反転偽ジルチの話+α

反転偽ジルチの話+α

善悪反転レインコードss

※反転偽ジルチの雰囲気を掴みたいのが発端のssです。

※キャラ付けや関係性などは筆者個人の妄想に基づいています。また、独自の補完があったりします。

※グロ描写を含みます。

 例:反転偽ジルチが拷問される(出血なし)、反転ヨミーが保安部員に暴力を振るわれる(口を切る程度の出血あり)


※反転ヨミーと反転偽ジルチの因縁を妄想しています。

※無情感が強めです。途中からヤバい感じで反転偽ジルチが反転ヤコウを慕います。

※カナイ区は反転ヤコウが豹変してから劇的に治安が悪化したという考えの下、きっと(悪い意味で)凄い事をしたに違いない…と思って形にしています。

※ユーマと反転ヨミーの語らい的な小話が+α要素です。



 その男は、なぜだかカナイ区で倒れている所を発見された。

 なぜだか、という疑問符が付いたのは、男が死刑囚の身の上だったからだ。刑務所で服役しているはずだったからだ。

 カナイ区自体には警察署は無く(新設する案が上がってもアマテラス社との“話し合い”で流れたのだったか……)、鎖国した現在はカナイ区の外との行き来は禁じられている。

 鎖国状態に陥っているカナイ区は警察組織と文字通り“切れている”。

 それなのに、男はカナイ区に倒れていた。

 必然的に、男は脱獄を目論んでいたが、間抜けにもカナイ区の鎖国に巻き込まれたのでは? という話になった。

 不可解で恐ろしい状況とは裏腹に事態が比較的穏健に収束したのは、第一発見者がヨミーで、男本人もヨミーに付き添われながら保安部へと大人しく出頭したからだ。

 男は、アマテラス社が管理する収容所にひとまず押し込められていた(世界的な企業が収容所を抱えているとは、これ如何に……)。鎖国が続く限り、カナイ区の犯罪者は今後収容所で過ごす事になるのだろう。

 緘口令を敷かれたものの、唐突な鎖国宣言に降り止まぬ雨と環境の激変に不安を抱いていた人々は嘘か真かわからぬ噂に飛びつき(まぁ、真なのだが……)、ある事無い事を1:9の割合で咀嚼している。

 嗜好品のガムと同じだ。味がするから噛み続ける。味がしなくなったら、紙に包んでゴミ箱へと捨てて、それでお終い。

 男の人権は書類上にしか存在せず、実態は懸け離れている。


「元気にやってるか」

 看守を既に追い払った後なのだろう。保安部部長が扉越しに堂々と語りかけてくる。

 男は佇まいを居直す。所詮、底辺の生まれなので、示せる品性は数日騙せれば上々のハリボテ程度だったが。

「……本題は?」

 保安部部長ヤコウ=フーリオの軽口は、男の客観的な評価を教えてくれただけに過ぎない。

 それよりも本題があるだろう、と男が急かせば、ヤコウは数秒ほどの沈黙を置いて話し始める。

「新CEOによる方針転換だ。ホムンクルス研究は中止だってよ」

「…そうですか」

 驚きながらも男は頷いた。相手は目上なので、とりあえず敬語は意識する。

 ヤコウは、いつの間にホムンクルス研究を知ったのだろうか。立場上、不可能では無い。だが、不可解だ。ホムンクルス研究の主導者であるウエスカ博士が共犯に持ち掛けるには、あまりにもお人好しな人柄であったはずだが。

 ここ最近の性格の豹変とやらを加味しても、到底適切だとは思えなかった。

 それでも、知らされる立場になったらしいのは事実だ。疑っている時間が惜しい。

「……アンタはキレても罰が当たらないと思うがね。人殺しなのは確かだが、それとこれは別だろう?」

 人殺し。その単語を口にする時、ヤコウの声に質感が伴った。

 ヤコウは、平和を、平和の中で笑顔で生きる人々を愛する。だから、己のような殺人鬼を忌避して当然だ。

 だが、こうも露骨に出すような人だっただろうか。

 これが性格の豹変か。ヨミーが困惑して苛立っていたぐらいだから、相当なのだろう。

「脱獄なんかしちゃいない。ホムンクルス研究の被検体にと選ばれて、秘密の研究所へと連れて来られただけだ。それが空白の一週間のせいで事実関係が有耶無耶になって、さもアンタが脱獄したようなストーリーが出来上がっちまった」

「そうですね」

「……どうせ死刑に処されるなら、その死を有意義に活用するべき、だったっけ」

「そんな事を言われましたね」

「まぁ、死刑囚以外の奴らでも実験する気満々だったんだがな、あのジジイ」

「…それは初耳ですね」

「それなのに死刑囚…アンタを招いたのは、一般人相手にはできない色んな事を試したかったんだろう。まぁ、それも中止の命令でできなくなっちまったんだが」

「……」

「黙り込んじゃって。流石にショックだったか?」

 正した姿勢の、膝の上で拳を握る。それを見透かしたようなヤコウの嘲笑に、男は溜息を一つ零す。

「そりゃあ、そうです。ヨミー様との別れが、想定よりも醜くなってしまいました」

「……へぇ」

 ヤコウの洩らした声は無関心を極めていたが、男は意に介さなかった。

「元々の予定では、急に面会できなくなる程度だったんですがね」

 それでもヨミーの信頼を傷つけただろうが、こんな別れ方では更に酷く拗れるだろうと男は物思う。

「ヨミー様からすれば、オレが贖罪を放棄して逃走を図ったように見えるでしょうね」

 男の視点では、ヨミーとの因縁は、過去に犯した完全犯罪を暴かれた時から始まった。

 警察が既に事故として処理したあの件をわざわざ掘り返したのは何者なのかと興味を抱き、男の方からも接触したいと願うようになり、紆余曲折を経て、巡り逢った。

 それから、それから、それから……。

 まさか、自分にトモダチができるなんて。

 世間の分からず屋どもと同じように殺しは駄目だと諭されたのに、凡百の善人ヅラをした連中と似たり寄ったりの正論を吐かれたのに。

 あの人がそう言うなら、じゃあ、仕方ないな、と納得してしまった。

 男自身、今でもヨミーとは信じられないような関係に行き着いたと思っている。想像上のヨミーも激しく同意している。

 そして、その後、男は刑に服した。他ならぬヨミーの手で罪を暴かれた結果だ。生活態度次第では無期懲役になったらしいが、あてになったかは定かでは無い。

 男はヨミーのせいで服役する事になったし、ヨミーはそれだけの罪を犯したのだからと情に絆されず男の減刑を望まなかった。

 にも拘わらず、男とヨミーの友情が継続し、定期的に面会するのは、男が真っ当に刑罰を受け入れようとするのは、周囲には奇妙に映るらしかった。

 本当に親友なら減刑を乞うてみろ、脱獄を手引きさせてみろ、そうなったら一枚噛ませてくれ……等と揶揄う囚人仲間は鬱陶しかった。便宜上でも仲間と称するのが煩わしかった。

 友になろうが、駄目なものは駄目なのだ。

 ……ならばこそ。

 他の誰にも理解されずとも良いが、ヨミーの信頼を損なったのだと思うと、その点だけは心残りだった。

「安心しろよ。ヨミーだけは疑ってたぜ。勝手に脱獄するはずがない、何かあるはずだ、ってな」

「……それは。ご親切に、どうも」

 無関心な癖に上辺だけの気遣いをしてくる。薄気味悪い事この上無かったが、情報自体には安堵した。

 しかし、男を取り巻く状況は、どうしようもない。

 男は脱獄犯だったと処理されるのだろう。唐突な『不審死』が結末になりそうだ。上としてはその方が都合が良く、世間的にはそれが真実として浸透する。

「ですが…もし機会があれば、こうお伝えください。オレの事を待たないで良い、と」

 だが、あの人は、ヨミーだけは疑ってくれている。

 いつか、やっぱり所詮薄汚い人殺しだったじゃないかと、世間の人々が囁く噂話と同等の諦観に至るとしても。それでも、今は、今この時だけは、疑ってくれている。そんな訳はないと庇ってくれている。

 その事実だけで充分だ。身に有り余る光栄だ。

 ならばこそ、男は自らの身に降りかかるであろう理不尽を察しながらも、呑み込もうと決めた。

「それで? 研究が頓挫した以上は、オレは口封じに殺処分でもされるんですか?」

「おお、話が早い」

 ネズミのように殺されるのだろうな、と思っていた。

 汚くて、臭くて、病原菌を媒介するだけの汚らわしい生き物として、殺処分されるのだろう……と。


 そう、思っていた。

 実際には違った。

 現実は、覚悟を最悪な方向で裏切ってくれた。


 秘密裏に研究所へと連れて来られ、投薬に拷問にと、男を従わせようとする意図があるのだと明確に思い知らされる破目になった。

 自殺の防止にと、開口具を噛まされ続けていた。舌を噛んだ程度では死なないが、噛みちぎった舌で喉を自ら塞ぐという手段を奪われた。

 自ら呼吸を止めての窒息死も目論んだが、人工呼吸器を取りつけられ、無理矢理呼吸を強いられた。

 息をしているだけで絶望的な心地だった。

「ん、ん、ん、ん、ん、ん!」

「ははっ。人面獣心のクズが、一丁前に泣きやがって」

 ヤコウは、手駒を欲しがっている。ハララ達には命じる事ができない汚れ仕事を命じるのにうってつけの駒を欲している。

 その為に、あの人と交わした約束を違えさせようとしている。

(オレは約束したんだ…人を、もう、殺さない、って…)

 ヤコウの思惑を理解してから、それまで耐えられた拷問に泣き叫ぶようになった。薬物の中毒症状を上回る恐怖で頭がおかしくなりそうだった(皮肉にも、そのおかげで薬物を耐えられたのだが、何の救いにもならない)。

 ただの書類上の契約じゃない、あの人との血が通った約束を破棄させられるなんて、早く殺してくれと哀願する程に嫌だった。

「そう言えば、血の通った約束だとか何とか、昔、言ってたような……ハハッ」

 何が面白いのか、ヤコウはジョークでも聞いた後のように、一応は社交辞令だからと応じるように、肩を震わせて笑っていた。

 目がちっとも笑っていない癖に。

「ん、んんん…」

「『死なせて』? わかったわかった、用済みになったらな」

 絶望的な宣告だった。急速な心変わりを求められている以上、まだるっこしい『説得』はいつまでも続かない。

 決定的な『何か』をされるのだ。

「ヨミーを人質にされるのと、脳をいじくり回されるの、どっちがいい?」

「ん、ん、んん!?」

 ……その『何か』について、決定権を委ねられた。

「あ。ヨミーが人質になるわけないって高を括るのはよしといた方がいいぜ? ついこの間ボコらせたんだが、弱いのなんのって。あんなの、いつでも捕まえられる」

「…っ!」

「けど、意外としぶとくて感心したよ。最近のゲーム用語ってわかんねぇけど、耐久性特化って言うんだっけ、ああいうの」

「ん、んん、んんんんん」

「調べてみたんだが、病院に記録は無かったよ。自力で何とかしてる。いやはや、お綺麗な顔とは裏腹に根性が逞しいようで。……病院に頼ったらまずいって嗅覚も侮れねぇな」

「ん! ん! んんんん、ンッ、んんんッ、んッ!」

「ヨミー人質案がいいなら右目で、自分の頭がいじられる方がいいなら左目でアイコンタクトしてくれ。オレから見た右目はこっちだって意地悪しねぇから、安心しな」

 男は学が無かった。だけども、賢かった。

 それでいて、倫理観が常軌を逸していた。

 だから、迷わずに左目でアイコンタクトを取った。

 自分が今するべきは己が無力を悲観しての慟哭では無く、自らの尊厳と多くのカナイ区の市民の命を底値で売り払う事だ。ヨミーから心底軽蔑される未来を呑み込んで、許容する事だ。

 男にとってヨミーは自らの世界を照らす太陽であり、導いてくれる月だった。太陽も月も、世界を照らす為に在るのではなく、偶然そこに在って、たまたま恩恵を授けてくれるだけ。

 太陽と月に比べれば、世界なんぞ安値で売り払えてしまえる。数多の命を巻き込みながら。

 だから、傍からは狂った損得勘定を即決できた。

 血の通った約束を違えてでも守りたかったから、迷っていられなかった。

(最善は、隙を見ての自殺……他の者が用立てされるだけだとしても、オレにとっての最善はそれだ。次善策は無い……)

 それでも苦渋の選択だった。

 どちらかと言えばマシな方を選択しただけで、男としては、頭をいじられる前に、何としてでも死んでしまいたかった。

(あぁ、いっそ……)

 誰でもいいから、殺してくれ。

 らしくもない弱々しい祈りは、自殺の決行が絶望的であるが故の諦念だった。



 ……諦念?

 何を?

「憐れんでるんだぜ、これでも」

「……?」

 男は首を傾げようとして、術後すぐだから動けない事に思い至る。

 結果、ベッドに仰臥したまま、電灯の逆光のせいで表情が真っ暗で見えないヤコウを目だけで見上げる形となった。

「外じゃ“大量誘拐事件”ってのが起きてるんだが、刑務所内の囚人も対象でな。寧ろ、極悪な囚人が率先して消えてるらしいぜ」

「……なぜ、カナイ区の、外の話を?」

「…ちょっとは情報を得られる立場なんでね。いやぁ、黒い友情と書いてコネクションと読む。便利なもんだよ」

 ヤコウはすぐに背を向けた。

 煙草に火を点け、吸い始める。手術を終えて日の浅い人間の傍でやるような行為では無かったが、男は意見を唱えず、ゆらゆらと燻る紫煙をぼんやりと見上げた。

「食い殺されるのと、加工されるのと、『お前』にとっちゃどっちがマシだったんだかね…」

 それは、石ころへ愚痴るのと同義の独り言。

 ヤコウが男の人権を全く尊重していないが故に成立する、軽薄な失言だった。

「ヤコウ様。オレは、死んでませんよ」

 だが、男は失言だとは思わなかった。あっさりと水に流す。それでその話は終わりだ。

「生きています。この体が治ったら、頭の調子ももっと良くなったら、あなた様の為に働きます」

「……そうだな。アンタは生きてるよな」

 アンタ、『お前』。まるで別人を指しているような言い方だ。

 それすらも、男はあっさりと水に流した。



 ————この街は、ずっと雨雲に覆われて薄暗い。

 太陽を拝めず、月も仰げなくなって久しい。

 それで仕事がし易くなれば御の字だったのだが、場所によっては人工の灯りがけばけばしくて明るくて、逆に仕事がし辛い。

 男の主な仕事は暗殺だった。保安部の表向きの暴力装置はハララ=ナイトメアだが、そのハララにさえ命じるのを憚るような裏方の暴力装置が男の立ち位置だった。

 今回、殺し以外を初めて命じられた。事故死だと偽ったり、内輪揉めを演出して全滅させたりする鮮やかな手腕を評価されたからだ。

 男は命令通り、主人であるヤコウを告発しようとした者に濡れ衣を着せた。

 アマテラス社に不満があり、事もあろうにヤコウに疑問を抱くような人物だったので、客観的には濡れ衣でも男個人の主観では真実を暴いてやったような清々しい気持ちだった。

 しかし、公開処刑とは退屈な法執行である。

 事故死だと偽る為の爆発や感電、身内同士の不可解な殺し合いを演出するのと比べて、何と整然としている事か。お行儀が良過ぎる。

 とは言え、アマテラス社が、ヤコウ率いる保安部がカナイ区を牛耳る支配者なのだと知らしめるには必要な儀式だ。頭の悪い善人ヅラをした民衆共をわからせる劇薬だ。

「やめろ! そいつは無実だ!!」

「……!」

 赤髪の男が、群衆をかき分けるように処刑台へと近寄ろうとした。

 男は驚いた。どの程度までかは不明だが、己の犯行に感づく人が居るだなんて。

(殺すか? ……いや。ヤコウ様に判断を仰ごう)

 己は道具だ。殺す相手はヤコウが決める。現状はただ成り行きを見守るべきだ。

 抗議していた赤髪の人物は、案の定、保安部員に取り押さえられた。せめて大人しくしていれば良いものを、カッとなったのか取り押さえてきた保安部員に罵声を浴びせていた。

「権力の犬どもが! 首からドッグタグでも下げ、ッテメーよくも殴、り、や、ッが、ぁ……!」

 当然、黙らない赤髪の男は警棒で殴られ続けた。公開処刑も止められなかった。

「……蛆、虫の、クソ野郎どもがァ」

 公開処刑が執行されて、今度こそ大人しくなるかと思いきや、より怒りの増した目で生意気そうに睨み上げ、ピンク色の血が混じった唾を吐き捨てていた。


 後にヤコウから指示を仰いだ所、殺すな近寄るなと厳命された。

「いやぁ、お前の顔を整形させといて良かったよ」

「……はぁ」

 何を今更。

 己は元死刑囚だったが、殺し屋として再活動させられる為にと整形手術を施された。それからも、仕事の内容次第では顔をコロコロと変えている。

 そんな当たり前の事を今更掘り下げられても、反応に困った。

「そいつはヨミー=ヘルスマイル。探偵だ。我らが保安部の現在の方針に不満があるらしい」

「…捕らえなくて、よろしいので?」

「収容所もいっぱいだしなぁ。看守からは囚人の扱いが非人道的だってクレームが来てるし、偉くなると管轄が増えて参っちまうぜ」

 ヤコウは疲れたように溜息を零す。

 ヤコウを疲れさせ、煩わせる存在を実感し、男は苛立ちを禁じ得なかった。

 アマテラス社の抱える収容所は、本物の刑務所と比べると規模が小さいのは否めない。

 だから本物の警察機関の真似を始めれば、カナイ区の犯罪者を全員生きたまま収容するとキャパシティーオーバーを起こすのは必然だ。

 しかも収容された囚人の殆どは、胸糞悪い善人ヅラをくしゃくしゃに歪めて冤罪を訴えるのだから論外だ。ヤコウが有罪だと言えば有罪なのだ。

 看守も看守だ。囚人の扱いが非人道的? 囚人のみならず、看守にまで、嘆願という名の増長が、怠慢が蔓延っているようだ。図に乗るにも程がある。

「その『殺して回転率を上げませんか?』みたいな目、ヤベーな。怒ってる?」

「…ヤコウ様は、お優しい。あなた様を煩わせる連中を放っておくだなんて」

「……」

 ヤコウは曖昧に微笑んだ。その瞳から覗き見える憎悪に、男は年甲斐もなく興奮しそうになるのを抑える。

(ああ、オレは心にもない無礼を働いてしまった…)

 優しい? 社交辞令でも失礼だった。

 絶対に全員殺してやる、という激しい憎悪を両目から滴らせている。

 全員の範疇がどこまでかは知らない。けれども、その憎悪に付き合わされる己は、これからもたくさんの人を殺すように命じられる。

(ヤバい、凄く楽しい……!)

 過去の事は何も覚えていないけれど、この人に雇われて良かったと心底身震いした。

 きっと、記憶を失う前の己は、とても退屈していた。

 大切な誰かなんて存在したはずが無い。

 動物を処分する為だけに人がついでにと焼き殺されていく絶景に焦がれて止まないような己が、社会に迎合できた訳がない。

 己を殺人の道具として割り切って見てくれる、自然や建物の破壊も辞さない己のやり方を認めてくれる。

 ヤコウの憎悪の対象には男自身さえ含まれているが、それでも、ヤコウと出逢えて良かった。



 仕事をこなす。

 あの赤髪の男だけは何かを感づいてくる。

 尾行を撒く。

 どうしてだか、赤髪の男だけは偽装工作に感づいてくる。

 同僚も部下も皆立ち去ったし、事務所を構えていたビルからも追い出されたのだから、身の程を弁えれば良いのに。

 ヤコウ様はなぜ、赤髪の男を殺すように命じてくれないのだろうか。

 いつか、見つかってしまいそうだ。

 どうして、わかるんだ。

 あぁ、赤染めしていた髪が、その根元が暗くなっていく。余裕がないんだろう。

 諦めろよ。なんで。どうして。

 また髪を赤く染め直しやがって。余裕なのか。挑発なのか。

 どうして、見つけようとしてくるんだ。

 仮に捕まっても、ヤコウ様の名を出さず、他に打つ手が無くなればその場で自決するが。

 探偵としての正義か? 偽善者め。

 ほら見ろ。昔の部下に裏切られたじゃないか。ヤコウ様自身の利害の関係で庇って頂けたようだが、殴られてもすまし顔だった癖に、裏切られるとそんな迷子みたいな顔をするんだな。

 もう折れてしまえばいいのに。

 近頃はカナイ区に超探偵が集まり始めている。妨害しているのに五人も侵入を許してしまった。その中に恋人が居たおかげで、あの赤髪の男は調子を取り戻しつつある。

 ヤコウ様から命じられない限り、放置せざるを得ない。

 ヤコウ様から、赤い血の人間は殺すなと厳命されている。寧ろ、死ぬような事があれば助けよ、と。

 我々のようなピンクの血を持つ者を憎悪し、赤い血の者には慈悲を向ける。それがあの御方の方針だ。

 そんなある日、アマテラス急行でやって来る超探偵達を全員始末しろと命じられた。

 ヤコウ様は赤い血を持つ人間を大切になさる。赤い血を持たぬ、ピンク色の血の超探偵達を何としてでも殲滅せよと仰るなら、そうするまで。

 アマテラス急行に乗る超探偵は五人。先んじて一人を殺し、変装し、成り代わる。

 予定では五人だと聞いていたが、急遽六人目が現れた。

 乗客全員に睡眠薬を盛った後、全員の血の色を確認した。六人目だけは赤い血、彼以外は全員ピンク色の血。

 計画を組み立て直す。ヤコウ様にすぐ保護して頂けるよう、六人目を殺人犯に仕立て上げて保安部に連行させる。

 赤髪の男に渡してなるものか。例え見習い風情だとしても、一人ぐらいはヤコウ様の下で無力化されるべきだ。

 ヤコウ様、これで。

 こ、れ、で……


 ————その日、その時。

 アマテラス急行での仕事を終えようとした所で、男は糸が切れたように倒れ、逝った。

 原因不明の心不全だった。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


※以下、ユーマと反転ヨミーの語らい風の小話です。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「——オレが探偵になった理由?」

「は、はい。他の皆さんは特別な力を持っていたからだと納得できますが、ヨミー所長は……どうしてなのかな、って」

 ユーマからの問いかけに、ヨミーは過去を思い返すべく数秒の間を置いた。

 たかが数秒、されど数秒。感情的になるきらいがある他、レスポンスも基本的に早いヨミーにしては口がなかなか開かなかった。

 何なら、紅茶で口内を潤すなんて動作まで挟んだ始末だ。

「……学生の頃、星座にしてやると決めた事件に遭ってな」

「せ、星座?」

「警察は事故だと勘違いしていたが、オレには誰かの完全犯罪だとわかった。オレが気づいた瞬間、不完全犯罪に堕ちたわけだが」

「そ、その。事件を星座にするって、どういう意味ですか?」

 ユーマは困惑するも、最初の内から齟齬を埋めようと質問を投げかけた。

 ヨミーは腕を組み、所長席の背凭れに体重を乗せ、天井を仰ぐ。

「完成度の高い犯罪ってのは、企てた犯人諸共夜空へと掲げて星座にしたくなるだろ? 神話の偉そうな神どものようによ」

「……すみません。ボク、神話とか詳しくなくて、言っている意味がまだ呑み込めません」

「神に気に入られた人間はまず死ぬ。そしてお為ごかしに星にされてハッピーエンド気取りだ。星座ってのは傲慢で残酷な、最高の晒し刑だと思わねぇか?」

「は、はぁ」

『なまじ知能が高いから面倒臭いクソポエムを製作できるってわけね。犯罪は犯罪だってスッと言えばいいのになー。ヤバくはないけどイタいよ。キザ野郎の可能性にオレ様ちゃん寒くてブルッちゃうよ』

 つまりは、この事故は事件だ! 謎を解く! それを暴いて知らしめる! という言葉を回りくどく脚色していたようだ。

「そんな冷めた目で見んなよ。……クソが。何でもかんでも星座にしようなんて思うほど夢見がちじゃねーぞ。まだ顔も知らなかったそいつが起こした事件だけだ」

 ヨミーは居心地が悪そうに言い訳を捏ね繰り回している。

 ヨミー自身、らしくない発言をしている自覚があるらしい。それをわざわざ話してくれている辺り、ユーマの存在を気安く許容してくれているのだろう。

「それで、その完全犯罪…いえ、不完全犯罪はどうなったんですか?」

「結局事故で処理された。当時のオレの意見を、警察は信用するしない以前に聞きもしなかった」

「それは……せめて、話だけはって思いますね」

「その時に身に沁みた。オレの正しさを通すには相応の肩書きが必要だ。クソみてぇな馬鹿どもでもわかる、立派なラベルがな」

「……それで、探偵を目指そうと思ったんですか?」

「ただの探偵に誰がなるかよ。探偵自体は自称で誰でも名乗れる。世界探偵機構に認められなきゃ意味がねーんだよ」

 ヨミーはやれやれと肩を竦める。

 先程からずっと紅茶を少しずつ飲んでいて、ついに切れた。近場に置いていた粉末のインスタントティーの封を切り、ポットからお湯を注ぎ、スプーンでかき混ぜて二杯目の出来上がり。

 また飲み始める。

「晴れて認められたオレは、事故で処理されていた犯人絶賛逃亡中の未解決事件を改めて解決してやったんだ」

 ヨミーの言い方に苛立ちと興奮が混在しているのは、後ろ盾の無かった学生の頃に飲まされた煮え湯を、世界探偵機構から承認された探偵になってから警察側にお返しできたからだろう。

「アマテラス社で出世して認めさせる、とかは考えなかったんですか?」

「……あ?」

 なんで? 急に?

 ユーマの質問は、元居た世界ありきのもの。発想としてナシではないが、アリだと扱うには少しピントがズレている。

 この世界ではアマテラス社と、厳密には保安部と因縁のあるヨミーが不機嫌そうに眉を顰めるのも無理は無かった。

「そ、そういう意味で偉くなって警察をギャフンと言わせるのもアリだったのかも…って思ったんです」

「…………わからないでもないが、本末転倒だろ。別件で忙殺されて本題そっちのけになるだろうがよ」

 ユーマは慌てて言い繕う。幸いこの場にスワロは居なかったし、ヨミーは納得してくれた。


『きゃっきゃっきゃっ。ご主人様とヨミーの絆がますます深まったね!』



(終了)

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