君の顔が好きだ
平子真子の使っていた隊首室は家具は勿論埃一つ落ちていなかった。
確かにここには彼女が住み、時折私が訪れていた筈だが、そんな痕跡はおくびにも出さず、小さな部屋は静かに佇んでいる。
次の主、つまり私が気持ちよく使えるようにと業者を呼び、家具を別宅へ運び出し、畳を張り替え丁寧に掃除したのだから当たり前のことだが、そこまで徹底してこの部屋から何もかもを捨て去る程に、私はあの人のことを憎んでいたのかというとそうでもない。
平子真子は周囲に対して深い情を見せる一方、私を信用していない女だった。
新人隊士時代、声をかけられたので精一杯頑張りますと伝えると笑われた。
「惣右介はオモロイなァ」
あの人は私が隠した本性に気づいていて、私の心の奥底にある野望や醜悪なものも見透かされていた。
私以外へ向ける慈愛の瞳、軽薄そうな仕事振りの下に隠された真摯さ、そして何より隣で軽口を叩きながらも強く鋭い眼差しで私を監視する度に目を奪われた。
遅くまで仕事をしていたある日、執務室の扉を開けるとそこには淡い色の着物姿の平子真子が立っていた。
「……隊長?どうしましたか?」
驚きを悟られぬように出来るだけ平坦な声で問うたつもりだったのだが、何故か彼女の顔色が曇ったように見えた。
「あー、お前仕事終わったか?ちょっと一杯付き合えへんかなァと思ってな」
「これから湯屋に行くところですので」
嘘ではない。机の上には書類がまだ残っているし、風呂に入って汚れを落としてから読まねばならない書物もある。それにまだ眠りたくはない。
「おお。ならまた誘うわ。悪いな惣右介」
平子真子から誘われるなどこれまで一度としてなかった。彼女がどういうつもりで誘ってきたのか解らないが、これは好機ではないかと思った。
このまま逃してしまえば二度と機会はないかもしれない。それは嫌だと咄嵯に判断した。
「隊長、少し待っていて頂けませんか」
待ったを掛けると応じてくれた。
つい飲みすぎたが、酔い潰れたのは私だけだったので、やはり上手くいかないものだ。
「重たァ…ハァしんど。惣右介大丈夫か?水飲むか?」
「ありがとうございます……」
部屋に戻り冷たい水が喉を通っていく感覚すら心地よく感じられた。
横を見ると酒のせいで頬を紅潮させた平子真子が座っていた。触れたくて堪らなかった。
「今日はどうして僕を誘ってくれたんですか?しかも急に。何か企んでいるんですか?」
そう訊ねてみると、少し考えるような素振りを見せた後、
「ホンマはもっと早くに誘おうとは思ってたわ」と答えた。
「僕のことなんて今まで通り放っておけばいいじゃないですか」
「何や不満がないんか確認しとかな、お前すぐに俺を探しにくるからな」
思いの外、身を寄せ合うような形になり面食らうと同時に胸を締め付けられるかのような苦しさが襲ってきて戸惑う。
この痛みは何なのか。
「僕はあなたのことが好きなんでしょうか」思わずぽつりと呟いていた。
すると平子真子は目を丸くした後、苦笑いを浮かべながら私の背に掌を添えた。
「何で疑問形やねん。好きか嫌いかで言ったらどっちなんや」
「わかりません」意図的に身を寄せる。
間髪入れずに答えていた。酔っ払っているせいだろうか、普段では考えられない程に自分の感情を制御できていない気がする。
「わかりませんが、隊長に触れたいです」
抱きしめようとしたのだが、腕を払われてしまい叶わなかった。
「アホか。ここは店でも宿とも違う、お前の部屋や。誰か来たらどうする」
「余程の事がない限り誰も訪れません。隊士たちは皆寝ています。貴方だって僕に触れて欲しいでしょう?」
「……いや、別に?」
「嘘つきですね。さっきからずっと僕を見つめているのに」
瞳を見つめながら距離を詰めていく。逃げようとしなかった。
そのままゆっくりと唇を重ね合わせると、柔らかさと熱さに頭の芯が痺れていった。
舌を差し入れると絡めてきたが余りにもたどたどしく、慣れていない様だ。
それでも夢中になって貪るうちに、互いの吐息が荒くなり身体が火照っていく。
「……隊長の部屋に行きましょう。大丈夫、誰も来ませんよ」
耳許で囁きかけると、平子真子は小さく震えたが拒みはしない。
了承の意と解釈し、抱き上げるようにしてその場を離れた。
隊首室に入ると、灯りもつけないまま畳の上に押し倒した。帯を解き、襟を大きく開くと肌が現れる。
反応が可愛らしくて何度も繰り返すと、次第に甘い声を上げるようになった。
「……ンッ……ぁ……ああっ……そ、すけ……!」
名前を呼ばれると興奮した。羞恥心を煽ろうと意地悪を言う。だが彼女は首を横に振った。
「お前が上手過ぎるから仕方ないやろ」
一瞬言葉を失った。予想以上の殺し文句だったからだ。
「俺のこと女として見とってんな」
「見ています。ただ、愛も伝えない行為は虚しいと思いませんか?」
「酔っとるからそんなん無いやろ」
「…理解って貰えないのは残念です」
平子真子には理解できないだろう。
この人が欲しいという欲求ばかりが募っていて、惚れているとは言い切れない。
「でも、隊長が僕と寝てもいいと思ってくれたのは嬉しいです」
「俺初めてやのに……」
泣き真似をするその姿が可愛くて、つい苛めたくなる。
「優しくします。布団を引きましょう」
そう言って微笑むと、こくりと肯いた。
平子真子の中はあまりの狭さに痛みを感じたが、しかし同時に快感もあった。このままずっと繋がっていたいという欲望に駆られる。
やがて限界が訪れ精を放ち、平子真子も搾り取ろうとしてくる。
快楽に浸ったままお互い呼吸を整えていたが、しばらくして我に返った平子真子がこちらを見上げていた。
とんな理由だろうと私を受け入れてくれたことが嬉しくて堪らなかったし、私の子どもを産むのはこの人でなくてはならないのだと、本能的に感じ取っていた。
それから何度も体を重ねた。
私の子どもを孕ませたかった。私の子を産ませたかった。
そのためには回数を重ねなければと思い、可能な限り求めていた。
「隊長、僕以外の男と寝たりしないでくださいね」
「そもそも寝たことないわ」
「知っていますよ。僕だけのものになってほしいという意味です」
口説いてみたが結果はあっさりと袖にされる。
「背も高いスタイルも良いイケメン副隊長に言われると心撃たれるモンがあるわァ。でも俺は『もの』と違うしな」
「……」
「……何で元気になっとんねん」
「嬉しい言葉を頂いたので」
再び律動を開始する。
彼女の中はとても心地が良い。まるで私のためだけに存在しているように感じる。
「っあ!ん、んんっ……そ、すけぇ……!」
『お前と俺は違う』
正直な話、平子真子が私をどう思っているかなど些末な事だ。私は私の望みを叶える以外に興味はなく、それは死ぬまで変わらず燦然と輝く事実だった。
私を阻もうとする者は排除する。それが平子真子であってもだ。この人のことは気に入っているが、それでも邪魔をするならば容赦はしない。
何度抱こうと孕む気配を見せない平子真子に焦れ始めていた頃、日々は終わりを告げた。
平子真子は常に身体を与え監視していた筈の副官に裏切られ、仲間のいる横で辱めを受けながら屈辱的な事実を知り、叫びながら虚化した。
普通の女の様に柔らかな視線よりも、怒りと憎しみを孕んだ眼差しを思い出すと身体中の血流が激しくなり、腰元が重く疼く。この関係に置いて背徳は一番の快楽なのだと知った。
私の実験は失敗に終わり、平子真子は浦原喜助に助けられ、仲間を伴い尸魂界からの逃亡を図った。
あの人が何処の地で生きていようと、私を決して赦さないだろうと確信する度、胸が熱くなる。
この部屋で平子真子を想うと、まるでただ飼い主の帰りを待ち、探しにいかず家で待ちぼうけているだけの猫になったような錯覚をする。
どうかこの部屋があの人と私以外のものにならない様に。
今後、私がこの部屋を手放すときが来たとしても、あの人と居た空間で生活するのは、いつか私を癒す記憶となるだろう。
隊首室を後にして空を見上げると、美しい三日月が見えた。