堕落の雨
それは、FOX小隊がRABBIT小隊への宣戦布告を行う数分前の通信であった。
『先生、聞こえているか。オーバー。』
”こちら先生、聞こえています。オーバー!”
『…嬉しそうですね。』
”君たちともやってみたくてね”
『…またの機会があるとは限らないですしね。…世迷言です。』
『…報告。FOX小隊、これよりRABBIT小隊との交戦に入る。現在、地下監禁室に向けて進行中。』
『だが、その前に…先生が勝つために懸念点の共有を優先する。FOX2。』
『はい。ここからは私が説明します。ミレニアムのハッカーちゃんが2秒も掛からずに新版から旧版まで全部抜いてくれたアビドス地下の地図。作戦にあたって現在の地図とすり合わせましたが、かなり変形していました。』
『データを送信します。特に地図上につけた赤い丸の6つの区域が変形していました。建材の感じから見るについ最近建て替えたといったところでしょうか。』
『突入作戦はスピード勝負ですので、しっかりと観察はしていませんが、空間が仕切られ、中心の巨大な円柱が丁度地下空間の芯にあたる部分を貫いてるといった感じです。』
『爆弾で吹き飛ばすと、おそらく地下は埋没…地上も陥没して周囲から滑り落ちる砂の海に飲まれる…と考えられます。』
『用途は不明ですが…自爆や証拠隠滅用だとは思えません。』
『警戒してください。何かしらの大がかりな建設が…ここアビドスで行われています。』
□
「ねぇ、おまつりは好き?」
空崎ヒナは酷く機嫌が良さそうに鼻歌まじりに自分の今の愛銃達を手入れしていた。彼女の目ならばおそらく既に捉えているのだろう。遥か彼方から自分のいるアビドス校に向かって真っすぐに進んでくるもはや懐かしい腕章の軍団たちが。
まもなくだ、また、コレを使う時がくる。しかも自分のかつての仲間たちに向かって。その事実がヒナは楽しみで仕方がないようであった。
「…そうですね。美味しいものがあることが多いですもの。」
「ふふふ、ここのお祭りならハズレの屋台を爆発する必要はないね。だってどれも美味しくなるよう、ハルナ頑張ってたし。」
そんな彼女の横でただぼうっとハルナは立っていた。激突前の炊き出しは終わった。士気は充分だ。念のための次の料理の仕込みも済ませている。だから、本来なら別に鉄火場になるであろうここにはこなくてもよかった。
何せこの委員長は、間違いなく、私達を追いかけてきたよりも強い。かつてならば逃げることはできていたかもしれないが、今では難しいだろう。
「ん、一口飲む?コーヒーだけど。」
手入れを終えたのか、機嫌良さそうにヒナはティータイムに移行した。水筒のコップへと注がれた茶色の液体がハルナの前に差し出される。
コーヒーはあまり水筒に入れるべきではない。酸化しやすく、味が落ちる。
だが、それが委員長から差し出されたものであることに一瞬戸惑い、その隙にコップから立ち上った香りが彼女の鼻をくすぐった。
「はい、いただきますわ。」
すぐに両手で受け取って、コーヒーを啜る。
「あ、あぁぁ。美味…しい……」
でろり、とハルナの顔が破顔する。匂いだけでわかった。このコーヒーはただのコーヒーではない。アビドスシュガーを小さじ一杯どころか大さじいっぱいに溶かしたコーヒーだと。
そうわかった瞬間、ハルナはそれを拒否できなかった。
だって、この脳内に溢れ出る『美味しい』という暴力に抗えない。
いいえ、抗えない身体にされてしまった。してしまった。
だからもう、チラつかされただけで、無防備にソレを受け取ることしかできなくなってしまった。
「んぐっんぐっ……は~ぁ…ホント、美味しいよね。コレ。」
一口啜っただけでだらしのない笑みを浮かべるハルナを微笑ましそうに見ながら、ヒナもそのコーヒーを一気にぐいぐいと煽った。今、彼女の身体の中でどれほどの幸福感を駆け巡っているのかはハルナにはわからない。だが、少なくともアビドスで私が風紀委員に入ってから、彼女は常に幸せそうであった。
とろんとした目で遠方を見ながら、ヒナは続けた。
「本当、アコには感謝しなきゃね。コレに出会えたお陰で、私ここにこれたし。」
「悩みの種だった子達と、こんな風に仲良くなれるとは思ってなかったしね。」
「…そうですわね。」
実際かつての自分もヒナも想像すらしたことのない、いやするはずのない光景だろう。
学校の屋上で、2人でコーヒーをシェアして過ごしているだなんて。
「そうだ、砂祭りが始まったらさ、屋台紹介してよ。あなたが拘ったんだもの、美味しいんでしょう?」
「……ええ、それはもう、本当に、美味しいものにしましたよ。」
してしまいましたよ。それはもう昔を思い出すぐらいに真剣に。
かつての『美食』が戻ってくるとでも思いたかったのでしょうかね?
「うん、戦争が終わった後の楽しみが増えちゃった。…そうだ、お祭りの話だった。お祭りと言えばハルナは屋台かもだけどさ、それ以外にも色々あると思うんだよね。」
「…例えば何かあるでしょうか?」
「花火とか、盆踊りとか…あ、着物を着て誰かと歩く…なんてのもいいかも。どれもやったことないけど。」
「ふふ、とにかく。お祭りって何かメインイベントがあるものだと思うの。」
そういって笑うヒナの笑みはいつもと変わらぬ機嫌よさげな微笑のままで。けれど、ハルナはその笑みを見た瞬間、ゾワリと久しく感じていなかった寒気を感じた。
それはかつては時折感じていたもの。
空崎ヒナという圧倒的強者が、相手を確実に仕留めるという意志を向けた時に発する冷酷で、抗いようがないと思わせる、そんな殺意の発露……!
ヒナの目線は冷静に差し迫る連合軍を見つめていた。その波は約五十歩程度で校舎敷地内へと到達するだろう。
「よし、そろそろいいでしょ。『…メグちゃん?カスミ?どっちでもいいけどちゃんと生きてる?』」
ヒナが電話をかけた先からは、ハルナの耳にもかすかに届くほどの音が響いていた。何かと何かがこすれ合い、回転する駆動の音。
『う”あ”…あ”~あ”っ…げほっ!げほっげほっげほっ!は~い!委員長!ごめんごめん!ちょっと気ぃ失っちゃってたよ~。いや~もうすぐ大詰めだってのに、作業班長失格だね。あれ、なにが大詰めなんだっけ。』
『アレだよメグ。アレ。えええと、アレだ。うん、そうだ…そう、えーと…』
「はぁ…私が言うのもなんだけど、二人とも頑張りすぎ。お祭りが終わったら流石に一回休憩しようね。大丈夫。これからは開発にアビドスも協力するからさ。
…やっちゃって。温泉開発。」
『おんせん…』
『おんせん…』
『『温泉だぁ””ーーーーーー!!!!!』』
何かから解放されることへの歓喜と悲鳴にも似た絶叫が電話越しに一瞬、聞こえてくると同時にそれは更なる轟音にかき消された。
アビドスの校舎全体が、いやアビドス校の敷地全体が、ガクガクと揺れている。
地の底から響くその音だけでもマトモにたっていられずに思わずひざをつきそうになり、その中でも特に微動だにしていないヒナへと寄りかかってしまう。
そして小さな肩越しに、ハルナは見た。
アビドスの地の底からせり上がり、校舎を囲むように聳え立つ六本の異形の塔を。
「『サンモーハナストラ』起動。」
連合軍へと、堕落の雨が、降り注いだ。