同胞殺しと集合の話③

同胞殺しと集合の話③


「かっかっかっ、ガキ相手にイキってボコられてた大人共が尻尾巻いて逃げやがったぜ」

 日の当たらない泥の細路地に、狼の少年の上機嫌な声が響く。

 硝煙の匂いと、微かな血の斑点。そして負傷しているもうひとりの少年と少女。喧嘩の際生じた砂埃が、そこには未だ薄く漂っている。

「…大丈夫か?」

 片翼の少年、シュライグはしゃがみ込み、横向きに丸くうずくまっている少女に声をかけた。髪に邪魔され、少女の顔は見えない。

「……キミこそ大丈夫なの」

「大した怪我じゃない。立てる?」

「………ごめんなさい」

 動かない少女が口にしたのは、答えではなく謝罪だった。

「私が泥棒猫なの。キミの財布を盗んだんだ」

「これは、あげるよ」

 少女の目の前に、中身を入れた財布を置く。

 少女は動かない。息をひとつ、深く吸い込んだ。

「…………どうして……?」

「俺のことを覚えてるか?」

「え……?」

 少女はようやく顔を見せた。蹴られてできたものであろう傷が痛々しい。

 鳥人の少年を眺め入った金の瞳はしかし、すぐに翳りを見せた。

「………。

 ごめんなさい……。どこかで……会ったこと、ある…?」

「………いや、覚えてないなら、いい。とにかくこれはあげる」

 落胆か安堵か。蒼い眸子をかすかに揺らした少年を、少女はまだじっと見つめていた。少女の瞳にもまた、一言では言い表わせないような戸惑いが見て取れる。

 その目が、シュライグの背後を見てビクリと止まった。

「おいおいマジであげちゃうのかよ」

 得意気に銃をくるくる回しながらルガルが寄って来たのだ。

「お前が死にそうな思いして集めた全財産なんだろ?お前の自由だけどよ、理由くらい聞かせろよ」

「……以前、この子に助けられた」

「へえ?泥棒猫が?」

 ルガルは胡散臭そうに少女に目をやる。

「……キミ……、そっか、あの時の……」

 少女はようやく思い出したようだ。のろのろと起き上がるが、それでもシュライグが置いた財布に触れようとしない。

「その、ずいぶん雰囲気が変わっていたから…。ごめんなさい……」

「謝らないでくれよ。こっちこそ…、あの時は、ありがとう。本当に」 

 ルガルは少々居心地悪そうに、フ、フーンと半歩後ずさった。

 ようやく言えた。彼女の怪我の状態を一応確かめて、ひとりでも大丈夫そうなら自分は立ち去ろう。満足したシュライグは立ち上がることを促そうと少女に手を伸ばし――そこで気が付いた。

「……噂の泥棒が君なら、結構盗んでるんだよな?」

「……うん」

「なんでそんなにボロボロなんだ?」

「…………」

「妹…だよな?一緒にいた子はどうした?どこにいるんだ?」

「…………」

 少女の手はシュライグの手を取ることなく、地面についた。

 そして、少女の頭も。

「お願いします」

 きれいな姿勢だった。

 土下座に慣れている。

「このお金を私にください。妹を助けたいんです」















「なるほどなあ…」とルガルの声。

 キットという名の幼い女の子は眠っていた。

 少女の妹だ。襤褸布に包まれ、浅く速い呼吸で痩せた胸を小さく上下させている。

「流行り病だって。だから、あんまり近づいちゃダメ。……私にも」

 その冷たい手に触れたルガルを少女は遠ざける。そこでキットが目を覚ました。

「リズねえ…。おかえりなさい」

「よく頑張ったねキット。もう大丈夫。今度こそ大丈夫だからね」

「リズねえはだいじょうぶなの…?」

 少女はその問いを、顔の怪我のことだと受け取ったようだ。

「うん。この人達がね、助けてくれたから」

 キットは弱々しい瞳でルガルを、シュライグを見つめる。シュライグと目が合うと「あっ」と口を開き、振り絞るように笑って少年達に「どうもありがとう」と掠れた声で礼を言った。

「リズねえがいなくなっちゃったら…わたししんじゃうから。たすけてくれてありがとう……」

 体力が尽きたのか、落ちるようにキットは再び眠りについた。少女は細い身体で妹をギュッと抱き締め、抱える。その目にはまた力強さが戻っていた。

「お医者さんに診せるの。だからこのお金…使わせてください」

「もちろん。………それと、一応俺も立ち会うよ。ぼったくられたら医者を殴るくらいはできる」

「本当に…ありがとう。私もお返しするから…」

「ま、一件落着かね?」

 路地にかかる日で伸びる3本の影。そのうちのひとつが遠ざかった。シュライグが賭けの件を思い出さない内にと、そろそろと離れたルガルだ。

「キミは行っちゃうの?」

「礼なんかいらねーや。これに懲りたらもちっと余裕を持って盗みやるんだな。そんじゃお元気で」

 背を向けたまま手を振り、そそくさと去っていく狼の少年。シュライグと少女も手を振って見送り、回れ右して急ぎ診療所へと足を進めた。






 狼の少年は歩く。

 歩きながら、胸中の引っかかりの正体を探っていた。

 今尚手に残る、冷たく湿った感触。

 故郷で起こった出来事。

 起こした出来事。

 自分がこうして、ひとりで生きるきっかけになった事件。

 女の子の小さな冷たい手。

 地面に散らばったシュライグの金。

 少年の足がぴたりと止まる。

 流行り病。2人分。

 妹の方はあの感じだと入院が必要か。

 少年はちょうど、少し大きめの通りに出たところだった。

 その喧騒に入ることなく、ルガルは考える。そして呟いた。

「あれ、足りなくねー?」

 その独り言を聞く者は、誰もいなかった。










「いいだろう。治してやる」

 老婆の医師は金を数え終えると、いくつかの書類を少女に渡した。少女にも読めない箇所がいくつかあるようで、医師は口頭で説明する。入院契約書、治療行為の同意書、等。

寝台で震えながら眠る妹を心配そうに見つめたあと、少女はそれらにサインしていく。

 その表情が、苦痛に歪んだ。医師は眼鏡を光らせ、俯く少女に嗄声で問いかける。

「あんたはどうすんだ」

「やっぱり足りませんか」

「足りないね。言っとくがウチは治療が終わった時点でほっぽり出すよ。あんたの妹みたいな小さな子でもね。あんたが病死して、妹が野垂れ死のうが知ったこっちゃない。面倒見てやるのは入院中までだ」

「かまいません。今からでも、預かってもらえるところを探します」

「あたしゃ、共倒れするよか妹を諦めて、あんたが治療を受けた方がいいと思うんだがね。そっちのが建設的だ」 

「ちょっと待て」

 少女が口にしようとした否定の言葉を遮ったのはシュライグだ。

「この子の治療はしてくれないのか」

「金を出せばする。出すのか。出さないのか」

 シュライグは眼鏡の奥、皺に囲まれた老婆の瞳を睨みつけた。老婆もまっすぐに彼を見つめ返す。鈍色の眼は一切のブレも見せない。押しても引いても動かない。脅しも情も通じない。そんな色だった。

 どうする。シュライグは考える。医師はぼったくっているわけではないらしい。少女はこのまま自分を諦めるつもりだ。一か八か暴力で脅そうかとも考えたが、そんなマネをしたらきっと少女の妹まで助からなくなる。

「……金なら……、出す。用意する」

 既に一文無しの身であったが、他に方法は無さそうだ。

「やめて。いいの。これ以上迷惑かけられない」

「いや、稼いでくる。待っててくれ」

「ちょっと……!」

 制止する少女を無視して出口へ。シュライグが手をかけた扉が――勝手に開いた。

「おわ」

「よお」

 入って来たのはルガルだ。もたついていたシュライグを押し退け、奥に座っていた少女に何かを投げ渡す。割と重量がありそうだ。

「これ……」

「必要ってんなら使いな。俺の気が変わらないうちに」

 布袋の中には、大量の金。

「足りるか?バアさん」

「十分だね。どうする」

 医師は少女に書類を突き出した。

 手の中の布袋を見つめてしばし固まっていた少女はしかし、医師にそれを渡そうとしない。

「………本当にありがとう。でも…、私は……」

 シュライグも、ルガルも、ただ少女を見据えた。妹の寝顔を見て、震える手で妹の頬に触れる少女を。

 静かだった。「後ろがつかえてる」と老婆が急かす。

 大きく俯いて、医師に向き直った少女は再び顔を上げた。背を向けているので、少年達からはその表情は窺い知れない。

 一瞬の逡巡ののち、

「このお金で、私も治してください。よろしくお願いします」

 少女は布袋を医師に差し出した。




 診察室の奥に消えていく姉妹を見送り、シュライグとルガルは診療所を後にする。

 人がまばらな道をふたりで歩いた。

「ルガル、あの金どうしたんだ?」

「銃売った」

「えっ……」

 確かに、少年の腰にぶら下がっていた得物は消えてなくなっている。

「あれ、大事なものなんだろ?」

「あんなもん俺にはいらねー。俺軍人だぜ?格闘の訓練だって受けてる」

「まだ子供だろ。それに軍人がこんなとこほっつき歩いてていいのか」

「もう軍属じゃねーし。 …逃げてきたんだよ」

 …ああ。

 そうなのか。

 シュライグは声には出さなかった。

「本当に軍にいたんだな」

「そうだっつってんだろ」

「軍人っていうか。少年兵だろ。元」

「そうとも言える」

 日はすっかり傾き、少年達の影は路地にいっそう長く伸びていた。

 影が示すその先は草原。徐々に茂りを濃くする草が踏み固められた土を隠していく。道は途切れようとしていた。町外れに差し掛かったのだ。

 少年兵。

 その存在くらい、シュライグも知っている。時に戦闘員、時に弾と地雷を避ける為の肉盾。兵とは名ばかりの鉄砲玉。 

「逃げてきたって…。追われないのか」

「追われてるかな。追われてるかもなあ」

 シュライグは賭けのことを思い出したが、それを掘り返す気にはならなかった。

「どうするんだ?行くあてとか、あるのか?」

「あったらこんなとこうろついてねえよ」

「これから…どうするつもりなんだ?」

「さあ?」

 ルガルが取り出したのは木の根。いざとなったらこいつを目一杯使うんだ、とシュライグに嗅がせてくる。

 麻薬の匂いだった。

「それがあれば怖くないって?」

「死にたくねえし死ぬのは怖いし死ぬ気もねえよ。ま、お守りだな」

 断じて、お守りなどではない。

 それを使う時は、本当に終わりの時だ。

「それも売って何か食べよう」

「お前人の話聞いてた?売れねーよ」

「いや売る」

 ひゅ、と風を切る音。

 早業でルガルから麻薬の入った袋を掠め取ったシュライグは踵を返す。が、「待てコラァ!」という怒号とともに放たれたチョップを後頭部にまともに食らった。

「ルガルお前、本気で逃げる気ないだろ」

 頭を抑えて振り返る。袋をひったくろうとする手をひょいと躱して少し距離をとった。

「死ぬ気はねえっつってんだろ!」

「じゃあこれもいらないな」

「逃げ切れるわけもないだろうが!」

「どうするんだよ」

「しらねーよ!」

「俺は力になるぞ」

 飛んできた拳を受け止め、シュライグはまっすぐルガルを見つめた。

「こんなガキ、軍相手には頼りにならないかもしれない。いよいよ追い詰めるられたら、その時は囮にでも盾にでも使っていい。けど生きる上で、協力者はいた方がいいだろ」

「お前…、お前ホント、世の中ナメてない?信用できるわけねえだろ。軍に売る気か?今は本気でそう言ってても、いずれ、切羽詰まったら裏切るんだろ?なあ」

「売らない。裏切りもしない。少なくとも、俺はルガルを信用できる」

「死ぬかもしれない怖さをわかってるか?飢えとか病死じゃない。暴力で殺される怖さを」

「わからない。でも、喧嘩ならルガルより俺の方が強いぞ」

 そこまで言ってみると、ルガルは一旦黙った。目と口が開いたり閉じたりしている。口は何か言いたげに。目は少々血走っている。

「ナメられたもんだな。本当に」

 空気が張り詰める。その中心にいた狼の少年はポキポキと手を鳴らし、ゆらりと近付いてきた。

「午前中のあれが俺の本気だとでも思ったか?やっぱり、お前にゃわからせてやらないといけないみたいだな」

 構えをとる。シュライグは見たことがない。ストリートファイトのそれとは違う、恐らく軍式格闘術の整然とした構えだ。

「……世の中の怖さ、厳しさってやつを」

 片手に物を持つ余裕はなさそうだ。ルガルの麻薬をポイと後ろに投げ、シュライグも我流の構えをとる。

 袋が地面に落ちる音。

 動き出したのは、両者、ほぼ同時だった。



 とっぷりと日が暮れた地雷原。

 シュライグよりも、頭3つ分くらい大きな切り株。そこにボロのトタンを立て掛けた、雨を申し訳程度に凌げる家とも言えない家。そこがシュライグのナワバリだった。

 ようやく、その主が帰宅する。顔も身体も痣だらけ、目には青タンをつけた狼の少年を伴って。

 目立った傷の見えないシュライグはどうぞどうぞと椅子代わりの枯れ木をルガルに勧めた。尻尾を丸めた少年はトボトボとそれに従う。

「ところでシュライグさん。喧嘩の仕方とか、誰かに教わったの?」

「いや、自己流。数重ねただけ」

「そう。自己流。ルガルさん自信なくす」

「ルガルだって強いぞ。ほらさっき買ったやつ、まだあったかいうちに」

 シュライグはミートサンドをルガルに持たせ、自分は飲むための水を鍋で沸かし始めた。

「銃も売っちゃったし薬も売らされちゃった。ルガルさんの心はもうバキボキ」

「おかげでごはんがおいしい」

「頼むもういっぺん殴らせてくれ」

「受けて立つよ」

「イタダキマース!」

 焚き火の光の下、少年達はもぐもぐと肉を挟んだパンを齧る。

 ルガルとは当面の間、協力関係を結ぶことになった。結ぶことにした。

 あの子は大丈夫だろうか。シュライグは不在の少女を想う。

 小さな妹を抱え、盗みも働いて必死に生きてきた少女。自分を救ってくれた、生き方のお手本。もし頷いてくれるなら、彼女とも手を結びたい。生きる手助けをしたかった。もうあんなに傷付くことのないように。


 







 4日後。

 シュライグはそれを少女に伝えた。

 協力して生きないか、と。

 同じくシュライグのナワバリ。そこにはすっかり元気になった姉妹の姿があった。

「……本気?私、泥棒猫だよ?」

「どうやらこいつは本気らしい」

 代わりに答えたのはルガル。深々と先日の礼を述べた少女は、返ってきた予想外の提案に戸惑いを隠せないようだ。そう、本気だ、とシュライグも付け足す。

「一緒にいれば、今回みたいに危ない目に遭うことも少なくなる。病気とか変なトラブルが発生しても、協力すれば解決できるかもしれないだろ」

「私を信用するの?たくさん盗んで、………殺しまでやった、私を。……病気も持ってるかもよ?」

 少女の瞳は揺れていたが、あくまで真正面からシュライグを見つめる。そこには痛々しい傷跡が未だに張り付いていた。

 対するシュライグは静かなものだ。何を聞かされても、彼の心は変わらないだろう。

「盗んだのも……、殺しだって、きっと必要に迫られたからだろ。俺には、君が進んでそういうことをするような人間だとは思えない。力を合わせてさ、もうそんなことしなくてすむようにできないか」

「ちなみに、出頭するのはオススメしないぜ。ロクに取り調べもされずに殺されるのがオチだ」

「病気なのかもしれないなら尚更。誰かと一緒にいた方がいい」

 少女は目を伏せた。キョトンと見上げる妹をきゅっと片手で抱き寄せる。

「お母さんからよく聞かされた。狼の獣人は獰猛で残忍だから近寄るなって」

 シュライグはルガルに目を向ける。「間違っちゃいねえな」と狼の少年はうんうん頷いた。少女は続ける。

「商人だったお父さんからはこう教わった。鳥の獣人は弱いのに恩知らずだから関わらない方がいいって」

 少女を見上げる妹は、ぱちくりと澄んだ瞳を姉に向けた。「うん」と囁く声は少女の口から。姉妹は目だけで言葉を交わしたようだ。

 少女は顔を上げた。

「でも、キミ達はそうじゃないね」

 初めて見せる、穏やかな微笑みを。

「一緒にいさせてくれるなら…、こんなにありがたいことはないよ。私もたくさん、お礼したいしお詫びもしなきゃいけない。キットと私の命の恩人で……私が盗んでしまった人だから」

 ――キミ達が受け入れてくれるなら。

 妹と私を、仲間に入れてください。どうかよろしくお願いします。

 シュライグの差し出した手を、今度こそ少女は取ったのだった。

「仲間。仲間ねー…」

 そこへ水を差すルガル。

「こいつが弱くて恩知らずかどうかは知らねーがよ、少なくとも俺は獰猛で残忍な獣人で間違いないぜ」

「それはないだろ」

「うん、ないね」

 シュライグと少女は即座に否定するが、ルガルは不服そうだ。

「俺も人殺しだ。それも同胞殺し、仲間を殺したんだ。そんな俺と一緒にいられるのか?次殺されるのはお前らかもしれないんだぞ?」

「でもお前銃売ってくれたじゃん」

「ナイフでざっくり殺るかもしれないぜ?」

「でもお前ナイフじゃ俺に勝てないじゃん」

「寝込みを襲うかもしれないだろ?」

「お前そんな趣味があったのか」

「ねぇよ!」

「ねえルガル。詳しいことはわからないけど故郷の人から追われてるかもしれないんだよね?私も力になりたいんだけど…」

「なんなんだよてめぇら…。鳥の獣人は雑魚で猫の獣人は没義道なんだろ?なんだってんだ…」

 少女はルガルにも握手の手を差し伸べたが、その手が取られる気配はない。狼の少年は本気で困惑しているようだ。

 そして、困惑しているのはシュライグも同じだった。

「ルガルはそんな風に教わってるんだな」

 少女もさっき似たようなことを言っていたな、と思い返す。

 狼の獣人は獰猛で残忍。

 猫の獣人は没義道。

 少女とルガルを見る。未だに手は交わされていないが。

 断言できる。そんなこと、ある筈がないのだ。

「じゃあなんでそんな猫の獣人を助けてくれたのさ」

 声を上げたのは少女だった。

「……さあ?」

「私はお父さんのこともお母さんのことも好きだし尊敬してる。両親から教わったことは正しいことも多いと今でも思っているよ。でも」

 ひとつ区切られた少女の言葉に、パチッという音が挟まる。彼らが囲う火で影が揺れた。

 少女の瞳は、もう揺れていない。

「今はキミたちを信じる」

 火を眺めていたルガルは軽くため息をつく。

「そーかよ」

 そうして、ようやく少女の握手に応じたのだった。


「で、さっきから協力だのなんだの言ってるけどさ、具体的にこれからどうすんの?」「ねー」

 どかっと腰を下ろしたルガルはシュライグと少女を試すように訊ねる。

「ねーねー」「キット、ちょっと待ってね。年長組は話し合い中」

「どうしようか」「ねー…」

「ノープランかい…。また地雷原歩いて稼ぐつもりじゃ」「ねーってば!!」

 少女に宥められていたキットが声を張り上げた。

「ルガルってさ、おいかけられてるの?それとも、せっきょくてきにおわれてるわけじゃないけどもしみつかったらあぶないってかんじ?」

「ああ?」言葉を遮ってきた幼女の突然の問にルガルは戸惑うも、「まあ後者かな。ガキに人員割くほど向こうもヒマじゃなかろう」と答えてやる。

「じゃあ、だれもこないようなとこいけばいいんだよね?」

「キット、なにか考えがあるの?」

「うん。あそことか、いんじゃないかな?」

「あそこ?」

「てつのくに」

「てつのくに…」

 シュライグは座り込んだまま、低く立て掛けられたトタンを見上げる。てつのくに。聞いたことがない。

「鉄の国?ま、たしかにあそこにゃ誰も行かねえな。生き物は行かねえ」

 ルガルはやれやれと言わんばかりに肩をすくめた。

「お嬢ちゃん、知ってっか?鉄の国は行かないんじゃなくて行けないんだよ。土も水も汚れてて生きていけないんだとさ」

「しってるよ!こーどく!」

「こーどく…?とにかく俺らがもうちょっと現実的な案を出すから」「どくはけしちゃえばいいんだって!」

 身を乗り出した幼い少女の瞳はキラキラ輝いていて、年長の少年少女とは対照的だ。

 少女はそんな妹の様子を見て、なにかの確信を得たようだった。キットの背中をぽんと押して、「ちょっと話を聞いてあげて」と少年たちに促す。

「んーとね」斜め上を見上げ、小ぶりな顎に人差し指をちょんと付けて幼女は続けた。

「あそこのどくはかざんからでてるさんせいどくすいがゆらいなんだけどね、さいきんのけんきゅうでちがうばしょのどうしゅのどくをちゅうわできたってはっぴょうがあったの。ぐたいてきにはベザル著『ベリアタン電離誘導に関するテルダ、スビアイト比較研究』27ページから42ページにおけるきじゅつのとおりだよ。きぼがちがいすぎててつのくににはまだだれもてをつけないとおもうんだけど、しょうにんずうでほそぼそといきるぶんにはウァ素加震反応とのへいようでかわをじょうかすればいいかなって。それにわたしがおもうにスプライト放電現象をりようすればもっとこうりつてきじゃないかな。ちょっとあぶないけど、つちもおなじようりょうでぶんかいちゅうわしてやれるしね。じょうかせつびができるまでは『ミッカスイトウカズラ』をうえてみずをかくほするの。どんなとちでも3日でのみみずがつくれるんだよ」

「……」

「……」

 情報量が多い。「?」の文字も浮かばないほど、脳が処理に困っているようだ。

「えっと…」こめかみに指を当て、手探りで言葉を探すようにルガルが声を出した。

「つまり…、毒は中和できるかもってことだよな?」

「かもっていうか、できるよ!」

「けど、中和できるまでの生活ってのがあるだろ?水は大丈夫とか言ってたけど食べ物とか…、全部持ち込みってのも難しいんじゃ」「だいじょうぶ!」

 キットが持ち込んだ袋から出したのは、端がところどころ破けた大判の紙。地図だ。

「いまここで、こっからしたがてつのくにね。じょうほうがなくてここまでしかかかれてないけど…」

 小さな手で南西を示す。シュライグの視線はそこではなく、等高線により高く記された場所に行った。

 文字は読めないが、すぐにわかった。自分の生まれた地だ。

 遠く…、飛べない自分は、流れ流れてここまで歩いてきた。てつのくにという地は更に遠い。

「ここのよこっちょのうまのぶぞくがね、トロッコをつくったみたいなの。じぶんたちがはしれないところをはしれるようにしたんだって。で、てつのくにのきかいせいめいたちととりひきはじめたっていうごくひじょうほうをにゅうしゅしたの。このトロッコ、とりひきしてつかえるようにしてもらえば…」

「えっと…、取引なんて…、交渉材料はどうすんだ」

「こうしょうなんてねー?やりかたおぼえたらいくらでもできちゃうよ?……たぶん」

 ちっちっちと指を振り、したり顔て返したキットは更に何か取り出した。

「もてないからいくつかほんはおいてきちゃったけど、とりあえずこれならあるよ。『ドクトル・トラヴィチ流実践交渉術〜洗脳コミュニケーションであの子をオトせ!』。ルガルもよんでみて!」

「……」

 口を半開きにして本を見つめたルガルは、マシンガントーク撃ち方やめにした幼女の姉を向く。

「なに…?この…、なに?お前の妹、なに…?」

「なにって…。天才だけど」

「キット、それ、俺も読んでみたい」

 固まるルガルに割り込んでシュライグも本を見た。

 やはり読めない。それはわかっていた。

 でもわかる。次にやるべき目標を、シュライグは見つけていた。

「けど、俺は文字が読めない。勉強したこともない。だから――俺に勉強を教えてくれないか」

 今のこの状況を変えられるのは、きっと勉強だ。んふーとほっぺをピンクにして、キットは快諾する。

「まっかせて!ここにはないほんもいっぱいよんできててさ、ぜんぶはもちきれなかったけど」

 そうして、細い指で頭をトントン叩き、ドヤ顔で続けた。

「ぜーんぶ、ここにはいってるから!リズ姉のおかげだよ!」

「そうか。リズも、ありがとう。おかげで光明が見えたよ」

 微笑んで礼を言うシュライグに、少女は思わず目を背けた。

「え、えっとね…、リズは愛称なの。私、フェリジット」

「フェリジット」

 キットがリズ姉リズ姉と言うものだから、すっかり誤解していた。

「でも……、別に、リズでもいいよ?」

「いやごめん、慣れ慣れしかったな。よろしくフェリジット」

「……うん、よろしく」

 少年は気づかない。

 目を合わせない少女の頬が薄く染まっていたことに。



 



 今後の方針は決まった。

 今、拾える鉄やゴミをありったけ集めて少しでも金を得る。そうして町を転々としながら馬の部族の元へ。そして鉄の国へ。

 今日できることをすべてやり、少年少女は眠りにつく。

 疲れた。

 けど、充実していた。

 




 眠ろう。




 眠ろう。








 ……………




 ………




 …





















「シュライグ」


























「シュライグ、起きて」


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