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虛構的南京大屠殺

《1》南京大虐殺の真相(要約版)

2015年07月19日 | 南京大虐殺

改版履歴:

2017.02.22 全面書き換え

2017.08.20 紅卍字会の数値解釈変更に伴う修正。

2017.08.21 《混乱する論争と本考察の結論》追記。

2017.08.23 《教訓的課題》追記。

2017.08.28 紅卍字会「水葬」判定基準変更による修正。

2017.09.10 紅卍字会・埋葬記録の集計ミスによる修正




検証が進むと共に一連の記事がかなりの量になってきたので、これひとつで全容が把握できる要約版として全面的に書き換えた。




《探求のコンセプト》


1937年12月、当時の中華民国の首都・南京に日本軍が攻め入った時に“30万人の大虐殺”をしたとして今でも一部方面から糾弾されている。

このいわゆる「南京事件」または「南京大虐殺」については、歴史家や研究者によって虐殺犠牲者数もまちまちである。


中国側が“犠牲者数30万人”と主張しているものだから、一部の論者はそれに少しでも近づくように当時の南京市民や中国軍の陣容を実在する記録以上に増やしたり、対象エリアを上海から南京への進軍路まで広げたりするなど、詭弁を弄しているようにすら見える。


そこで、後世の論者の主張は基本的に無視して、南京戦の当時の記録と、そこにいた関係者の証言を重視して人的被害を算定するとどうなるか、に取り組んだのがこの一連の記事である。


なお、この一連の記事を読んでもらえばわかると思うが、私はこの探求では自分の考えを極力出さないようにした。なにしろ、この南京戦では、南京市民25万人、国民党軍8万人、日本軍8万人と、合計40万人以上もの人々が現場にいたのである。その人たちが語ったこと、記録したことに基づいて、事実を再構成するのがベストだと考える。





《源流の記録》


実は南京戦の直後から“南京大虐殺”報道の萌芽が見えている。その情報の流れは概略として下図の通り。

その中でも、この一連の考察でもっとも重視したのは、南京の現地で記録された次の3史料。それ以外の派生史料はプロパガンダ色が強くなっていく。

(1)スマイス調査


これは、南京陥落3か月後から金陵大学(現南京大学)のルイス・スマイス教授が、市民の被害状況を統計調査した記録である。この記録によれば、南京(都市部)の市民犠牲者は3,400人である。しかし、“犠牲者数30万人”には程遠い記録であるためか、より多い虐殺数を主張する論者ほど、この南京戦直後に行われた貴重な統計調査を無視する傾向がある。

原文は次の語句を検索するとすぐ見つかる。

War Damage in Nanking Area, Dec.1937 to March 1938, Urban and Rural Surveys



(2)紅卍字会の埋葬記録


南京を占領した日本軍は、特務機関を通して現地の赤十字に似た組織の「紅卍字会」に遺体の埋葬作業を委託した。記録上の埋葬数は4万3千だが、紅卍字会への委託を担当していた特務機関員の丸山進氏の述懐に基づいて検証したところ、一部が水葬と思われることもわかった。それを除外すると埋葬実数は2万3千。そして、女性と子供の割合はわずか0.3%にすぎない。 



(3)南京安全地帯の記録


燕京大学の徐淑希教授は、南京市民を保護していた南京安全区国際委員会が作成した日本軍への抗議文書を収集し、1939年に「南京安全地帯の記録」を発行した。これによると、南京陥落後に26件の殺人(53人の犠牲者)、175件の強姦、131件の窃盗、その他の事件があったとされる。

日本語ではこの書籍で読める。《「南京安全地帯の記録」完訳と研究 》


ただし、南京日本大使館勤務の外交官捕・福田篤泰氏によれば、当時の国際委員会に次々駆け込んで来る中国人からの強姦事件等の通報を、被害者聴取や現場検証もせずに記録していくフィッチ神父らの行動に異議を唱え、実際に現場検証してみると被害者もいなければ人が住んでいる様子もないと報告しているので、全てが事実とも限らない。





《数字で見る南京戦》


上述の記録や当時南京にいた関係者の証言などを参照しながら、犠牲者数の試算モデルの作成を進めたところ、見えてきたのは次のような結果である。

なお、ほぼ全ての数字の論拠は一連の記事に提示してある。一部は推測値だが、なぜその数値を選んだかの理由も記した。



(人口)

・南京陥落時点の安全区の人口は20万人、城内全域で25万人

・戦前の南京市の人口は100万人

・陥落翌月の安全区の市民人口は25万人(ほぼ変動なし)

・陥落翌年3月下旬の南京の人口は25万〜27万人(増加傾向)

・陥落翌年5月末の南京の人口は27.7万人(増加)


(兵力と戦死)

・国民党軍の総兵力数は8万1千(譚道平記録)

・国民党軍の総戦死数は約5.0万(ただし、前項の枠外の増援なども含む)

・前項から処断数を除くと戦死数3.6万(犠牲者総数の65%)

・敗残兵の処断は約1万6千(犠牲者総数の29%)

・中国側総兵力10.45万以上=戦死5.0万(処断を含む)+捕虜1万+残存兵力4.45万(譚道平記録)

・処断のうち2,000は市民を誤認した可能性(犠牲者総数の4%)

・河に流された戦死体はおそらく約1万

・処断を免れた捕虜は約1万人(うち、鎮江からの退却兵7千)

・日本軍の総兵力は7万数千人


(遺体処理)

・紅卍字会埋葬遺体実数は約2万3千体、うち約4,800体は城内で収容

・紅卍字会埋葬記録のうち女性と子供の比率は0.3%。城内のみでは2.6%、城外のみでは0.01%

・南京市衛生局の埋葬分約7千と併せて埋葬実数約3万

・犠牲者の46%が江上での戦死または水葬、54%が埋葬


(犠牲者統計)

・中国側の犠牲者総数は約5万5千

・南京市民(城内外)の犠牲者数は約5,400人

・うち約4,000人の市民が12月14日以降の占領期間中に死亡

・市民犠牲者の74%が陥落後の城内掃討時に発生

・城内掃討戦での犠牲者の34%が市民

・南京戦全体での中国側犠牲者総数の9.8%が市民



(関連図表)

《この試算モデルの特長》


上図で提示した試算モデルの特長は次の通りである。


(1)南京戦に関与した当事者が記録あるいは算出した数値に従っている。

(2)埋葬遺体数については、紅卍字会の記録と南京市衛生局の数字を用いている。

(3)市民犠牲者数についてはスマイス統計調査の数字に準拠した。

(4)ベイツは「犠牲者の30%は純粋な民間人だった」と主張したが、城内では試算の結果そうなっている。

(5)事件に関して知られている多くの記録の数値や証言などと無理なく整合し、数字の辻褄合わせのための新説を必要としない。

(6)いわゆる大虐殺肯定派が提示する証言に出てくる犠牲者数も幅広く収集し、試算に盛り込んでいる。一部で言われている日本兵の暴虐行為が仮に本当だったとしても、犠牲者数が極端に多くなければ、この試算モデルと整合する。

(7)偕行社の『南京戦史』では、《南京戦における中国軍兵力7.6万人。その内訳は、戦死約3万、生存者(渡江、突破成功、釈放、収容所、逃亡)約3万、撃滅処断約1.6万としている。》とのことだが、全く独立のアプローチをしたこの試算モデルでは戦死3.6万となり、やや多いものの近い数字。

(8)『岡村寧次大将陣中感想録』に《南京攻略時に於て約四、五万に上る大殺戮、市民に対する椋奪、強姦多数ありしことは事実なるか如し》との記述があるとのことだが、この試算でも南京戦での中国側総死者数を5.5万と見積もった。概ね近い数字。

(9)ラーベは、陥落翌年の1938年6月8日付け『ヒットラー宛の上申書』にて、「中国側の申し立てによりますと、十万人の民間人が殺されたとのことですが、これはいくらか多すぎるのではないでしょうか。我々外国人はおよそ五万から六万人と見ています。」と書いているが、「民間人」はさておき、南京戦での中国側犠牲者総数としてなら、この考察での試算5.5万と整合している。





《日本側関係者の認識》


日本軍には、150名を超える記者らが従軍していた。一連の記事ではその従軍記者らの証言も紹介している。

しかし、見ればわかるように、誰も「虐殺」を見ていない。一部の記者が、敗残兵の処刑に憤慨しているのみである。ここからわかることは、敗残兵の処刑は目撃したが記者らはそれを「戦闘の延長」と見なしていて「虐殺」と認識していないということである。そして、市民の虐殺についての目撃証言はひとつもない、ということである。


陥落後の南京に進入した日本軍将兵らも同様の証言をしている。陥落時に数千人の中国兵が軍服を脱ぎ捨て、市民を保護している安全区に潜伏したために、そこから敗残兵を摘出する作業と、それらの敗残兵処断はしたが、市民の虐殺をしたとか見たとかという話は出てこないのである。

また、昭和59年頃に、南京戦に参加した元日本兵らが自ら南京戦を振り返った「証言による『南京戦史』」にも、捕虜あるいは敗残兵数千人規模の処断について行き過ぎな行為があったものの、市民の虐殺等は断じて無い、と書かれている。





《掃討と敗残兵誤認》


しかし、市民犠牲者数の数字を検証する過程で見えてきたことがある。


この試算モデルでは、市民犠牲者5,400人と算定したが、その中でも「掃蕩時の殺害」と「敗残兵摘出時の誤認による処断」の2つで4,000人程度の犠牲者を出していて、市民犠牲者総数の74%を占めている。


「掃蕩時の殺害」には、東京裁判でマギー牧師が自身の唯一の殺人の目撃談として証言したような「怪しい中国人がいたので日本兵が声を掛けたら逃げ出したので撃った」というような事例や、ベイツレポートにある「恐怖と興奮にかられて駆け出す者、日が暮れてから路上で巡警に捕まった者は、だれでも即座に殺されたようでした」なども含まれる。

家屋掃討時にもそういった事例があったであろう。そのような市民犠牲者数が2,000人。この数字はスマイス調査に依拠している。


そして、「敗残兵摘出時の誤認による処断」についても2,000人を計上した。

これは、スマイス調査における「拉致(taken away)」4,200人について、「これは兵士による殺害に大きな影響を与えなければならない」というような記述をしていることから、その行き先として見えてきたものである。

裏付けとして、ヴォートリンは「敗残兵と誤認された市民釈放の嘆願書への署名者が千人になった」と日記に書いている。

計上した2,000は、スマイス調査の拉致4,200とヴォートリンの署名者千人の間の数字として採用した。


ただ、このような不幸な事態(敗残兵誤認による処断)が生じた理由は、日本軍の不手際だけとは限らない。そもそも、陥落時の混乱で、数千人とも言われる中国兵が降伏もしないまま軍服を脱ぎ捨て市民の衣服を奪い、安全区などに潜伏したのが最大の原因である。





《見えてきた真相》


上記の考察が正しければ、従軍記者や日本軍将兵らに虐殺の認識が皆無であるにもかかわらず、敗残兵摘出の混乱の中で夫や息子*aを殺されたり拉致されたりした一部の市民や、それらを目撃した安全区国際委員会の関係者などに、6,670人*bの敗残兵の処断(従って、その一部に誤認された市民が含まれている)の光景と重なって、“大虐殺”という心象*cをもたらしたのではないかと推察できる。

*a 埋葬記録によれば遺体の99%以上が成人男性。

*b 第七聯隊が12月14〜16日にかけて安全区から6,670人を捕捉し、処断。

*c 人口22万人の渋谷区から3日間で任意の男性6,670人を強引に連行する状況を想像すればわかるだろう。


そして、スマイス調査によれば、南京の平均的家族構成は4.7人とのことだから、掃討と敗残兵誤認により夫や息子を失った家族が4,000あるとするならば、それは家族数全体(53,200家族*d)の7.5%に相当する。

*d 市民人口25万として。


そうであれば、掃討と敗残兵誤認で災難を被ることがなかった大多数の市民ら(92.5%)は、陥落から1週間が過ぎた頃には日本軍将兵らに敵意や恐怖感を抱くことなく、平穏な、あるいは親しげな姿を見せて日本軍将兵らと共に写真に撮られていることも説明がつく。もし、市民への無差別虐殺があったなら、そのような写真が撮られるはずがない。


また、掃討と敗残兵誤認で約4,000人というような桁の市民犠牲者が出たにもかかわらず「南京安全地帯の記録」には殺人26件(犠牲者53人)しか記録されなかったことも説明がつく。即ち、敗残兵の摘出そのものは適法な戦争行為として国際委員会も認めざるをえない状況で、例えば逃走しようとして射殺されたり、誤認により連行されて処刑されてしまったとしても、どれが不法行為(=抗議すべき事案)であるか国際委員会としても判別がつかなかっただろうし、全容も把握できなかっただろう。そして、その大混乱の様子は、「安全地帯の記録」の事件記録の方ではなく、陥落から数日間の日本大使館への手紙の文面に現れている。


その一方で、安全区国際委員会などの欧米人らの一部が、実は中国国民党の顧問であったことが研究者らの発掘で明らかになっている。従って、南京陥落直後から上述の背景情報をベースに、プロパガンダとして偏向された情報が欧米等のマスコミに発信され始めたと解釈することができる。





《犠牲者数はもっと多いはずではないのか》


今回の試算を行うにあたっては、いわゆる大虐殺肯定派が提示している証言による犠牲者数も把握できる限りにおいて幅広く取り込んでいる。万単位の数字を捕捉し損ねているとは思えない。


また、大虐殺があったとの説に合わせるならば、上の試算のほぼ全ての数字を何倍にも増やさないといけなくなるが、ここまで南京戦の細部が見えてくるとさすがにそれは不可能としか思えない。


さらに、スマイス調査に基づいて「兵士の暴行による市民の犠牲者」を南京が位置する江寧県全体にまで広げたとしても、最大15,760人である。このように、現地で記録された統計に基づく限り、たとえ戦死者までカウントしたとしても中国が主張するような“30万人の犠牲者”は全くありえないのである。


机上の空論で大虐殺説を創作するならば、城外で20万人以上の市民を殺戮し遺体を全て河に遺棄するというのなら理論上はあり得ても、日本軍の工兵部隊が河岸の遺体(約3千体)を河に水葬する際にも相当の時間(15日間)を費やしているので、20万人殺戮と遺体処理を従軍記者や安全区の欧米人らの誰にも知られずに完遂することは不可能である。


なお、一部の大虐殺肯定派は、上海から南京への進軍途上での犠牲者数も含めているが、この考察では含めていない。考察対象は、12月10日の南京総攻撃開始以降に戦域となったエリア内で生じた犠牲者数のみを対象にしている。


そもそも、元々の南京事件とは、陥落後の約6週間もしくは最大で2か月の間に南京城で起きたことを指している。また、中国が建立している「“南京大屠杀”遇难同胞纪念碑」も南京城周辺だけで約30万人の犠牲者数を碑文に記している。





《大虐殺と言えるのか》


今回の試算では、中国側は敗残兵処断も含めて戦死が5万人、市民犠牲者が5,400人であり、犠牲者総数の約9.8%が市民である。


これに対して、太平洋戦争時の沖縄戦では、日本軍の戦死9.4万、沖縄県民の犠牲者9.4万。市民犠牲者比率50%。

第二次大戦末期の、ソ連軍によるベルリン陥落時には、ドイツ軍戦死17万、ドイツ市民の犠牲者15万。市民犠牲者比率47%。

イラク戦争では、イラク軍の戦死3.7万、イラク市民の犠牲者11万。市民犠牲者比率75%。


また、中国の事例でいえば、1948年の長春包囲戦で中国国民党軍に守られた長春を中国共産党の人民解放軍が兵糧攻めにし、数十万の餓死者を出したとも言われる。


従って、時代も状況も違うが、一国の首都を制圧する地上戦としては、南京戦は市民の犠牲者は比較的少ない戦争だったのではないかと考える。


また、紅卍字会の記録で見ると埋葬遺体における女性と子供の比率が0.3%にすぎないこと、そして市民犠牲者の大半が敗残兵の摘出と処断に関連することも併せて考えると、ホロコーストのような組織的大虐殺があったとは言えない。


東京裁判での松井司令への訴因54(虐殺の実行、命令、授権、許可)が無罪判決だったことも、それを裏付ける。

また、合計1.6万の敗残兵を処断した部隊、すなわち第九師団歩兵第七連隊、第十六師団歩兵第三十三連隊、第十六師団歩兵第三十旅団、第百十四師団歩兵第六十六連隊、第十三師団歩兵第六十五連隊隷下の山田支隊の師団長または連隊長クラスで、戦犯に問われた人はいない。


個別の殺害場面では日本兵による「不適切な殺害」があったことは否めないものの、それは歴史上のほとんどの戦争に見られる一部の兵士や部隊の暴走や過失であって、「南京戦」そのものが世界の戦争史の中で特異なものとして語られるほどの異常性はどこにもないのである。


さらに言えば、退却する中国兵が市民を虐殺した事例も報告されている。市民の犠牲の全てが日本軍の行為に起因するものではない。





《混乱する論争と本考察の結論》


それにもかかわらず、南京論争がなぜこれほど長期間にわたって混乱しているのかというと、それは論者によって見ているポイントが異なるからである。


下図は、この一連の考察によって算出した中国側犠牲者数の推移を簡略的にグラフ化したものに、主な論者がどこを見ているのかを重ね合わせた。

城外戦死:城外での戦死。
処断  :戦闘中に行った敗残兵の処断、および幕府山事件の犠牲者。
城内戦死:陥落日までの城内戦死、および陥落後の城内掃討での中国兵の戦死。
便衣兵 :陥落から数日間の城内掃討で捕縛され、城門外や揚子江岸で処断された敗残兵。
市民犠牲:陥落までの犠牲者、陥落後の掃討時の巻き添え、敗残兵と誤認されて犠牲となった市民。

※グラフに用いた数値はこの一連の考察で算定したものだが、犠牲の発生日は必ずしも定かではないので、わかる範囲で大まかに割り振っている。

特に実態との乖離が甚だしいのは、中国が主張する"30万人"である。これは「“南京大屠杀”遇难同胞纪念碑」にもあるが、大半が戦死なのにそれらも区分することなく計上し、さらに埋葬数などを二重計上した上ですべての合算を“南京大屠杀”としている。


また、図中には書き加えなかったが、敗残兵処断の生々しい描写を列挙することで“大虐殺”を主張している論者も見られる。


しかし、この21世紀の倫理観と価値観で80年前の戦争の一場面を断罪することは極めて不適当であることはいうまでもない。従って、南京論争においては“大虐殺”という文字列のイメージに惑わされることなく、「どの部分」を「何の基準」に基づいて議論するのかを明確化する必要がある。


なお、この一連の考察において、“大虐殺”イメージの核心として到達したのは、《A「南京安全地帯の記録」が示す原初的南京事件》である。


陥落時の城内にいた関係者の情報をまとめた「南京安全地帯の記録」に掲載されている「日本大使館への手紙」の文面にもそれが表れているし、ベイツレポートの文面も同様である。また、東京裁判での南京事件関連の証言も多くはその部分であるし、松井司令官への判決文でも「南京の不幸な市民を保護する義務を怠った」とされた。


その一部は城内“虐殺”のケーススタディとして検証し、併せて城内掃討における市民犠牲比率についても試算した。


その試算結果は、上述したように市民犠牲者総数の74%が陥落後の「掃討時の殺害」と「敗残兵摘出時の誤認」であり、その際の城内掃討における市民犠牲比率はおよそ34%に達する。


つまり、(1)「南京安全地帯の記録」、(2)ベイツレポート、(3)東京裁判での証言、(4)松井司令官への判決文、(5)今回の試算結果、のいずれもが同じ点を指し示している。



従って、松井司令が死刑に値したかどうかはさておき、本考察の結論としての南京事件の核心は《市民犠牲者の大半を出すに至った、陥落後の城内掃討における、市民の保護》である。


ただ、残念なことに上記の核心を出発点としながらも、近年は様々な陣営の様々な思惑によってむしろ核心は忘れ去られ、争点と犠牲者数があらぬ方向に膨らんでいっているように思える。





《謀略としての“南京大虐殺”》


謀略としての“南京大虐殺”は、当時の日本を米国に叩かせるために中華民国によって育てられ、戦後は日本人に贖罪意識を持たせるために東京裁判などを通して占領軍によって固定化された。これは、WGIP(ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム)として、一部の人には知られている。WGIPの要点は次の通り。


・戦後日本の苦難と窮乏を、軍国主義者の責任とする

・大東亜共栄圏の思想を忘れさせるため、戦争の名称を「太平洋戦争」とする

・罪悪感を植え付けるため、特に南京とマニラでの日本軍の残虐行為を強調する



だが、中国共産党政府は21世紀になってもまだ“南京大虐殺”を日本糾弾の中核に据えている。むしろ、加熱させているとも言える。その狙いの第一は日米同盟の破壊にあると考える。孫子の兵法にも「上兵は謀を伐つ。其の次ぎは交を伐つ」とある。米国などにおいて日本に対する嫌悪感を醸成すれば、戦わずして勝てるということである。


第二の狙いは人民解放軍の戦意向上のようである。在日中国人によると、人民解放軍の新聞には「南京大虐殺は日本の天皇によって指揮された、日本の軍国主義の闇は天皇が処刑されなければ決して消滅しない」というような嘘の話が載っているとのこと。


このように、我々はすでに、孫子の兵法でいうところの戦わずして勝つための広義の戦争の渦中にある。


日本国内ではさすがに“30万人の大虐殺”を主張する論者はほぼいないものの、「行き過ぎた敗残兵処断」などをもって「虐殺はあった」と結論付けようとし、中国が世界に広めようとしている“30万人の大虐殺”に結果的に加担してるような者が見られる。


南京一帯にある「“南京大屠杀”遇难同胞纪念碑」の碑文を見ればわかるが、その多くに戦死もごちゃ混ぜにして「武装解除された兵士および一般市民の同胞が虐殺された」という趣旨のことを表記し、さらにその一部には「侵华日军屠杀我南京同胞达三十万众」と、“30万人の大虐殺”を刻んでいる。「日本国内には市民の大虐殺を主張する論者はいない」などという弁解は通用しないのである。


敵意を隠し持つ隣国への理解ある配慮がやがて自分たちに災難をもたらすことは慰安婦問題で十分に学んだはずである。


従って、“南京大虐殺”については正確に事実を把握しつつも、「それは違う。南京戦を大虐殺というなら、他の戦史上のほとんどの地上戦を大虐殺というのか? 長春はどうなんだ? そもそも敗残兵が降伏もせずに軍服を脱ぎ捨てて安全区に潜伏するのが悪い。それに、退却する中国兵による市民への虐殺もあった」と返すのが正しいと私は思うのである。





《教訓的課題》


以上の考察を通して、あえてこの“南京大虐殺”騒動から教訓的課題を抜き出すとすれば次のようになると考える。


(戦術的課題)

南京戦に限らず現代のIS掃討戦において市街地を占領するような状況なども想定し、市民の中に紛れ込んだ敗残兵をどうやって識別し、排除または捕獲するのか。その際の市民の保護はどうすべきか。


(謀略的課題)

前項のような状況下で市民や捕虜に犠牲が生じたことを、悪意のある敵対国が情報戦(=謀略)の材料として悪用する場合に備え、あるいはそのような情報戦が生じた場合にどう対応すべきか。







考察の細部を知りたい方は、以下の関連記事を参照ください。




《関連記事一覧》


The Fact of “Nanking Massacre”(日英併記の概略版)

http://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/b9fce6b774ed768149eb86f4ddb29ad9




《1》南京大虐殺の真相(要約版)

http://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/eaacb2fee7e20c9adc4799020776c9d1


《2》南京大虐殺・記者たちの証言

http://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/07b0432511c5b1ba46273ea3154fe867


《3》南京大虐殺・数字で見る南京戦

http://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/7af6602fc4a3e27fcbc6eaab819de7f4


《4》南京大虐殺・当時の情報の流れ

http://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/0553b7331aec67551f6b1efc60e38e4a


《5》南京大虐殺・ベイツレポート

http://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/e84799c0c77ce6c232f38057b50c20dd


《6》南京大虐殺・南京安全地帯の記録

http://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/6c58bead6dd46cf8074e93c309697e81


《7》南京大虐殺・疑わしい殺人事件

http://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/f28e1943f120e618881c630a7fb784c6


《8》南京大虐殺・敗残兵処断の適法性

http://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/4d727aba3078cebff41956b131e55ec7


《9》南京大虐殺・スマイス統計調査

http://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/4d7b92410f8faa68c2580614d5318336


《10》南京大虐殺・市民の犠牲者数

http://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/0896042f8ddf1f5a0843c743f6300451




《補記1》新河鎮での激戦

http://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/cce40e2948b33f0020a28b79309d6585


《補記2》“煤炭港虐殺”事件は捏造

http://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/d907662ba0e7f7e25cdc214e2befdf97


《補記3》紅卍字会埋葬記録の検証

http://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/c9f414da142a782a28bc89d8db538f6b


《補記4》犠牲者数の一覧と論拠

http://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/d970ae18fbcd6ea40e68a22a5d24d01a


《補記5》残虐な中国兵

http://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/87915078145230ed66431b34f00c5568


《補記6》“南京大屠杀”遇难同胞纪念碑

http://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/231d3f251ec4a413608c7c6baa8e4e90


《補記7》湖山村の虐殺

http://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/55a25fb93a76cfa9978bec6b91da4844


《補記8》城内“虐殺”のケーススタディ

http://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/8dfb8b0916aa84dc46215f2c7b3543d5


《補記9》“太平門虐殺”の真相

http://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/6d504c6058b4b0aba2a8bbf343eb467c


《補記10》幕府山事件について

http://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/9b9a860e2c39a923405efe2946d766ed


《補記11》南京の図面など

http://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/a2c8611b2de0b7296f12f49951f890f4


《補記12》グラフで見る城内掃討

http://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/baa643515716ad661f2f8193d02942b2







主要参考文献:


南京事件の核心―データベースによる事件の解明(冨沢 繁信)

http://www.amazon.co.jp/dp/4886562361


「南京安全地帯の記録」完訳と研究(冨沢 繁信)

http://www.amazon.co.jp/dp/4886562515




お勧めの書籍:


南京の実相―国際連盟は「南京2万人虐殺」すら認めなかった

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再審「南京大虐殺」―世界に訴える日本の冤罪

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「我らの兵隊さんは平和を楽しむ。南京総攻撃であわてふためいて逃げたおもちゃ屋が道路に捨てて行った子供の玩具を拾って来て支那の子供達と遊ぶ。兵隊さんだけに戦車とか装甲自動車を選んでいるのもおもしろい。」
(昭和12年12月25日 朝日新聞/12月20日 林特派員撮影=陥落一週間後)

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