君の美しい世界

君の美しい世界


 己の上司が苦手だった。

いい人だとは思う。思うからこそ。

 大抵の罪は裁くが見逃せるものは注意のもとであえて目を瞑る。そんなことをしているから世界は腐敗するのだと詰寄りたくなったのは数知れず、けれどだからこそ慕われているのだということも解っていた。

 歌匡とは違う。けれどどこか彼女に通じるものを持っている上司が、とても苦手だった。


なぜ罪人を許すのか。僅かな罪とて罪は罪だ。

その積み重ねが驕りとなり、許されざる大罪の上にこの世界があるのではないのか。


 けれど彼が拾い上げた幼子は彼のもとで愛を知り喜びを知り幸せを知り、朗らかに笑う。

この幼子の手は罪に汚れている。 生きるための罪なれど罪は罪だ。

「あのねあのね、お空にね、お花が咲いてたの!」

 初めての夏祭りで花火を見て興奮気味な声が耳を打つ。

「それは良かったね。きっととても美しかったのだろうね。」 

 頭を撫でると元気よく頷いた後、私が視えないことを思い出したのか、他の子供達と共に色紙で花火を作ってくれるらしい。

そうしたら形は伝わると思ったのだろう。

にぎやかな声に待つこと暫し。

「ほら東仙さん、花火。」

 渡してきたのは既に無邪気さは捨て去ったはずの、市丸だった。

 彼も花火作りには子供らしく参加していた。見事な演技だ。

そう思った次の瞬間、目眩に襲われる。果たしてどちらが、演技なのか…。


ありがとうと、受け取ったそれ。

結局色はわからないのだから美しさとしては何も伝わってこない。

ただ刹那に咲いて夜の闇に消えたその花に思いを馳せて何故か胸が痛んだ。

「受け取ってやってくれてありがとうな」

 上司が言う。その声の優しさが、嫌いなのだ――。




 私がそれを知ったのは慮った京楽が騒ぎになる前に気づいて教えてくれたからだ。

 目が見えないことで即座に気づけなかった。


「なぜこんなことをしたんだい、修兵。頬にそんなものを刻むなんて」

「……そんな多くの何も知らない者達のようなことを仰らないでください、東仙さん。貴方はご存知でしょう」

「君があの人に恩があるのは解っている。けれど今のあの人は…、どういう扱いか知らないわけではないだろう?これから院に入ろうというのにその墨ではあまりに不利になる。私に相談もなしにまさかそんなことをするなんて」

「申し訳ありません。確かに東仙さんのお立場も悪くするのかもしれないことまで考えが及んでいませんでした。貴方が盲目であることを利用したつもりも毛頭ありません。どうかお許しください。これだけはたとえ貴方にどれだけ止められても、俺はきっと同じことをしたから…」


 引き取って数十年。わがままらしいことは何ひとつ言わなかった子供が、初めて我を通そうとしている。

たが……

「危険だ」

「承知の上です。たとえ護廷があの方達をどう言おうとも俺にとっては違います。あの方の優しさも強さも全部、本当のことです」

「…………君は、それほど迄に慕いながらあの人の名前は呼ばないね。私に気を遣っているのかい?」

「いいえ。ただ、呼ぶと俺はただの小さな子供に戻ってしまいそうで」

だから、呼べないんです。

あの子はそう言って。


そのしばらくの後に、私の主が冷たい声で言った。

「面白い子がいるね」と――。






「俺には解りません東仙隊長!今のあなたは何を恐れているというんですか!」

ほら、そういうところだよ。

『悪』ならば即座に斬って捨てるべきだというのに君はまだ話を聞こうとする。

許して正すことができると信じようとする。

それこそが綺麗事だ。

そういうところが、君はあの人にそっくりだ。


氏より育ちとよく聞くが、結局君はどこまでもあの人の子だね。

なぜ解らない。

 世界は君たちほど高尚ではない

 美しさなどどこにもないのだ

 

要…と、呼ぶ声が聞こえた気がした。



「やはり、貴方はもう、東仙隊長じゃない」


それはちがうよ

もうではない。君がみていた東仙要こそが幻だ。

…ふと脳裏に折り紙の花火をわたしてきた幼い市丸の声が浮かぶ。

見事な演技だ。


みごとなえんぎだ……。


はたしてドチラが…?


 遠く、遠く、耳の奥、頭の奥で声を聞く。


要…。

東仙…。

とうせんさん…

東仙さん…。 


成長した君が、笑う。

堕落を恐れずにはいられぬほどの穏やかな日々が、幼いきみの悲しみの上に、あった。


世界とはそういうものなのだ。


ああ相変わらず、涙だけは零さないのだね。

でも知っているよ

君が涙を零さず泣いていること

それくらいの時間は傍に居た


さぁ戻る時間だ

君の世界を輝かせた人の元へ

戻りなさい

今度は幼い子供としてではなく確かな決意を抱いて

「刈れ 風死っ!」


よくできたね、それでいい。

もう戻れない者は殺して止める。

それがあの人では君に、もしもずっと傍にいたとしても教えられなかったかもしれないことだ。あの人は君を大切に思っているから。


さあ戻りなさい


君が美しいと信じた世界へ

その偽りを偽りと知っても貫き通せる、あの人と同じ強さを持って。



雲を払うと彼女は言った

見えないものを受け取ってやってくれてありがとうと彼は言った


 遠く遠く、声を聞く


あのね!お空にね、お花が咲いてたの!


ああそうだ、知っていたよ


世界はとても、優しくて美しいと


この世界に優しさはなく、ただそこに優しく強い人達が居るのだと…。


あの時もらった折り紙はどこにやっただろう

いつのまにか失くしてしまった


ただ、捨てた記憶は無い

ならばどこかに眠っているのだろう



 虚の力のおかげで得た視力で、意図せず開けた目でぼんやりと初めて、市丸の表情を見た気がした。


見事な演技だ。


さぁ修兵、最後にどうか、君の顔を見せてほしい


そして君があの人と生きていく、美しい世界を―――。




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