2章の断片、あるいは反転デスヒコの話

2章の断片、あるいは反転デスヒコの話

善悪反転レインコードss

※反転デスヒコの雰囲気を掴みたいのが発端のssですが、自分なりに2章を取り扱っているような内容になりました。

※キャラ付けや関係性などは筆者個人の妄想に基づいています。また、独自の補完があったりします。


※反転デスヒコがユーマ達を煽る為だけに反転ヨミーに変装+本編ヨミーっぽいムーブをしています。

※反転ヤコウが電話越しで反転デスヒコを怒鳴る描写があります。

※ユーマはこの世界に望まれて召喚された者という夢見がちな考えの下でお話を形にしています。



《オレの愛しい右腕のス・ワ・ロ♡ 今すぐ舞台に来てくれよぉ~!》

 クルミ=ウェンディーの死の真相を調査している真っ只中で、突如、校内放送が鳴り響いた。

 機嫌良く軽薄に嘲笑を滲ませるその『声』に、ユーマは息を呑んで立ち止まった。

 調査に同行していたスワロの表情は変わらない。少なくとも、表面上は。まるで、凪いだ水面のようだった。


 校内放送で響いたのは、ヨミーの声だった。

 だが、ヨミーであるはずが無い。

 ならば、誰であるのかと考えて、それを理解した瞬間、実質的な時間切れを悟った。

 まだ謎は解けていないし、ユーマは勿論、スワロも声の主が偽者だと確信していた。

 だが、応じなかった場合の、この学院の女子生徒達に及ぶ被害を思えば、行かないという選択肢は無かった。


 舞台に着くまでの途中、緊急時の連絡の要として女学院の外で待機しているセスから異常は無いかと『テレパシー』による確認が届いた。

 スワロは現状における事の次第を簡潔に伝えた。

『逃亡の手配は必要ですか?』

 セスの思念はユーマにも届いていたが、返答は主にスワロの役目だった。

 私の脳への負担を少しでも減らしたいんですよ…スワロが答えられない時だけお願いします…と億劫そうに、何なら不機嫌そうに説明された記憶はまだ新しかった。

 ただ。ユーマがうっかり返答をした時、セスが必ず不機嫌になるという事は。

 毎回、万が一の緊急事態を想定して、必ずユーマと意思の送受信が可能なようにと繋げてくれている証左だ。

 セスの探偵特殊能力は、送る相手も、受け取る相手も、距離的に範囲内である限り、セス本人の任意であるが故に。

 言動が神経質なだけで、悪い人では無い。彼なりにユーマを案じてくれている。

『……その旨、本物のヨミー様にお伝えします』

 セスとの定期連絡が終わる。

 ユーマには、スワロが具体的に何と答えたのかはわからない。

 だが、これからケリを付ける事だけは確かだ。




 本来、演劇部の女子生徒達が活動する為の演劇ホールのステージ上で、ヨミーに化けたデスヒコが豪華そうな椅子で優雅を気取って待機していた。

 その背後には、給仕の真似事を強いられたのであろう、ワインボトル——尤も、中身はブドウジュースに替えられているが——を抱えた女子生徒が俯いていた。

 女子生徒の制服はブドウジュースでびしょびしょに濡れていたし、胸倉を掴み上げられたのか上着には皴が寄っていた。

 到着するまでの間、デスヒコが何をしていたのか、朧気でも察せられてしまった。朧気でも唖然とさせられた。

 察した内容が正解だと証明するように、ヨミーのガワを被ったデスヒコは、華やいだ端整な顔立ちや知性を蓄える秀眉を穢して貶めるように歪めて嘲笑していた。

「よぉ! スワロ! デスヒコ=サンダーボルトの振りはもうお終いかぁ!?」

 ユーマ達がステージへと上がると、デスヒコは椅子から立ち上がり、出迎えるように大袈裟に両腕を広げた。

 デスヒコは他人を変装させる事も可能で、デスヒコ本人では無い可能性はある——が、その可能性は初っ端から切った。

 他ならぬデスヒコ本人の態度が、その可能性をご丁寧にも切ってくれた。

 偽者だと隠しもしないのは、ユーマと、特にスワロへの揺さぶりだろう。デスヒコが誰にでも変装できるのを逆手に取り、スワロはデスヒコの振りをして情報を集めていたのだから。

 ……いや。揺さぶりなんて上等な建前の存在さえ怪しい、純粋な嫌がらせに等しかった。


「オレは悲しいぜ、スワロ……! 他の男の振りをするなんて! オレが必死にカナイ区の平和と秩序を守ってるのを後目に、他の男に現を抜かすなんて!」

 おーいおいおいおい。

 ふざけた擬音を伴うような、ふざけた泣き真似をしている。

 悲しそうと称するには滑稽な、拙い演技だった。

 ——違う。デスヒコの演技は、笑えない名優のそれだった。

 誰とも笑いのセンスが合わないのに、演技力だけは異様に高い。

 技術を評価しようにも、喜劇としては笑えない。

 誰も笑わぬ舞台上で、演じている本人だけが腹の中で嘲笑している。

「オレのこの報われぬ正義をどこにぶつけりゃいいのか、わかんなくて……!」

「っ、ひ、い」

「こんな酷いマネをしちまうじゃねぇかよぉッ!」

 デスヒコは、給仕の真似事を強いさせた女子生徒の腕からワインボトルを奪い取り、次の瞬間、それを女子生徒の頭へと振り下ろそうとして——。


「…………なんて、な」

 その寸前で、手を止め、ぽいっとワイングラスを明後日の方角へと投げ捨てた。

 がしゃん、とガラス片が激しく散る。

 殴られそうだった女子生徒は、その場にへなへなと座り込み、すすり泣き始めた。

『うっわぁ……イメージに近いけど、イメ損が半端ないね、コレ……』

 死に神ちゃんのコメントは淡々としていた。

 一見矛盾しているが、ユーマの心情を表すのにこれほど相応しいコメントは無かろう。

 元居た世界のヨミーを多少想起させられて(癇癪が酷過ぎる彼だったら本当に殴っていただろう)、けれどもこの世界のヨミーを思えば許し難い。

 冷や水を浴びせられた心地だった。


「薄情だな。オレが寸止めしなかったらどうしてたんだよ」

「…何一つ、本気ではなかったのに?」

「はぁ!? 恋人相手にまで『尋問』かよ! マジでねーわ」

 スワロが苛々しているのは、主に二つの要因によるもの。

 本題である事件の解決をそっちのけにして、くだらない言葉による斬り合いに興じている事。

 くだらない言葉が、よりにもよって、ヨミーの姿に化けたデスヒコによる、ヨミーへの愚弄へと傾倒している事。

 デスヒコは、わざと煽って、冷静な判断を欠かせようとしている。

「あなたが姿だけ模倣しているヨミー様は、私の力を恐れて勝手に疑心暗鬼になるような、柔な御方ではないわ」

「あ! やっぱ、他のヤツとは関係壊したことあんのか! スワロ~、オレって何人目の彼氏なん「やめてよデスヒコくんっ!!」

 ユーマは一歩前へと出ながら叫んだ。

「スワロさんに、なんてことを……いや、スワロさんだけじゃない。その後ろの子にだって……っ!」

 スワロが耐え忍んでいた事には意図があった。最低でも、その程度の挑発は効かないとアピールするつもりだった。

 何なら、デスヒコからの関心を、ヘイトを、ユーマを庇う為にその身に集めようとした可能性だってあった。

 だから、ユーマが間に割って入るのは、彼女からしても歓迎し難いだろう。

 スワロの方がずっと辛いはずなのに、先にユーマが根を上げたのだ。水を差したのだ。不愉快に思われても不思議では無い。

『ご、ご主人様! 混ぜ混ぜしないで! コイツはご主人様の知ってるチビッコとは別人だよ!』

(でも……!)

『ご主人様はコイツを信じたいの? 割り切れなくて中途半端になってるだけなの!? オレ様ちゃんには区別がつかないけど、そこの所はどーなの!』

(……)

『ってか、事情があってもサイテーには変わらないでしょ!』

 何らかの事情がある可能性を疑っているのか。元居た世界の感覚を引きずって現実逃避しているだけなのか。前者だったとして、それで許される範疇を超えているだろうに。

 とうとう死に神ちゃんから一喝されてしまい、ユーマは項垂れそうになるが、生憎とそんな余裕は無い。

 それどころでは無い。

 泣くよりも優先的に、やるべき事があるのだ。

「……オメーは誰だよ」

 デスヒコの敵意が、スワロからユーマへと移る。

 初対面も同然なのに、君付けとは馴れ馴れしかろう。

 しかも、敵対していれば、尚の事。

『ど、どーすんの!? 今からでも全力で謝る? 何なら全力疾走して逃げる!?』

(…中途半端も、極めれば、筋があるんじゃないかな)

『ッゲェエエ!! 叱ったつもりなのに逆効果!? や、やめて! 屁理屈はよしてぇ!』

(よ、よりけりってヤツだよ!)

『オレ様ちゃんも一緒に死んじゃうー! 死んだら祟ってやるー!!』

(……大丈夫。死なないよ)

『死ぬ気がないってんならやめてよぉー!』

 ……自分が撒いた種なのだ。何様のつもりかと睨んでくるデスヒコから、視線を逸らす訳にはいかなかった。


「何が探偵だ。チリの分際でクソ鬱陶しい」

 デスヒコに睨まれながら、ユーマは考える。

 中途半端とはつまり、元居た世界のような根の良さを、この期に及んで検討するという事だ。

 この段階に至って、そんな温い思考。死に神ちゃんから叱られても無理は無い。

 ……それでも。

「デスヒコ、さん。変装を解いてください」

 自分が苦しい思いをするだけならば、辛くとも踏み倒せる。

 疑い続けた果てに得られた真実ならば、例え泥であろうとも、疑いもせずに棚から落ちた牡丹餅を偶然受け取るよりも、受け入れられる。

 ある種において破綻している、損得を超えた、自己犠牲の範疇では収まり切らない、覚悟。

 そんなユーマの想いを一心同体だからと共有している死に神ちゃんは、『ご主人様って寿命まで生きられないタイプだよねー…しょうがないなー…ハハハ…』と弱々しく笑いながら開き直り始めていた。

「…ハハッ、事態を引っ掻き回すしか能の無い所長様と何か違うか? 教えてくれよ、どう違う?」

「……もしかして、他の人の姿を借りないと、誰かを傷つける言葉が怖くて言えない…とか?」

「——はぁ?」

「やったのは自分じゃないって逃げ道がないと辛いのかな…って。っ、けど、だからって、その姿で暴言はあんまりですよ」

「————舐めてんじゃねーぞクソが」

 その瞬間、せせら笑っていたデスヒコがスンッと無表情になった。

 ユーマの肩に手を置いて止めようとしたスワロも、思わずユーマを見ていた。心なしか、やるじゃない…と一周回って感心している様子だった。

 それから、デスヒコは底冷えするような冷たい目をしながら、一度舞台袖へと戻った。そこに変装道具を収納した巨大なリュックサックを置いているらしく、もぞもぞと着替える為の擬音が鳴る。

 ユーマ本人はと言えば、論点をわかり易くしようと必要な言語をできる限り圧縮した自覚はあったが、言葉による切れ味全開のボディーブローをかました事には無自覚だった。

 虚を衝かれたように立ち尽くすのも、デスヒコへの反撃の要素として足り得ていた。

『おっとっと。ご主人様の挑発の才能が開花したね。効果覿面だよ。もしかして、案外生存ルートが濃い目?』

(ど、どういうこと?)

『確かに中途半端も極めれば筋があるってことだよ。筋は筋でも太刀筋だけど』

 オレ様ちゃんのご主人様の才能と悪運ヤバいね、と死に神ちゃんは惜しみなく絶賛していた。


 ◆


 エーテルア女学院は、有名な資産家の娘が多く在籍している。

 有名な資産家とは、アマテラス社に縁のある者達が多数を占めている。

 そのアマテラス社は、探偵達の想定を超え、保安部に蚕食されている。

 つまりは、そういう事だ。

 窒息するような、カナイ区の腐敗した現状。社会の縮図である女学院では、その澱んだ空気がより煮詰まり、凝っていた。


 お願い、楽になりたい。

 こんなに苦しいとは思わなかった。

 こんなの、楽な御身分じゃない。

 もう、やめたい。


 ——何を泣いてんだよ、お嬢さん! 今度も自殺で済ませといたぜ!


 アイコの死は、カレンによる犯行だった。

 口封じにと嗅ぎ回っていたクルミを死なせたのもカレンだった。

 だが、度重なる後悔に襲われ続けて、自首を願い始めていたのも事実だった。

 けれども、保安部に——副部長のデスヒコに見咎められ、逃げ道を徹底的に塞がれた。

 舞台から降りる事を許されず、舞台に立ち続けるしかなくなった。

 ただの少女が、人を殺した重みに耐えられるはずも無いのに。

 しかし、抗おうにも訴えようにも、誰に頼れば良いのかわからなかった。

 探偵に頼れば良いと諭されても、首を縦に振る事はできなかった。

 カナイ区最後の探偵は、公開処刑の度に保安部に歯向かって、その度に取り押さえられて、殴られて、時には説教という方便による拷問で無力化されて、結局はただの一度も止められず。

 人によっては、それでも諦めない姿に勇気を貰えるらしいが、カレンはと言えば全く逆で、保安部に逆らえばああなるのかと——保安部が意図した通り、その見せしめに戦慄していた。

 例えカナイ区の外からやって来た超探偵と言えども、本当に頼れるのか不安で仕方なくて。

 どうすれば良かったのだと嘆いて崩れ落ちたくても、それさえも許されず。


 そうして、遂には、超常的な裁きによって死を迎えた少女の魂は——死ぬ事でやっと楽になれたのだと、ユーマに感謝を告げた。

 ……人殺しが何をほざく、自分可愛さにクルミちゃんまで殺しておいて……そんな責め苦に、人殺しの分際で震えながら。


「……ごめんね、カレンさん」

 だから、少女の魂は戸惑った。

 ユーマは侮蔑の念で少女を責め苛むどころか、少女を憐れんで涙で頬を濡らし、首を横に振っていたのだから。

「遅くなって、ごめん…」

 その声は、震えていた。

 ユーマが、自分の為に泣いてくれている。掛け値なしの、感情を露わにしながら。

 理由はわからないけど、その事実だけは真実であるのだと、それだけは少女にもわかった。


 ◆


「オメーのせいだろ」

 謎迷宮から帰還し、時が動き始め、客席に居たカレンが倒れ伏した。

 部下達にカレンの死亡を確認させたデスヒコは、ユーマにありったけの敵意を注いでくる。

 ……ユーマは、デスヒコから責められている状況に怯みそうになるのを堪えて、向き合っていた。


「ヴィヴィアから聞いてたが、マジかよ……マジで犯人を死なせんのかよ」

 犯人を死なせる、呪われた力。疫病神。いや、死神だっけ。

 そう続けたデスヒコは、ユーマに会心の一撃を放ったつもりだったのだろうが……その詰めの甘さを、スワロは鼻で笑い、一蹴する。

「私の記憶の限り、まだ推理を披露していないはずだけれど」

「だからどうした! その見習いの中で結論は出てたんだろ!」

 謎迷宮で共に事件を解き明かした記憶を失っている。

 だから、スワロには、カレンが犯人だと断定付けられた過程の一切がわからない。

 ユーマと死に神ちゃん以外には、わからない。

 それ故に。本来なら『誰も知らない』はずであるが故に。

「なぜ、犯人を死なせたと断定できるの?」

「それは、……。……!」

 スワロは、デスヒコに対して、不自然さを指摘できた。

 しまった、と絵に描いたように顔色を変えて黙り込む姿に、スワロは軽蔑しながら淡々と追及する。

「最初から全てをわかっていて、隠蔽していたのね」

 ユーマが齎した結果に狼狽するのは、逆説的に、裏で糸を引いていた黒幕だったのだと自白するも同然。

 通常ならば、突然死に怯える事はあり得ても、なぜ犯人が死んだのかと疑問視する事はあり得ないのだから。

「しょうもない失言ね。副部長が聞いて呆れるわ」

「テ、メェッ! 人殺しを庇うのかよ! あの所長とデキてるだけはあるな!」

「あなた達が職務を怠慢していた結果でしょう? それに、ユーマが本当に望んでやったのかどうかさえ区別がつかないのね」

「ハッ! 人殺し云々は否定し切れねえ癖に…!」

 自らの甘さをスワロから冷厳と指摘されたデスヒコは、屈辱で顔を真っ赤にし、拳を強く握り締めていた。

「っ、このまま引き下がれるかよ! しょっ引いてやる!」

「デ、デスヒコ、さん…!?」

 事件は解決した。

 しかし、デスヒコは引き下がるどころか、妨害を強行しようとしてくる。

「オメーら探偵は全員、ユーマ=ココヘッドが謎を解けばどうなるかわかってたはずだ! ってことは、だ! カレンの死は、ヘルスマイル探偵事務所総出による殺人事件だよなァ!?」

「そ、そんな…!」

『はぁ~っ!? コラーッ、勝手に殺人事件にすんじゃないよ! 押して道理を引っ込ませる気? 押してんのよってか!?』

 法で裁く為に事実を都合良く捻じ曲げて解釈するデスヒコの醜態に、スワロは心底呆れ果てながら、いつでも逃げられるようにと身構える。

「ヨミー様が要らぬ苦労を強いられていただけはあるわね。鬼ごっこでも始めるつもり?」

 ——この時、セスからの定期連絡が届いていた。スワロは緊急事態だと伝え、受け取ったセスもすぐヨミーに伝えると即答していた。

「偉そうにしていられるのも今の内だ! 泣いて謝れば、オメーとあのギヨームっつー女だけは助けてやるよ!」

「私も彼女も、その程度の脅迫で泣いて屈するような柔い覚悟で探偵をやってないのよ」

「生意気でいけ好かねぇ女どもだな!」

 保安部を撤退させずに逃亡を図った所で終わらない鬼ごっこが始まるだけだ。根本的な解決にならない。

 だが、背に腹は代えられな《図に乗ってんじゃねぇぞッ!!!》


「————っ、え…ぶ、部長……?」

 その怒声は、場の空気を一変させた。

 怒声の出所は、必死にステージへと駆け上がり、デスヒコの傍へと駆け寄った保安部員の片手に握られた携帯電話だった。




 ——少しだけ遡る。


 さて。進捗を確認しなければ。

 保安部室の部長の席に座っているヤコウは、電話を掛ける。デスヒコ本人に掛けるかどうか少しだけ悩んで、今回はデスヒコに同行する部下の一人に繋げる事にした。

 デスヒコ含めた四名の幹部がヤコウを守ってくれているが、ならば有象無象の下っ端達が不要かと言えば、そんな事は無い。適当に交流して、適度に恐怖心を植え付けて、御し易くする必要がある。

 下っ端視点では、さぞや肝が冷える事だろう。わざとやっているのだが。

「あぁ、オレだよ、オレ」

 電話が繋がり、オレオレ詐欺の始まりみたいな文句で切り出す。電話の向こう側の主は、如何なさいましたかとガチガチに強張った声で尋ねてくる。

「いや。そっちの様子はどう? ……え? ふんふん」

 ヤコウは、部下からの報告に耳を傾ける。

 デスヒコはエーテルア女学院でクルミ=ウェンディーという女子生徒が“自殺”した件に係っていたが、探偵見習いユーマ=ココヘッドと超探偵スワロ=エレクトロが異議を唱えてきた。

 では、自殺では無いなら、殺人事件なら、犯人は誰なのか。探偵達による推理が披露される……事は無く、カレンという女子生徒が突然死した。

 推理によって犯人を死に至らしめる、ユーマの死神の力が発揮された。

 デスヒコは保安部の威信を傷つけられ、憤慨した。

 死ぬとわかっていて推理して死なせたのなら、それは殺人だ。ユーマを主犯、ユーマが所属するヘルスマイル探偵事務所の面々を共犯として扱って……え、待って、おい、やめろ。

 何してくれてるんだ、え?

「今すぐデスヒコの所に行け。探偵達を捕まえる前に」

 報告を聞き終えた直後、ヤコウは有無を言わせぬ強い口調で命じた。

 電話越しにデスヒコの下へと急ぐ足音を耳にしながら、ヤコウはゆっくりと立ち上がる。

 何やら調子に乗って喚いているデスヒコの声が近づくのを聞きながら、すぅっと息を吸った。

「図に乗ってんじゃねぇぞッ!!!」

 腹の底から激高し、先程まで自分が座っていた椅子を蹴飛ばした。

 ヤコウの目的に探偵達は必要不可欠だ。この雨雲に閉ざされたカナイ区の真実を明らかにして欲しいのだから。

 人殺しの化け物が跋扈している真実を、世界探偵機構の権威の下、世界へと知らしめて欲しいのだから。

 それに、人殺しの化け物が、人間を殺人犯として捕まえるなんて、笑い話にもならない。

 冗談では無かった。





 ——鶴の一声とは、正にこの事だろう。

 ただ、電話の向こう側に居る人間の怒り狂い様は、正しく鬼だったのだが。

《今すぐ戻ってこい! いいな!?》

「け、けど部長! オイラは副部長として、こいつらを見逃すわけには……!」

《副部長以前にオレの部下だろうが! オレの言う事聞いてりゃいいんだよッ!!!》

「……っ、…わ、わかった、ぜ」

 ヤコウ=フーリオ部長からの怒声に、電話越しでもデスヒコは酷く委縮していた。

 だが、致し方あるまい、と思わされた。

 電話越しだと信じられない程の大音量だったし、椅子を派手に蹴飛ばすような音による暴力まで添えられていた。

 ざまぁ見ろと冷笑するには、他人事だとしてもヤコウの憤怒は尋常では無くて、探偵も保安部員も女子生徒達も分け隔てなく黙らされていた。


『助かったみたいだけど、この世界のモジャモジャ頭ってパワハラマンセーっぽいね。ご主人様、今こそ顔だけ同じの別人だって割り切るべき……、ご主人様?』

 ——ユーマ=ココヘッドを除いて。


 自分達を強引に逮捕しようとしたデスヒコが、上司であるヤコウに怒鳴られて、怯えていた。

 親に叱られた子供の如く顔をくしゃくしゃに歪めて、恐れ慄いて、怖がって、震えていた。

 それは、果たして、胸のすく光景か? 安堵して胸を撫で下ろすべき光景か?

 ……そんな訳が、無い。

(『同じ』、だ……)

 元居た世界と『同じ』である、デスヒコ=サンダーボルトの片鱗。

『ご、ご主人様! もう見切りを付けた方がいいよ! 感情論にも程があるよ! 感情を捨てろってのは極端だけど、今のご主人様の態度も極端だよ! ねえってば!』

 違う。

 これは、盲目的な感情論に非ず。

 洞察によって導かれた、感情論だ。

 同じ感情論の名を冠しているけれども、違うのだ。

 目を逸らしてはならない。見放してはならない。

 例え、雨雲で空が閉ざされようとも、そこに星は必ずある。

 数多幾多の綺羅星の中の、たった一つ。諦めて目を逸らせば、二度と捉える事ができない。他の星々との見分けがつかず、見失ってしまう。

 だから——。


《大体、偉いのは誰だ!? オレだろ! オレのおかげで踏ん反り返れる癖に、何が副部長だ「もうやめてください!!!」

 ユーマは叫んだ。台詞を遮ってまで叫んだのは、本日で二度目だった。肺から全ての空気を吐き出すように。電話の向こう側の人を諫めるべく。

 突然の乱入の所為か、甚振るようにデスヒコを責め苛んでいたヤコウの怒号が、シン…と静まり返った。

 まるで我が身の事のように、悲しみで肩を震わせ、怒りで拳を固く握るユーマの姿を、スワロも、デスヒコも、他の者達も、呆気に取られたように眺めていた。

 スポットライトが無くとも、燦然と存在感を示していた。


《……アハハ。ごめんなぁ、ユーマくん。怖がらせちゃったかな》

「っ、謝る相手が違います! デスヒコくんに謝ってください!」

《……》

 電話の向こう側で、打って変わって優しい声を出していたヤコウが、盛大に溜息を零す。舌打ちまでしている。

 けれども、ユーマの悲しみも、怒りも、その程度では弱まらない。むしろ、強まった。

 例えヤコウに見えずとも、届かずとも、いい加減にしろ、と眼力を強める。

 そんなユーマの、蛮勇とも勇敢とも言える姿を、その場に居るユーマ以外の全員が見ていた。

《…デスヒコ。今すぐ帰ってこい。いいな?》

「あ、…ああ」

 結局、ヤコウは一言も謝らなかった。

 彼が蹴ったと思われる何かを片づける音が響きながら、通信は途切れた。彼自身ではなく、近くに居た部下が片づけているのだろう。


「あ、憐れみやがって……チクショウが……ッ、君付けなんて馴れ馴れしくしやがって……」

 部下達を引き連れ、すごすごと退散するデスヒコの背中を見送った。

 感謝などされるはずが無いし、無くても寂しくなかった。

 寂しがっている場合では無い。

 考えなければならないのだ。

 まるで幼子のような、とても拙い質問めいているけれども。

 どうして、そんな酷い事をしているのだろう、と。


 ◆


 自分が女学院に不法侵入した罪で捕まったとして、事務はスワロが、経理はスパンクが居るから、探偵事務所の経営に支障は出ないだろう。

 頭脳面でも、超探偵が五人も居るのだ。将来が有望過ぎて本当に見習いかと疑わしい見習いだって居る。

 自分が不在になっても大して痛手にはならないな。良し。

 だが、まさか、こんな理由で、逮捕される危機に直面するとは。

 ヨミーは死んだような目で、裁きを待つ心地でバイクから降りた。


 セスから情報を渡された時点では、その場に居るスワロとユーマどころか、探偵事務所に所属する全員が殺人事件の共犯者として濡れ衣で逮捕されかねない、という危機的状況だった。

 だが、ヤコウからの横槍、鶴の一声で、事態は瞬く間に収拾していた。

 そうとは知らなかったヨミーは、スパンク、ギヨーム、ドミニク、そしてセスに各自散って潜伏するようにと命じ、ヨミー自身はバイクに跨って女学院へと突撃したのだった。

 そして現在に至る。

 どうして三十分足らずで状況が良い意味で激変しているのかと、ヨミーは現実を呑み込むのに数秒ほど要したのだった。


「ご安心を、ヨミー様。全員わかってくれましたよ」

「……ありがとな」

 だが、どうやら現実はヨミーが想像していたよりも少しだけ優しかった。

 門を強引に突破した直後、スワロとユーマが秒で駆けつけてきてくれてヨミーに現況を説明してくれたのだが、居合わせていた教員や生徒達にも説得してくれた。

 保安部の鼻を明かした事が大きく影響しているようで、今回は特例という事で免除される流れになった。

 ヨミーに化けたデスヒコに精神的に甚振られていたという少女でさえも納得してくれた。姿形が同じなら怯えて当然だろうに、ヨミーの肌には敵意は刺さらなかった。

 優しいのだろう。その優しさを大事にして欲しいし、それ以上に、守られるような環境になって欲しい。


 バイクを押しながら女学院の門から出て、ようやっとヨミーは安心して息を吐けた。

 免除されたとは言え、女学院に堂々と不法侵入した件を気に病み続けていた為だ。形振り構わなかったとは言え、よくできたものだと自嘲しそうになる。

「いちいち呼ぶのも面倒臭ぇ。確か、ギンマ地区で生放送をやってたな。それにオレが顔出せば一発で集まるだろ」

「め、目立ちますよ!?」

「オレは元々目立ってんだよ」

 赤く鮮やかに染めている自らの髪を指差し、ヨミーはあっけらかんと言ってのけた。

「ユーマ。ご苦労だったな。今回の一番の功労者はオメーだ、先に帰って休んでろ」

「い、いえ! スワロさんのおかげで捜査できたからですよ」

「だが、保安部の鼻を明かし、ヤコウを黙らせてやったんだろ? やるじゃねぇか」

「黙らせたなんて、そんな…」

 恥じ入るようにユーマは俯きかける。

 誉め言葉を素直に受け止めれば良いのに。謙虚も過ぎれば傲慢である。

「…本当は、デスヒコく…さんに、謝って欲しかったんです」

 ……と、思っていたが、撤回する。

 あのヤコウを相手に、謝れとまで言ったのか? そこが無念なのか? コイツって意外と、ってか物凄くタフなのでは? 大物なのでは?

 ヨミーは驚きながらも、面白いヤツだと感心した。


「オメーはユーマに次いでの功労者……なんて関係無く、オレの恋人だしな。今日はオレが運転してやるよ」

 がしっ。

「……スワロ。まずは乗るぞ」

「はい」

 すっ。がしっ。

 バイクに乗る前から抱き着かれてはバイクに跨るのに苦労するので、スワロには一旦離れて貰った。

 バイクに跨るや否や、再び抱き着かれた。離すまいという指先の力が胴体に伝わる。

 何なら腕にも力が込められており、ちょっとやそっとではビクともしない。

(デスヒコがオレに化けた件、相当キてるんだな……)

 スワロは超探偵だが、同時に、誰かを愛する、ただ一人の人間でもある。

 その誰かが自分である以上、労わねばなるまい。

 愛しているのだから、愛する人が傷ついていれば癒したくなるのは必然だ。

 甘やかさねばなるまいし、そうする事で自分も満たされる。

「で、だ。本当にヤコウがビビってたのか?」

「……はい。態度を一変させました。従順とも言える程に」

 それはそうと、再び蒸し返すけれど、スワロは探偵なのだ。

 異能を持つから超が付くけれど、異能があるからと調子に乗っている女では無く、優秀なのだ(そもそも世界探偵機構の試験には人格面の査定もあるので、そんな輩は余程上辺が良くないと通らないだろう)。

 恋人として過ごしながら、探偵として会話をこなす程度、造作も無い。

「なんでだよ」

 憮然と呟き、ヨミーはヘルメットを被る。スワロも同じく。ヨミーはエンジンを掛け、発進させた。

「どうして勝負が成立してやがんだよ。オレ一人の頃はワンサイドゲームばっかりだったぞ」

「…その苦々しい話は、何度も伺っております」

「そうだな」

 超探偵が来る以前は、辛酸しか舐められない酷い有様だった。

 辞めた同僚や部下を庇う訳では無く、事実として、このカナイ区では探偵業は成り立たなかった。

 真実を見つけても無意味な日々であろうと、気に食わないからの一念でしぶとく続けたヨミーが常軌を逸していただけだ。

 世界探偵機構自体を敵に回すのは嫌だったのか、処刑こそ免れていたが、殴られるわ拷問されるわ遂には元部下から裏切られるわそもそも親友が——とにかく、散々な日々だった。

 その実体験があるからこそ、気持ち悪い違和感を拭えなかった。

「どういう事情かは知らねーが、ヤコウはどうやらオメーらとの勝負を認めてやがるらしい」

 そもそも勝負の土台にさえ上がらせなかった癖に。おかげで勝ち負け以前の、滅茶苦茶な環境だったはずなのに。

 ヨミーを相変わらず冷たく見下す癖に、カナイ区の外からやって来た超探偵と見習いはその限りでは無い。それどころか、不気味な程に寛大まである。

 ヨミーが薄気味悪がっているぐらいだから、保安部の方でも混乱しているはずだ。

「世界探偵機構が本気を出してきたことにビビってやがるってのが最も考え得るが、そうじゃないかも知れねぇ。

 ……どっちにしろ、だ。勝負できるってんならチャンスだ。モチベーションが上がって仕方ねーよ。頼りにしてるぜ、右腕」

 スワロの抱き着く力が、指先の力が強くなる。

 決して、良い意味では無い。

 探偵としては、力になるより他に無い。

 けれども、恋人としては、腹立たしくて仕方ない。

 ヨミーを軽んじておきながら、自分達超探偵には機嫌を窺うように勝負を認める態度。ヨミーの恋人としては、看過し難いだろうから。

 ……これは。何か、わかり易い形で、慰めなければ。

「顔出しが終わったら、なんか食ってくか? 肉まん…じゃなくて、オメーの好きなヤツ」

「……では、クレープは如何です?」

「いいんじゃねーの?」

 本当は肉まんが食べたいけれど、どうしても我慢できなくなったら個人的に買えば良い。

 ギンマ地区にだって肉まんの販売店はある。ただ、最近売られ始めた高級肉まんは駄目だ。あの肉は、なんか違うんだよなぁ。

 そんな事を思いながら、ヨミーはギンマ地区へとバイクを走らせた。




(終了)

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