呑めないって言うの

呑めないって言うの

吸血鬼石田と娘ちゃん(撫子ちゃん)

死神の名前は平子撫子、滅却師の名前は石田雨竜。 

あまり普通でない二人は、あまり普通でない恋を経て、ごく普通の交際を開始しました。


しかし、何ということでしょう

滅却師は吸血鬼だったのです! 


石田雨竜の人生は順風満帆とはいえなかった。

辛い別れもあった、悲しい過去もあった、消し去りたい黒歴史もあった。しかし、今の石田は友達と恋人に囲まれ幸せである。

こんな幸せを甘受していていいのかと不意に恐ろしくなるほど幸せだ。志望大医学部(A判定)に落ちて一浪するくらいはあるかもしれない。

そんな我が世の春が巡ってきた石田だったが、現在、一つの重大な懸案事項を抱えていた。


……それは、最初はほんの些細な違和感。時折ふと気に留めるだけの、ほんの小さな不安。

しかし、それは恐るべき速度で膨らみ、やがて実体を伴った巨大な恐怖として石田の生活を圧迫しはじめたのだ。

――どうしてこんなことになってしまったんだ。ああ、どうして。


「――つっ……」

石田は、独り短い嗚咽を漏らした。

ああ、どうして、これ程までに――血を飲みたくなってしまうのだろう。


石田雨竜は、上記の通り滅却師であり吸血鬼である。

今までは吸血鬼の性、吸血衝動を『死神の霊絡が紅だから同系統色の紅い血を飲みたくない』という拘りで、自分の血を飲む事で何とか抑えていた。

が!いよいよもって抑えきれなくなってきたのだ。

血液を欲する己の身体に、石田は日々、恐怖を覚えるようになっていた。

しかし、吸血鬼の吸血衝動を表出す事だけは、石田のプライドが許さなかった。

必死に抑え、日々平静を装っていたのだがー、


「飲めおらっ雨竜!飲まンかいっ!」

「ちょちょちょちょっと、平子さんストップストップ!」


狭い集合住宅でこんな大声を出したら近所迷惑だ!

大声出させるんは誰や!



そんな吸血鬼の固い決意に、問答無用で死神がキレたのだ。

自宅にて、食費を切り詰めた故の立ちくらみを起こした(と思われた)石田に、石田家常備飯(パックご飯にふりかけ付き)を

「はい、雨竜あーん(はぁと)」

と食べさせたところ、吸血衝動の話を始めて知り、上の騒動である。

「ただでさえ貧乏で食が細い癖に、血ィすら呑めんヨォになったらおしまいや!ほら雨竜、アタシの血が飲めんって言いたいんか。恋人やぞ!」

「紅い血は僕には無理だ、とても飲める訳がないじゃないか!」

「それで貧血なっとったら世話ないわ」

貧血を押して逃げようとする受験生を、とりあえず縛道で逃げられない様にしてしまう。普段ならこんな手に引っかからないのに、汗はだらだらで青面、傍から見てもわかるほどに体調が悪そうだ。

これ幸いやァ、よっこらしょー、と石田の上に馬乗りになって、ジャージのファスナーを下ろし、頸を見せつける撫子。

やってる事はいつもと変わらない気がするが、それでもなお、石田は撫子を押しのけようと必死だった。

「ナァ、雨竜。雨竜がアタシの事大事にしたいって思うのは知っとるケド、アタシやって似た様なコト、雨竜に思っとるんよ…」


鼻先が触れてしまいそうなくらいの距離。撫子はそう囁きながら、その細い指で石田の唇をなぞる。

ひゅう、と息を呑む。優しいのに、どこか逆らうことを許さないような、嗜虐を存分に含んだ死神越えて小悪魔の笑顔に石田は視線を逸らそうにも逸らせない。 

全身を拘束する縛道は、相変わらず強固なままで――

「ね…カラカラに乾涸びるまで、アタシの血吸っていいから――」

それは、いつもの様な冗談めかした言葉ではなく、半分本気の声色で、石田の胸を高鳴らせた。

「アタシの事噛んで…お腹いっぱいになって?雨竜」

懇願するように囁かれる。

石田は、自分の血液が沸騰するのを、強く感じていた。


(余談)

滅却師は突如溢れ出した自身の鼻血で吸血衝動を抑え、死神からの吸血は見送られた。

その様子をデバガメしていたどこぞの無間の囚人は、


「懐かしいな…かつて平子真子が、体調を崩しているにも関わらず、意地を張って体温を計らせようとしなかった際、似た様な方法を取った事がある…」


などと独り言を言い、自分の血を確実に引いている娘にご満悦だったとか。


(余談・2)

「撫子さん、はい、あーん」 

「ううう……」

出来立てのお粥をスプーンでかき混ぜて、一口分だけ掬い、病人の口元に運ぶ。 

高熱に染まる頬をさらに朱に染めて、死神は目を瞑りスプーンを受け入れる。 

普段から人には平気でするくせに、されると赤面する様が可愛らしい。 

次いであーん、と差し出されたお粥を咀嚼し、味わう。

今日は珍しく撫子が風邪を引き、その看病に石田はてんてこ舞いである。

貧乏な石田家には冷凍庫付きの冷蔵庫が存在していないから、氷枕を用意するのにも一苦労だった。


ふと撫子が、潤んだ瞳でこちらを覗きこんできて、熱に浮かされた声色で囁いてきた。 

「雨竜…汗かくと…風邪って早く治るらしいで」

「それは迷信、熱が下がるから汗をかくのであって、不必要に発汗を促せば 逆に体内に熱が篭ったり、汗疹の要因になるから無理は禁物だよ」

平然として答える石田に撫子は、むう、これだから医学部は…と頬を膨らませていかにも不満げだ。

「ナァ…熱…あるから、雨竜が血ィ飲んでも、気づかんから」

だから寝てる間に我慢せずに思う存分飲んで、という事らしい。

熱による頬の朱、潤んだ瞳。口元から伝う熱冷ましの水と、唇と艶めく赤い舌。

今の撫子はどこか扇情的で、いつもとはまた違った魅力がある……なんていうのは、口にしないけども。

ちゅ、と音を立てて、撫子の頸にキスをした。

撫子の肌が更に赤に染まる。

ぎし、とベッドが軋んだのは、二人分の体重のせいだ。

石田は撫子の顔の横に手をついて、お互いの吐息が触れ合うような距離。

「撫子さん…」 

縋りつくような声色で、愛する死神を呼ぶ。

すると、彼女の華奢な腕が強く抱きしめてくれるので、それに応えるように更に力を込めて引き寄せた。

とくんとくんと早い心臓の鼓動が伝わってくる。

それは自分と同じくらいの速度で、否、今はもしかすると自分の方が多いのかもしれない。

いっその事、このまま時間が止まってしまえばいい。

唯の平子撫子と、石田雨竜のままで。

そう考えながらも、鼓動は早く、早く、どんどん高ぶっていく。

ああ、好きだ。君が好きだ。

感情が昂ぶって、溢れて、彼女の存在を消し去ってしまいそうなくらいの吸血衝動を必死に抑え込む。

伝わってくる体温に歓びだけを感じながら、ただ抱き合っていた。 

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