呪いを辿ったその先に
「……誰だ、これ」
開いた家族アルバムには、まったく知らない子供がいた。
両親が仕事に出た後掃除をしていたら、家族アルバムを見つけた。
無性に気になって、ページを捲った。もとより俺は幼少期のころを覚えていないのだ、気になっても仕方がない、掃除なら後でもできる。
と思って開いたらコレ。誰だよお前。俺は一人っ子だしそもそも俺の生まれと同じ年の5月生まれとかどうあがいても兄弟なれねえよ。
『××××年 5月28日 コウちゃん誕生』
写真の中で、赤ちゃんと両親は笑っていた。
ページを更に捲ると、いろいろなよくわからない機械に繋がれた子供の写真がたくさん貼られている。どうやら生まれつき病気だったらしく、ほとんどの写真が病室だった。
両親はこの子を亡くした穴を埋めるために俺を養子に取ったのか?
少し跳ねた黒髪も、同年代じゃ飛び抜けて大きい背丈も、両親にそっくりだったから疑ったことはなかった。でも、あるとしたらそれしかない。
だとすると二人が過保護通り越して束縛毒親なのにも納得がいく。納得できるだけで許せる気はしない。毎日九時に寝て五時半に起きる、栄養バランスを計算されたつまらない食事に間食も禁止、部活も進む高校も勝手に決められる。前の子が病気だったから俺には健康でいてほしいんだろうな。わからんでもないがやりすぎだ馬鹿ども。
ゆっくりアルバムを見ていく中で、ふと手が止まる。
車いすに乗った小さな子供と両親が、神社を背景に笑っている。
6月30日の日付があった。古びたアルバムの写真はこれが最後だった。
終わりにしては随分中途半端なページだったから、恐らく子供が元気でいられたのはその日が最後だったんだろう。となると、残りの3冊は俺の写真だろうか。
積んでいたアルバムを手に取って、表紙をめくった。
さっき見た写真と同じ神社、同じ服を着た両親、同じアングル。映っていたのは俺だった。
『6月31日』
俺の誕生日が写真に刻印されていた。
何かがおかしい。たとえ6月30日に子供を亡くしたとて、その翌日に明らか実子ではない俺が引き取られているはずない。いやもっと単純な、何か大きな矛盾が…
……6月31日?
どうして今まで気づけなかった?どうして今まで誰も疑問を抱かなかった?
存在しない日付を、どうして誕生日として扱えた?
6月31日が存在しないことを知らなかったわけじゃない。にしむくさむらい小の月、小学生でとっくに習った言葉だ。
それに、「水谷コウ」…俺の前にいた子供は三歳の6月30日までは確実に生きていた。俺は養子ですらない。だとしたら何だ?俺はいつからこの世にいる?
「…この神社に行けば、何かわかるんだろうか」
ほとんど情報がないが、どうやら水の神を祀っているらしいその神社は現状俺のルーツを辿る唯一のパーツだった。
何も分からないままのうのうと生きんのも気味が悪いし、この家はもとより捨てるつもりだ。訳の分からない真実がここにある以上、俺にしか見えないこの気色の悪いバケモノも幻覚とは言い切れないし、こいつらがいるからこそ神社に行けば何かわかるという確信を持てた。
(バイクの免許でも、取るか)
この後旅に出た彼は呪術師という存在に出会い自身もそれを生業とすることになる。