古都ヤーナム
「なったらいいじゃねえか、医者」
新たな目的地への中継地、かつておれとセンゴクさんが暮らしたドレスローザの街で、おれはローにそんなことを言った。
ドラムで処方された薬のデータを見て、悔しそうに、それでもどこか嬉しそうに唸る姿を見たからだ。
「……考えとく」
そう応えたローの目にはもう、暗い憎しみの影はない。
珀鉛病が治ったら、”おれたち"と関わり合いにならずに済むようなどこか遠いところで自由に暮らす。それがローにとって一番なのだろうと、おれは考え始めていた。
「出発の前に、墓参りだけ行ってもいいか?」
「…いいよ」
それは、おれが初めて殺めた男の墓だ。
文字通り手を焼きながら救った男が、本当はガキの頃から立派な人殺しなのだということを、ローには伝えたくない。そんな思いをおれはどうにも振り払えずにいる。
アジトを離れて、約半年。
オペオペの実はまだ、兄のもとには現れていなかった。
弔いの祈りを捧げたら、また小舟での短い旅が始まる。
人々がその名を口に出すのも憚るという、病んだ忌み者の街へ向けて。
「あたしゃ昔、とんでもないヤブからこの子と似た症例の話を聞いたことがある」
流れるように薬を処方したあの医者は、珀鉛病は今の医学では治せないと断言してからそう言った。
「その病の土地には医療データが残っているだろうね…ヒッヒッヒッ…」
新世界の非加盟国。
ローを守れるだけの腕があるなら行ってみればいいと。
手渡された古い永久指針は、常温で固体化する奇妙な水銀の台座に覆われていた。
「暗い噂の尽きない街さ。他に可能性が残されてりゃあ、あたしだってそうそう教えやしなかったろうね…」
「…その街の名前は?」
血の救いと病の支配する街。
古都、ヤーナム。
ドジって迷い込んだ山奥に、奇妙な街を見つけた。
周辺住民から聞いたところによると、どんな病でも治せるという奇跡のような医療の街らしい。
しかもその治療を行っているのは、病院ではなく教会なのだとか。
正直に言って、病院はもうあてにならないという思いが強かったおれは諸手を挙げて喜んだ。
教会に行けば助かるかもしれないと言ってもローはいい顔をしなかったが、試すだけの価値はある。
そう考えていたはずなのに、街に足を踏み入れたおれの手に残ったのは、自筆の走り書きだけだった。
「青ざめた血」を求めよ。狩りを全うするために
状況を整理しようと動き始めた脳が眩む。"そんなことより"ローだ。
独りにするわけにはいかない。
なぜ?
危険だから。
ローは、そう、ビョーキが進行して今朝は熱が上がっていた。だから単独で行動するのは危ないんだ。
違う。他に理由がなかったか。
そういえば兄はローを気に入っていた。
子どもながらに医学の知識が豊富で物覚えも良く、ファミリーにやって来た頃はひどく暗い目をしていた。
だから、でも、それだけだ。
おれは海軍本部所属、ロシナンテ中佐。
兄を止めるために海賊団に潜入して、今はローの珀鉛病を治すために旅をしている。
それだけ。
本当に?
心許なさの正体が掴めないまま、日暮れで血のように赤く染まった街並みにローの姿を探す。
記憶の片隅で声を上げていた柔らかな甘さを含んだ海の匂いは、街を満たす生温い腐臭に紛れてすぐに消えていった。