執着の代価
廊下の角を曲がったかと思えば閉ざされた部屋に居た。と言えばこの奇怪さを少しでも人に伝えることができるだろうか。
気付けば、カルデアから割り当てられている部屋よりも簡素な内装の部屋に晴信は立っていた。
周りを見渡せば、まず目に入るのは無駄に広いベッドが一つ。
仕切りが鏡張りの浴室のようなものが一つ。
W.C.と書かれた扉と上部に「セックスしないと出られない部屋」と書かれた扉。
そして自分の人生で唯一消せなかった心残りでもある宿敵が一人。
気配を察っしてか、武器を構えるようにこちらに面を向けてきた。
「おや、晴信でしたか。どうして此処へ?」
一瞬で解かれる敵意に意表を突かれ、それはこっちの台詞だという言葉さえ一息置いてからでないと口から出すことはできなかった。
話を聞いたところ、景虎も晴信と同じように瞬間移動のようにこの部屋にいたという。
二人して部屋を調べるも部屋の作り自体に奇怪な点は無く、ただ壁も扉も破壊することが叶わなかった点だけがこの部屋の特異性を物語っていた。
魔術的なものかとも思えどそれを晴信が感じ取る事はできなかった。ただ、自分の持つ知識より高度で複雑な魔術を用いて隠されれば見つける事は難しいと理解しているため原因の候補から外しはしなかった。
魔術ならば術そのものを破壊できなくとも明示された条件を満たせば術は解けるか発動する。この場合、セックスをすれば部屋から出られる。そういう術なのだろうと推察できた。全くもって最悪だ。
このような悪趣味で倒錯的な変態でもない限り作り出さないような部屋で、よりによって一緒になったのが景虎というのは晴信にとって奇禍あった。
景虎を抱くとなれば無理ではない。成りは女、やり方も人のそれと同じで問題はないだろう。
けれど晴信にとっての問題はそこではない。女とは分類していても、純然たる宿敵としてしか見てなかった相手を抱けと言われれるのは話が変わってくるのだ。
支配したいのではなく、繋がりたいわけではなく、犯したいのではなく、勝ちたかった女。ぶつけたいのは己の肉ではなく己の覇だ。だからこそ死後も残るほど執着した。
そこに色欲が少しでも滲めば何かが変わってしまいそうで、そもそもその様な目で見る相手ではないと考えを切り捨ててきた。
だからこそ脱出するためだけとはいえ景虎と体を重ねなければならないのかと躊躇してしまうのだ。
いや、そもそもこんな事で上になどなりたくないというただの我が儘かもしれない。
「何か脱出の手立てはありそうですか?」
呼び掛けてきた景虎の声に濁った池のような思考から浮上する。
声の方に目を向ければ手を伸ばさずとも触れられる距離に景虎はいた。
「近い。離れろ。 脱出の方法は……少し考えさせろ」
まぐわう事になるにしても他の方法を思い付くにしてもこの乱雑な思考ではどうにもならないだろうと感じていた。
一番考え事に適していて落ち着ける場所に行かなければ。
「はぁ……厠ですか。相変わらず好きですねぇ」
呆れたような景虎の言葉を背に晴信はW.C.の扉を開き中に入る。
狭く圧迫感を感じるほど閉鎖的な空間だったそこで求めるものが得られるはずもなく、心を落ち着かせる事だけがやっとだった。
現状を打破する案も出ず、覚悟さえも決まらぬも、何時までもこうして籠っているのも沽券に関わる。
意を決して扉を開けば、景虎が武具を外した状態でベッドに腰かけている姿が視界に入った。
何でおまえはそうなんだ。
表面上の落ち着きなど一番無意味だと分かっていたのに、どうも此処では冷静でいられない。
焦りが困惑が思考を鈍らせる。
分かっていたのに分かりたくないと覆い隠してくる。
それでも理解できてしまう。景虎は覚悟などとうにできていると。
「…………どういうつもりだ」
「ええ、まあ。 どうしてもやらねばならぬと言うなら致し方ないと思いまして」
「随分と冷静だがお前は行為の意味を分かってるのかよ」
「知識としては一通り。 晴信こそ何をそんなに逡巡しているのですか。必要であれば如何なる手を用いても事を成すのが武田晴信だったはずでは?」
臆するのかと挑発するような景虎の視線が声色が晴信の意思を打つ。一つ火花が散ったような気がした後、晴信の思考を覆っていた困惑を燃やし尽くす。
覚悟を決めた女がいるなら男も覚悟を決めなければならない。
それでも、諦めきれなかったたった一つの願いを何にも汚されたくないと心がひび割れそうになる。
だから武田の男として覚悟を決める。
そうすれば何も変わらないと景虎が暗に滲ませた。みっともなくもそれに乗った。
俺の地獄にいる仏は毘沙門天だったらしい。
「やり方は任せます」という景虎の秘部を解し、押し開き、打ち付け、吐き出す。
脱出するために必要だからと義務的な行為。
自分の思いなど目的の邪魔だと心の奥底へと押し込める。あの頃と同じように。
それでも、目合うというのに一度も景虎の顔は見ることはできなかった。
一度交わればあれだけ頑なに開かなかった扉も難なく開けることができた。
扉をくぐった先はカルデアの廊下の一角。背後を見れば既に扉の影も形もなかった。
「酷い顔でしたよ」
部屋から出た景虎の第一声だった。
自分を見つめる景虎の瞳はいつも以上に感情が読み取れない。
「…女を抱く時の男はだいたいそんなもんだ」
思わず誰にでも分かるような雑な嘘をつく。
そも、こいつはあんな俺の顔を見ていたのかと晴信は知らず知らずに奥歯を噛み締める。
晴信の返しが不快だったのか癪に障ったのか、一言「最低ですね」と景虎が嗤う。
晴信は沈黙するしかなかった。
その後、しばらく顔合わせたくないなと思っているも、いつもと変わらない頻度で突撃してくる景虎に(こいつは本当にわからん……)と頭を悩ませる晴信がいた。