはお客さんだし、家で食べるならピザとか……」
「ピザ! 良いですね、材料はありますか?」
「そういう意味で言ったわけじゃ……まあうん、あるよ」
どうやら引き下がるつもりがないらしいと察したヤクモは苦笑した。
例によって両親も仕事で家を空けていることだし、厚意はありがたく受け取ろう。
それにピザ作りとなれば分担や協力できる工程も多い。ソラだけを働かせてしまうようなこともないはずだ。
「いい匂いしてきた……そろそろ様子見てみようか」
溶けたチーズとオリーブオイルやハーブの匂いがキッチンに漂い、ヤクモはソラに声をかけた。
そっとオーブンを開けると、強烈な熱気と共にグツグツと音を立てて泡立つチーズとこんがりした具材が顔を出す。
「おお……いい感じです! これはもう食べ時ですね」
「うん、お皿とフライ返し持ってくるよ。熱いから気を付けて」
ぱっと顔を綻ばせるソラの横顔にヤクモの口許も緩んだ。
彼女の表情が豊かなのは相変わらずだし、自分も釣られて表情筋が鍛えられた気がする。
焼きあがったピザを2枚テーブルに置くと、熱い内に4等分にする。
今回は自由に作ってみようということで小さめのピザを1人2枚ずつ、計4枚焼くことにしたのでソラは次の2枚をオーブンに入れているところだ。
「すみません、結局色々手伝っていただいて」
「俺も食べるんだから当たり前だよ。それよりほら、冷めない内に食べないと」
「はい、いただきます!」
「いただきます」
2人で手を合わせて食卓に着く。
ソラ作のピザはホワイトソースにイカとエビ、アサリをのせたシーフードピザ、ヤクモ作のものは明太マヨソースにポテトとバジルペーストを乗せた明太ポテトピザだ。
まずはお互いのピザを一切れ手に取ると、慎重に口に運ぶ。
「美味しいです! 明太子はご飯と一緒に食べるイメージでしたが、ピザにも合うんですね」
「この前母さんがお土産に沢山持ってきたから色々試してるんだよね。シーフードも食感に飽きが来なくて美味しい」
「スカイランドには海がありませんから、こちらに来るとつい魚介類が食べたくなってしまって」
「体にもいいって言うしね。それいったらそもそもピザはよくなかったかもしれないけど……」
「普段から食事には気を遣ってますしこのくらい大丈夫ですよお」
「なら良かった。しかしピザ回しまでできるのは本当にビックリしたなあ」
「実は以前テレビで見てから一度やってみたかったんですよね」
「え、初めてだったの!?」
ソラの思惑通りにヤクモの出費は抑えられたが、2人きりでとりとめのない会話と食事を楽しむのもまた贅沢な時間だった。
ポーカーフェイスはポーカーフェイスで便利に感じる部分もあったのだが、彼女と笑いあえるひと時にはとても代えられない。
忙しない日常を過ごす2人の時間はそれ以上に早く、しかし穏やかに過ぎていった。
「遅くなってきたね。 そろそろ送るよ」
食後にはまたソラシド市を巡ってすっかり日も暮れた頃。
ヤクモはソラを帰すためのトンネルを作ろうと立ち上がった。
任務によって住居を転々とすることもある彼女だが、今は王都にある護衛隊の宿舎で良かっただろうか。
念のため確認しようと思ったヤクモの腰に、何かがしがみついた。
「わ、えっ?」
「……」
思わず振り返ると、青いサイドテールが小刻みに揺れている。
顔は自分の背中に隠れているがソラから抱きしめられていることはすぐに理解できた。
「あの、ソラさん……?」
「お気になさらず、トンネルをお願いします」
「あ、うん。えぇ?」
愛する人からの頼みに反射的に頷いてしまうが、この状態で平静でいられるほどの胆力は持ち合わせていない。
最近になってようやく習得したばかりのトンネルには結構な集中が必要なのだ。
勿論それはソラにも伝えていて、以前よりずっと気軽に会いやすくなったと喜んでくれたのを覚えている。
「その、なんだか今日は調子悪い……みたいですね?」
動揺のあまり何もできずに固まっているのを見かねてか、ヤクモをホールドしたままのソラが遠慮がちにそう言った。
明らかに集中を乱してきておいて白々しいことこの上ないが、髪とは対照的なほど真っ赤になっている耳が目に入る。
そして、ヤクモの顔も同じ色になるであろう熱量が猛スピードで溜まっていった。
「……そうだね。こんな状態じゃどこに繋がるか分かんない、かも」
「それはっ、危ないです、ね……!」
お互いに、変に芝居がかって裏返った声だったと思う。
言い訳じみた茶番かもしれないが、彼女の方から行動を起こさせてしまった。
せめて明確な言葉はこちらからかけるべきだろう。
震えている手を落ち着かせるようにそっと手を重ねた。
「うん……今日は、泊まってった方がいいよ」
「~っ、はいぃ」
さて、以前父から万が一の時の為にと無理矢理押し付けられたアレは自室の引き出しに眠っているはずだ。
余計な気を回してくれたものだと疎ましさしか感じなかったが、どうやら感謝しなければならないらしい。
ヤクモは結局その日トンネルを開くことはなく、ソラを自室に招き入れた。
そして2人の関係もまた、少しだけ変わったのだった。