君と羊と青

君と羊と青


 「ねえ、トレーナー」


トレセン学園所属のウマ娘・トウカイテイオーは自らの担当トレーナーへと問いかけた。窓から見える景色は夕暮れ時。日は傾き、空は黄金色に輝いている。

呼びかけられたトレーナーは目の前のノートパソコンから目を離し、テイオーへ視線をやった。


「どうした?」

「いやー、ボクたちもコンビを組んでから随分経ったなってさ」

「そうか? まあ色々あったしな。クラシック三冠を目指したり、これからって時に故障に泣かされたり、波乱万丈ってやつだな」

「なになにカイチョーの真似? トレーナーにもやーっとカイチョーの良さが分かってきたのかな?」

「言っとけ」


 他愛も無い会話ではあるが、事務仕事で疲れ始めていたトレーナーには想像以上に心地良かった。テイオーの為とは言え、かれこれ小一時間は画面とにらめっこしながらキーボードを叩いていたのだ。ここらで小休止と洒落込むのも悪くなかった。

凝り固まった身体をほぐそうとぐっと伸びをしながら、先程の話題に思考を巡らせる。


(本当に、色々あったな)


思うのはやはり担当ウマ娘の事。出会いはテイオーと公園で鉢合わせたあの日だったとか、彼女がカイチョーと慕う稀代のウマ娘・シンボリルドルフへと宣戦布告した時の事だとか。無茶なトレーニングをして筋肉痛に泣いた日もあった。春も夏も秋も冬も超え、2人でトゥインクルシリーズを駆け抜けてきた。思い出すとキリが無い。

それ程に濃厚な日々をトウカイテイオーと過ごして来た自負がトレーナーにはあった。その中でも、一生忘れないであろうあの日。


「……有馬記念」


トレーナーがぼそりと呟くと、目の前のウマ娘は耳をぴんとさせて。呆れたように目を細めて言う。


「トレーナー、まだ言ってるの? ボクの活躍に感動するのは嬉しいけどさ、もう結構前の事だよ」

「それでもな。テイオーと一緒にやってきて色々あったけどあのレースだけは未だにはっきりと思い出せる」


度重なる故障を乗り越えての復帰レース。誰もが応援はすれども勝てるとは思っていなかった。担当トレーナー自身も、まずは無事に戻ってくる事を念頭に置いていたくらいだ。それが始まってみればどうだ。並み居る優駿を跳ね除けて、トウカイテイオーは奇跡の復活を果たした。感動のあまり喉が枯れ果てるまで叫んだのはあの日が最初で最後になるだろうと、トレーナーには確信めいたものがあった。それほどに衝撃的だった。この日の為に産まれてきたのではないかと錯覚を覚えた程だ。


「そーやって感極まるのさ、嬉しいけどそれ以上に恥ずかしくなっちゃうよ」


どうやら知らず知らずの内に涙ぐんでいたトレーナー。お気に入りの青と白色のハンカチで涙を拭う彼を尻目に、両手をパタパタと振ってやれやれといった感じでテイオーはトレーナーを咎めた。


「でもな……あの時のテイオーのかっこ良さはとても言葉じゃ」

「もー! 分かった分かったってば! これ以上続けちゃうと顔から火が出ちゃうよ」


漫画ならプンプンとオノマトペが書き添えられてもおかしくないと思える程に、テイオーは声を荒げてトレーナーに言い放った。それすらも可愛らしく見えるのがテイオーの魅力なのだが、ここでそんな事を言ってしまうと本気で怒り出してしまうかもしれないのでトレーナーは無理やり口を噤んだ。

それを見て、少し顔を逸らしながらテイオーはそっと呟く。担当には見えていないが、その顔は彼女らしからぬ憂いを帯びた表情で。


「ま、トレーナーがボクの事を大好きなのは良いんだけど……」

「……なんか言ったか?」

「なんでもなーい! トレーナーはボクを怒らせたバツとして帰りにハチミーを奢るよーに!」


さっき迄のしんみりとした雰囲気はどこへやら、いつものように快活な表情でテイオーは笑う。胸に秘めた思いはまだそっとしておくようで。

彼女の気持ちがトレーナーに届く日は来るのだろうか。その答えは2人だけが知っている。


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