唇と衝動

唇と衝動



「……撫子さん、少し離れてくれないか?」

「えー」


 石田雨竜と晴れてお付き合いを始めて少し。平子撫子は調子に乗っていた。

 好きな人がいて、その人も自分のことを好いていてくれて。想いを通じ合わせたタイミングは非常に想定外ではあったけれど、結果オーライという奴だ。

 幸せで幸せで、誇張なしに世界が薔薇色に染まって見える程だ。某血しか繋がっていない父親の鏡花水月を疑ってみたが、影響下にあったとしても分かるはずもなし、さっさと思考の外に追いやった。そもそも視界を薔薇色に染め上げるためだけに鏡花水月を使うあの男は想像するだけで面白いのでやめたのもあるが。


 外に出られなかった時は恋愛小説を読み漁り、刊行された少女向けの漫画雑誌を読んだこともあった。そうして親しんで、憧れてきた恋。それが目の前に、現実として存在するのだ。

 何遍自室でクッションを抱えてゴロゴロ転がっただろう。

 恋人。雨竜と! 恋人!

 初めは実感が湧かなかったが、手を繋いだり、抱きしめ合ったり、……キスをしたり。

 恋人らしいことを少しずつ、少しずつ重ねることで関係性を自覚した。

 ほぼ初恋のようなもので、それが叶ってしまった。だからある意味、撫子が恋に逆上せて調子に乗るのも無理はないのだ。


 放課後、教室。

 クラスメイトは既に帰宅やら部活やらで姿はなく、教室には雨竜と撫子の二人きり。

 誰も周囲にいないことを確認して、立ったままの自分よりも広い背中に抱きついた。


「誰かに見られたら——」

「周りに誰の気配もあらへんよ。それにここ、廊下からは死角になっとんねん」

 せやからええやろ? と大好きな背に頬を寄せる。

「……」

 そうしていると、腹に回していた腕を雨竜がそっと剥がしに掛かる。不満を覚えつつも抵抗はせず、されるがままに腕を離した。

(もっとくっついてたいんやけどなあ)

「撫子さん」

「なあに?」

 名前を呼ばれて、なんだろうかと次の行動を待つ。雨竜はくるりと振り向くと、その両の手を撫子の頬へとのばした。

 自分のよりも大きく骨張った手が頬に添えられ、胸が高鳴る。

 それから顔が近づいて、しっかりとケアされた唇と、ほんの少しだけカサついた唇が重なる。

 まだ、片手で足りるほどしかしていなかったキス。お互い照れて真っ赤になって、恐る恐る触れるようにしかしてこなかった。

 それを何度も、角度を変えて、飢えたように唇を重ねる。

 たくさんキスをしてくれる嬉しさ、唐突さへの困惑、うまく息ができない苦しさ。様々な感情が混じり合いつつも、瞼を閉じて受け入れる。彼から触れてもらえるのは素直に嬉しいから。

 ぺろりと唇を舐められて思わず目を見開くと、雨竜と視線がかち合う。

 その瞳は凪いでいて、けれどその中に熱を見つけてしまった。

「撫子さん……」

 静かに燃え上がる熱が、射抜いてくる。

「口を開けて」

「ぁ……」

 言われるままにそろそろと口を開くと、すぐさま唇で塞がれる。自分のそれとは厚さの違う舌が侵入してきて、そろりと這い回る。

 ぎこちなくとも口内を探る動きに体温が上がるようで、頭が痺れるような錯覚を起こす。

「ふ…、んっ……」

 互いの舌が触れ合う。

 力が抜ける。なんとか体を支えようと、雨竜に縋り付くような体勢になる。掴まったせいで制服に皺ができる。

 知らないわけではない。恋愛小説だって山ほど読んできたのだ。キスにこんなカタチがあることぐらい知っている。でも、それが現実のものとして自分が経験することになるとは想像もしていなかった。


 ゆっくりと唇が離れる。舌を触れ合わせていたせいで、それを自ら差し出すような状態になってしまう。

 自分達はなにか物凄くいけないことをしているんじゃなかろうか。


「う、うりゅう……?」

 それには答えず雨竜は撫子の首筋に頭を埋めると、そのまま白い首筋に唇を落とす。

「ひゃ……!」

 触れるだけの、けれど感じる唇の熱に、思わず高い声が出た。

 咄嗟に口を手で塞ごうとして、今の体勢では無理だと気付く。いつの間にか背中に雨竜の腕が回されていて、動けない。

 どうなってしまうんだろう。命の危機なら何度も経験してきたけれど、今回はそれとは別種の警鐘が頭の中で鳴っている。

「……君はよく僕に触れて来るけど」

 声が近い。お願いだからそのまま喋らないで欲しい。撫子の背に、ぞくりとしたものが走った。

「雨竜、」

「好きな相手に触れたいのが君だけだと思わないでくれ」

 首筋に触れていた唇が離れていく。

 見上げた先のその表情はどこか切なさを含んでいる。けれどやはり、見下ろす目には変わらず静かな炎が揺らめいて見える。

「もっと君に触れたいとも思うさ、撫子さん。僕は、男だ」

 ばくばくと義骸の心臓が跳ねる。知らなかった。彼が、石田雨竜という男が、内包していた衝動を。


 ややあって、雨竜は撫子から身を離す。その頬は赤らんでいて、目にはもうあの射抜くような熱は見当たらなかった。

「……ごめん」

「え、ええよ? ただ」

「ただ?」

「その、腰、抜けてもうて……」

 たすけて……と力なく呟くと、上から小さな溜息が降ってきた。






仮面の軍勢「藍染と比べたら何もかもがマシ」

お姉ちゃん虚「一度妹を泣かしたが、相思相愛なら許さないこともない」

平子♀「避妊にだけは気ィつけろ」

藍染「(感情が読めない笑み)」


リップクリームで唇のケアをしっかりする娘ちゃんは居る。

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