君がエスパーじゃなくてよかった。

君がエスパーじゃなくてよかった。

だって私が悪いから。

「おーい。お疲れ? 目遠いよ」

「ん……んぅ、ごめん。ご飯作ってくれたのに」

「そうだよー? そんなあなたにはぁ……はい、口を開けて~」

「……はい、いただきます」

そうして彼は少し眉根を下げ困ったような笑みを浮かべながら、私が差し出した魚の煮つけを口に含んだ。咀嚼するごとに減っていく眉間のシワを見て私は内心ガッツポーズ。大変な時くらい好きなものを食べて幸せになってほしい、私ってばなんてできた彼女だろうか。

「春かぁ。大変な時期だね、あなたも、担当の子も」

冷たい風が吹き止めば、磨き抜かれた実力を持つシニア級ウマ娘たちのG1が、そして世代に一度だけのクラシック級のG1が、それぞれ幕を開ける。彼と担当は前者の方だ。

「俺なんて別に……頑張ってるのはあの子だから」

「そんな言い方しないの。この前のレース見たよ、2着なんてすごいじゃん。走った子を褒めた後は自分のことも褒めてあげるべきだよ~?」

頑張ったら褒める、これ大事。社会とか競争の冷たい風に独りで耐えられる人間なんてそうそういないんだから。

「でも今は下手っぴ期間だから、私が代わりに褒めてあげるとしましょう。すごい! すごくすごい! 頑張ってる! 日本一の彼氏~!」

わざとらしいかな? でも言葉にして伝える、これも大事。私たちはエスパーじゃないから言わないと伝わらないことだらけ。

思いつく限りの言葉でちやほやしながらビールの缶を差し向けると、彼は根負けして机に突っ伏してしまった。へいへい、好き好きアタックならまだ何時間だって続けられるぜぃお兄さん。あなたの彼女を甘く見てもらってはいけませんよ!

「……いつもありがとう」

「ん~? 聞こえないなぁ」

煽ってあげると、彼は勢いよく上半身を起こした。う~ん背筋が綺麗に伸びてる、10点(10点満点評価)。

「いつも支えてくれてありがとう! ご飯がいつも美味しくて感動してる! 担当のこと応援してくれて助かってる! 本当にありがとうございますぅ!」

ガツガツムシャムシャゴクゴクプハー、ここまでが一呼吸。そしてちょっと落ち着いた彼が力の抜けた笑みを浮かべる。

「素直でよろしい」

「いっぱい感謝してます、ほんと。言葉だけじゃ分かんないかもしれないけど」

「大丈夫だよ、伝わってるから」

そういうウソなんかつけなくてバカ正直なあなただからこそ私は好きになったんだから。だからあなたの言葉を疑ったりはしない。こんな素敵な人と相思相愛だなんて、私ってば本当に幸せなやつだと思う。

 

だからね、言わない方がいいこともあるって、私そう思うんだ。だってどんな思いも言わなければわからないから。

彼がうつらうつらと舟をこぐソファの向こう、テレビに映っているのはトゥインクル・シリーズに関するスポーツ番組だ。彼にとっては仕事の一環で、私にとっては趣味の一つ。私たちを出会いから今まで繋いでくれている大事な大事なもの。それと同時に、今は無くなってしまえばいいと心のどこかで思っているもの。

『──賑わいを見せる春のG1戦線。つい先日は名役者揃いの天皇賞・春が開催されました』

見た。彼が担当と挑み、届かなかったレース。私も一ファンとして自分のことのように悔しくなって、それと同時に彼の彼女として安心してしまった、グチャグチャな自分自身に吐き気がするような数あるレースの内の一つ。

『衝撃のレコード決着でしたからね~。上位入選のウマ娘たちは皆実力を発揮した素晴らしい結果だったと思います』

ああ、そうしてあの子の顔が画面に映る。映ってしまう。

『2強対決に待ったをかける激走、や~見事だったよ。経験はしっかり積んでるじゃない。そのうち何かのはずみでヒョイっと行っちゃうよこの子は』

シュヴァルグラン。

ダメだ。私はその名前が大好きで嫌い。そんなことを思ってしまう自分がもっと嫌いになる。

『ちょっと引っ込み思案なところはあるけど、いざ闘志を出すと別人みたいに強くなってさ──』

彼は何も悪くない。

『G1勝利にどうしても届かないのがすごく勇気を奪ってて──』

できること、やるべきことをやってるだけだ。

『──俺にできることなら何だってしてあげたい』

だから、弱いのがいけないんだ。

 

今はG1に勝てなくて落ち込んでいても、きっといつか勝つ。そこは疑わない。だって私は彼の頑張りを信じているから。

その後。勝ったらシュヴァルグランは何を思うだろう。解放感とか、安心感とか、色々を味わって。落ち着いたあの子は自分が誰のおかげで勝てたのか気付くかもしれない。どんな時でもそばにいてくれた人に気付くかもしれない。その「恩義」が「好意」に変わることは──絶対にない、なんて言い切る勇気が私にはない。それから彼がその好意を向けられて頷かない、それも私には言い切れない。そこを信じ切れないなんて彼女として恥ずかしい、だから彼には言わない。

本当は99.9%信じてる。もしそうなっても彼は間違わずに私を選ぶって。私のことを本当に大事に思ってくれているのは伝わるし、教え子と関係を持つような人じゃない。

でも0.1%を捨て切れない。だって勝ったらあの子はそれ以下の確率のG1勝利を掴んだ子だ。外見の良さなんか私とは比べ物にならなくて、まだまだ若くて将来が約束されてて、家族も裕福な子に更に幸運まで持たされたら、私みたいな普通の女は手も足も出ない。

それでも応援してしまった子に勝てないままでいてほしいとも思えなくて。心グチャグチャで不安になりながらよく頑張ってる、なんて自分で自分を褒めたって見苦しいだけ。だって私が中途半端に弱いのが原因だから。

 

私がもう少し弱ければ。彼に不安を吐き出して楽になれるのかもしれない。

あの子が実力を見せなければ。どこかで諦めて消え去っていたかもしれない。

私がもう少し強ければ。こんなみっともない独り相撲をせずに済んだかもしれない。

あの子が実力を証明してたら。いっそ私にも諦めがついていたのかもしれない。

 

全部全部、どこまでも独りの心の弱い女の下らない妄想でしかなくて。

教えてくれるなら誰でもいい。誰が弱いのがいけないんだろう。

シュヴァルグラン? それとも私?


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