名は自傷行為
「マサキ」
「ん、僕に用か?どないした」
近頃高校なるものへ通い始めた姪の世界には、毎日はじめて見るものはじめて知ることで溢れている。学校から帰って来て、鞄を自室へ放り投げると、順々に家族たちへと話して聞かせる彼女の顔は生き生きとしていて、外を見せて良かったと、その度に思う。
その話を、皆に混じって話を聞くことはあっても、彼個人に少女が伝えに来たことは今まで一度も無かったので、男は首を捻った。
「アタシのオトンって、どんな人」
「は、」
それだけは飛んでこないと思っていた言葉に、思わず瞠目する。聡い彼女は、『ソレ』が触れてはいけない話題だと分かっているらしく、一度も尋ねられたことはなく、真生たちも少女のその聡明さに甘えて話題に出したことはなかった。友人との話で、父の話題が出たのだろうか、と思考を回す。友人、と自分の中で話題が巡ったことで自己嫌悪するが、目の前の姪の手前、おくびにも出さない。
「どうしても、気になるんか」
「うん」
「さよか。しゃあない教えたる。キミの父ちゃんはな────」
「僕やねん」
「⋯⋯⋯⋯。」
「そんな訳、あるかァッ!!!」
ツッコミと共に振り抜かれた拳を、男はひょいと躱して笑う。こらまたエライ元気になったなあと感慨深い様子で言うので、少女の額に青筋が浮かんだ。
「辛い思いをさせると思て、大きなるまで教えるつもりは無かったんやけど。知りたいならしゃあないわ。キミは僕と真子のめくるめく近親相姦の果てに産まれたんや。しゃあけどどーにもアタマ固いウエのお歴々からの理解が得られんでしかし僕らの誓った愛は不変、逃げるように⋯⋯」
「嘘や!ぜぇっったい嘘や!!ほななんでひよ姉たちまで巻き添え喰っとんねん!アタシ知っとんねんで、浦原さんたちも同し理由で尸魂界に居られんようなったんやって!」
いけしゃあしゃあと宣う伯父の言葉を遮って、少女は叫ぶ。
語気強い剣幕で怒る少女は、記憶の中の友人に似ている。自分や妹の飛ばす冗談を一刀両断する所なんかが、特にそっくりである。最も彼が声を荒らげる所は見たことが無かったけれど、ふとした仕草だとか、ちょっとした言葉の選び方、間のとり方なんかが彼に似ていて、普段はどちらかといえば妹に似ている少女の、そういう所が垣間見える瞬間彼は自分の罪を突き付けられた心地がして、息が詰まりそうになる。
正面から少女の鳶色の瞳を見つめるのが、いっとう苦手だ。
「ラブも拳西もハッチもローズもひよ姉もリサ姉も、皆父親の事聞いたらマサキに聞け言うから来たんに!」
「白ちゃんは?」
「マシロちゃんは知らん言うてた!」
正しくは知らんやのうて忘れたやねんけどなあとどうでもいいことを考える。それにしても、と残りのメンツに思いを馳せる。ミンナして僕に押し付けやがってという怒りと、気ィ使われたんやろうなという申し訳なさの狭間で真生の口からは溜息以外を出力できなかった。その気の抜けた様を目敏く見止めた少女は、伯父の襟元を掴んで前後に揺さぶる。
「マサキも皆も、『知らん』とは言わんって事は、皆検討ついとんねやろ、アタシの父親!」
そう、こういう聡い所も苦手だ。真実を求めるところも。
「やから僕やて言うとるやろ。せやなあ、喜助くんに頼んでDNA鑑定でもする?マ、そもそも僕と真子が一致すんねんけど」
ドゴッ。
とうとう少女の拳が男の顔にクリーンヒットした。咄嗟に背面に無詠唱で結界を張って、アジト全体を覆う結界にダメージを入れない様にする。それくらいの力量差が、少女と男の間にはあった。
「ハー、イッタァ⋯」
少女が駆け出して行ったのを認め、鼻血の出るのを押さえて真生は起き上がる。態と一発受けたことに、あの子は気付いたのだろうか。近頃どうにも彼女の周りの女性たちが色々と教えたようで、その威力は上がっている。
少女はそのままアジトを飛び出して行ったようで、霊圧感知で友人宅へと駆け込んだらしいのを見付け、問題ないかなと再び嘆息した。
「ようあんなペラペラペラペラ嘘が出てくるもんやね」
「リサちゃん、いつからそこに?」
「はじめっからや」
箱ごと突き付けられたティッシュをありがと、と言って受け取り、鼻頭に手を添えた。床に座りこんだままの真生を通り超えて、リサは吹き飛んだ衝撃で倒れた本棚の中身を戻し始める。そちらをちらりと振り返り、真生は床に転がった。
「僕らがな」
「うん?」
随分の静寂の後、突然声を上げた彼に逡巡して、リサは結局独り言にはさせずに続きを促した。
「僕らはいつか、この隠れ暮らす生活から飛び出していかないかんやろ。」
「場合によっては、喜助くんら含めて、僕らみーんな尸魂界に戻らなアカンなるかもしれん。そうなった時、あの子の父親のこと、見る人見たら判るやろ。そん中に心無い人が居るかも知らん」
いつもは纏めている長い髪に隠れて表情は読めない。指先が宙で円を描いているのは、彼が思考している時のクセだった。
「いつまでも、僕らの庇護下の子どものままやないよ。けど、たった一厘でも、僕が父親かもしらんってアタマ過ぎったら、阿呆らしいて気ィ楽んなるやろ」
「と、思たんやけどな。上手くいかんもんやね」
パッと飛び起きた真生は、いつもの通りに苦笑する。気が滅入った時ほど茶化した話し方をするのは、これも、リサたちがよく知る彼のクセだった。
「⋯⋯マサキ、アンタにええ事教えといたるわ。覚えとき。あの子はなあ、あたしらが思とるより、ずーっと強いで」
「⋯⋯そうやね」
「何な?」
「いんや?リサちゃんにもよう似て、強くてええ子に育ったみたいで、安心したわ」