反転フブキの話

反転フブキの話

善悪反転レインコードss

※長い前置きがありますが、反転フブキが反転ヤコウに健康診断を勧める小話です。

※反転フブキの雰囲気を掴みたいのが発端のssです。

※キャラ付けや関係性などは筆者個人の妄想に基づいています。また、独自の補完があったりします。

※狙撃され流血する程度のグロ描写があります。


※『善悪反転世界における“一周目”とは?』や『この世界に居た“ユーマ”はどこ?』に対する個人的なアンサーを詰め込んでいます。

※クロックフォード家について捏造。クロックフォード家関連のご都合アイテムが出ます。

※ちょっとだけフブキのお父様の台詞が出ます。



 ヤコウ=フーリオは銃弾に倒れた。

 ごぽり。何かを言おうと唇を動かすが、代わりに“赤い血”を零しながら、絶命した。


「申し訳ないね、ヤコウくん。『昔』のカナイ区を愛しているキミには悪いけど、ボクは『今』のカナイ区を愛しているんだ」

 ヤコウを撃った犯人は、アマテラス社CEOのマコト=カグツチだった。

 目の前で行われた“殺人”に、ユーマは呆気に取られていた。死に神ちゃんが『えっ、血が……血の色が……』と狼狽していた。

「できれば手荒な手段は避けたかった。けど、みんなの秘密を全世界へと明かそうとした。それはボクの望む所じゃないんだ」

 マコトはそう言って、自らが撃ち殺した男へと布を被せて隠す。自らが殺めておきながら、せめてもの死者への手向けだと言わんばかりで矛盾していた。

「……っ、どうして」

「……どうして、か」

 それは、謎迷宮が構築されるより前の、一つの謎と答えが生まれた出来事。

「どうしてだと思う?」

 この世界において、ヤコウ=フーリオの死とはその程度の価値でしかなかった。

 死者への冒涜に近しい侮蔑的な表現であるが、その彼こそがホムンクルスの尊厳を弄び続けた以上は悪辣になってしまう。

 動機はあった。どうしても叶えたい願いがあった。けれども、それを差し引いても、許されざる行いをしたので————その被害者達の代弁者として、マコトが撃ち殺して阻止した。

 マコトの決意の表れでもあった。

「……ボクは本気だって事だよ、ユーマ」

 そういうものとして、ヤコウ=フーリオの命は尽きた。


 ◆


 主役であり、カナイ区最大の謎の核であったユーマとマコトが決着をつけた後のあらましを簡単に記そう。


 ユーマは、否、ナンバー1は立ち去った。また新たなナンバー1を決める選挙が始まるとかで、厳密には元と付くらしいが、兎に角、未解決事件を解決する為に世界中を旅しているそうだ。

 本物の探偵見習いユーマ=ココヘッドは、密かにカナイ区に潜伏していてホムンクルス用のラーメンの開発に成功した。人肉が必須では無くなった事が、カナイ区の存続に多大な貢献をしたのは言うまでも無い。


 マコトはカナイ区の全住民に真実を伝え、今でもアマテラス社のトップに君臨している。マコトは日夜、カナイ区を守る為に奔走しており、その支持率は極めて高い。

 ナンバー1の振りをして世界探偵機構に働きかけていた件については、その立場を鑑みて刑は軽く済むらしい。


 カナイ区の住民も、マコトへの信頼のおかげか概ね安定している。人肉を食べずとも済む代用食品が開発されたし、専用のボディークリームを全身に塗れば太陽光を浴びても正気を保てる。厳重な審査を経れば一定期間だけカナイ区の外へも出られる。

 生きている以上は与えられるべき自由として、老いや本物の死を意図的に起こす薬も研究されていた。

 生命活動を一度停止した事でゾンビ化した者達も、正気に戻す為の研究が進められている。

 実際に運用するとなれば、例えば怨恨による殺人事件の加害者と被害者はどうするのか等と問題はあるのだが……まずは、できるならば研究をしよう、というのが現状における方針だった。


 超探偵達はカナイ区から発った。目的は果たされたのだ。今後、どこかで会うかも知れないし、二度と会わないかも知れない。

 ヨミーは雑居ビルの大家との再契約と並行して世界探偵機構と迅速に交渉し、本物のヨミー=ヘルスマイルの死亡手続きと探偵証の返還を済ませ、自分名義の新たな探偵証を発行させた。

 現在は一人で切り盛りしているが、その内また新たな部下を得ていく事だろう。



 みんな、それぞれ折り合いをつけている。

 人生はこれからも続くけど、物語はここで一区切りだ。


 めでたし、めでたし。









 ——ちょっと、待ってください。




 悪役だったあの人は、マコトに撃たれた被害者の一人として呆気無く退場。マコトの動機を推理する材料になっただけ。背景は泣けるね感動するね同情するねって扱われて、それでお終いだなんて。

 そんなの、許せなかった。

「その本は、とっても意地悪な助け方をするのだとお父様は仰っていました。それでも、詳しくお知りになりたいのでしょうか?」

「……ああ。そうだよ」

 ヤコウ=フーリオの辿った軌跡だけが情報として載っており、その想いは記されておらず、考察するしか無い。

 それを、世界では物語と呼ぶのだけれども。

「部長の想いを、想像する事しかできない……それが、こんなに苦しいなんて、ね」

「では、知る為に頑張りましょう! ね! 一緒に悪い子になっちゃいましょう!」

「……蛇みたいだね。私はアダムにはなれないけど、そのリンゴは美味しそうだから…頂くよ」

「ヴィヴィアさん、もしやお腹が空いておられるんですか?」

「…………ふふ」

 ヴィヴィアは今にも憂いが滴り落ちそうな眼差しをしながら、フブキの提案に乗ると最初に頷いた。


 最後に頷いたのはデスヒコだった。時間は要したが、満場一致となって嬉しい。

「……意地悪の基準が、生を尊ぶ価値観から端を発するなら…『私達』を救って、部長の傍に置く事は無理だろうね。私達は『私達』を救えない……部長は、人間は、結局一人っきり。なら、願うべきは……」

「わ、わたくし達は何十人もいらっしゃったんですか!? 他にもホムンクルスの方々が……!?」

「…たくさん? もし居たら、協力して欲しいくらいだね」

「たくさんのわたくし達による一大プロジェクト!?」

「論点に戻ってくれお嬢! オメーまでボケてんじゃねぇ、ツッコミが足りねぇ! クソッ、ハララが面倒そうに無視を決め込んでやがる……!」

 ヴィヴィアは元々幻想文学を好んでいた。けれども、今は推理小説に焦がれて止まない。

 推理小説においては、犯人の正体と手段と動機がつぶさに明かされる。残酷な真実の為にと踏み台にされているようで、そんなに好きでは無い。

 だけど、今は違う。

 好き嫌いの問題では無い。

 欲しい。

 安寧の闇とは対極の、厳粛なる正義の光。その光が、今だけは欲して止まない。

 その光で、是非ともヤコウを照らしたい。


 ◆


 ようやく元々事務所を構えていたビルに戻れた。

 そのお祝いに、扉にクローズドの札を置き、所長の席で一人で酒を満喫していた……と称するには、ヨミーは退屈そうに飲酒していた。

 自らの正体を知った後、人間である恋人との関係に決着を着けた結果だった。

 ホムンクルスは、顔と声と口調と記憶がそっくりの別人だ。だから別れた。反論できる材料が無ければ、それで終いになる。

 誰かが意地悪く煽ってくれればムキになって反論の材料を無から生み出したかも知れないが、その場に居たのは良くも悪くも良識的な者達ばかりだったので、まぁ、そうなるよな……という流れに落ち着いたのだ。

(……スワロなら、大丈夫だ。あいつは強い)

 手っ取り早く酔うのが目的だったので、酔いを自覚してからは手を止め、背凭れに体重を乗せながら懐かしき天井のシミを数えていた。


 そんな折に、クローズドの札ごと扉を蹴飛ばされても、ヨミーは大して動じなかった。億劫そうに姿勢を正し、「……ハララか」と呟いた。

「オメーも飲みてぇのか? 酒場なら反対側だ」

「…遠慮する」

 ヨミーの息が酒臭かった為、ハララは顔を顰めていた。ドアノブにクローズドの札を掛ける程度には良識に気を付けていたヨミーからすれば、甚だ心外な反応である。

 だが、ハララならそうするだろうな、と納得できるものでもあった。

「キミに一つ、聞きたい事があってね。それを聞いたら帰る」

「……何だ?」

 ヤコウ=フーリオが死亡し、隔離施設の役目を果たす廃村でも特別な場所に監禁されて以降——今更人間だと公表する事もできず、表向きにはそうなっている——、保安部の幹部達は薄気味悪い程に黙々と働いている。

 やっぱりヤコウが癌だった、いやでもいい歳した大人達なのに自主性が……とか何とか、それらの姦しい噂話は思い出しても不愉快なので敢えてシャットアウトした。

「なぜ、マコト=カグツチは、部長が人間だったと気づいたと思う?」

「…………あ?」

 ヨミーは酔っているが、それでも常人よりも圧倒的に思考が働く。腐っても死んでも、人間モドキでも、それでも探偵だ。

「…返答は拒否する。何を企んでやがんだよ」

「……そうか」

「拒否でも可だったとは、聞き分けが良くなったじゃねぇか。ヤコウの教育の賜物だな」

「……そうかもな。失礼した」

「……」

 本当にすごすごと帰ったハララの背中を見送った後、ヨミーは「…大家経由で保安部に請求するか」と愚痴りながら席を立ち、仕方なく扉を回収し、ひとまずは壁に立てかけた。

 風通しが良くなってしまったので、仕方なく酒瓶やコップを片付ける。この赤らんだ顔で対応したくないが、誰か来たらその時はその時だ。


「……チッ」

 ヨミーは不機嫌だった。ハララに扉を壊された事もあるが、それ以上に、結局ハララに“答えてしまった”からだ。

 酔っていたとは言え、それを差し引いても逡巡する間を置いた。その反応自体を探られた。

 ヨミー自身は、今にして思えば……と思い当たる節に行き当たった程度なのだが、ハララにはそれで足りた。

 ヤコウが人間なのだと客観的に気づけるような何かがあった事がわかれば、充分だったのだ。

 再三思う。なぜ探偵になっていないのか不思議になるくらいの人材だ。

「……」

 探偵顔負けの者達が、世界探偵機構に属しておらず、故に感情を律せよという信念を意識する必要が無い。

「……上司想いの部下共じゃねーか、クソッタレが」

 あの四人は、これから何をしようとしているのか。これは証拠無き勘だが、マコト=カグツチの暗殺——なんて安易なものでは無かろう。




「…誰にも相談できないのは、存外、思考を鈍らせるからな」

 ハララから渡された情報に、フブキははしゃぐように笑っていた。これからイタズラを始めます、とでも言うような気安さだった。

「わたくし達はたくさん居ますから、思考がはかどりますね!」

 思考がはかどると言うより、箍を外された気がするのだが、ハララは言及しない。

 ハララは動じない。

 動じる理由が無いのだ。

 ヤコウの為だろうが、自分達の自己満足だろうが、どちらでも良いし両方でも構わなかった。


 ◆


 自治区であるカナイ区より、ハララ=ナイトメア、デスヒコ=サンダーボルト、フブキ=クロックフォード、ヴィヴィア=トワイライトの計四名のホムンクルスが失踪。

「……いけないよ、フブキ」

 その最終目的地は、クロックフォード家の屋敷だった。

 クロックフォード家は世界有数の名家。世界の暦から人の年齢まで決める事が許されている、と言うよりその役目を負った時を司る一族だ。

 屋敷の場所は、理屈の詳細は省くが常人が意図して辿り着く事はまず不可能である。

「お前の友人達はみんな捕まえた。あとはもうお前だけだ、フブキ」

 だが、クロックフォード家の者なら可能である。

「…わたくしは、あなたの娘ではありません」

 四人が求めたのは、時を遡ってやり直しができる禁書だった。しかも、願い通りの改変に添うよう、新たな要素を継ぎ足してくれる。

 だが、それが善事となるか禍事となるかは、完全に賭けだ。新たな要素が、どう転ぶのか不明なのだから。

 クロックフォード家ですら手に負えない禁書故、クロックフォード家が責任を以て管理していた。

「あなたの娘は、ここにはおりません」

「……やめてくれ。…それでも、お前は……」

「……お父様は、『本物』のわたくしに会いたいとは思いませんか?」

「そんな、らしくない言葉はよせ……それは、そんなに都合の良い物ではない」

 その封印に手を掛けようとする娘を、例え娘そっくりのホムンクルスだとしても、情緒が千切れそうになりながら、娘の父親は説得する。

 並列して、他の者達が娘を取り押さえようと密かに動いていた。



 ————だけど、結論から言えば、オイラ達の勝利である。

「っ、へへ。悪いな、フブキの親父さん。オイラ、けっこー、役者だったろ」

 フブキの変装をしたまま、デスヒコはニヤリと笑っていた。

 自分は縛られる。本物のフブキが横から本を奪い、胸に抱え、逃走しながら表紙の封印を解こうとする。追っ手達がフブキを止めようとする。

 フブキが本を開きさえすれば、確定する。開けなければ、あるいは開く以上の条件が求められれば、自分達の願いは水泡に帰す。

(……オイラ達、何やってんだろうなぁ)

 馬鹿みたいだ。と言うか、馬鹿だと自覚している。

 ホムンクルスの立場として、正しいのはマコトだった。だから彼はヤコウを撃ち殺した。

 その正しさに、四人揃って共犯となって、中指を立てようとしている。

 分が悪過ぎる、勝ったとしても自分達は報われない。それどころか、カナイ区の全てのホムンクルスから怨嗟の念を送られて然るべき悪事だった。

(けど、スポットライトに当たるのは、オメーじゃねーんだよ)

 光に照らされるべき主役を、マコトからヤコウへと挿げ替える。ヤコウを途中で倒れさせず、最後に探偵と対峙させる。その後に起こり得る可能性の悲惨さをわかっていながら、だ。

 斯様な夢物語、果たして実現するだろうか。したとして、それが本当にヤコウの為になるのか。何もわからないけど、気持ち一つで動いている。

 この場に探偵が居れば、害悪な感情論だと糾弾してくるだろう。しかし、生憎と不在であるし、居たとして、邪魔されて堪るものか。


 ◆


 クロックフォード家の者ならば、時の悪用を許さないはずだった。本来ならば選択肢から除外するはずだった。

 しっかりと教育されていたし、アマテラス社への入社だって延いては社会勉強の一環だった。


 まさかそれが、時の悪用を厭わない悪い子への、第一歩だったなんて!


 フブキは、遂に開いた。

(ああ。わたくし、罪人になってしまうのですね……)

 しゅるり、しゅるり、と本を封じていた紐が勝手にほどけていく。

 右から読む書物が、左の最後のページから巻き戻るように捲られていく。

(……おや、『声』が! ユーム……ユーメ? さんが仰った死に神ちゃんとやらの、仲間でしょうか?)

 願いを託す寸前、フブキの頭に説明が一瞬で流れ込んできた。そして理解した。

 生憎とそこまで親切な魔法じゃないから、ホムンクルスであるフブキが願いを託す以上は、遡れる過去は最大でも空白の一週間の『後』だよ、と——成る程。


(伺っていた通り、意地悪ですね! いいですよ!

 ……あれ。驚いていらっしゃいますね。わたくし、本気ですよ?)


 どうやら、本は、空白の一週間そのものを防ごうとしている——なんて誤解をしていたらしい。

 とんでもない。自分達は、これから悪人になるのだ。そんな、善い事だなんて……できれば、したかった。

 けれども、それは、できればの話。無理なら無理で代用が利く。

(もちろん、できれば、そうしたかったですけど……でも、無理だろうと思っておりましたので。無理だった時の代案は、ちゃんと用意していました!)

 だから、止めようとする親族の腕が届く前に、フブキは願う事ができた。


 この願いは、とても罪深い。

 あの人のやっていた事は、やろうとしていた事は、理由はあっても相殺し切れない大罪だ。

 あの人は、自分達さえも含めたホムンクルスの殲滅を望んでいた。

 それなのに、あの人を助けたいだなんて、過ちを極めている。

 ……それでも。

 だって、可哀想じゃないか。

 一人で泣き続けていたあの人が、独りぼっちで最期を迎えただなんて。

 死んだ後にハンカチを差し出したって、無意味なのに。

「お願いします。どうか、どうか」

 ……せめて、あの人の口から、あの人の気持ちを紡がせてあげてください。

 ……あの人の過ちを断罪するなら、言いたい事を言わせてあげた上で、真っ向から反論してください。

 ……ああ、巻き戻った世界のわたくし達は、この事を記憶できない……と言うより、そもそも無かったような扱いになるのでしょうか……?


 あの人は倒されました、悪は敗れたのです、めでたし、めでたし……そんな寓話めいた勧善懲悪をヴィヴィアは疎んだ。

 あの人が人間だと感づかれてしまった理由は、ハララが推理して教えてくれた。

 デスヒコが囮になってくれている間に、フブキは禁書を開いて願った。

 そうして始まる、罪深い遡行。

「どうか、ヤコウ部長『に』探偵が真実で迎える世界を……!」


 くる

  くる

   くる

    くる

     くる

      ……

       ……


✂-------


 便宜上、再びユーマ=ココヘッドの名前を用いよう。

 フブキが開いた禁書が導いた解決手段の為に、別世界のユーマ=ココヘッドが召喚され、アマテラス急行列車の殺人事件からの『二周目』が始まった。

 そこに居たユーマ=ココヘッドが忽然と消され、埋め合わせるように別世界のユーマ=ココヘッドが出現する。

「それで、ボクはここに居るってわけか……」

 矛盾を解消する為、一時的に不思議な空間へと幽閉された、本来のユーマ=ココヘッドはごちる。

 幸いにも、今ここで幽閉されている己の時間の認識はカナイ区の件を終了した直後だった。時間と空間がねじ曲がりながら、整合性が取れるようにツギハギされているのだろう。おかげで狼狽せずに見届けられる。

 幽閉が解かれるのは、目的が達成された瞬間。別世界のユーマ=ココヘッドがカナイ区最大の謎を解き明かし、ヤコウ=フーリオとの決着を終えた後だろう。

 時を遡るだけでなく、異なる世界にも干渉する力があるとは、確かに禁書だ。かのクロックフォード家が管理と封印で手一杯だったのも頷ける。


 未解決のままで終了してしまったのだ。あの四人の主観では。と言うより、フブキ=クロックフォードにとっては。

 だから、遡っての再捜査を要求された。

 別の解決を望まれたから、別世界のユーマ=ココヘッドが招かれた。この世界での記憶が据え置きの己では足りない何かを、あの別世界のユーマ=ココヘッドは持っている。

 『二周目』は一体どうなるのやら。異常な状況下ながら、できる事が限られ過ぎて一周回って冷静になっていた。

「……向こうの世界とやらの資料でも読もうかな」

 この空間にあるのは机、ソファ、雑誌。無いよりマシだが、もう少し何とかならなかったのかと思わされる。

 雑誌を手に取れば、あのユーマ=ココヘッドの世界に纏わる情報を粗方入手できた。都合良く便利な雑誌だ。

 こちらと向こうでは大きな変化は無いようだが、細々と差異が見受けられる。その中でもひときわ目立つのは、探偵事務所と保安部のメンバーがそっくりそのまま入れ替わっている点だった。

 成る程。あの別世界のユーマ=ココヘッドならば、敵だと見なしていた自分と異なり、保安部の面々に同情的に接する事ができる。

 だが、逆に、自分が味方だと見なしていた探偵事務所の面々に、別世界の自分は忌憚なく接する事ができるだろうか。

 どうやら、トントン拍子とはいかない気がする。

 雑誌の情報を見終えた後、再び映像を見上げる。あのユーマ=ココヘッドは狼狽えていたが、彼も自分とは過程は違えど一度はカナイ区の真実を暴いた身だ。何とかなるだろう。

 多少異なれども据え置きの情報に加え、別世界から招かれたマレビトとしての観点も合わさり、より多くの事に気付けるだろう。

 ……それが、より多くの苦難も招くであろうが。


✂-------


 はて。

 長い、長い、前置きが、あったような?


「フブキちゃん。用件がないなら、オレ、もう行きたいんだけど?」

 フブキは目を丸くして、きょとんと立ち尽くしていた。加えて、時間にして数十秒も黙り込んでいた。

 ヤコウにしては待っていた方だった。フブキが相手なのを加味しても、だ。

 途中からカツカツと靴の先で床を叩くという露骨な嫌がらせを始めたが、フブキは黙ったままだった。

 靴音で時計の針を刻む真似をしておられるのですね、なんてツッコミさえも来ない。本当に無視してこの場から立ち去ってしまおうかとヤコウが踵を返した直後だった。

「…………あ、あの、部長」

「……なぁに? フブキちゃん」

 絶妙な間の悪さだったが、ヤコウの堪忍袋の緒は切れずに済んだ。

「そろそろ、インフルエンザの予防接種をする時期だったような気がいたします。いかがですか?」

「……遠慮するよ。オレ、注射が嫌いだから」

 そろそろ健康診断の時期だったな、とヤコウは顔を顰める。フブキが言いたいのはその事だろう。やたらと長い熟考も、彼女なりの思案を経たのだろう。

 今年もヴィヴィアからせっつかれるのかと気が重かったが、まさかフブキから勧められるとは。

 恐らく善意だろうが、鬱陶しい。四人の中でも最強格の能力を有するフブキは、特に好感度を損ねたくない相手だ。できれば手荒な真似はしたくないのだが。

「わ、わたくしも一緒に向かいますので!」

「……」

「う、受けてくださいませんか? お体が心配なんです…」

「……」

 ……フブキにしては、やけに物分かりの良い言い方でヤコウを説得しようとする。

 なぜだと考える内に、ヤコウはふと思った。

 自らの血液の色が露呈しないようにと病院を拒んでいるが、それは却って悪手ではあるまいか?

(…………あ)

 そうか、そうかそうか。客観視が欠落していた。

 あいつの前で肉まん食ってるだけじゃ駄目だ。

 あの件以来、医療目的で血が流れるような病院を拒んでいるが、そんなヤツは怪しいに決まってる。血を全く見せないのも、それはそれで駄目だ。

 軌道修正しねえと。

「………………わかったよ」

「っ! ほ、本当ですか!? お久しぶりでしょう、案内して差し上げますよ」

「…いや、いい。それより仕事をしといてくれ」

「そ、そうですか?」

 肩をポンと叩いて「頼んだぞ」とフブキの顔も見ずに早足で立ち去りながら、ヤコウは思考を急速に働かせる。

 如何にして、健康診断を潜り抜けるか。字面にすると笑えるが、笑い事では無い。

 自分と血液型が一致したピンク色の血液は容易く入手できるとして、問題はどうやって……早く考え付かねばならない。

 書類の偽造では駄目だ。マコト=カグツチ相手にそれは通じない。多くの目に見せつけてやる必要がある。

 煙たがれるだろうが、一般人が多く参加する公的な健康診断を受けるべきか……。


 励ますように肩を叩かれたのは久しぶりだった。

 しかし、ヤコウから頼まれた仕事とは何だったっけ。不思議そうに首を傾げながら、フブキはヤコウの背を見送った。

「っ、来い!」

「あらっ? デ、デスヒコさん? 鳩が豆鉄砲を撃つ時のような顔をなさっていますね」

「うるせぇ!!」

 突如、デスヒコに怒鳴られ、腕を掴まれて人気の無い所まで引っ張られた。

 とても怒っている。何かしただろうか。驚きながら、引っ張られるがままだったフブキは、そのデスヒコから所謂壁ドンをされてまた驚いた。

 デスヒコの方が身長が低いのだが、フブキが尻餅をついていたので壁ドンは成立していた。

「お、お嬢。お嬢になんかあったら、オイラ庇えねーんだって」

「……デスヒコさん?」

「…オイラ、誰かを助ける“キャラ”じゃ、ねぇから」

 デスヒコは逼迫した様子だった。よく見なくても、汗をダラダラと流している。

 とても、苦しそうだった。

「デスヒコさんは、わたくしを助けてくださいましたよ?」

 ふと、フブキは、デスヒコの頭を撫でてあげたくなったので、気持ちのままに実行した。

 何でだろう。囮になってくれて、ありがとう……なんて思ってしまった。

 あれ。囮とは、何の話だったか。自分で考えていて全く意味がわからなくなったので、フブキはそれ以上考えるのを止めた。

「……あんなの、助けたとは言わねーよ」

「まあまあ。格好良かったんですから、いいじゃないですか」

 デスヒコは辛そうな顔をしていた。声も震えていた。埒が明かないけど、まだ明けなくてもいいかと思って、フブキは励まし続けた。




(終了)

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