端切れ話(同床異夢の食卓)

端切れ話(同床異夢の食卓)


フロント脱出編+地球降下編+監禁?編

※リクエストSSです




 初めてお弁当を持ってきてくれた時、彼はわたしのことをジッと見ていた。

 初めてお弁当を持って行った時、あの子は感情が溢れたように泣いていた。

 優しく見守ってくれているんだ、そう思って、心強く感じた。

 僕も誰かの感情を動かせるんだ、そう思って、嬉しくなった。

 あなたのこと、おしえてほしい。

 きみのことを、もっとしりたい。

 たとえほかに目的があったとしても。

 たとえ僕と同じでなかったとしても。


 わたしと/ぼくと ずっと一緒にいて欲しい。



 コンコンコン、とノックの音がする。

「スレッタ・マーキュリー、おなか空いてない?」

「………空きました。いま行きます」

 2隻目の船に移って来てから数時間。寝たふりをしていたスレッタはもそもそとベッドから起き出した。

 お腹はぐうぐうと空いている。たくさん寝て、起きて、泣いて、移動して、その間はろくに水分補給もできなかった。

 その後は、喋って、眠って、トラブルにあって、寝たふりをして、美味しいジュースは飲めたけど、きちんとした食事はできなかった。

 だからとても、お腹が空いているのだ。

 スレッタはそっとドアを開けると、エランの顔をちらっと見た。彼は少しほっとした様子で、「ご飯の準備はできているよ」と優しく声を掛けてくれる。

 テーブルの上を見ると、携帯食料が一人分だけ用意されていた。銀色のパッケージを開けると、急速に温めてくれるものだ。

 彼が初めて自分に会いに来てくれた時、持ってきてくれたお弁当を思い出した。

「僕はもう食べたから、遠慮せずにどうぞ」

「あ、ありがとうございます。あの、さっきはごめんなさい…」

「さっき?あぁ、きみに怪我がなくてよかった。僕こそあんな格好でごめんね」

「い、いいぇ…」

 エランは特に気にしていないように見える。スレッタはそれにホッとして、ほんの少しだけ落ち込んだ。

 不意の接触に慌てて、恥ずかしがって、意識しているのは自分だけだ。彼はどこまでも冷静で、その落差が少し悲しかった。

「い、いただきます…」

 …恥ずかしがっても、落ち込んでいても、何も食べなければお腹は空く。スレッタはパッケージを剥がして、少し豪華な携帯食料を食べ始めた。

「………」

 エランがジッと見ている。本当に最初の時のようだな、と思いながらスレッタは美味しい料理をもぐもぐと口に含んだ。

 んくっとご飯を飲み込んで、ごくごくとお水で喉を潤して、一息ついたスレッタは疑問に思ったことを聞いてみた。

「あの、エランさん、どうしてご飯を食べているところを見るんですか?」

 思えば出会った時からだった。彼は泣きながら食べている自分をジッと見ていた。

 お弁当に夢中で最初は気付かなかったけれど、まるで優しく見守ってくれているようで、安心したのを覚えている。

「不快に思ったならごめん。体調に変化がないかどうか確認してたんだ。…細工がされていないことは事前に調べたけれど、絶対という訳ではないし」

「この船ってエランさんの味方なんですよね?そんな意地悪される可能性なんてあるんですか?」

「ここは僕と契約した相手の船だけど、乗組員は直接僕らの味方って訳じゃない。…契約相手は出来る限りのことはしてくれている。けど、ここにペイル・・・の、手の内の者がいないっていう保証はない」

「そう、なんですか」

 じゃあ最初に食べる所をジッと見てたのも、体調の変化を確認してたんだろうか。

 彼が心配して見守ってくれていたというなら、とても嬉しい。それは確かだ。けれど、何故だか想像していた事とは違うと戸惑ってしまっている自分もいた。…想像していたことって何だろう。

「今後も見てしまうと思うけど。……いや?」

「い、嫌じゃないです、嬉しいです」

「そう・・・」

 エランは心配そうにしているが、スレッタはにこにこと携帯食料を食べきった。

 お代わりを頼む?と聞くエランに首を振って、そのまま彼と話をする。

 寝る前は水星時代の輝かしい功績を自慢してしまったが、少し誇張しすぎたと反省している。なので、今度は主に彼の話を聞きたいと頼んでみた。

 彼の心の内を聞きたかったのだ。


 懺悔のようになるけれど、と前置きをしながらエランは話してくれた。

「きみに初めて会った時、僕は仲間が出来たと喜んでいた」

「仲間?」

「ガンダムに乗るために作られた駒。エアリアルを操るきみを見て、僕と同じ強化人士として運用されているんだと思い込んだんだ」

「えっと…」

「要は、命を削ってガンダムに乗るのを強要されている存在ってこと」

 そうして話してくれたのは、決闘までの彼がスレッタをどう思っていたかということだった。

 仲間が欲しかった、と彼は言った。自分の命は諦めていたくせに、1人でいるのは寂しくて、共感できる仲間が欲しかったのだと。

 だからスレッタに近づいて、親切にした。できる限り心安らげるように。残り少ない命を悔いなく過ごせるように。

 けれど、仲間だと思っていたスレッタはエランとはまったく違う存在だった。ガンダムに乗っても命を削るデータストームは発生せず、友人も、家族も、未来への希望も、すべて持っている。…そのように見えた。

「だからあの決闘は半ば八つ当たりだったんだ。酷いこと、色々と言ったと思う」

 ごめんね、と謝るエランにスレッタは首を振る。謝るのは自分のほうだ。浮かれていた当時の自分が恥ずかしい。

 何も知らなかった自分は、彼が親切にしてくれることをただ嬉しがって、変に気を回したり、不安がったり、喜んだり、傍から見たら滑稽だったと思う。

 彼が怒るのも当たり前だ。そう思って、しゅんと落ち込む。

 風船のように膨らんで、ふわふわと浮いていたあの頃の気持ちを、いっそ小さい針で刺してしまいたかった。

「でも、きみは誕生日をくれた。何もない僕に、誰かがいたって思い出させてくれた」

 その言葉に、顔を上げる。まるでスレッタの風船を大事に持ってくれるような、優しいエランの言葉だった。

 けれど。

「それに、僕やきみが危険だってことを、教えてくれた人がいるんだ。僕はその人に感謝している。それはきみの関係者で…、だから、僕はきみを助ける義務がある」

 次の言葉で、風船はパン、と虚しい音を立てて割れてしまった。

「不安だと思うけど、ついて来て欲しい」

「…はい」

 彼の中での自分は、今はどういう存在なんだろう。そう思ったけれど、口に出すのはやめておいた。

 だって、自分が彼とどうなりたいのかも、その時はよく分かっていなかったのだ。


 地球に降りてからも、彼はスレッタの食事風景をジッと見ていた。毒は入っていないと思うけれど、きっと食中毒とか、そういったことを危惧していたんだろう。

 そういう自分は、やっぱり彼がジッと見てくれるのは嬉しいと思っていた。

 たとえ義務だとしても、心配してくれるのには変わりない。彼の視線に心強さを感じていた。

 スレッタの方も、エランの食事風景をジッと見ることが多くなった。彼の食事の仕方はとても綺麗だ。ナイフとフォークを静かに操り、料理を小さくして上品に口に運んでいる。

 自分と違う、と感じたスレッタは、真似をしようとこっそり練習をした。スプーンの柄を手のひらで握るのは止めて、指先で持つように。フォークやナイフも、手のひらではなく指全体を使って支えるようにした。

 ジッと見てくれる彼に、少しでも綺麗だと思われたかった。地球に降りる船の中で、彼への恋心を自覚したからだ。

 彼が最初は同族意識から、今は貴重な情報をくれた恩人への義理立てから、スレッタに親切にしてくれているのは分かっている。けれど一度自覚した気持ちはすぐには無くなりそうになかった。

 一度は割れた風船は、中の空気はないままに、萎んだゴムの塊となってスレッタの胸に収まっている。それは何も知らずに浮ついていた当時の記憶、当時の心の欠片だった。

 でも今だって、外見だけ変えた風船がふわりふわりと漂っている。彼に惹かれる度に、期待するたびに、いくつも、いくつも、それは新たに作られていった。

 そんな風にある意味夢心地で旅をしていた時、エランが端末で調べ物をしている間に、手持ち無沙汰だったスレッタは軽食もどきを作ってみた。

 薄く切った黒パンに、ジャガイモとチーズを乗せただけのものだ。なんとなく味の見当は付いていたので、その時は味見もせず、調べ物が終わった彼に、はい、と手渡した。

 彼は目を丸くして、ありがとう、とお礼を言いながら受け取ってくれた。そうして小さく口を開けて食べ始めた。

 スレッタはそれを見て、心が満たされるのを感じていた。自分が手を加えたものを、彼が黙って食べている。警戒心の強い彼が、なんの躊躇もなく。

 以来、スレッタは事あるごとに軽食もどきを作っては、それを食べる彼を熱心に見つめた。

 旅の末に倒れた自分にエランが料理という道を示すまで、それで十分幸せだった。


 パンケーキを作る。ふわふわと、空気をたくさん含ませて。まるで今にも浮いてしまいそうなくらい、柔らかに。

 アパートに越してきてから、スレッタは毎日のように料理を作る。最近では、自分でもなかなか美味しく作る事が出来ていると思う。

 目の前でエランがパンケーキを切って口に運んでいる。今日はたくさん空気を含ませることが出来た自信作だ。口に入れた瞬間目元がほんの少し緩んで、気に入ってくれたんだと分かる。

 スレッタのふわふわとした恋する気持ちが入ったパンケーキ。心を込めて作ったそれを食べて、彼も恋してくれればいいのに。…そんなことを思ったりもする。

 何だか、自分が悪い魔女になったみたいだ。

 実際は特別な作り方なんてせずに、端末に書かれた料理法を試しているだけなのだが。スレッタはふっと虚しく笑って、自分でもパンケーキを食べ始めた。うん、美味しい。

 しばらく食事に夢中になっていると、彼がこちらをジッと見てくるのが分かった。最近はこうやって交互に見つめながら食べることが多い。そうしてたまに目が合っては笑いあう。幸せな食卓だった。…表面上は。

 贅沢を覚えてしまったスレッタは、こちらを見つめてくるエランにほんの少し不満があった。育ち始めた料理人としての矜持がほんのちょっぴり傷つけられていたのだ。

 そんなに注意深く見なくても、食材が悪くなる前にきちんと使い切るようにしているし、食中毒にはならないと思うのに…。

「エランさん、そんなにこっちを観察しなくても、大丈夫ですよ。悪い食材なんて使ってませんし、具合が悪くなるなんてないです」

「え」

 意外な事を言われたように、エランは目をぱちりとさせた。彼の様子にスレッタは首を傾げる。

「えっと、食事中にこっちを見るのは、悪いものが入っていたりする可能性があるからですよね。でもこれはわたしが自分で作ってるものだし…大丈夫ですよ」

「………」

 彼がこちらを見なくなったらそれはそれで落ち込むくせに、そんな事を言ってみる。エランは少し考えたように目線を下にして、もう一度こちらを見た。

「…スレッタ・マーキュリー、僕はきみの料理を信用していない訳じゃない。たぶん、以前僕が船で言った言葉を覚えていたんだよね?」

 スレッタはこくんと頷いた。

「…あれは嘘じゃないけれど、でも今きみを見ているのは違う理由だよ」

「違う理由?」

「その…すごく不快になるかもしれない話だけど、いい?」

 そう聞いてくるので、またこくんと頷く。彼が観察以外でこちらを見る目的は何だろう。まったく思いつかないので、ただ単純に聞きたかった。

 話の内容によっては、かろうじて残っていた学園時代の風船の欠片も消えてしまうかもしれない。そう思いながらも彼が口を開くのを待った。

 すると。

「きみが美味しそうに何かを食べているのを見ると、嬉しくなるんだ」

「へ」

 思ってもみない事を言われた。

「……そもそも、初めて会いに行った時の話なんだけど。きみが泣きながらお弁当を食べるのを見て、僕は嬉しかったんだ」

「うれ…しい?」

「誤解しないで欲しいんだけど、僕はきみが泣くこと自体は好きじゃない。でもあの時は、僕が差し出したお弁当を、嬉しそう…違うな、安心感…かな。そういう、悲しさとは別の理由で泣いて食べているように見えたから…」

…それは。

「何もない僕の行動で、誰かの心をプラス方面に動かすことが出来るんだと知って、それが嬉しかったんだ」

 それは、自分が想像して、でも想像できなかった事のように思えた。

「その時の気持ちが、残っていたんだと思う。きみが何かを食べるのを見るたびに、僕は嬉しい気分になるんだ」

 エランが大事に持ってくれて、でも些細な一言で割れてしまった1つの風船。

「ごめん、気持ち悪いよね。いやならもう見ないようにするから…」

「いいえ…いやじゃありません…」

 何も知らずにふわふわと浮いていたあの風船は、今はゴムの切れ端となって、スレッタの胸に眠っている。───けど。

「……いやじゃないの?」

「いやじゃないです、嬉しいです」

 あの風船を浮かせていた大元の空気は、あの頃のスレッタの気持ちは。

「それなら、いいけど…」

 目の前のこの人が、自分の風船にそっと集めて、大事に持っていてくれたのだ。

 お弁当をくれた彼。食べる所をジッと見る彼。───義務じゃなく、嬉しくなるからとこちらを見る彼。

「…ふふっ」

 今までこうだと思い込んでいたエランの姿が少し崩れて、スレッタは思わず笑ってしまった。

「…どうして笑うの」

 ほんの少し不満げな彼の声に、無性に心が浮き立っていく。


 空でも飛べそうな気持ちになりながら「…内緒です!」と言って、スレッタはまた笑った。






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