2章(終盤・続)

2章(終盤・続)

善悪反転レインコードss

※2章終盤で潜水艦が魚雷を打ち込まれる辺りの雰囲気をssにしてみました、の続き。

※ヘルスマイル探偵事務所組の探偵特殊能力について個人的に解釈しています。

※キャラ付けや関係性などは筆者個人の妄想に基づいています。また、独自の補完があったりします。

※反転ヤコウがお労しい上に悪夢で苦しむ描写があります。



 翌日。

 探偵事務所に全員が揃っているタイミングで魚雷が打ち込まれ、沈没の危機に見舞われたのだった。

(け、結局こうなるの!?)

『不意打ちじゃん! ご主人様が変人扱いされたこの数日は何だったんだよー!』

 激しく揺れる潜水艦の中で、ヨミーは所長の席に座ったまま、横に倒れて中身が零れたカップを見下ろしていた。

「ユーマ、喜べ。テメーの不安は的中したぞ。今ここで謝っとく。テメーは真っ当だった」

「喜べませんよぉ…ッ!!」

 ヨミーは状況に反してやけに冷静で、もしや諦めているのかと疑わしい程だった。

 だが、では何をするべき状況かと問われれば、せめて防御の姿勢を取るしか解答が無い程度には逼迫していた。

 中には、振動の激しさのあまり、立っていられずに膝をつく者も居た。

「ギィーッ! 三回でこれの力がもう使えなくなっちゃった! 狭い場所でグルグル回ってインチキすんじゃねーよってか!? こっちは命懸かってんだけど!?」

 最も奇異で活発な動きをしていたのはギヨームで、潜水艦の端から端まで行ったり来たりを繰り返していた。

 一見、冷静さを完全に喪失している。だが、台詞をよく聞けば、彼女が探偵特殊能力を発動するべく、その条件を満たす為に苦肉の策を弄している事が分かった。

「この潜水艦、もうすぐぶっ壊されるよー! だからッ! ぶっ壊されるよりも先にぶっ壊すッ!!」

「……! テメーら! ドミニクが今から床に穴を開ける! そこから死ぬ気で泳いで逃げろ! すぐ浮かんだら魚雷にぶつかるぞ、息が続く限りは浮かぼうとするな! あとは各自の判断に任せる!」

「はいはいヨミー様の説明通りレッツゴーオッケー牧場!」

 ヨミーはギヨームの意図をニュースキャスターの如くハキハキと説明し終えた。

 ヨミーの冷静さは、保安部に喧嘩を売りまくって蓄積した壮絶な慣れが齎したのかも知れなかった。今回の修羅場はこういう方向性か、と彼は心の中で分析していたのかも知れない。

「ドミニク! 床をぶっ壊して! 全力でね!!」

「……あァ!」

「ヨミー様、場所は雑居ビルの屋上でよろしいですね!?」

「正解だ!」

「お、泳ぐ…? 魚雷を避けながら…!? め、命令ですから、やりますが…!」

「金をキャッシュに入れておいて正解だったな!」

『ひぃーッ、ご主人様! スイム! スイムだよー! ワンチャンミニゲーム的に操作可能かもーッ!!!』

「う、うわあぁああ!!」

 ギヨームの宣言通り、ドミニクの『怪力』によって床にデカい穴が一瞬で開き、室内は瞬く間に濁流で満たされたのだった。

 元居た世界とは異なる方向で滅茶苦茶な状況だった。

 魚雷がなおも打ち込まれている状況下で、魚雷を避けるべくできる限り川底を這うように泳ぐ。

 潜水艦からある程度離れる事が叶えば、浮いて良い。

 尤も、水の流れが滅茶苦茶に乱された川の中を泳ぐだなんて、到底正気の沙汰では無い。人力で可能なのか甚だ疑問だ。

 けれども、できなければ死ぬ。やるしかない。意識が続く限り、息が続く限り。






 ————潜水艦に大量の魚雷を打ち込むように指示を出したのは、保安部捜査課長のヴィヴィア=トワイライトだった。

 事実上の、抹殺宣言だった。

 斯様に大それた真似を、ヤコウに相談せず、独断で実行した。

 ヤコウの超探偵達への不自然な忖度と期待、そしてヤコウが幹部にさえ素っ気無く接する事を思えば、幹部と言えども極刑を覚悟せねばならない。

 ヤコウの意に反するならば、幹部と言えども公開処刑。あり得る筋書きだった。


「ヴィ、ヴィヴィア……テメー……」

 管制室にて。

 モニターの前で佇んでいるヴィヴィアの背へと、デスヒコは呆気に取られたように呟いた。表向きに振る舞っているキャラクターもこの時ばかりは忘れかけて、愕然とさせられていた。

 このタイミングでの、この暴挙。

 ヤコウの為に超探偵達を排除したいのに、当のヤコウが邪魔をしてくるという矛盾した状況。それに業を煮やしたのか?

 ヤコウを想うならば、ヤコウに罰されてでも……と献身を働かせたのか?

 それとも、デスヒコが怒鳴られた件で、元を辿れば超探偵達の所為だとキレてしまったのか?

 最後の理由が、ほんの少しでも含まれるとしたら。デスヒコの肝が冷えた。

 仕事上ではヴィヴィアとは仲が良くない振りをしているし、仮に仲良くしていても庇えない。

 誰も守れない癖に、ヤコウに意見できない癖に、副部長を任されているのが、デスヒコの立場なのだから。


 これから起こり得るヴィヴィアへの罰に顔面を蒼白とさせ、何とかならないかと必死に頭を働かせるデスヒコからの視線を背に受けながら、ヴィヴィアは独り言つ。

「……大丈夫」

 それは、見当違いながら、ヴィヴィアの為にと案じてくれているデスヒコへの慰めであり、きっとこれから自分を処刑するであろうヤコウへの許しでもあった。

 ヤコウからは有難迷惑どころか、唾を吐かれて拒絶されるだろうが、それでも。

「…私が、消えて欲しいと思っただけ。誰の為でもない。このタイミングは、たまたまだよ」

「だ、ったら……なん、で、だよ」

「狐はね。ずっと、ブドウを食べられないんだ。いずれ、酸っぱいに違いないと見切りをつけて、諦めて、去るんだ…」

「諦めたりしねーから、けど知りてーから、教えてくれよ! オメー自身の為だってんなら、なんで!」

「……」

 ヴィヴィアは、答えない。

 己の動機を何も語らず、そこで立ち尽くしていた。

 それは、沈黙する事で、真実の箱の蓋を閉ざし続ける事で、ただ一人を守っている姿だった。



 ◇ ◇ ◇ ◇



 これは悪夢だ。

 空白の一週間で何があったのか、夢という形でリフレインしている。

 カナイ区唯一の生き残った人間であるヤコウ=フーリオが、忘れてはならない戒めだ。


 信頼する者同士で、命の優先順位をつけ合った。

 この状況じゃ、オイラは一番役に立たねえな、とか。

 僕のあとは任せたぞ、とか。

 そんな酷いやり取りを経て、実際に部下の命を一人、また一人を犠牲にし続けて、心を擦り減らし続けながら、ヤコウは生き延びていた。


 ヤコウの妻に群がる人食いの怪物達。彼女は優しくて芯の強い人だったから、ヤコウ達が気に病まないように決して助けを乞わず、「逃げて…!」と叫んでくれたけれども。

 だが、愛する女性を見捨てて生きるだなんて、ヤコウには想像できなかったから。想像するだけでも耐え難かったから。

 妻の意向を無視するように、妻の方へと足を踏み出しかけた、が。

 ヴィヴィアが、恐慌状態に陥っていたヤコウの腕を掴んで、何度も時を戻した反動で失神しているフブキを半ば背負いながら、反対の方向へと走り抜けた。

 逃げ果せた後、ヤコウは、ヴィヴィアに恨みをぶつけた。

 なんで。

 どうして。

 どうしてどうしてどうして。

 ——どうして、あの時、ヴィヴィアを恨んでしまったのだろうかと、ヤコウがようやっと我に返った時には、遅かった。


「ご、ごめん…! さっきのは違うんだ…ッ! お、お前に、一番、嫌な事をさせちまって…ッ! や、八つ当たりして…ッ!」

 いい御身分だ。散々助けられ続けておいて、自分は被害者みたいな顔をして喚くだけ。人の好い部下達は、そんな上司でも守ってくれる。

 その御身分を自覚して省みた所で、遅過ぎるし、そもそも何の救いにもなりやしない。


「大丈夫ですよ、部長。私の望みが叶、ァ……」

 それが、ヴィヴィア=トワイライトの最期の遺言だった。

 ヤコウへの許しを——赦しを遺そうとした彼が、食われていく。それを後目に、託されたフブキを背負って、ヤコウは反対方向を目指して走った。



 逃げ果せ、家屋の中に潜伏し、憔悴したフブキを床の上へと横たえらせる。眠る事ができなくても、横になるだけで違うはずだ。

「…フブキちゃん。もうちょっと寝ていても平気だ。この辺りには、まだ来てない」

「部、長……」

「奴らが感づいたら、オレがちゃんと起こすから」

 生き残った部下はフブキ一人だけだった。命の価値をつけ合った結果、最優先だと判断された彼女は、肉体以上に精神を病みかけていた。

 フブキの涙腺は、壊れたように涙を零し続けていた。

 ……誰も助けられないけど、自分だけは生き延びる事を望まれている。心優しい彼女にとって、これほど酷な状況は無かった。

 デスヒコを、ハララを、ヤコウの妻を、そしてヴィヴィアを意図して見捨てて。その身が人食いの怪物に群がられて食われている間にと、時間を稼がれている間にと、逃げて、生き延びて。

 自分が見殺しに……いや、その手に掛けているも同等の罪悪感に苛まれ、心が壊れそうなのだろう。

 ヤコウは、そんなフブキの涙を指先でごしごしと拭い、彼女の苦悩に寄り添いながら、自らの千切れそうな心を奮い立たせる。


 全て、アマテラス社のせいだ。不老不死だと宣われた人食いの怪物を生み出したのも、カナイ区の外への脱出や救援要請が不可能なのも、全部。

 統一政府からのホムンクルス製造の依頼に応えるべく、技術が伴っていないのに実現させようと無理を通して、カナイ区の全住民のDNAを採取して大量に製造して暴走させて。

 挙げ句の果てに、隠蔽体質が大いに発揮された。住民どころか自分達の命よりもアマテラス社のイメージダウンを恐れて、そんなものを恐れやがって、列車は動かないし通信機器は役立たずだった。

 一体どれだけの人々が、殺されるのを待つだけだと絶望して発狂して自ら人食いの怪物に身を捧げた事か。

 他人を時間稼ぎの道具にしてでも生き延びようとした悪人でさえ、その醜い努力を人食いの怪物によって泥に帰されていく。


 人食いの怪物達に気づかれない間にと、ヤコウはノートに現状判明し得る情報の全てを必死に書き留めていた。

 ペンのインクが切れても、筆圧さえ掛かれば後で再現できる。血をインク代わりにするのは悪手だ。人食いの怪物に嗅ぎ付けられる危険性が高い。

 もし、自分が死んでも、誰かに託さなければ。この出来事が、闇に葬られるなど、あってはならないのだから。

「……大丈夫です、部長…」

 喘ぐように酸素を取り込む程に疲弊しているのに、フブキが不意に腕を伸ばしてきた。

 涙を拭って貰った返礼だと言わんばかりに、ヤコウの頬を震える指先で撫でてくれた。

 思わず涙腺が決壊しそうになったけれども、ヤコウは耐えて、励ます為にフブキの背をぽんぽんと叩いて撫でて摩った。

「フブキちゃん、いいから、寝てていいから…オレが、守るからな…」

 ——ヒロイックに酔い痴れていたから、フブキの思惑に最後まで気づけなかったのだと、全てが終わってからだと自虐するより他に無い場面だった。

 やがてフブキが死に際に浮かべる、実際の年齢が逆転したような——我が子の生存を望んで逝く母親のような——罪悪と謝罪と慈愛の眼差し。

 どうして、手遅れになってから、彼女が胸に秘めていた自己犠牲に気づいたのだろうか……。



 だから、だから、だから。

 手遅れだからこそ、果たさずにはいられないのだ。弔いを。

 あいつらが死んだ事実さえも奪ってのうのうと生きている、ホムンクルスが許せなくて。


 地獄の蓋が開いてから一週間が経った頃。上空を雨雲が覆い、日光が遮られた事で、人食いの怪物が次々と倒れていく。

 ただ一人生き残ったヤコウは、放心しながら雨に打たれていた。

 当時は、ホムンクルスが日光を浴びると暴走するなんて分からなくて。なぜ一様に鎮静化したのかと思案しながら彷徨っていた。

「っ、…無事か? 良かった…!」

 そうしていたら、己と妻のホムンクルスが支え合うように起き上がった場面を見かけた。

 頭の中の神経が一気に千切れて、視界が真っ赤に染まるような感覚に襲われた。

「ハララ達と合流しよう。あいつらも、どこかで倒れてるはずだ」

 ヤコウと同じ姿形の存在が、ヤコウと同じ声で、妻と同じ姿形と声の存在の肩を守るように抱いていた。

 部下達を、妻を。探偵さえも。見殺しにして生存したヤコウを愚弄するような光景だった。

 つい少し前まで人の形をした化け物として暴れ回っていた癖に、さも、自分達は姿形に見合う理性と良心を備えていますと嘯くように。

「誰も死んでない……みんな、気を失ってるだけだな。何が、あったんだ……?」

 このカナイ区で本来生きていた人々を無視するように、何事も無かったように、惚けたような戯言をほざいていた。

 死んでいる方が、成り代わるのに好都合だと言わんばかりに。

 ヤコウを生かす為にと死んでいった者達を、侮辱するように。

「安心しろ。オレがついてる、か、ら…………え?」

 そんなの、絶対に許せなかったから。

 その場において先んじて目覚めた二体のホムンクルスを、他のホムンクルスが目覚める前に始末せねばならなかったから。

 ヤコウは、損壊していた建物から転がり落ちた鉄パイプを拾い、手の甲に血管が浮かぶ程の握力で固く掴み、駆け出して————





 ——己が原動力となる悪夢をたっぷりと見てから、ヤコウは目を覚ました。

 仮眠室には、ヤコウを畏怖してだろう、人っ子一人居やしなかった(このカナイ区には自分と超探偵と探偵見習い以外には人間が存在しないので、ただ慣用句を用いただけとなった)。

 壁に掛けられた時計を見上げる。二時間程度は眠ったようだが、目元の隈は酷いままだろう。鏡を見ずとも分かる。

 ポケットから栄養剤が入った瓶を出して、中身を幾らか飲む。雑に飲んでもとりあえず生存に問題が無い、アマテラス社製の栄養剤。とても便利だ。

 これぐらいのサプリメントを製造する小さな会社じゃ満足できなかったのかなぁ、なんて恨みが、怨みが、憾みが、凝って仕方ない。

 それはそれで別の会社が台頭していただけ? 冷静ぶった反論が脳内に浮かぶも、そういう話じゃねぇんだよと自ら打ち消す。

「だいじょうぶ」

 三年前の惨劇を生き残った者としての使命感を、あるいは途方も無い罪悪感を胸に、ヤコウは簡易ベッドから降りた。

「オレは、だいじょうぶだからな、みんな」

 呪うように自励をしながら。


 本心はさて置いて、部長として仕事をしなければ。

 今日も今日とて、あの管制室でカナイ区全体を監視しようかと思って、廊下を渡る。

 その道中、とある部屋の前で足を止めた。もうじきこのカナイ区で始まる『馬鹿騒ぎ』の主犯になる人物とハララの通信が耳に入ったので、現況を把握したかった。

 そっと扉を軽く開いた。ヤコウの気配を察したハララは、デキる部下なので、ヤコウの為にと音量をわざと上げてくれた。守秘義務もへったくれもないなぁ、と自分の為だけの配慮にヤコウは嗤う。

《…もう、シャチの綺麗事にはうんざりなんだよ》

 声の主を記憶のフォルダから引っ張り出す。

 名前はイカルディ。ドーヤ地区で潜伏するレジスタンス所属。カナイ区が鎖国された事で将来を断たれた元水泳選手……の、ホムンクルス。

 カナイ区の外へと脱出させるという条件を持ちかけた事で、レジスタンスを裏切って保安部と内通してくれている。

《自分より大切なものがあるってのかよ》

(そういうヤツも、居たんだよ)

 夢見の悪さも相俟って、使い潰すのに抵抗の無いクズだな、と率直に思った。

 もちろん成功が望ましいが、失敗しても愉快な『お祭り』になるだろう。ヤコウはほんの少しだけ憂さが晴れたように暗く微笑んだ。




 管制室に入るや否や、デスヒコから報告を受け、ヤコウは自分の為にと用意された席にとゆっくり腰を下ろして溜息を一つ。

 ヤコウがそこに座る事を見越して、ヴィヴィアが対面する位置で床に直接正座をしていた。

「ど、どうするよ、部長。土下座ぐらいはさせとくか?」

 ヤコウは無感動に、顔色を窺ってくるデスヒコを窺い返す。

 普段は不仲を装っているけれど、いざ死ぬかも知れないとなれば、こんな反応をするのか。

 素体となったデスヒコの性質は、善性は、このように発揮されるのか。

 もし、今も生きていたら……なんて悪趣味なIFをホムンクルスが演じている。このカナイ区は、今や吐き気を催す舞台だ。誰も彼もが、現実で生きていると思い込んでいる。

 その虚構を、幻想を、必ずや、打ち砕かねばならない。

 ……の、だが。


 ヴィヴィアの独断により、ヘルスマイル探偵事務所に大量の魚雷が打ち込まれた。探偵事務所は全壊して沈没。ヨミー=ヘルスマイル所長及び五名の超探偵、それから探偵見習いが消息不明に陥った。

 問題点は成果の有無では無く、ヤコウの意向を聞かずに独断を働いた事だ。故に、ヴィヴィアを如何様に処罰しても構わない。

 ……と言うのが、この場の流れなのだが。

(…………オレの、せいだ)

 ヤコウはまた溜息を零し、項垂れ、両手で顔を覆った。

 ヴィヴィアの独断の動機を推察できてしまった。デスヒコの時とは比べ物にならないぐらい、身から出た錆だ。

 誰にも相談できない中で一人で足掻いているのだから、そりゃあ、抜けはあるだろうけれども。

 自業自得とは言え、吐きそうだった。


 三年前。空白の一週間の末日。ホムンクルス達にとって恵みの雨が降り始めた、あの日。

 ヤコウは自らと妻のホムンクルスを始末した後、放置すれば肉体が復元するからと、必死に刃物を調達して細かな肉片に切り分けて、コンクリートに埋め込んで証拠隠滅を図ったのだが——本当は燃やしたかったが、生憎の悪天候のおかげで実質不可能だと判断した——ヴィヴィアの名を騙るホムンクルスだけには、『幽体離脱』で“見られていた”。

 二人きりになった時、気まずそうに、意味深そうに、小難しく幻想的な文言を繰り返されて……その意味を理解して、血の気が引いた。

 ホムンクルスは、素体の特殊能力まで備えていた。アマテラス社が特殊能力を持つ者を優遇していた意図を垣間見て、ぞっとした。

 頭がおかしくなりそうだった。

 死者の尊厳を、みんなが存在していた証を、どこまで奪って我が物にすれば気が済むのかと、狂いそうで。

 けれども、本当に狂ってしまったら、死者に報いる事ができなくなるから、耐えた。

 それに、話を冷静に聞くと、どうやら、“見ていた”のは、ヤコウ自身のホムンクルスを処分し、コンクリートの中へと封じ込めた後からだった。

 撲殺した妻の形をした化け物が再び息を吹き返しかけたのを、また殺して、肉体をバラバラにして、コンクリートに混ぜ込んで封じた。

 その一連の流れだけなら、ヤコウが二人同時に存在する場面と比べれば些事だ。だから許容した。ヴィヴィアを素体としたホムンクルスの、共犯としての適性の高さに甘えた。

 それが、仇となった。

 ヤコウの罪を中途半端に知るが故、死神探偵の能力に過剰反応を示し、ヤコウを守るべく手を打ったのだ。

 確かに、ヤコウとしても、そんな謎の為に死ぬなんて御免だと思っていたけれども。

 だが、その憂慮の為に、カナイ区の真実が明かされる日が遠のいたかも知れないなんて、絶望的だ。

 尊い人命がヤコウの身から出た錆で失われた可能性に慄く一方で、時間制限という側面でも切実だった。

 ヤコウは人間だ。ホムンクルスと違って老いる。

 一年さえ惜しい。早くしなければならない。どうして一人だけ年老いているのかとマコトに感づかれたら、終わりだ。


 そういった諸々の心情により、自虐が強過ぎる余り、ヴィヴィアを罰する気になれない。

 それどころでは無かった。

 幹部の能力はどれもこれも惜しいから、そういう意味で誰も失いたくないから、処罰するにしても適当に数日ぐらい牢獄にぶち込めばいいかな、ぐらいに思っている。

 処刑なんて絶対にしない。勿体無い。

 さて。どうしようか。

 どうか、超探偵達と見習いには生きていて欲しい、と念じる事しかできない。

 赤い血の通った人間に、超探偵に、カナイ区の真実を暴いて欲しい。

 ヤコウが敵対しているのは、ホムンクルスの守護者であるマコトの目を掻い潜る為の申し訳程度のパフォーマンスなのに。

 でも、元を辿れば、ヤコウの所為である訳で。

 どうしてくれようか。

 大事な場面で邪魔をしてくれるホムンクルス達に、なまじ身から出た錆であるものだから、どう対応するべきだろうか。


「…………はは…」

 あ、そう言えば。

 ユーマは、デスヒコの件の時、怒るのは駄目だって言ってたっけ。厳密なニュアンスはどうだったっけ。とにかく怒るなって言っていたのは確かだ。

 赤い血の通った人間の、それも、憐れな程に善良であるユーマ=ココヘッドの言葉は、できる限り聞き入れてあげたかった。

「っ、く、は、は、は、は」

「……、部長?」

 ならば、もう、笑うしか無いのだ。

 化け物すら傷つけない形で感情を発露するには、笑う以外に何があると言うのだ。

 真っ当に怒れない、悲しめない。

 ならば、道化師の如く楽しむように笑う以外に道が無い。

「は、っ、は、ははははっ、はは、はっ!!」

 だから、顔を上げて、背凭れに思いっきり体重を預けて、天井を見上げながら、笑った。

 デスヒコがギョッとしても、ヴィヴィアが瞠目しても、何事かと管制室へと駆け込んだハララが唇を噛んでも、ハララに付いて来たフブキが狼狽えていても。

 それでも、笑い続けた。

 素体となった者達の性格や感情を我が物とした怪物達なら、都合良く解釈してくれるだろう。

 ってか、それぐらいしてくれよ。

 しろよ。

 化け物達が犯した罪を、ヤコウは忘れない。忘れられない。

 罪は罪だ。罰が必要だ。許さない。贖わせてやる。その血肉を以てして。



「——よし! じゃあ、みんなで確認しに行くか!」

 勢いよく立ち上がり、幹部達にニコニコと言ってのけたヤコウに、誰が告げられようか。

 その、空元気めいた、圧のある哄笑を。

「……私への、処罰は?」

「いいのいいの、いいから! な? お前も一緒に来いよ!」

 つい先程まで一時的に発狂していた、と。

 笑顔が恐ろしいのだ、と。


 そして、そんなヤコウに黙々と従う四名の幹部の姿に、他の保安部員達は絶句していた。

 忠誠の域を超えた従順な姿であり、あの探偵に飼い犬呼ばわりされる説得力に満ちた姿でもあった。




(終了)

Report Page