可及的速やかに忘れて下さい!

可及的速やかに忘れて下さい!

不審者X号



(モブの元ジェターク女子寮生がいます注意)



 アスティカシア高等専門学園で起きたテロから数年。

 長期間のリハビリと何度かの手術を経て、私の視力はわずかながらも戻りつつあった。最初は薄ぼんやりと明暗が感じ取れる程度で、けれどもそれが『見えている』と理解した日には家族全員で泣いて喜んだ。

 医師からは「無理をしないように」と釘を刺されたけれど、とにかくその時の自分は視覚情報に飢えていた。じりじりと戻っていく能力に焦り、なんでもいいから見てわかるものが欲しくて、外に連れ出して欲しいと親にせがみ、病院のロビーのモニターを長時間見上げて看護師に病室に回収されていたりしていた。

 はっきりとした色なら知覚できるようになったのは、もう少し経ってからだ。ある日、何か見えないかと自分のタブレットのアルバムを捲っていた。とはいえ、学園の風景はわりと落ち着いた色のものが多くて、木だか人だか不自由な目ではよくわからない。ため息をついてページを送っていたとき、ふと視覚を刺激したものがあった。

 ただ、おそらくは派手な色をした、それがなんなのか思い出せない。考えた末に、私は面会に来た母にタブレットを見せて尋ねた。

「ジェタークさん…お兄さんのグエルさんのディランザね」

 あらまあ、とどこか嬉しそうな声で母はあっさりと答えを教えてくれる。私はといえば二十年ちょっと生きてきて、先輩のMSが派手だったことに感謝することになるとは思いもしなかった。正直言うと最初はだいぶ派手じゃないかなと思ってました、ごめんなさい。でもすぐ後に決闘を見てかっこいい!と手のひらを速攻返したのも今となっては懐かしい記憶である。

 ただ思い返すと、これが後々の自分のやらかしの発端だったのは確かだ。その後面会に来るとき母は必ず、マゼンダピンクの服を着てくるようになった。いや、それ自体は娘が見つけやすい色を身に纏う親心であって、誰も何も悪くはないことを明言しておく。



 少しの視力と一緒に気力もだいぶ回復した自分は、それまで放り投げていた自分の将来に再度直面する羽目になった。災禍に遭い感覚を失っても──経済力のある両親が健在で、信頼できる医学の恩恵を受け、立ち直る猶予まで貰えた自分はアド・ステラでは幸運なのだ。けれど、だからこそいつまでもそこに甘えてはいられない。

 リハビリの合間に、視覚がこれ以上戻らないことも考えて入学可能な大学を調べ、編入に必要かつアスティカシアで取り残した単位を通信で取得しなければならなかった。もともと父と同じ経営法務志望で、大学編入も予定ルートではあったけれど。空白期間とハンデのある自分にとっては少し進んでは壁にぶち当たるような日々で、文字通り忙殺されることになった。

 だからその日のリハビリ後、面会時間までの間に少しうとうとしてしまったのだ。

 『少し遅れる』という、カミル・ケーシンク先輩からのメールを読み上げ機能で聞きながら目を閉じ、最後の一言を逃したほどに。



 人の気配と話し声に、私は目を覚ました。

 そういえば、今日はカミル先輩とフェルシー・ロロがお見舞いに来てくれる予定だったと思い出す。遅くなるとは連絡があったな、とぼんやりしながら目元をこする。

 近くにぼんやりとしたマゼンダピンクが見えて、いつものように声をかける。

「お母さん…先輩たち来たの?」

 いつもなら快活にすぐに返ってくるはずの声がない。あれ、と思いながら、注意を引こうと私はマゼンダピンクに手を伸ばした。

「…お母さん?」

 わしゃっ。

 手に返ってきたのは、布の質感ではなかった。ふわふわとしていて、でも指通りが良くて…昔祖父母の家にいた、大きな犬みたいだな、と若干現実逃避気味に思った記憶がある。それと、深い、深い、窓辺に置いてあるライオンのぬいぐるみと同じ香り。あ、先輩、香水はあの後もう一つ買って大切に使っています。眠れなくなるので寝具には付けられないですが。

 文字通り固まった自分の手のひらの下、実に至近距離から低い声が響いた。


「すまない、俺だ」


 その瞬間病室に響き渡ったみっともない悲鳴ごと、忘れてほしい。

 だって、だって思わないでしょう!CEOになって忙しいどころじゃないグエル・ジェターク先輩が、数多いる元寮生のたかが一人の見舞いに二度も来るなんて!!

 あとぶふっとか言って吹き出したのはフェルシー・ロロ、あんただってのは声でわかったから!いくら「いやごめん笑うのは悪かった」ってあとから謝られたってもう一生忘れられない。「メールで一応言っておいたんだが、急ですまなかった」とカミル先輩にも謝られたけど、聞き逃したのは自分なのでこれには何も言えない。

 でもグエル先輩は謝らないでいいんです。

 全然、全然迷惑だとか思ってませんでしたから!むしろ嬉しいというか良いことが過ぎて脳がパンクしただけですから!お見舞い来てくれてありがとうございます!

 だけど、さっきのことはお願いだから、忘れていてください!!


 …そう切に願った、それはうららかな午後のひとときだった。





end.

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