坊主の花簪
凪代理の人コロリ、手の中で一本の金歯を転がした。目を伏せ口づけを落とし、幸せだった時間を想いながら俺は一人寂しくベットにもぐりこんだ。ふわふわのふかふかだ。だけど、お前のいないこの場所はきっと世界中で一番最低で、最悪で、無意味なものなんだ。
俺には恋人がいた。クソむかつく悪趣味なフル金歯野郎。俺と同じくらい背が高くって、そのくせ俺よりもすごく軽かったから横に並ぶとひょろ長さが際立っていた。
食べ方が汚くって、ベッドでもほかの男(養父)の名前を簡単に出して、ときどき与えられなかった寂しい子供の目をしていて、そして自分を大切にするということが最期まで分かっていなかった馬鹿な奴。
この俺がわざわざわかりやすいように『愛してる、お前がいないと生きていけない』だなんて陳腐で、こっぱずかしい捻りのない文句を常日頃から言っていたのにお前は最期のあの時も、
「ミヒャじゃなくてよかった」
「俺の代わりだったらすぐ見つかるから」
だなんて。
バカかよお前、お前みたいに俺といい勝負ができるくらいの類まれなる実力があって、俺の馬鹿でかいちんこを受け入れることができて、笑顔がかわいらしくて、何気ない動作のすべてが何よりも愛おしいような生き物がお前以外にいるはずがないだろ。そもそもお前、お前の代わりがすぐ見つかってたら世の中世界11傑だらけになるしサッカーという競技はもっと洗練されたものに昇華される筈だし、俺が今こんな風な惨めなことになっているわけがないだろうが。
なあ、ちょっとはそのふわふわの頭で考えろよお前。頭蓋骨の中ポップコーンでも詰まってんのか?ああそうだ、お前は三時のおやつにポップコーンが出てきたらものすごくはしゃいでいたよな。天国にキャラメルポップコーンはあるか?塩は?チーズは?ないなら今すぐ戻って来いよ。
…無理な話だって知ってるよ。だって俺はお前の葬式に参加したし、お前が焼かれているのも見た。
体がぐちゃぐちゃになっちまったから包帯でぐるぐると巻かれて綺麗に成形されていたっけ。あれだけ手も足も妙な方向にぐんにゃり曲がって、腹なんて冗談みたいに臓器があべこべになって潰れていたのに。綺麗な化粧を施されて眠るお前は本当に綺麗だったよ。生きていたころのお前と、この俺の次にな。
ああそう、俺はお前のせいでお前の養父殿に殴られたよ。俺の厄介なファンのせいでお前は死んだからな。ああ、本当にクソな話だ。クソ不快。いくらクソを重ねたってこの気持ちは言い表せないさ。
ぴりぴりと痛む頬、ペッと吐き出した唾には血が混じっていた。クソほどのろのろと上げた視界には、ぎちぎちと音を立てるほど歯をかみしめたお前の大事な大事なVaterが涙を流しながら立っていたんだぜ。握りしめたこぶしからは血が垂れていて、そう、クソ目隠しとかクソLachsとかが必死に抑えてたぜ。
本当、お前は馬鹿な奴だ。こんなに愛されてるのに。そんなことも分からない、馬鹿な奴で、愛していることも愛されていることも教えてやれなかった俺も大馬鹿で、
「馬鹿ばっかじゃねえか」
ああクソッタレな神様、俺や恋人はなにか罪を犯したのでしょうか。
犯したわけねえだろうが、こんな目に合うようなことなんて、一つも。不平等に俺から奪いやがって。そんなに俺のことが嫌か、それともあいつのことが嫌いか。なあおい、答えろよ。わざわざクソかび臭い近所の教会の懺悔室に行っても何も意味がないじゃねえか。
今日も質の良いオーダーメイドのベッドに寝転がる。お前のぬくもりのない、この寒いだだっ広いベッド。身長190越した大男2人が広々と寝転がることができるように拵えたこれはあまりにも、寒い。
もう捨てようか、こんな無意味なもの。持っていても仕方のないもの。けれど。
(お前のにおいが染みついている)
苦しくなるくらいに思い出すのだ。買ったばかりの時興奮して上で飛び跳ねたせいで天井にマトモに頭をぶつけて涙目でうずくまっていたお前。さみしいと子供のように涙をこぼし、俺の胸元に頭を寄せたお前。ベッドの上でもう疲れたと拗ねる目に涙をためたお前…ってお前俺の前じゃ泣いてばっかだな。最期はあの馬鹿面笑顔だったのに。
俺の指には今、大きなダイヤの嵌った指輪がつけられている。あいつとのペアリングに、あいつの骨で作ったダイヤを嵌めたもの。口づけをする。金属の冷たい温度が返ってくる。あいつは低体温だったけどあったかかった。金歯を握りしめた。俺の体温が移って生ぬるかった。けれど、あいつの体温とは全然別ものだった。これらはあいつの代わりにならない。いらないものだ、それでも俺はこれを女々しく握りしめている。
むなしくなって寝がえりをうつとあいつと暮らしていたころの遺物たちがごろごろ転がっていて、あいつの痕跡が消えなくって。いまだにあいつが生きていて、朝起きたら馬鹿面で
「じゃーん、どっきりでした!だぁー、ミヒャ、びっくりした?」
だなんてエスプレッソ片手にけらけらと笑っている、という幻視をしてしまう。本当にクソ。
思い出が俺を殺そうとしてくる。その思い出はあいつの形をしている。俺は時々その思い出を殺そうとして、できなくて、情けなく涙を流しながらそれを抱きしめる。いらないものだ。この俺には、いらないものなのだ。
俺は生涯これを抱えて生きていく。そんな俺に重い、だなんて軽口を言うお前はもう居ない。
なんだかまた寂しくなって、俺はやっぱりいらないものたちを抱いたままスカスカのベッドで胎児のように縮こまり眠った。