基氏くんの漢詩 意訳
引用:上村観光編『五山文学全集 第二巻』 (思文閣出版)1992年出版
空華集卷第二
奉左武衞命三詠詩同故令叔大休寺殿
其一春月催泪
明月傷神本在秋
不知春夜有何愁
勸君收取雙雙泪
且向花前酌一甌
其二對花懷昔
紛紛世事亂如麻
舊恨新愁只自嗟
春夢醒來人不見
暮檐雨瀉紫荊花
其三因衣哀傷
早知夢幻本非眞
何必區區更濕巾
尚有愛賢心未忘
緇衣篇裡憶斯人
※書き下し文は大分適当というか、文法が正しくないかもなので、こんな感じなんだ~程度で読んで下さい。
どーしても意味が通らなかった部分は、送り仮名や返り点を引用元から変えてあります。
意訳も同様に、こんな感じなんだ~くらいで一つ。
多分、自分が読み取れてない中国古典や仏教由来の引用たくさんある気がします…………
書き下し文と意訳
其の一 春月 涙を催す
(そのいち しゅんげつ なみだをもよおす)
明月 神を傷むることは 本と秋に在り
(めいげつ しんをいたむることは ほんとあきにあり)
春夜 何の愁の有るかを知らず
(しゅんや なんのうれいのあるかをしらず)
双双の涙 取り收むるを君に勧む
(そうそうのなみだ とりおさむるをきみにすすむ)
且く 花前に向かいて 一甌を酌む
(しばらく かぜんにむかいて ひとびんをくむ)
意訳
明るく澄んだ月を前に、心を痛めるのは、本来なら秋であるはずなのに
春の夜に一体何を憂いているのか、(私は)知らない
二つの目に浮かぶ涙を止め、心を静めることを君(基氏)に勧める
しばらくの間、花の前で一つの杯に(酒を)酌む
其の二 花に対して旧を懐ふ
(そのに はなにたいしてきゅうをおもう)
粉々たる世事 乱れて麻の如し
(ふんぷんたるせじ みだれてあさのごとし)
旧恨 新愁 只だ自ら嗟く
(きゅうこん しんしゅう ただみずからなげく)
春夢 醒め来たりて 人見えず
(しゅんむ さめきたりて ひとみえず)
暮檐 雨洒ぐ 紫荊の花
(ぼえん あめすすぐ しけいのはな)
意訳
世の中は入り交じって乱れ、正に麻糸のようだった
昔の悔恨に新たな愁いが加わり、ただ自ら嘆いているのみである
春の微睡から目覚めてみると、(先ほどまでいたはずの)人がいない
夕暮れの軒下から滴る雨が、(兄弟和合の象徴である)紫荊の花に降り注いでいる
其の三 衣に因る哀傷
(そのさん ころもによるあいしょう)
早知る 夢幻本と真に非ざることを
(はやしる むげんほんとまことにあらざることを)
何ぞ必しも区区たらん 更に巾湿りたる
(いずくんぞかならずしもくくたらん さらにぬのしめりたる)
尚 賢を愛する心 いまだ忘れずに有り
(なお けんをあいするこころ いまだわすれずにあり)
緇衣篇の裡に 斯の人を憶う
(しえへんのうちに このひとをおもう)
意訳
早々に悟ってしまった、今まで見えていたのは夢幻であり、そもそも現実では無いのだと
どうしてこれが取るに足りないことなのか、(涙で)更に布が湿ってしまうというのに
今でもなお、才知あり徳のすぐれたあの人を大切に思う心は、忘れずに存在している
(礼記)緇衣篇の中に、かの人の面影を思い浮かべてしまう
全体の超訳
其の一で、春の月を眺めながら憂鬱そうにしてた基氏くんに義堂周信が「どうしたんですか? 元気出して下さい」と酒を勧め、其の二以降で、基氏くんが理由を語っていく。
あの頃(観応の擾乱)の世の中は滅茶苦茶だった、その頃の後悔と最近の憂鬱が加わって、最近は一人で嘆いてばかりだ。
うたた寝から目が醒めると、先ほどまで一緒にいたはずの人(文脈的に叔父)がいなくなっていて、軒下では紫荊の花が、悲しげに雨に濡れている。
もちろん、すぐに夢だったと分かるよ。そのぐらい大したことないって思うだろう? でも涙が出てきて、自分の着物を濡らしてしまうほどなんだ。
今でも変わらず、自分は賢明だった叔父を大切に思っているし、為政者としてしっかりしなければ、と思う度に、あの人の面影を思い出してしまうんだよ。
……こんな感じ? なのかな? あんまり自信は無いですが……
自分は、「眠りから覚めて一人きり」の目覚める前の部分が、其の三での「夢幻」だと解釈したんですけど、もしかしたら義堂周信と語りあってた場面が夢、という可能性もあるのかもです。
連作の漢詩の解釈難しい……
「紫荊」は蘇芳(すおう)のことで、中国では、兄弟が父の遺産を分割せずに、仲良く共有していることを讃えて「紫荊花」と言うそうです。
父と叔父はそうなれなかった、という嘆きの表現が雨に濡れる紫荊の花。
『礼記』は、儒教の最も基本的な経典である『経書』の一つ。
その中でも「緇衣篇」は、政治的な教訓、君子や賢人としての相応しい行いについて論じたもの。
ここでは恐らく書物そのものではなく、緇衣篇に書かれているように正しくあろう、と思う度に、それを実践していた、あるいは実践しようと努力していた叔父を思い出してしまう、というニュアンスなのかな、と。
義堂周信の目で見ると、基氏くんはそんなに叔父を尊敬してやまない感じだったのか……
後年、義満に叔父の基氏くんについて尋ねられた時、基氏くんのみならず大叔父である直義のことも持ち出したのはそのせいかな。
「基氏叔父上は何がお好きだった?」
「基氏様は仏法と政道、音楽がお好きでしたよ。好まれなかったのは田楽舞。叔父上の直義様が、政道の妨げになると言っておられたそうで」
という感じのやつ。
ちなみに義満と義堂周信のこのやりとりは、義堂周信の日記『空華日用工夫略集』の永徳3年3月30日条で確認できます。
ネット上にデータベースがあるので、直接見たい方は日記の名前で検索してみて下さい。
義堂周信の号が「空華」だから、詩集は『空華集』だし、日記は『空華日用工夫略集』。そして詩作の傾向として、この漢詩の「紫荊花」のように、花を使った表現が得意なんだとか。