・史郎とベガ、グランドライブ編の裏側
ある日のトレセン学園。来たるべきグランドライブに向けて、学園内は騒然としていた。
あの資料はどこだ。あの案件は確認したか。あの締切はいつまでだ。───大人達が様々な仕事に忙殺されながら、鋒鋩へと駆け回る。
この男…風見志郎トレーナーも、その一人である。
「ライブ会場の設営に関する連絡は済みました。これが設置費用に関する大まかな概算です。」
「風見さん!レース日程もあるのでダンスレッスンの兼ね合いも───」
「はい、その件に関しては各トレーナーに詰め込んだローテーションは控えて頂けるようにと伝えてあります。練習に関しても同様です。」
「志郎くん、外部からの一般客向けの案内なんだが───」
「マスコミだけでなくインフルエンサーによるSNSの拡散もあります。安全とモラルを確保した上で、十分に楽しんで頂ける様に配慮しましょう。」
かつての社長業の敏腕を遺憾なく発揮する志郎。気付けばトレセンの者だけでなく、外部の者たちも含めて彼を中心に業務が回っていた。
「全てのウマ娘達が主役である。──このコンセプト通り、彼女達が十全にステージ輝けるように、我々も頑張りましょう。」
『はい‼』
「では、業務開始っ‼」
志郎の言葉を合図に、次々と持場に着く。
「…随分と頼りにされてるのね。」
「やぁ、アヤベさん。来ていたのかい。」
そんな志郎の仕事を邪魔にならぬ様に、遠巻きに見ていたウマ娘…アドマイヤベガ。溜めていた息を吐き出す様に話し掛けながら、志郎の側に寄る。
「根を詰め過ぎじゃない?いくら貴方が元社長の手腕を買われてトレセン側の主任になったからって、いくらなんでも仕事を抱え込み過ぎよ。」
「なに、社長時代に比べたらずっと少ないよ。まだまだやれるさ。」
「………それはそれで心配なのだけど?」
心配そうに告げる担当に対し、かつての激務を思い返しながら微笑む志郎に。そして引き気味に返すアヤベ。
「所で今日はどうしたんだい?練習は休みにしといた筈だが…。」
「あぁ、そうだったわ。これ、お昼ご飯よ。仕事の合間でも食べられる様にサンドウィッチにしたから。………忙しいのも解るけど、ちゃんと食べないといざという時に動けないわよ?無理しても事態は好転しないと教えてくれたのは貴方じゃない。」
「…返す言葉もないな。分かった、ありがたく頂くよ。」
「よろしい。」
「風見トレーナー!」
アヤベと談笑していた所に、今回の企画立案者…ライトハローが書類を抱えてやって来る。
「あぁ、ライトハローさん。お疲れ様です。」
「お疲れ様です!あの、先日お伝えした許可申請書と資料、お持ちしました!期限は…」
「3日後、ですね。分かりました。理事長にお渡しします。…それと、先日の予算見積ですが、些か抜けがありましたので勝手ながらこちらで修正させて頂きました。」
「え!?あっ、ホントだ?!も、申し訳ありません!こちらの落度でした‼」
「いえ、構いませんよ。ミスは誰にでもあるものです。」
書類を見て頭を下げるライトハローに、志郎は寛容な態度を見せる。
「すいません…風見トレーナーもご自身のお仕事があるのに、フォローもして頂いて…社会人としてお恥ずかしい限りです…。」
「大事なのは同じミスを繰り返さない事ですよ、ライトハローさん。…大丈夫、貴女はいつも一生懸命に頑張っています。その熱意と誠意は伝わってますよ。」
「風見、トレーナー…。」
ニコリと微笑みながらフォローする志郎に、熱を帯びた視線を向けるライトハロー。…それらを面白くなさそうに眺める、アヤベ。
「………じゃ、私は寮に戻るわ。これ以上はお仕事の邪魔になりそうだし………。」
「ん?そうかい?…昼食、ありがとう。アヤベさん。大事に食べるよ。」
「いいのよ。“担当バ”として当然の事だもの。」
担当バ、の部分を強調して言うアヤベ。それを聞いて若干気圧されるライトハロー。
「あ、えと、その…?」
「………お疲れ様です。お仕事、頑張ってください。」
ペコリと頭を下げて、アヤベは職場を後にする。
(………いくらなんでも、子供っぽ過ぎたかしら………自分が情けないわ………反省しないと…。)
若干の自己嫌悪に陥りながら。
「アヤベさん、それって牽制として正解ですよ!」
「話を聞き終えた感想がそれなの、カレンさん?」
寮の自室に帰り、本日の出来事をルームメイトのカレンチャンに話したアヤベ。以前に比べて2人の関係も随分と軟化しており、こうして気兼ねなく日常の出来事を話せる間柄になっていた。
「いやいやいや!きっとそのライトハローさんって風見トレーナーさんの事を狙ってますって‼仕事も出来て、人柄も良くて、なにより美形!こんなの未婚の女性が放って置きませんよ‼」
「いや、いくらなんでもそれは考え過ぎなんじゃ………?」
「甘いですよアヤベさん‼社会に出たウマ娘の出会いのなさを甘く見ちゃいけません‼現役時代のトレーナーへの想いを引き摺って、そのまま結婚適齢期を過ぎちゃう事だって沢山あるんです‼」
「流石に失礼すぎるわよ。…いや、まぁ……仕事相手と言うには、ちょっと距離が近すぎる気がしないでもないけど…。」
「ほらぁ!やっぱり心当たりあるんじゃないですか‼…いいんですかアヤベさん!風見トレーナーさん取られちゃっても‼お先に失礼されちゃっても‼」
「………それは嫌ね。スゴくスゴい嫌ね。」
思わず真顔で某委員長のような事を言うアヤベ。
「ですよね!なら今度の土曜日が勝負ですよ!天体観測に行くんですよね?」
「ええ、そういう約束だから………。でも、あの仕事の忙しさ、それに職場の人間関係もあるし余り期待は出来ないかも………。」
「大丈夫ですって!風見トレーナーさんはアヤベさんの事、何よりも大切に思ってますから‼」
「…………そうだと、良いのだけれど。もし、そうなら………うん、嬉しい。」
フワフワの枕に顔を埋め、微笑みながら言うアヤベ。それを見てキュンとするカレン。
いつもの2人の日常である。
(金曜日、だけど…いつにも増して忙しそうね。やっぱり、厳しいかしら………。)
物陰から志郎を眺めるアヤベ。いつも通りに各部の人員に指示を出しながら、自身の業務をこなしている。…流石に、声を掛けるのも躊躇われる様相だ。
手元の弁当箱に視線を落とす。あの様子では、食事すら取る暇もないだろう。
(…帰ろう。このままじゃ寧ろ邪魔になって──)
「あら?貴女は…アドマイヤベガさん?」
「ッ?!」
考え込んでいる所に、不意に声を掛けられる。顔を上げると、そこには資料を抱えてこちらを見ているライトハローがいた。
「ライトハロー、さん…。」
「どうしたんですか?あ、風見トレーナーさんにご用事ですね?今、呼んで──」
「い、いえ…忙しそうなので、今回は…いいです。」
折角気を利かせてくれたライトハローに対して、俯き気味に否定するアヤベ。そこから、ポツリと零す様に言葉を告げる。
「皆さん、本当に忙しそうで。私みたいな子供が、出る幕なんて………。」
「…アドマイヤベガさん。」
優しげに声を掛けるライトハロー。見上げると、そこには暖かい眼差しで微笑み掛ける、彼女の姿があった。
「風見トレーナーさん、明日の休日に間に合う様に、凄く頑張っていたんですよ。なんでか解りますか?」
「…それは、仕事の期限だからじゃ…?」
静かに首を横に振り、否定するライトハロー。
「風見トレーナーさん、言っていましたよ?明日はアヤベさんとの約束があるから、何が何でも間に合わせるんだ、って。ふふ、やっぱりトレセン学園のトレーナさんは、担当想いのいい人ばかりですね?羨ましいなぁ。」
「え、あの…その…えっと……。」
顔が熱い。言葉が続かない。──嬉しくて、たまらない。
「会ってあげて下さい。きっと、とても喜びますよ?」
「ありがとう、ございます。お言葉に、甘えます。…あと、その…この間は、失礼な態度を取って、すみませんでした。」
「ふふふ。さて、何のことでしょうか?さ、善は急げです!風見トレーナーさーん!担当さんが会いに来てますよー‼」
通る声で志郎を呼ぶライトハロー。素敵なひとだな、という思いを抱く。こんな大人になりたいとも。
その後の2人の休日がどうなったかは、敢えて語るまい。
ただ一つ告げるなら、星空がいつもよりも美しかった、という事だろう