吸血鬼化ロナルドをテーマにした妄想文章(途中まで)

吸血鬼化ロナルドをテーマにした妄想文章(途中まで)

吸血鬼「吸血鬼化ロナルド大好きおじさん」


【D. ALL 収束】

 

『――現場から中継です。午後十時四十九分頃、新横浜駅近くの路上で高等吸血鬼によるものとみられる傷害事件が発生しました。被害者は少なくとも十人以上と報告されており、うち三人は重傷です。犯人とみられる吸血鬼は既に現場から逃走しており、新横浜警察署吸血鬼対策課本部は現場周辺に厳戒態勢を敷いている模様です。ええと、新たな情報が入ってきました。目撃者の証言によりますと、吸血鬼は赤い服装を身に着けており、外見は二十代前半の若い男の姿だそうです。繰り返しお伝えしますが、犯人とみられる高等吸血鬼は現場から逃走しており、未だ退治できておりません。新横浜周辺にお住いの視聴者の皆さんにお願いです。夜の間は不要不急の外出を控え、念のため在宅中であっても家屋の戸締りを確実におこなってください。外部からの来客の際は不用意に招くことをせず、必ずカメラ越しによる本人確認をおこなうよう注意してください。それでは一度スタジオにお返しします――』

 

【D. 13 ある■■■の末路】

 

 けたたましいサイレンが鳴り響く。冬の乾ききった空を陰鬱な百デシベルが突き抜けていく。それはひとつの事実を表していた――「高等吸血鬼の出現」である。

 20XX年、人間と吸血鬼との間で生じていた軋轢はいよいよ極限を超えた。共存は対立へ、対立は迫害へと変化していき、夜を歩く人外達はおろか、陽の下を歩もうとするモノ達さえ月明かりの影に追いやられていった。

 ここ新横浜は日本有数の吸血鬼出没地域である。一説には風水による影響であると主張されているが真相は定かではない。かつては数多の吸血鬼達が人間社会に定着し受け入れられていた。手に職をもち社会に貢献する吸血鬼も珍しくはなかったという。だが今は、その事実すら夢物語であったかのようだ。

 星々の浮かぶ夜空に警告灯が映える。通りの騒々しさが少しだけ和らぐ路地の奥で彼は身を潜めていた。呼吸は浅く、額からは大粒の汗が絶え間なく流れ落ちている。甲高い警報音よりも自身の鼓動音の方が大きいのではないかと彼は感じていた。

 

 

 ふと気がついた時、彼は新横浜駅前の広場が見える歩道にいた。随分ぼうっとしていたようだ。どのような経緯でそこにいたのかは判然としなかったが、きっと仕事で見回りに来ていたのだろう、と彼は呑気に考えた。

 

「吸血鬼だ」

 

 誰かがそう言った。その単語の意味を理解するよりもはやく、彼は周囲を警戒する。こんな街中で堂々と吸血鬼が出没するというのもまれな事ではあるが、なんにせよ丁度自分がいる場面で助かった。そんな彼の思考に小さな亀裂が走る。じわりと嫌な粘り気の汗が滲み出てきた。

「吸血鬼がいるぞ」

 別の誰かがそう言った。その音を耳にするよりもはやく、彼は周囲の光景に目を疑う。視線が刺さるという比喩表現がある。漫画的表現であれば矢印が刺さっているようなものだろうか。そういった視線は痛みとして例えられるが、これはそんな生易しいものではない。

「な……」

 何があったのかとたずねる言葉はあっけなく消え去った。十、二十、数えきれないほどの眼光が、ただ一点に向かって集まっている。ひゅっ、と、喉の奥が鳴った。

「捕まえろ」

「吸対を呼べ」

「退治人もだ」

 冷ややかな声が次々と上がる。名も知らぬ群衆がじっとこちらをねめつけている。

「違う、俺は……!」

 吸血鬼なんかじゃない、退治人の――。彼はそう口にしようとして言葉に詰まった。それから、急速に血の気が引いていくのを感じた。視界が暗く狭まっていくような感覚。どこからともなく伸びてきた指先の生温かさが、彼の意識を現実へと引き戻した。肌から伝わる敵がい心のおぞましさに、彼は思わずそれらを振り解く。

 

 悲鳴が聞こえた。これは人間が恐怖を感じた時の叫び声だ。

 

 その瞬間、彼に理解できたことはふたつ。ひとつは、目の前で血だまりに伏して泡を吹いている人々がいること。もうひとつは、きっとそうなってしまったのは自らが原因なのだろうということ。

「うわあああああああ!?」

 理解は恐怖を招いた。彼はその恐怖から逃れるかのように、わき目もふらず駆け出した。

 

 

 数十人、いや、百人近い規模で警察や吸対そして退治人が集まり警戒を続けている。すべては敵性吸血鬼を退治するためだ。無辜の人々に危害を加えた悪しき吸血鬼を滅ぼす。ただそれだけのために。

(一体、何がどうしたっていうんだよ)

 ゴミ置き場の脇にうずくまり息を潜める。彼が「逃走」をしてから既に二時間近くが経過していた。混乱のままに汚い路地の奥へと身を隠したが、見つかってしまうのも時間の問題だろう。

(クソッ……)

 冷静さを取り戻すにつれて彼は己が置かれている状況に腹立たしさを覚え始めていた。だが同時に、拭えぬ不安がこびりついている。なぜあの時、自分は退治人であると名乗れなかったのか。彼は心の中で繰り返す。自分は新横浜の吸血鬼退治人である、と。何度も何度も言い聞かせるように。

「ッ……そうだ……俺は、新横浜の吸血鬼退治人――……ぁ、あっ……」

 込み上げる吐き気。彼は咄嗟に口を手でかざした。――親指の付け根に奇妙な感触がある。それは歯だ。おそらく犬歯とよばれる箇所の。けれども、成人男性のそれとは到底説明のつかない鋭さ。

(な、なんで……! うそだろ? こんなのはありえねえぞ)

 仮性吸血鬼化の可能性がよぎった。だが、現代ではワクチンの接種は義務化されており、特に退治人や吸対などの職域では防止薬の定期的な服用が命じられている。プロフェッショナルならば、なおさら、仮性吸血鬼化などという失態を犯すものか。

 彼はポケットからスマホを取り出してカメラ機能を起動させた。アウトカメラには汚れた舗装タイルが映し出されている。あとは、ほんの少し画面をタップして切り替えるだけ。早く、はやく。彼は理性が立ちはだかるのを乗り越えて、画面に触れた。

 

 

 風が吹く。塵が舞う。賑わいを失った路上に赤い影がひとつ。それを取り囲むは数十人の退治人と吸対達。ある者は憐憫の、ある者は侮蔑の、ある者は失意の表情を浮かべていた。

 銀髪が静かに揺れる。晴天の大空を切り取ったような双眸はいまや暗晦としている。一歩、また一歩と足を運ぶごとに、向けられる武器の数が増えていく。

「止まれ」

 威厳ある声が行く手を阻む。悠然とした、それでいて敵意の籠った言葉だ。

「話が通じる理性が残っていてくれて助かったよ。我々としても馴染みの顔をむやみに痛めつけることは好まない」

 高位の肩書をもつ吸対の男は静かに拳銃を構えた。射線は寸分の狂いなく相手の心臓を捉えている。処刑台に立たされているというのに、彼は眉ひとつ動かすことなく、ただ瞳に暗澹とした輝きを湛えるだけだった。

「堕ちた退治人。いや、もはや吸血鬼か。――竜殺しの英雄を失うことは非常に心苦しいが、これが掟だ。市井の人々を傷つけたからには、おとなしく塵へと還るがいい」

 引き金に添える指に力が込められる。あと数ミリ指を引けばすべてが終わる。そんな死の淵で、ようやく彼は口を開いた。

「――ひとつだけ、訊きたいことがあるんだ」

 混濁していた光がほんの少しだけ整えられていた。か細い一筋にすべてが委ねられている。話してみろ、と男は答えた。

 

「『ドラルク』という名を知らないか?」

 

 男は静かに首を振った。その反応を受け止めて、彼はゆっくりと天を仰いだ。

「ああ、そうか――わかったよ。もういい、もう十分だ――」

 

 殺せ。そのたった一言ののち、月夜に銃声が轟いた。

 

「目標沈黙。――安らかに眠れ、ロナルド」

 撃ち抜かれた心臓から滔々と塵が零れていく。かつて退治人だった彼は、吸血鬼としてその生涯を終えた。

 

【D. ??? 起点】

 

 居候先の退治人が事務所から飛び出していったのは、ほんの数時間前の出来事だった。吸血鬼退治の依頼など新横浜ではいつもの光景、変わらぬ日常、歯牙にもかけない娯楽のひとつ。そうであるはずだった。そうであるべきだった。

 

「死んでしまうのかい? ロナルド君が……?」

 

 自らが呟いた内容に押しつぶされるようにドラルクは塵となった。何事もなく元の姿を取り戻すが、血色の悪い顔はさらに蒼褪めている。その腕に抱えられた使い魔は、ヌーヌーとなき声をあげていた。

「俺達だって信じられないんだ。でも、アイツはもう……」

 退治人仲間は苦虫を噛み潰したような面持ちでそう答える。その視線の先、ガラス一枚で隔てられた向こう側に、件の退治人は横たえられていた。何本もの管をその身体につながれて、規則正しい機械音につつまれて。

「どうしてこんなことに? 彼はアホのゴリラだが、退治人としての腕は一流だ。それがなぜ? 一体どうしたら彼がこんな目に遭うんだ!?」

「言っただろ! 俺達だって信じられないって!」

 ドレッドヘアの退治人は悲痛な声色で叫ぶ。聞いたこともないような大きな声だ。ドラルクは崩れかけた塵を再生させながら彼の言葉を拾っていった。

「……強い高等吸血鬼だったんだ。俺達も吸対も総出で相手をしなきゃならなくて。それなのに、アイツはどういう訳か単騎で突っ込んでいったんだ。俺がやらなきゃ、って」

「それで、むざむざと行かせたってわけかい?」

「違う! 俺達は止めたんだ! それでも……アイツは耳を貸しちゃくれなかったんだ。今思えば気絶させてでも止めるべきだったよ……。敵に向かっていく時のロナルドの顔は、あれは命を捨てる覚悟を決めた奴の顔だった」

 ふぅ、と息を吐く。ドラルクはそれから、もう一度ガラス越しにベッドの上を見つめた。先程と何一つ変わらない。残酷な現実が目の前に広がっている。

「――いつだったか、刺し違えてでも、と彼が話したのを聞いたことがある。きっと百人がかりで取り押さえても止まらなかっただろうよ」

 君達のせいじゃない。ドラルクはそう呟いた。その言葉はすぐに静寂へと飲みこまれていった。それから、重苦しい沈黙を無機質な着信音が破った。

「――俺だ。ああ、今病院で……そうか、すぐに向かう」

 電話の相手はおそらく仕事仲間だろう。何回か言葉を交わして通話を切った。退治人はドラルクへと向き直る。

「すまない、これから吸対で聴取があるんだ」

 彼の言葉に、ドラルクはひらひらと手を振って答える。

「私に構わず行っておいで」

 その退治人は軽く頭をさげると足早にこの場を去っていった。再び、沈黙がドラルク達を襲った。

 

 

 人間の死について深く考えたことはない。そもそも、死そのものについて考えたことすらない。なぜなら、死は自分にとってあまりにも身近で、あまりにも気軽なものだから。

「心電図は動いているんだけどね……」

 刻々と波形を示す画面を見つめる。あれが鼓動を示す証であることは当然知っている。

「あの沢山つながれている機械を止めてしまったら、ロナルド君は死んでしまうんだってさ」

 ドラルクは独り言のようにジョンへと話しかけた。ヌー、という声が返ってくる。

「それにしても、死んで元通りになれないのは不便だよね」

「ヌヌヌヌヌヌ、ヌヌヌイ」

 いつもよりきつく抱きしめられたジョンがそう返す。だが、主人はその手の力を緩めてはくれなかった。

「まったく、どうしてくれるんだろうか本当に。せっかく作った夜食が無駄になってしまうし、あの事務所の管理も私ではどうにもならない。収入だって彼が頼みの綱だったわけで、まあ、最近はいくらか投げ銭をもらえるようにはなってきたけど。とにかく、このままじゃ困るんだよ」

 人間の死について深く考えたことはなかった。身近な人間が死ぬことを考えたことも。死は自分にとって当たり前で、息をするのと同じようなことであるはずだ。もし、死について思いをはせることがあるならば、それは古代の人間が暇つぶしに哲学にふけっていたのと同じようなことだ。

「聞いておくれよ、ジョン。私はどうやらおかしくなってしまったみたいだ」

 ドラルクは震えながら語った。

「どうしてだろうね。とても寒くて、痛くて、苦しいのに……なのに、死ぬことができないんだ……」

 死んでしまえばすっきりできるだろうか。ドラルクは軽く壁を蹴った。反作用で身体が塵と化し、また形をつくっていく。だが、深海に突き落とされたような感覚は消え去らない。身体中が締め付けられ、呼吸がうまくできない。ゆっくりと暗闇に沈んでいくような感覚。そんな末恐ろしい感覚は、どういうわけか自らを死には至らしめてくれない。

「助けてくれ、ジョン。助けてくれ、誰か……」

 使い魔のアルマジロはポロポロと涙をこぼしている。

「まだ愉しみたいことがたくさんあったんだ。ロナルド君には長生きをしてもらって、退屈の無い生活を魅せてもらうつもりだったんだ」

 それなのに、なぜ。こんなにもあっけなく終わってしまうものなのか。ドラルクは必死に救いを求め続けた。そのたびに、虚しさが浮かんでは消えていく。

 

「――助けてください、御真祖様……」

 

 最後にそう呟いた瞬間、廊下の灯りがフッと消えた。

 

 

 突然の出来事に慌てふためいていると、背後に気配が集まってくるのを感じた。息を呑み、おそるおそる振り返る。そこにいたのは、一族の長であった。

 

「ハロー、ドラルク」

 

 どうしてここに、と問いかける間もなく、御真祖様と呼び慕うべき彼は音もなくドラルクの隣へと並んだ。そして、じっと中を覗き見る。

 

「人の子、このままじゃダメだね」

 

 うっすらと憐れむ表情を浮かべて御真祖様は呟く。それから、スッと視線をドラルクへと向けた。ドラルクはびくりと肩を震わせたが、すぐに彼へと向き直った。

「御真祖様……?あの、なぜここに?」

「助けてほしいって言ったから」

「……え?」

 唖然とするドラルクをよそに、御真祖様は一抱え程もある大きな黒い箱を取り出した。

「ロナルド君を助ける方法はあるよ。知りたい?」

 まるで夢のような提案だった。ドラルクは二つ返事で何度も頷く。そんな彼の様子を、一族の長は表情ひとつ変えずに見下ろしていた。

「じゃあ、これはドラルクにあげる」

 差し出された箱を受け取ると、それは見た目よりも軽かった。

「これは、一体?」

 慎重に蓋を開けて中身を検める。黒い箱の中には、真っ赤なクッションに護られた十余ほどの球と一枚の羊皮紙が納められていた。それらはまるで、イデアの世界から取り出されたかのような寸分の狂いもない物体で、七色以上の光沢を放っていた。――確か、日本ではこのような色を何と表現していただろうか。

「それを使えばロナルド君を助けられるよ。ただし、そのために何が起こるかはわからない」

 鈍く妖しく光るそれらを前に、御真祖様はただ静かに語る。

「――覚悟ができているなら使いなさい。たとえ引き返すことができないとしても」

 低く、突き付けるような口調で彼は話す。それはある種の警告でもあった。

「そんなこと、あの若造の目を覚まさせるためなら造作もないことですよ」

「……そう、わかった」

 そう言い残すと、御真祖様の身体は無数の蝙蝠となってどこかへと散っていった。

 

「ジョン、私達にはまだ希望が残されているぞ」

 

 ドラルクの口角が悍ましいほどに吊り上がる。爛々と輝く赤い瞳が、死に瀕した退治人へと向けられている。無邪気な子供のような想いが溢れている。一人の人間を死の運命から救い出す。そうすれば、この身を締め付けるような苦しみから解放されるだろう。

 

 ドラルクはまだ知らない――その選択の重みを。

 

 ドラルクはまだ知らない――その選択の行く末を。

 

 転がり始めた運命は、やがてあらゆる世界を巻き込んで還ってくる。その事実を、この時のドラルクは知る由もない。


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