取り替え子

取り替え子


鬱蒼とした森の中、美しい妖精の王様に出会えたら、あなたは妖精郷に招かれるでしょう。

そこは土と雨と花と風に愛され、時の流れを忘れた幻想の國。

でも、どうか気を付けて。妖精の王様に気に入られると、あなたは帰れなくなってしまうのです。


「行ってきます!お母さん!」

赤毛の女の子が元気よく外に飛び出していきました。彼女の名はスレッタ、お母さんと二人で一緒に暮らしています。

「あんた、また森に行くの?」

家の近くにいた銀色の髪の女の子が話しかけてきました。彼女の名はミオリネ、スレッタのご近所さんで友達でもあります。

「はい。だって気になるじゃないですか、近くの森に妖精が住んでるなんて」

「ああ、あのほら話の……本気で信じてるんだ」

「ほら話じゃなくておとぎ話です!」

スレッタは家の中で見つけた古びたおとぎ話の本を読んで以来夢中な、夢見がちな女の子でした。ちなみにミオリネも本を読んでみたものの、ほら話と断じて全く信じていません。スレッタとは対照的に現実的です。

「で、あんたは今日も妖精探しってわけね」

「そうですよ。ミオリネさんも一緒にどうですか?」

スレッタはウキウキとして様子でミオリネを誘います。でもミオリネは、

「私はパス。森の中ってジメジメして嫌なのよね」

つれない返事です。スレッタはガックリと肩を落としますが、すぐに気持ちを切り替えます。

「じゃあ、一人で行ってきますね。お土産にお花や木の実を期待しててください」

「はいはい、日が落ちる前に帰ってきなさいよ」

お互いに手をひらひらと振り別れました。


「でもどこにいるのか見当もつかないんだよね……」

森の中に妖精が住んでいるとは言っても、具体的にどこに住んでいるかは当然、何も書かれていません。

なのでスレッタは食べられる野草や木の実、薬草、綺麗な花などを採って帰ることがほとんどでした。

今日もミオリネに約束した木の実を拾い集め、花を摘もうと開けた場所にある花畑に向かいます。

花畑は色とりどりの花が咲き乱れ、風を受けてそよそよと揺れています。うねる色の波は豪奢な絨毯のようでした。

妖精がいるならこんなところだろうな、と考えながらスレッタは色つやのいい花を見繕って摘んでいきます。黙々と花を摘んでいると、かすかに声のような音が聞こえてきました。

——……、……

何を言っているのか全く聞こえないので、そうっと声がする方向に近づいていきます。姿勢を低くしてそっと、花に紛れるように、気配を殺して進みます。しばらく進むと声がハッキリと聞こえてきました。

——いい感じの子どもを探してこいとか、要求がアバウト過ぎるよねぇ。

あー、やだやだと続きそうな、面倒くささを隠さない、けれど綺麗な声が聞こえてきます。スレッタはそっと様子を窺って、声の主を見つけました。

顔はハッキリと見えないけれど、花畑に寝転がってぼんやりと空を眺めているようです。もう少しだけ近づこうとしたら、起き上がった声の主と目が合ってしまいました。

顔立ちはすっきりと端整で淡く緑がかった金の髪が風に揺れています。若草色の目は驚きでか少し開かれていますが、美しいという形容が似合う人です。

王様というより王子様という印象ですが、もしかするとこの人が妖精の王様かもとスレッタは思いました。

「あ、あの!もしかすると、どこかの國の王様ですか!?」

勇気を出して質問してみます。目の前の人は顔を綻ばせて、少しおかしそうに笑ってからスレッタと目線を合わせてきました。

「王様が知り合いにいるけど、僕は違うよ」

残念ながら王様ではなかったようです。でも、スレッタは諦められずもう一つ質問します。

「じゃあ、あなたは妖精ですか?」

目の錯覚か、若草色の目が一瞬、怪しい光を帯びたような気がしました。しかし、それも一瞬のこと、すぐに穏やかな雰囲気に戻ります。

「ううん、違うよ。こんなところにいるから、勘違いしちゃった?」

「えっと……実はそうです」

スレッタは気恥ずかしげに頬をかきます。ここなら妖精に会えるかもと思ったのは、本当のことだからです。

「そっか、明日もこの森に来れば、妖精に会えるかもね」

「本当ですか!?」

目の前の人の薄い唇は緩やかに弧を描き、内緒話をするようにささやきかけてきます。スレッタは興奮気味に聞き返しました。なぜそんなことが分かるのかという思考は、頭から弾き飛ばされています。

「本当だよ。でも、今日はいないと思うから、真っすぐおかえり。今日のことは僕たちだけの秘密だよ」

「そうなんですね……でも分かりました!」

スレッタはさして疑問に思うこともなく、元気よく返事をしてスキップをしながら来た道を帰っていきます。木の実に花も集まったし、もう帰ってもいいだろうと判断したのでした。

去っていくスレッタの背を和やかな雰囲気で見送り、彼はそっとつぶやきました。

「へえ……あの子、なかなかいいじゃないか」

風に乗って消えた言葉は、スレッタに届くことはありませんでした。


意気揚々と帰ってきたスレッタは、ミオリネにお土産を渡して予定より早く家につきました。

「ただいま、お母さん」

「おかえり、スレッタ。今日は早かったのね」

お母さんは早めに夕食の準備を始めているようです。スレッタは持ち帰ってきたものをお母さんに渡しに行きます。

「綺麗なお花に木の実ね。いつもありがとう」

「えへへ……」

スレッタは上機嫌にはにかみます。お母さんも顔を綻ばせて言いました。

「いつもより楽しそう、何かいいことでもあったのかしら」

「えっと……ひみつ」

今日のことは僕たちだけの秘密だよという言葉を思い出しながら、宝箱に宝物を入れるようにそっと蓋をします。

「そう、スレッタが楽しそうだとお母さんも嬉しいわ。でもね……」

お母さんの表情に陰りが見えました。

「何か危ない目にあっていないか、少し心配なの。スレッタはなるべく自由にさせてあげたいけど、もうあなたしかいないから……分かってくれる?」

「あ……」

スレッタが今よりもっと小さい頃、二人ではなく三人で暮らしていたのです。スレッタにはエリクトという姉がいましたが、スレッタの物心がつく頃に病気で亡くなってしまったのです。

「そんなに暗い顔しないでもいいのよ。何かあったら相談して欲しいなってだけだから」

一転してお母さんはスレッタに明るく微笑みかけます。

「うん、分かった」

その後は普段通りに夕ごはんを食べて、本を読んでいました。一区切りつくころにはすっかり眠たくなってきたので、支度を済ませてベッドに潜り込みました。思い出されるのは、帰ってすぐにしたお母さんとの会話の数々です。スレッタの中では、お母さんと自分の好奇心の二つを天秤にかけてグラグラと揺れ動いています。

「でも、別に危ないことないし、いいよね……」

やがて天秤は好奇心の方へ傾きました。誰に聞かせるでもない独り言は、夜闇に静かに溶けていきます。


好奇心に負けたスレッタはまた森に来ています。お母さんはいつも通り送り出してくれて、道中会ったミオリネは浮足立ったスレッタを怪訝な顔で見ていました。

今日は妖精に会えるとふわふわとした心地で歩を進めるスレッタですが、グーとお腹が鳴ってしまいました。持ってきたお菓子を食べて休憩するためにとっておきの場所に向かいます。そこは木が切り倒され切り株が複数並んで広場になっている場所で、休憩するにはぴったりなのです。

広場にたどり着いてみると、すでに先客がいるようです。自分以外にここを知ってる人がいるなんてと、スレッタは驚きました。

遠くから様子を見ていると、その人は切り株に座って本を読んでいるようです。ページをめくる手は白い手袋をはめていて目を引きます。そして、顔が昨日出会った綺麗な人にそっくり、というより同じなのです。

何となく雰囲気が違う気もしますが、気になったスレッタは勇気を出して声を掛けてみます。

「あ、あの!また会いましたね!」

「僕は君のこと知らないけど?」

どうやら人違いだったようです。そっくりな双子?兄弟?二つの予想がスレッタの頭に浮かびます。

「昨日、あなたそっくりな人に会ったんですけど、もしかして双子ですか?」

「僕にそんなものいないよ」

「あれ?」

予想を外してスレッタから調子はずれな声が漏れます。

「君が会った人物は、血のつながりのない赤の他人だよ」

「ええ!?そうなんですね……」

そんなことあるんだ……とスレッタは口をポカンと開けて感心しています。

そう言われて改めて観察してみると、確かに違う気がします。髪は少しくすんだ淡く緑がかった金色、目の色もどことなく落ち着いた草の色をしています。纏う雰囲気も、昨日の人は春の陽気のような弾んだ雰囲気で、この人は冬の朝のような静謐で落ち着いた雰囲気です。

確認するように眺めていると、手に持っている本に目が留まりました。

「本読むの、好きなんですか?」

「好き、かは分からない。いつからか読むようになってたから」

彼はぼんやりとしていて、本当によく分かっていなさそうです。スレッタは何となくそれは寂しいことだと思いました。

「ずっと読み続けてるのなら、きっと好き、なんだと思います」

「私も好きです。こうやって外で読むのも素敵ですけど、雨の日に、家の中で雨だれの音を友達に本を読むのが好きなんです」

「そういう考え方もあるんだね」

暗い色をした緑の目にわずかばかりの光が差しました。自分にも好きなものがあると気付けて、喜んでいるのかもしれません。

「どんな本を読んでるんですか?私はおとぎ話が多くて、難しい本はあんまりなんですよね……」

興味が本の内容にうつったスレッタは早速少し照れ臭そうに聞いてみます。彼は少し考えてからスレッタをじっと見つめてきました。

「読んでみる?」

「いいんですか?」

彼が本を差し出してきたので、受け取って表紙に目を通してページをめくってみます。でも、表紙の字も中の字も全く見たことのない字で、スレッタには読めそうもありません。

「ごめんなさい。見たことない文字で読めないです……」

謝りながら本を返しても、彼はあまり気にしていない様子です。なら思い切って聞いてみることにしました。

「これってどこで使われてる文字なんですか?」

表紙に刻まれている、本のタイトルと思われる部分を指さして質問を投げかけます。

「これ?これは妖精郷で使われてる文字だよ」

「え?」

予想もしていない単語が飛び出してきて、思わず聞き返してしまいました。妖精郷といえばおとぎ話にも出てきた、妖精が住む幻想の國の名前です。じゃあ、そこで使われている文字で書かれた本を持っているこの人は何者なんでしょうか?

「あの、もしかして、あなたは妖精なんですか?」

「そうだけど」

至極あっさりと彼は正体を明かしました。スレッタが求めていたものは見つかりましたが、いまいち実感が湧きません。

でも、昨日聞いた通り妖精に会えました。遅れてスレッタに実感と喜びが湧きおこってきます。

「もしかすると、妖精の王様ですか!?」

「王様……?」

彼は小さな口をポカンと開けて、少し考えてから、「アレか……」とつぶやきました。

「僕は君の言う王様の部下みたいなものだ。王様じゃなくて悪いね」

「いえ!そんなことないです!あなたに会えて嬉しいですよ!」

興奮気味に伝えると、彼が透き通った緑の目でじっと見つめてきました。深い色合いは見ていると吸い込まれそうで、心の内まで見透かされそうで、落ち着きません。

「僕に会えて嬉しいと思ってるのは本当、でも王様に会えなくて残念とも思っている」

「なんで分かるんですか!?」

思っていることをピタリと言い当てられて、スレッタはとても驚きました。

「妖精の目は思考の内側を見通せる、嘘は通用しない。君が心配することはあまり無さそうだけど」

「ほわー……」

サラッと明かされる事実に、スレッタはただ驚くしかありません。

隠し事はできないのなら、聞きたいことを素直に聞いてみることにしました。

「あなたが王様の部下なら、私を王様に会わせることって出来ますか?」

「できるよ」

まさかの即答でした。スレッタは許可とかを取らずに勝手に決めていいのかと不安になります。

「君が心配しなくても大丈夫だよ。どうせ暇で退屈してると思うから」

「ええー……じゃ、じゃあ、よろしくお願いします」

落ち着いたところで、ここに休憩するために来たことを思い出しました。気付いた途端にお腹が空いてきます。

彼が座っている切り株の近くに腰かけて、お菓子を一つまみして頬張りました。その様子を緑の目がじっと見つめています。

「食べてみますか?」

視線に気づいたスレッタは、妖精が食事をするのか分からないけれど、勧めてみることにしました。

彼は一つ受け取り、口の中に放り込みました。小さな口がもぐもぐと動いています。人形のような印象ですが、こう見ると生きていると感じます。

「こんな味がするんだ……」

「お菓子、食べたの初めてですか?」

「うん。5号から何が美味しかったって話はよく聞くんだけどね」

「ゴゴウ?」

聞きなれない単語を、首をかしげながらオウム返しします。

「名前だよ。僕の同僚のような存在なんだ」

名前と聞いてハッとしました。そういえばまだ名前を聞いていなかったのです。

「名前、聞いてなかったので、教えてもらってもいいですか?」

「僕は4号と呼ばれている」

「ヨンゴウさんですね。分かりました。私は……」

「スレッタでしょ。見えているよ」

深い緑の目が怪しく輝きます。この様子だと内面まで丸裸も同然でしょう。スレッタは途端に恥ずかしくなって、4号から目を逸らしました。そして、恥ずかしさを誤魔化すようにお菓子を黙々と食べ始めました。


お菓子が底をついた頃、スレッタが食べている様子をじっと眺めていた4号がおもむろに口を開きました。

「明日またここに来たら君を妖精郷に連れていく。その気が本当にあるのなら来るといいよ」

「分かりました。約束、ですね」

そう言ってスレッタは小指を差し出します。それを4号は不思議そうな様子で見つめていました。

「それは?」

「約束するときにやるおまじないみたいなものです」

お互いの小指を絡めあい約束を交わします。触れ合った4号の指は、ひんやりとしていて大きくて長い、スレッタのものとは全然違う男性のものでした。

スレッタは余韻を噛みしめつつ、彼と別れ帰路につきました。


「あんた帰ってきたんだ。って、なにニヤニヤしてんの」

浮足立って帰ってきたスレッタにミオリネが怪訝な顔をして声をかけてきます。スレッタは特に気にせずにえへへ、と笑っています。

「聞きたいですか、ミオリネさん」

「急に鬱陶しいわね……」

「なんと!妖精に会えたんです!」

スレッタは浮ついた思考のまま、ミオリネの返事を聞かずに言いたいことを吐き出しました。

「本当にいたの……まあ、よかったわね」

ミオリネは半信半疑といった様子で、生返事をしています。

「でも、本当に楽しみなのは明日なんです」

「妖精に会えたら妖精の國に行けるってやつ?あんたちゃんと帰ってきなさいよ」

「もちろんです!」

そう言ってスレッタはひらひらと手を振りミオリネと別れました。弾むような足取りのスレッタをミオリネは微笑ましく思いつつ、少し心配そうに見守っていました。


帰宅したスレッタは早速お母さんにも今日あったことを話します。

森の中で綺麗な人に出会ったこと、その人が読んでいる本が見たことのない文字で書かれていたこと、実はそれは妖精の文字でその人も妖精だったこと、その人と明日、約束をしたこと、これらのことを早く伝えたくて矢継ぎ早に話します。

でも、妖精という単語が出てにこやかに話を聞いていたお母さんの表情が険しくなりました。

「スレッタ、妖精には関わったらダメよ」

「え?どうして?」

お母さんに突然否定されてスレッタは意味が分かりません。

「彼らは人間とは住む世界も見えてるものも価値観も違うの。一緒にいたら不幸になってしまうわ」

「そんなこと、ない!」

スレッタは必死に否定します。お母さんはそんなスレッタを物悲しい目で見ました。

「スレッタに悲しい思いをさせたくないの、分かってくれる?」

「……」

お母さんの気持ちだって分かるので、スレッタは答えることができません。

「明日は森に行ったらダメ、お母さんと約束してくれる?」

スレッタは無言でうなずきました。その後は何事もなかったようにいつも通り過ごします。お母さんと一緒に夕ごはんを食べて、その後は本を読んで一区切りついて眠くなったらベッドに入る、何でもないいつもの光景です。

ベッドの中でスレッタは4号と絡め合わせた小指を見つめました。何となく熱を持っている気がして、やはり4号と交わした約束のことを忘れられません。

その一方でお母さんの言葉も心配も正しいと思います。スレッタはどちらとも決められず、やがて答えが出ないまま眠りに落ちてしまいました。

深い眠りの中でスレッタは不思議な光景を見ます。これは夢でしょうか?

目の前には黄昏の空と、落陽に淡く照らされた草原が広がっています。4号と彼と似た顔つきをした二人が、こちらを見つめたり手を振って誘っているようです。

わっと駆け出したスレッタですが、後ろから声が聞こえた気がして振り向きます。

後方には青空が広がり、その下にお母さんとミオリネが立っています。二人とも必死にスレッタに呼びかけている様子ですが、スレッタにはほとんど聞こえていません。

どうしようか戸惑い、キョロキョロとしていたスレッタは、やがて一歩踏み出しました。境界を越えて黄昏へ、そこで目が覚めました。


場面は変わり、豪華ですが何故か暗い建物の中、同じ顔をした三人が顔を突き合わせて座っています。

「お前ら、俺が頼んだものは探してきたか?」

椅子に座ってふんぞり返っている偉そうな態度の男が問います。

「探してきたよ。エランさまは本当に面倒なこと言ってくれるよね」

同じく椅子に座ってふんぞり返っている飄々とした態度の男が愚痴を言いました。

「見つけたよ」

短く答えたのは4号です。彼は立膝をついて座っています。品のある顔をして、三者三様に態度が悪いです。

「おう、そうか。で、5号、お前はどうしてこう一言多いんだ」

エランさまと呼ばれた、偉そうで軽薄な雰囲気を漂わせた男が5号に返します。

「君の性格の悪さに似たんじゃない?僕って君から生まれた眷属だからさ~」

5号は適当にエランに答えました。エランの吊り上がった眉がぴくぴくと震えています。

「おいおい、酷いこと言うな。それはお前だけのアイデンティティだ、大切にしろよ。それで、俺はそんなに性格は悪くない。4号もそう思うよな?」

「……」

「おい!何か言えよ!」

4号は意味が分からないというように、無言で首をかしげています。それを見て5号はケラケラと笑っています。エランは「俺の眷属が反抗的すぎる」という言葉をグッと飲みこみ、咳払いをします。

「このままじゃ話が進まないからな。見つけたものを見せてくれ」

エランが話を切り替えます。彼は人間に興味を持って、間近で可愛がってみたいと思ったのでした。そして、4号と5号に気に入る人間を探させて、そこから選ぼうと思っているのです。

エランの言葉を聞いて5号は指をくるりと振って宙に映像を映し出しました。これは妖精が使う魔法の一種で、自分の記憶を投影しているのです。

そこには花畑に紛れ込んだスレッタが、青い目をまん丸にしている姿が映っています。

「僕はこの子がいいと思ったな。可愛いでしょ?」

「その子は僕が見つけたんだけど」

4号がムッとして5号と同じように指を振り、映像を投影します。お菓子を頬張ってふわふわと笑っているスレッタの姿が宙に現れました。

「お前らが同じ人間を推してくるとは、珍しいこともあるもんだ。よし、気に入った。こいつにしよう」

エランが即決したのをそっちのけで4号と5号は睨み合っています。

「僕が先に会ったんだけど」

「僕の方が一緒にいた時間は長い」

「どっちも一回しか会ったことないんだから、似たようなもんだろ!」

「お前ら俺の話聞いてた?これから一緒に過ごせるんだから、落ち着け。喧嘩すんな」

エランが二人を引き離し、どうどうと宥めます。

「チェンジリングで連れてきた人って、大抵発狂して長持ちしないって聞いたけど大丈夫なの?」

5号が不安そうにエランに問いました。エランは口角を吊り上げて自信に満ちた顔をします。

「そこは心配すんな。ゆっくりと俺らと同じになるように馴染ませるさ」

「感性は人間のまま、肉体は僕らと同じにするってこと?」

4号が静かに問いかけます。エランはニヤリと笑って答えました。

「そういうことだ」

エランが興味を持ったのは人間です。心まで妖精にしては意味がなく、人間の脆弱な肉体ではすぐにいなくなってしまいます。なので、こうも中途半端な状態に変えてしまおうとしているのです。

スレッタの知らない間に彼女の人生が壊れてしまう決定が下されて、妖精たちの話し合いは幕を閉じました。


ベッドから起き上がったスレッタは何か夢を見た気がして、でも思い出せなくてモヤモヤとしています。しかし、寝る前には固まっていなかった決意は不思議と決まっていました。

スレッタはお母さんにもミオリネにも気付かれないように、こっそりと部屋の窓から抜け出し外に出ました。

森に入るまでは辺りを窺いながら、森に入ってからは約束の場所に駆け出します。

息を弾ませ木々の間を走り抜けていきます。徐々に近づいてきた広場に本を読んで待っている人影が見えました。

4号はスレッタに気付いて、本をパタンと閉じて立ち上がります。

「来たんだ」

「はい」

はあはあと息を整えながらスレッタは返事をしました。4号が白い手袋に覆われた手を差し伸べます。

「行こうか」

差し伸べられた白い手をそっと取ります。彼のひんやりとした体温が手袋ごしに伝わってきました。

「目を閉じて」

「えっと、こうですか」

言われた通りに目を閉じます。閉ざされた視界の中で伝わってくるものは、彼の息遣いと繋がった手の感触で、スレッタはドキドキと心臓を跳ねさせてしまいます。

ふっと肌を撫でる風や空気が変わったような気がしました。目をゆっくりと開けると、黄昏に照らされた草原が琥珀の海のように波打っています。

「わあ……」

感嘆の声を漏らすスレッタの手を4号は引きます。

「王様はこの先にいるよ」


4号に手を引かれて草原を抜け、後ろに立派なお城が見える城下町にたどり着きました。

町の中は翅の生えた妖精、動物の頭や尾をもつ妖精、小柄でもじゃもじゃの髭をたくわえた妖精、人型ではなく動物や虫そのものな妖精まで様々な姿をした者が歩いています。

彼らはスレッタを見て口々に、「人間だ」「人間がいる」「ぼくも欲しいな」「でも王様のものなんでしょ?」と話しています。4号はひそひそと話す彼らを意も介さずに進んでいき、スレッタも手を引かれるままに歩いていきます。

お城に入ると4号そっくりの顔をした人が出迎えてくれました。

「やあ、久しぶりか最近会ったかは分からないけど、また会ったね」

「え?あなたって、妖精じゃないって……どういうことですか」

「へえ……僕のウソを正直に信じちゃって、可愛いね。4号から聞いてるかもしれないけど、僕は5号。よろしくね」

事態が飲み込めないけれど、スレッタはとりあえず5号から差し出された手を握り返します。そのとき、4号と繋いだもう片方の手がギュッと握られた気がしました。

5号もスレッタの手を引いて先を歩いていきます。スレッタは4号と5号に挟まれて連行されているような恰好になってしまいました。

「あ、あの、どうして妖精じゃないってウソついたんですか?」

スレッタは歩きながら、気になったことを質問してみます。

「それはね、妖精に対して悪い印象を持つ人間が多いからだよ」

「あ……」

スレッタの脳裏にお母さんの顔が浮かびます。ミオリネは妖精に対して無関心でしたが、お母さんは確かに悪い印象を持っているようでした。

「でも、ヨンゴウさんは隠してなかったですよ?」

それにしては4号があっさりと正体を明かしたのは、おかしいように思えます。

「コイツはそこらへんどうでもいいって無関心だからね……」

「上手くいったからいいだろ」

「良くないんだよ。そんなだから、僕にばかり人間の世界に関わる雑用が回されるんだけど」

4号は文句を言う5号からプイと顔を逸らして、スレッタの手を力をこめて握りそそくさと先に行ってしまいます。それはどう見ても拗ねているようで、落ち着いた雰囲気のわりに子供っぽいところもあるのでした。


「着いたよ」

4号が言葉短くスレッタに伝えます。目の前には広い部屋と、豪奢な椅子に堂々と座った4号と5号にそっくりな顔つきの人がいます。

「あ、あなたが王様ですか?」

スレッタが緊張した様子で質問しました。顔の作りは同じでも雰囲気が全く違います。4号と5号はどちらかというと王子様のようですが、彼は王様に相応しい堂々とした雰囲気です。

「そういうことになっているな。まあ、エランでいいよ」

スレッタは安心させるためか、エランは馴れ馴れしい、軽薄とも思える態度で接してきました。スレッタは逆に困惑してしまいます。

「え、えっと、エランさま?でいいですか?」

「別に様もいらないけど、まあいいか」

そう言うと、エランは立ち上がりスレッタに手を差し伸べます。手袋をはめていない生身の手は、透き通るような白さで傷一つありません。

「行くか。エスコートしてやるよ」

スレッタは綺麗な手にそっと手を添えて、優雅な仕草に頬を赤らめました。


そこからは夢のような時間でした。3人に導かれてお城や町の中を見て回ったり、見たこともない不思議なものに目を輝かせたり、妖精郷で食べられている食べ物を食べたり、魔法を見せてもらったり——。スレッタは時の流れを忘れて楽しみました。実際にここに来てから空は黄昏のままで、時間は流れることを忘れているようです。

その中でスレッタはふと、自分の家やお母さんが恋しくなりました。確かにここはとても楽しい素敵な場所だけど、一旦帰りたいと思えたのです。

「あの……お母さんも心配してると思うから、そろそろ帰ってもいいですか?」

スレッタは勇気を出して、恐る恐る聞いてみます。

「帰る?」

4号が突然冷たい口調になりました。

「うーん、それは難しいんじゃないかな」

5号が不安を煽るようなことを言います。

「え……どういうことですか?」

「スレッタの帰る場所はここってことだよ」

エランが当然のことのように言ってのけます。スレッタはどうしてそんなことを言うのか、何も分かりません。

「こういうことだ」

エランがくるりと指をふるって、宙に映像が投影されます。そこにはベッドに横たわるスレッタと、スレッタに縋りついているお母さんが映っています。

「お母さん!?でも、なんで私が?」

「チェンジリング、取り替え子とも言うな。お前がここに来た代わりに”アレ”を置いていったんだよ」

エランがベッドに横たわるスレッタを指して、面白そうに言います。

映像の中の場面が切り替わり、墓場になりました。お母さんもミオリネも嘆き悲しんでいます。墓碑にはスレッタの名が刻まれていました。

「取り替えられた子は病弱だから、大抵はじきに死んでしまうんだよね」

「むこうでは君は既に死んだことになっている」

4号と5号の言葉は、事態を飲みこめないスレッタに嫌でも現実を叩きつけてきました。

また場面が切り替わり、スレッタの墓の隣に新しい墓が増えています。

「お前の母親は、娘が死んだことに耐えられなかったのか、後を追うように死んでしまったみたいだな」

「うそ、です……エランさまは私に幻覚を見せて遊んでいるんですよね?」

ここにはそんなに時が経つほどいないはずなのに、映像の中だと時間が経っているように見えます。それはおかしい、不思議な魔法の力で幻覚を見せているんだと、スレッタは思ったのです。

「幻覚なんかじゃないさ。ここは人間の世界とは時間の流れが違うんだよ」

「いや……うそです」

「じゃあ、証拠を見せてやるよ」

エランがパチンと指を鳴らすと、世界が切り替わりました。お城の中からパーティー会場のような場所に立っています。スレッタの感覚が何となくこれは現実だと伝えてきました。

スレッタが周りをキョロキョロと見ていると、奥の方から二つの人影が並んで歩いてきます。

ゆっくりと歩いてくる二人の顔がハッキリと見える位置まで来ました。そしてスレッタの頭は真っ白になってしまいます。

「あれ……ミオリネさん?」

片方はスレッタが知る姿より背が伸びて、大人になったミオリネでした。彼女は着飾って、スレッタのことは過去形にして、幸せそうに笑っています。

もう片方は金糸の髪が美しい褐色の肌をした、背の高い綺麗な男の人です。彼もミオリネ同様に幸せそうに笑っていて、スレッタは彼のことは知りませんが、お似合いだと思いました。

「ねえ!ミオリネさん!私、生きてます!死んでません!!」

スレッタは必死にミオリネに呼びかけますが、彼女は全く気付きません。スレッタなんてはじめからいないようです。

「姿隠しの魔法をかけてるから、気付きやしないよ」

エランは泣き叫ぶスレッタを見てもどこか面白そうです。人間の感情であれば種類を問わず、彼は興味を抱くのです。

「といて!といてください!!」

「解いてどうする?死んだやつは死んでなくちゃいけない、人間の世界ではそういうことになってるんだろ」

「ああ……」

ゾッとするほど冷たい目で、エランは無感情に答えます。ここでまた世界が切り替わり、お城に戻ってきました。

「おかえり~。って、スレッタの心、死にそうだけど大丈夫なの?」

間延びした口調で5号が迎えます。

「彼女のこと壊したら、君のことを許さない」

4号は今にもエランのことを殺しそうな様子です。

「お前ら落ち着けって。スレッタはしばらく寝かせておいたら、回復するだろ」

そしてエランは意地悪く口角を吊り上げました。

「むしろこうやって大人しくしてくれた方が、色々と都合がいい」

心が壊れたスレッタにはもはや彼らの言葉は聞こえていません。されるがままに連れていかれて、気付いたらベッドに横たわっていました。


それからスレッタは何をする気力も起こらず、一日のほとんどを泣いてベッドの上で過ごしています。手足を動かすのすら億劫で、しなやかな肢体は筋肉が落ちてやつれてしまいました。

でも、4号と5号が代わる代わるやってきて甲斐甲斐しく世話をするので、身体自体はここに来る前より健康体になっています。

エランも頻度は落ちるけれどやってきて、スレッタに何か魔法を掛けていきます。そのたびに、スレッタの心は暗く沈んでいるのに、身体は熱をもって、それから軽くなっていくのです。

そんな身体が作り変えられていくような違和感も、スレッタにはもはやどうでもよくて、ぼんやりと受け入れるのみです。

枕を涙で濡らす日々が続いたある日、スレッタは全てを忘れたように変わりました。

ふんわりと笑うようになり、4号や5号について歩き回ることも増えました。目にはぼんやりとした光を宿すのみで、かつてのようにキラキラと強い光を宿して輝くことはありません。

それでも、また感情を揺り動かすようになったスレッタの変化をエラン達は喜びました。スレッタが見せる感情の色は喜びだけで、悲しみや苦しみの色はもう見えません。

それからスレッタは、苦しい思いも悲しい思いもすることなく、ずっと幸せに笑って暮らしました。

めでたしめでたし。

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