喜劇か悲劇か
火の鳥的なマダ扉随分と寂れた社だ、とマダラは辺りを見回しながらそう思った。けれども何某かが居るのは確からしく社には蜘蛛の巣一つない。賊ではなさそうだと漠然と噂の主の正体を考えながら、マダラが手前にある建物に近寄る。
「それは本殿だ。参拝なら麓の拝殿にしてくれ」
後ろから話しかけられ、マダラが咄嗟に振り向く。白い髪をした男。すわ、鬼かとマダラが腰の太刀に手を掛ける。しばし間があって、マダラが太刀から手を離す。鬼なら既に殺されている、と分かったからだ。
「鬼、じゃねぇな」
「神でもない。敢えて言うなら神主だ」
「神主?どう考えても……」
「オレ以外の者は病で死んだものでな。それ以来ここは廃れたことになっておる」
ああ、成程、とマダラが頷く。この見た目では確かに神主として社を管理することは不可能だろう。だからと言って崩れるままにしておくわけにもいかずこっそり管理をしていた、というのが噂の真相らしい。
「日が暮れる、大した家ではないが泊まっていくといい」
「オレが賊だとは思わねぇのか」
「その時はその時だ」
ついて行くとも言っていないのに歩き始めた背を慌てて追いかける。暫く黙って歩いていたが、白い男が都に居る貴族と言われても頷いてしまうほどの衣を纏っていることに気が付きマダラが口を開いた。
「随分と良いもの着てんな」
「安心しろ、盗んだものではない」
「どうだか」
「こんなところで賊をしても碌なものは手に入らん」
男の口振りから、価値を分かって着ていることを理解しマダラはますます首を捻った。そんなマダラの様子を察してか、男が振り向いて一言質問なら後で聞くからちゃんとついてこい、と声を掛けた。
「赤い瞳?」
「質問なら後で聞くと言ったであろう」
そういって再び歩きだした男に半ば呆れつつもマダラがついて行く。漸く男の家に辿り着いた頃には完全に日が沈みかけていた。
「こんなとこに住んでるのかよ」
「悪いか?」
白い髪、赤い瞳の男が暮らすには最適ではあるとは思ったが、塗籠を家にしたような造りなのはマダラとしては落ち着かない。病的に白い肌もこれの所為だろうか、と男を改めて見る。神やら鬼やら噂されるのも分かる見た目だ。
「悪かねぇが、良くもねぇだろ。ここ」
「正直だな。オレもまぁ好きではない」
「だろうな」
「そんなことより、オレに用があるのだろう」
「そう急かすなよ。時間はあんだろ」
まだ話したいという気持ちに負けマダラが誤魔化す。もし、殺しに来たと分かれば白い男はこうも好意的に接してはくれないだろう。どうせ殺すしかないとしても、ぎりぎりまで抗いたかった。
「……まぁいい。貴様の好きな時に話せ」
「それより、オレの質問に答えてくれんだろ」
「ああ、忘れてくれて良かったんだが」
「生憎、記憶力は良いもんでな」
面倒そうな顔をする男は後目に、マダラが矢継ぎ早に質問をしていく。家族のこと、名前、今までの暮らし、その他細々としたことを尋ねるマダラに呆れながらも男は全て答えた。その結果マダラが分かったのは、男は扉間という名前で、この社で神の化身として祀られていたこと、家族が死んだのは三年前都でも流行った病の所為だと言うことだった。
「気は済んだか」
「おかげさまで」
「なら、貴様の番だ」
「オレに訊きたいことでも?」
「何故オレを殺さん」
長い沈黙の後、マダラが諦めたかのように太刀に手を掛ける。逃げてくれないだろうか、と扉間を見る。仏のような笑みだった。端から覚悟を決めていたのだろう。それならば、とマダラも太刀を振り下ろした。
「すまん」
「いや、貴様で良かった……そうで……あろう。マダラ」
「ああ、違いない。お前を殺すのはオレだ。扉間」
次は殺さずに済むと良いが、とマダラはひとりごちた。
「お前も仏に祈るとはな」
「オレはこう見えても信心深いのでな」
良くもまぁ、心にもないことを言えるものだとマダラは扉間を見た。信心というものがあれば死者を穢土に連れ戻そうなんて考えようとすらしないだろう。祈ったところで神も仏もお前を救わねぇよ、と嫌味交じりに言ったマダラに扉間が笑って返す。
「心配せずとも、救いが欲しくて祈っているわけではない」
「誰がてめぇのことなんか心配するか」
「そうカッカするな。身体に悪いぞ」
相変わらず腹の立つ男だ。弟を殺した男だということを差し引いても親しくなりたいと思えない。扉間を慕うものが多いのもマダラをイライラとさせた。卑劣な術を使うような男と知って尚慕うものにいたっては正気を疑う。
「お前みたいにオレは弱くねぇ」
「ああ、だろうな」
何を言われようが平然としている扉間に耐えかねてマダラが早々に部屋を出て行く。そんなマダラに何か用事があったわけではないのか、と扉間が呆れた顔する。動機は全く不明だがマダラは時折扉間の元にやってきて話しかけては苛つくということを繰り返していた。信用ならない、と何度か目の前で言われたので全く視界に入れない、ということもマダラとしては出来ないのかもしれない。或いは単純に偶然が重なっているだけ、というのも否定はできない。どちらにせよ扉間の想像でしかないので実際のところは分からないが。
「難儀な男だ」
あの調子で今日の任務は穏便に済むのだろうか、と扉間は溜息を吐いた。
任務自体はつつがなく終わったが、帰りに土砂降りの雨に降られるという不幸に見舞われた。飛んで帰ろうにも里までの距離が遠すぎるため、雨宿りをせざるを得ない。そう判断した二人が見つけたのは随分と昔に放棄されたらしい寺だった。
「随分と荒れているな」
「嫌なら外に出ろ」
「ただの感想にそう突っかかるな」
不機嫌なことを隠さずにマダラが床に座った。それを見た扉間が出来る限り遠くに座ろうとしてマダラに制止される。曰く、目の届く範囲にいろということらしい。
「そんなにオレが信用ならんか」
「ああ、悪いか」
「いや。良いと思うが」
扉間の言葉にマダラが盛大に舌打ちをする。どう言った返答が欲しいのかさっぱり分からないが、どうやら先ほどの答えは下の下らしい。どうしたいのか、何をしてほしいのかさっぱり分からない男。それが扉間のマダラ評だった。
「扉間」
「なんだ」
珍しく名を呼んだマダラに扉間が視線をやった。いつも通りの不機嫌そうな顔だが、どこか凪いでいる。あ、これは昔に見た顔だと扉間は瞬時に理解した。その先に起こることも解った。解ってしまった。ならば、扉間の言うべきことは一つしかない。
「マダラ、兄者によろしくな」
「ああ、なんだ、えらく殊勝じゃねぇか」
「できれば一撃で頼むぞ」
「オレを誰だと思っているんだ」
マダラが胸を貫く直前、扉間が仏のような笑みを浮かべた。ああ、成程、確かにこの男は己のために祈っていたわけではなかったらしい。そう理解してマダラが首をゆっくりと振った。
「お前という奴は」
別にマダラは騎士道というものが嫌いなわけではない。物心ついてからずっと教え込まれたそれと己の本性が致命的に噛み合わぬだけで。そのことを知っているのは窓越しに対面している扉間だけである。そして、その本性を良し、としたのも扉間だけだ。
「オレもとうとう騎士か」
「剣闘士の方が向いているのにな」
「間違いない」
騎士の仕事が戦場を駆けまわるだけであればマダラも別に騎士になることに不満はないのだが、実際この平和な世でやることと言えば儀礼的な訓練や我が儘王女の護衛くらいなものだ。
「まぁ、オレと違って貴様はどうにでもなる」
「オレなんかよりよっぽど器用な癖に」
「仕方あるまい」
白い髪も赤い瞳もマダラにとっては大して気にならないことだが周囲はそうではない。その所為で家から出ることも出来ず飼殺されるだけの存在。扉間はそれを受け入れてしまっていた。
「家から出たいと思わねぇのか」
「ないといったら嘘だな」
「なら……」
「マダラ」
咎めるような響きで名を呼ばれマダラが押し黙った。余計なことを言ってここに来るなとまで言われては堪らないからだ。いや、既に何度かそれとなく言われたのを無視してマダラは扉間に会いに来ていた。
「また来る」
「身体には気を付けろ」
「おい、なんで黙っていた」
「聞かれなかったからだ」
激高するマダラに悪びれた様子もなく扉間が答えた。知らねぇのに聞けるわけねぇだろ、と怒鳴り散らしたいのをグッと抑えてマダラが問いかける。
「どこに売られる、言え」
「どこぞの研究所らしい。まぁ、この見目だから実験体であろうな」
「っ、お前はそれで良いのかよ!」
「ここで幽閉されて死ぬか人類の発展のために死ぬかだったら後者の方がオレは良いと思うが」
「オレと逃げてくれ。頼む」
何度か言った言葉だった。何度も断られた言葉でもあった。そして、今回も断られることを薄々マダラは察していた。この先の結末がいつも通りになることも。
「それはできん」
「どうしてもか」
「どうしてもだ。貴様は家を継ぐべきだ」
「継がねぇ、いや、継げねぇ、か?」
「はっ?」
窓を叩き割り、マダラが部屋の中に入る。当然騒ぎを聞きつけ音の出所を見つけようとする複数の足音が響く。
「マダラ、早くここから……」
「ああ、大丈夫だ」
剣を構えたマダラにああ、そういうことか、と扉間が力を抜く。
「笑ってんじゃねぇ」
「笑っていたのか」
「無意識かよ」
マダラが扉間に剣を振り下ろした。
「どうしてお前とオレはこうなっちまうんだろうな」
「そういえばマダラ」
「なんだ」
「今日で丁度貴様がナンパしてきた日から一年経ったぞ」
「忘れろ」
マダラとしてはナンパしたつもりはない。結果として古典的なナンパの手法になっただけで。この一年一切話題に出さなかったので流石の扉間も忘れているのだと油断していたが、無駄に記憶力の良いこの男はきっちり覚えていたらしい。
「まさか、男から何処かで会いましたか?と言われるとはな」
「言うんじゃねぇ。忘れろ」
「初対面の相手に、ん?見たことある面だなと言い放つ男は後にも先にもおらんだろうからな。忘れようがない」
心底愉快そうに笑った扉間の頬をマダラが抓る。赤くなった頬にざまぁみやがれと思いつつテーブルのコーヒーに手を伸ばす。同じ柄のマグカップに淹れたせいでどちらが自分のものかと悩んでいると、トントン、と扉間の白い指先が右のカップを叩いた。
「信じるぞ」
「こんなしょうもないことで騙さん」
それもそうかと、カップを手に取りコーヒーを啜る。非常に甘い。騙された、と思って扉間の方を向く。気まずそうな顔の扉間と目が合う。オレのカップだぞ、の意味だったらしい。
「すまん、ちゃんと聞かなかったオレが悪い」
「オレが声に出しておけば良かっただけだ。それより、貴様には甘すぎただろう」
口をゆすぐなりなんなりしろ、という扉間を引き寄せ口の中の甘さをお裾分けする。
「しつこい」
「良いだろ、久しぶりなんだからよ」
「一週間足らずだろうが」
その間にお前が殺されたら困るからなという言葉が喉元まで来たのをどうにか飲み込む。恋人を心配する言葉としては最悪の部類なので言わずに済んで良かったと胸をなでおろしながらマダラは無難な返事をした。
「オレにとっては一週間近くだ」
「時間の感じ方は人それぞれだが……」
貴様がその調子では最悪別れることも考えねばならんな、と扉間が言い切るより先にマダラが腕を折らんばかりの力で掴む。
「今、別れるって言ったか」
「まて、もしもの話だ。落ち着け」
「もしもの話でもするな」
「分かった、分かったから手を離せ、腕が折れる」
腕どころか首を折ってやればいい、と自分の中の悪魔が囁く。どうせこの男はオレのことを赦すのだから。頼んでもいないのに。
「その笑い方はやめろ」
「生憎鏡がないので分からん」
「オレはその顔が嫌いだ」
「そうか。すまん」
お前が赦す所為だと厚顔無恥極まりない責任転嫁をする。戦でもないのに一方的に殺す方が悪いのは自明の理だ。だが、何度殺しても扉間は自分のことを赦した。それがマダラには許せない。
「お前は知らねぇだろうが」
「?」
「別にオレは好きでお前を殺しているわけじゃねぇ」
「ああ、だろうな」
分かっているなら抵抗しやがれ、という言葉は声にならなかった。
扉間にとってマダラは出会うべき人間ではない。何度も生まれ変わって様々な関係になったが、結末が変わったことがないからだ。最短で半日、最長で十五年。今度こそ殺させずに済む、と思っても何処からかマダラがやってきて代わり映えのしない終幕を迎える。どうにか出会わないように隠れてもマダラの方から探し当ててくるので、扉間は半ば逃げ切ることは諦めていた。探し当ててでも己を殺したいのか、と考えたこともあったがマダラは常に扉間が近くにいることを求めた。憎んでいる時ですらすぐさま殺さなかったあたり、マダラなりのルールがあるのかもしれない。扉間には解らないが。
今の扉間は何の因果かマダラの弟だ。もしかすると今度こそは穏便にマダラの前から去れるかもしれない。流石に兄弟となり、自分とマダラがどうやっても噛み合わないと分かれば距離を取る、という結論になるだろう。そう思いながら、扉間は日々を過ごした。
「扉間」
「兄さん」
疲れた様子のマダラを椅子に座らせ、扉間が茶を淹れる。急逝した前当主に代わって継いだものの人付き合いを好まないマダラにはきついらしい。手伝うことも申し出たが、断られてしまった以上扉間が出来ることはない。
「何が財閥同士のパーティーだ……狐と狸の化かし合いの間違いだろ」
「だいぶ可愛がられたようだな」
「いつか全員餌にしてやる……」
「怖い狼だ」
向かいの椅子に座り、自分用に淹れた茶を啜る。茶菓子の一つでもあればと思ったがマダラ以外の客人が来ない部屋に用意しても無駄か、と思い直す。いつか出て行くことを考えて殆ど物を置いていない部屋をマダラは殺風景だと怒ったが、扉間としては丁度良い。やはり、こういうところから噛み合わない。
「いい加減、この部屋を出る気はねぇか」
「屋敷からではなく?」
反射的に出た言葉に、扉間が口を押さえる。明言されたことはないが、部屋から出てくれるなという空気がマダラにも屋敷の者にも漂っていた。なにせ、部屋の中に軽い食事が作れる程度の設備があるのだ。茶を頼みに外に出るのも遠慮しろという意味にしか受け取れない。その状態なのに部屋から出ろ、と言われるのは屋敷から出て行けと言われるに等しかった。
「違う。屋敷からは出るな」
「気を遣わなくていい。そのうち出るつもりだったからな」
「出て行きたいのか?」
そう問われて扉間は言葉に詰まった。幾度となく繰り返した結末のことを思うとあまり長居するのはお互いのために良くない。同じ結末になるとは限らない。それは確かだ。けれども、その希望に縋ってこの場に留まってまたマダラに殺人のリスクを背負わせるのは扉間の本意ではない。
「答えられねぇ、てか」
「……ここに留まるのは良くない、とは」
「ここって言うのは部屋か、屋敷か」
それともオレの側か、とマダラが問う。答えを分かっている癖に訊くのは無しだろうと扉間が肩を竦める。この調子だと今回も駄目なのかもしれない。何故かそのことがおかしくて口角が上がってしまう。
「なぁ、兄さん」
「なんだ」
「懐のピストル、使わないのか?」
「使わせるのはお前だ」
「そうだな。違いない」
胸ポケットからマダラが取り出したピストルを奪いとり、自らのこめかみに当てる。端からこうしておけば良かったのだ。
「っ、やめろ!」
「ではな。来世は会わんことを祈る」
こと切れた死体は相変わらず笑みを浮かべていた。
「扉間」
嫌というほど聞いた男の声。あ、駄目だったのかと一瞬で扉間が察する。後ろから肩を掴まれ振り向かされる。目が合った。
「マダラ」
「お前の願いを聞き入れる仏も神も居ねぇって言っただろ」
「……みたいだな」