囚われの姫と彼とラーメン
娘ちゃんは撫子ちゃん 帝国if 軟禁ルート冷蔵庫の中に食材がぎっしりと詰まっている。撫子の要望通りに買い込まれたそれらに、眉が下がる。何であれ、雨竜からの贈り物は嬉しいのだ。
「あ、この玉ねぎ傷んどる」
全体が腐っている訳ではないので食べれないことはない。腐った部分を取り除いて、今日の料理に使ってしまう事しよう。
(もうちょっと雨竜が元気になったら、野菜の見分け方を教えたらな)
そんな事を思いながら鍋に玉ねぎ、生姜、にんにくや青ネギを敷き詰めて水を投入し、強火にかける。時期を見て豚骨と鶏ガラを入れ、中火で煮ていく。
その間に煮干しを醤油と酒で煮詰め、同時に豚肉をタコ板で巻いていく作業を行う。
作成予定時間は6時間強。休日でもないとありえない時間のかけ方であるが、雨竜の家に軟禁されている為、時間を持て余し気味の撫子だ。
自炊は決して嫌いではないが、偶にはジャンキーな味も恋しくなる。外に出れないなら尚更。
本日作るのはラーメン。目指すは4人いる父親の1人、拳西秘伝の味である。
「君はただ、ここに居てくれればいいんだ。……君を失いたくない」
本音を言えば、アタシは雨竜の為のお姫様じゃない、と腹が立つ気もする。しかし、撫子は雨竜に頗る弱い。ああも泣き出しそうな顔で笑われながら言われてしまうと、曇らせたくないと思うし、彼の気が収まるまで、暫くはこのままでも良いかと思ってしまう。
そんな恋人にあまい囚われのお姫様は、時間を潰すべくこうして手間暇かかる料理に挑戦などしているわけである。
ああ、このままなら今月の自分は無給。果たして雨竜の貯金はいつまで待つのか。撫子は小さく溜め息を吐きながら、スープのあくを乗り除いた。
◆◆◆◆◆
「いただきます」
バイトを終えて帰ってきた雨竜は早速箸とスプーンを取り、スープをずるりと啜って思わず唸る。
味わいながらももう一口と啜り、チャーシューはしっかり歯ごたえのある食べごたえ。噛めば噛むほど味が滲みだし、合間にスープを啜るとこれまた美味い。
「美味しい」
「あ、ホンマー?でも、ちょっと煮干しの臭いキツくない?」
そう言われ、煮卵と共にスープを一緒に口に含む。出汁がしっかり取れ、かつ雑味を感じないスープの味だ。
「…わからない。本当に美味しいよ。ありがとう撫子」
「スープ飲み切る勢い…若いからエエか……イヤ、なんでわろてんねん」
「夜中のラーメンが癖になりそうだなって」
ラーメンを啜る雨竜を撫子は嬉しそうに見つめてくる。
ーどうして君は、そんなに優しくなれるんだ。
雨竜はその視線から逃れるためだけにラーメンに集中するのだった。
撫子も自家製チャーシューを噛んでみる。味が染みていて、とても美味い。しかしこのスープは煮干しの匂いが結構強い気もする。
(美味しくできた!て思うし雨竜もそう言ってくれるけど果たしてこれでええんか…?何かアドバイス欲しい…)
雨竜は何を作っても美味しいといってくれるがアドバイスは無い。アタシが外に出るんは嫌がられとるけど、人呼ぶんはダメって言われてへんし誰か呼んで食べて貰おう。まだラーメン残ってるし、などと考えつつ、撫子は久々のラーメンを思う存分食べ尽くした。
「ご馳走様でした」
「おそまつさまです」
撫子がすぐに片付けだしたので、雨竜も食器を台所へ運ぶ。
「いつも家事を任せてしまい、すまない」
「…アー、じゃぁ、お礼して?」
シンクに丼を置いて、撫子は雨竜の目をじっと見つめてくる。
「…お礼に、雨竜からキスして」
かあ、と雨竜の頬に赤みが差した。しかし撫子の瞳は閉じられている。
自ら催促しても決して自分からは求めてこない辺りが本当に愛らしい。雨竜は優しく唇を重ねる。
物足りない、もっと、とせがむように撫子が口を開くので、舌を絡めて脳が痺れるような長いキスをしてしまった。
◆◆◆◆◆
風呂を入り終えた雨竜はベッドに寝転んでいた。何をするでもなく、部屋の壁に視線を彷徨わせている。以前より恋人と一緒に過ごす時間が長くなっているのは嬉しい限りだが、心の何処かで釈然としない靄を感じ始めていた。
楽しい日々だ。互いに求め合い、言葉を交わし合う。傍から見れば順調な恋人そのものだ。
……だけどそれは…。
明日も大学はあり、起きていなければならない理由などない。もう今日する行動は、電気を消して眼を閉じるだけだ。
だというのにぼんやりしてしまっているのは、きっと撫子が入れ替わりに浴室に向かい、部屋に自分独りしかいないからだろう。
…自分の弱さだけが浮き彫りになる…。心の声に負けそうだ。撫子が恋しい。
水音が止んで、風呂から出てきた撫子は遠慮がちに部屋のドアを叩いた。
「…雨竜、起きとる?」
少しだけ話をし、後はもつれ合ってベッドに倒れこみ、お互いの身体を求め合うのが日常になっていた。
「……ぅあ、あ……ん」
ーアカン、気持ち良くて、頭回らん
撫子は自分の胸の間で呼吸を荒くしている雨竜の頭を撫でた。
「……雨竜?」
雨竜の動きが止まり、顔を上げて撫子を見つめる。
「…どう、したん?」
撫子が問うても雨竜は何も答えずただ撫子の目を見ている。
嫌われたくない、そんな怯えを見透かし、抱きしめる腕に少しだけ力を加えてから、優しく伝えてやる。
「今、すごいしあわせ…」
撫子は、雨竜の頭に手を置いたままそう囁いた。撫子がそう言ってやれば、雨竜は強く抱きしめる。
「ん……ぁ、んぅ……」
絡む舌と舌が体温を上げていく。唾液が混ざる。激しく交わるような口付けではなく、お互いに息の音も聞き逃さないかのような、そんなキス。
「撫子、僕は、僕は……」
撫子は困ったように笑った。軽くキスをして、雨竜の頭を抱えるように抱き締める。
「いっぱい気持ちよォなって元気になってな。ご飯作って、アタシ雨竜を待っとるから」
撫子はいつだって雨竜を駄目にする。甘えたい時に甘やかし、欲しかった言葉で抱きしめ、ドロドロに溶かしていく。
これ以上強く抱いたら折れてしまうかもしれない、と雨竜が躊躇うたびに撫子の腕は優しく強く包み込んでくる。それに甘えてしまいたい。しかし頭の片隅に僅かばかりの理性が残っていて、手が止まる。その背を撫子はそっと押していく。
それに気づいてぎゅうと力強く抱いてやれば、撫子はふにゃふにゃに蕩けたように微笑んだ。この腕の中にずっと彼女が在るように、雨竜は静かに誓いを固めた。
◆◆◆◆◆
「ん…この念力みそ…滅茶滅茶美味しいー!太めの麺がスープと相性良くて食べ応えもある!」
「美味い!?良かった!好き!」
「うん、美味しいラーメン食べるン久々!浅野クンのラーメン最高ォ!」
「おっしゃ!料理上手な平子…石田さんにそう言って貰えるとマジで嬉しい!」
ラーメン屋を開業した浅野啓吾と他愛もない会話をしながら撫子はラーメンを啜り、向かい合った雨竜は幸せそうに撫子の姿を見つめている。
啓吾が笑いながら、替え玉もう1つ行く?付けちゃう??と聞いてくるので、先に雨竜に入れといてと頼む。
「そういや大昔、平子さん家秘伝ラーメン食べさせて貰った事あるけど、あれマジでうまかったね」
「あったな、懐かしい!雨竜の前に住んでたトコでやんね!あん時一歩も外に出れんかったからな、浅野クンに感想貰えてホンマ嬉しかったわァ。いやぁお世話になりました」
そんな日々もあったな。懐かしいわ……と撫子は思う。
軟禁が解かれたのはそれから2週間と少し後。
あれから雨竜は自分を取り戻し、前を向いて歩きだした彼にホッとしつつ、撫子は念力ラーメンを啜る。
「いやいや、石田さんのが俺達にメール送るのも億劫だったデショ。体調崩すのもそうだけど、ちょっと横になりたい時期なんて誰にでもある事だしね。石田さん元気になって良かったなぁ、旦那の石田」
「あははは、そうやね」
「………撫子、君は、本当の事を言ってなかったのか?……あれは僕が」
「浅野店長ォ、雨竜に替え玉プラス煮卵とアタシにチャーシュー丼も追加して、あとハイボール…雨竜も呑むよな?」
「石田さんまで店長辞めて!悲しくなっちゃうから!!」
どうか雨竜があの頃、撫子が体調を崩していたのではなく僕が彼女を監禁していただの、軟禁していただのを友人の店で言い出しませんように。と願いながら、撫子は注文を増やしていくのだった。
ーー酔った雨竜が大暴露し、啓吾が叫ぶまで後15分。