吾子の寒声
仕事を終えて屋敷のある通りに差し掛かった頃には、とうに日は沈んでしまっていた。冬は日が落ちるのは早いとは言え事情が事情なだけに舌を打ちたくなる。吹き抜けるきんと冷えた風が向かい風なことにすら苛立ってしまって、ぐしゃりと髪を掻き回した。
葉月の半ばに拾った養い子は、気がつけばもう四月の時を拳西と共に過ごしたことになる。
あの頃と比べれば体調を崩すことは減り、食事の量も随分と増えた。幼く小さな身体を丸めて熱や咳の苦しさに耐える様子はどうにも見ていて落ち着かないもので、それが目に見えて減ったことに拳西は心底安堵している。人の気配に対して過剰に怯えることも拳西が傍にいないと泣き出すようなこともほとんど無くなってきて、それもまた嬉しい変化だった。
だからこそ今日は緊急時の呼び出し以外で久しぶりに隊舎で仕事をすることを選んだのだが――果たしてあの子は、修兵は大丈夫だっただろうかとそればかりを拳西は考えてしまう。一人で過ごすことにも幾分か慣れてきたようだからと誰にも代理を頼むことなく留守番に慣れさせんと取った行動ではあったが、冬の寒さ厳しい師走のこの時期はやはり心配だった。
今朝縁側で己を見送る修兵には良い子で待っているように、人が来ても出なくて良いと教えて出掛けてきた。火こそ使わせられないが冬の初めに仕立てた綿入れの羽織や厚手の肌掛けは分かりやすい場所に収納してあるし、日常的に教えてきたから修兵も分かっている。暖房器具こそなくとも室内でそれらを被っていれば温かいことも理解出来ているはずだ。
修兵の聡さは充分に知っている。それでもやはり心配なものは心配だった。
「……修兵?」
そうして漸く辿り着いた自宅に灯りはない。入口からそう遠くない位置で整えた修兵の自室、食事を取る居間、拳西の自室、と順にいそうな部屋を見て回ったがどこも人の気配はなかった。
「修兵?何処だ?」
「……けんせー?」
少し声量を大きく名を口にすれば、返事は存外に遠くから、しかし直ぐに返ってきた。たん、たん、と少し拙い足音が鼓膜を揺らす。開かれたのは今朝修兵が見送ってくれた縁側へと通じる障子だった。
「おかえりなさい」
「ああ、ただいま」
小さな歩幅で駆け寄って来る身体。その手が腕にひたりと触れた瞬間、強烈な違和感を覚えて拳西は微かに肩を跳ねさせた。――冷えきっている。
よくよく見ればまだ肉も殆どついていない手足は素のまま、冷えによる紅が浮かんでいた。着物も今朝見た時のまま、防寒着の類は一切身につけていない。その布地も外気と同じ温度に冷やされて、子供らしい体温はどこにもなかった。
「……いい子で待ってたか?」
「うん!けんせーの言う通り、ここでまってたよ」
ここ、と視線が動いた先は障子の向こう。いい子にしてたよ、と笑う修兵を抱き寄せて、改めてその冷たさにぞっとする。
動かなかった、のだろうか。「ここで」と言った拳西の言葉をそのまま守って、室内に引っ込むこともしないまま。
「縁側でか?……ずっと?」
「……?けんせーが待っててって言ってたから…」
「ばっ………」
馬鹿野郎。予感が確信に変わった瞬間白や部下によく飛ばす激が出そうになって慌てて飲み込んだ。心臓が煩く脈を打っている。冷えているはずだ。寒風を凌ぐものも何も無い縁側に、一体この子は何刻いたのだろう。
「……けんせー?」
「……いや。そっか、待ってたんだな。偉いぞ、修兵」
修兵は聡い子だ。大人の感情の機微なんて簡単に見抜いてくる。だからこそ拳西は努めて平静を装って、抱き締めたままの修兵の頭を撫でた。
「腹減ってるの、我慢できるか?先に風呂に入ろうな」
「けんせー、寒いの?」
「ああ、寒い。だから先に風呂でいいか?前に買った冬用の着物と寝巻き持ってこい。風呂、沸かしておくからな」
「はぁい」
良い返事と共に見せた笑みに同じ表情を返して、もう一度頭を撫でる。幼い足音が遠ざかっていくのを聴きながら、拳西は帰る時まで殆ど気にしなかった寒気が足元から這い上がるような感覚に、ぶるりと強く身を震わせた。