嗚呼、何と言う喜劇。

嗚呼、何と言う喜劇。

死体処理専門の二級術師、傀儡呪詛師

「...」

高専付近の市立病院。既に夜も老けて真夜中に差し掛かっている午後11時過ぎ。面会など許されないはずの病院内のとある一室。薄暗いカーテンの隙間から溢れる月明かりが、1つの入院ベッドを照らす。

そこには、点滴と人工呼吸器をつけられた二級呪術師、露鐘の姿がある。そしてその傍らに、椅子に座りその手を優しく握る茅瀬の姿があった。

いつかの日に似た状況とは逆に、2人の空気は重い。否、ここで起きているのは1人だけ。泣きそうな表情で茅瀬は、上下に小さく動く露鐘を見る。無機質に繋がれた頼りない管と頬を覆うガーゼ。頭に巻かれた厚い包帯。

彼女の怪我の度合いは、酷いものだった。



『...は、?』

自分と同じ術師の同期、田代夏樹から放たれた言葉に瞠目する。手に下げられた携帯のコール音だけが校内の廊下に響く。黄昏時の静けさを打ち消したのは、たった一言。

『露鐘が、酷い怪我を負ったらしい』

その一言が、どれだけ茅瀬を追い詰めるのか。どれだけ息をできなくさせるのか。衝撃的な言葉に茅瀬は固まって、そうして言葉を出した。

『...そんなわけ、だって、ただの二級任務だって...』

信じたくない。その思いが籠った言葉を駄々捏ねのように出す。その様子に顔を歪め、田代は言葉を出す。

『等級違いだ。露鐘は、特級任務に当てられたんだ』

その言葉を出された瞬間、茅瀬は田代の胸倉を掴んでいた。遠くから大きく小さい怒号が木霊する。茅瀬だ。茅瀬が泣いて、叫んでいるのだ。

田代は静かに茅瀬を見て、ゆっくりと離れ、こう言った。

『露鐘が、死にかけてる』



そこからは全く記憶がない。

ただ、気付けば面会時間も過ぎていた。気付けば、この部屋にいた。気付けば、露鐘の傍にいた。

「...まひろ」

弱々しく細い左手を掴んで握りしめる。前に握った時はマメが出来ていた。平然とした様子で斧を持ち、呪霊を祓う彼女の手は、死体を操る自分よりもこんなに細かったのだと実感する。軽くいなされて吹っ飛ばされる体術であんなに強いのに、いざ身体を見ればこんなにも小さくて細く、弱々しい。

「...眞尋」

二級任務だと言われても着いて行けばよかった。そんな後悔だけが茅瀬に積もる。後悔だけではない。

等級違いを寄越した上層部、発見を遅れた補助監督、特級へと成り果てた呪霊、それを生み出した周囲の人間。

彼らに対する、湧き上がる負の感情が茅瀬を追い込ませる。そうして、露鐘を一心に見つめた。

「...眞尋...」

別に明るいわけではない。特段強いというわけでもない。真っ当で常識的な普通の人間だ。しかし、茅瀬と術式の相性が良かった。自分と同じ、視える人間だと安心された。笑わない自分を笑わせてくれた。仲間となって、知らない一面を見せてくれるようになった。

分厚い氷壁を少しずつ溶かすように、露鐘は茅瀬と関わり続けた。任務が重なることも合って、2人で過ごす日々が増えた。実家で過ごすよりも幸福な日々に、ずっと浸かっていたいと感じるようになった。

だから、あの時も縛りを結んだ。自分とは真逆の方向へ舵を切らんとする彼女の幸いを、何よりも誰よりも、自分でありたいと心から願ったから。

けれど、そう思った直後にこれだ。

「...」

本当に幸福だけを願ったかと聞かれれば、茅瀬は嘘だと答えるだろう。幸福だけが全ての願いの収束体じゃない。本当はもっと、強く縛って結んで、切っても切れない糸で結びたい。そう願って願って、思い留まった。


思えば此処が、全ての転換点だ。


「...は」

露鐘の左手を握る右手に、呪力を込める。静かに込められたその呪力は、指先を伝って露鐘の中に染み込む。それは身体に巡る血を媒介に、心の奥の奥まで浸透する。

「はは、は」

呪力が強い何かを感知して、茅瀬はイメージする。そこにあるのは何か、心臓部の裏側も超えた、彼女の奥深くに存在するものは何か。

「はは、は、は」

そこにあるものはたった1つと相場は決まっている。そしてそこから起こす行動に、何の戸惑いもなかった。


茅瀬は、清純な呪力に包まれた“魂”を自身の呪力で覆った。


「はは、ねぇ、眞尋。」

呼びかけに答えない露鐘を、何処か歪な眼が見つめている。砂糖を混ぜたような甘い声が、病室に木霊する。壊れたブリキ人形が言うことを聞かなくなるように、同じ行動を正常に繰り返していたロボットが急に誤作動を起こすように、茅瀬は言葉を放つ。

「俺は、きみが、大切だ」

魂を捉えた呪力が、勢いよく進んで露鐘の身体全体に流れ込む。何の違和感もなく混ざり合う呪力に、茅瀬は喜びを覚えた。

「大切で、大切で、大好きだ」

声が喜色を混える。目を瞼で覆えば見える、思い出して流れる数々の思い出。感じた感情。感じて見えた世界。茅瀬に、もう迷いはない。

「大好き、大好き、大好きだ」

二度とない告白を、露鐘は呼吸音で答えるだけ。けれどそれは聞こえていない。だからこそ、この後のことも一切知らないのだ。

「君の幸いだけを願えたら良かった。」

茅瀬の持つ呪力の全部が流れ込んだ後、露鐘の呪力が茅瀬に流れ始めた。

「君の記憶に残ることだけで留まれれば良かった。」

術式を使う時に感じる、柔らかで清らかな呪力が茅瀬の身体を巡る。知ったこの呪力を他の誰かに渡すなど、絶対にしたくないと思うほどに、焦がれて焦がれて羨んだもの。

「君が生きていることだけを、望めたら良かった。」

茅瀬は静かに涙を流す。月明かりに照らされた白髪と相まって神秘的に見える光景は、その中身はとても残酷だ。自戒をして、まるで罰を望むように、露鐘の左手を両手で包んだ。


「でも、もう無理だ」


茅瀬の身体の奥の奥、自身の魂がある部分までに露鐘の呪力が流れ込み、ゆっくりとその輪郭を覆う。冷たく感じていたそれとは全く違う、心地の良い温かさを持つそれは、茅瀬の身体に良く馴染んだ。


「君の死ぬ様を見たくない。君の生を望んでいたい。君が俺を忘れるなんて許したくない。君が他の誰かと幸せになるのを、見たくない...!」


互いの呪力が完全に流れ込み、双方の繋がりを強固にする。相手の身体に馴染む自身の呪力がよく分かる。


「ごめん、ごめんね...眞尋...」


謝り悲しむ声とは裏腹に、その顔は恍惚としている。誰かへの恨みも憎しみも悲しみも何もかも、先程まで感じていた激情は、何処へ消えたのだろう。


はっきり言おう。

茅瀬遥は、露鐘眞尋を愛している。


だから、仕方のないことなのだ。


「もう、死んでも離してあげられないや。」


泣きながら笑う茅瀬の顔が、1人眠る露鐘に向けられることも、何も彼女は気付かない。

こんなにも強くて重いものを向けられていることも、

もうどうにも出来ない段階のことをしてしまっていることも、何もかも───


───2人を繋ぐ縛りが強くなってしまったことなんて、仕方のないことなのだ。


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