"医"と"異"

"医"と"異"


ひどくつまらない診察だった。

長く医療に携わっていれば「どうしてこんなことで呼んだのだ」という不満に遭遇することなど、一度や二度では済まない。

しかしながら熱を出しただけの単純疾患であっても、医師や看護師は不満を表に出してはならない。その不満がより重大な疾患を見落とす落とし穴になりかねず、患者の命と家族の将来にとりかえしのつかない隔絶を生むことに他ならないからだ。

しかしそれでも……フローレンスは、この"病原菌"には落胆を隠すことなどできなかった。


「どう診る、フローレンス嬢」

「どうもこうもプリンス・フカボシ‥‥」


「お、お、おのれ人間めェ~‥‥おれたち新魚人海賊団復活の上昇海流を阻みに来たかァ~‥‥」

「ふ、ふふ、ふ……あえて窮地に身を置くことで怨敵をおびき寄せる作戦……成功したようだっ‥‥」

「ウィ~、ヒックぎゃ?!しゃ、しゃしゃしゃっくりでアバラががががァ?!ひひひっくゴボォ!!」


フカボシ王子に「診て欲しい患者がいる、フローレンス嬢のみで十分だ」と言われ、「患者がいるならば」と医療鞄を携えて隔離牢に向かえばこの始末。

なんてことはない、ヤク漬けの反動が極限まで達したホーディたちがいるのみだった。


「チョッパーが診るまでもどころか、私たちの誰もがこう言うでしょう。"手の施しようがない"。本人たちが希望すれば、終末期緩和ケアを施すことを推奨します。本人たちが希望すれば、ですが」

「やはりか……だが、そうはならんだろう。彼らはどうにも、諦めが悪い」

「でしょうね。その点においてのみ、彼らは海賊であると判断します」


ゆえに、フローレンスは凪いだ眼を牢中のホーディ達に向ける。

患者であればナースの誇りにかけて哀れむことなどない。治療を望むのならば、殺してでも命を救っただろう。

しかし海賊であるならば、億が一の可能性に懸けてでも再起する危険性を無視しない。鉄格子を握り「おのれ人間!いますぐ海王類の餌にッ、ぐぎゃああああ~~~‥‥!」と情けない声を上げるホーディを、フローレンスは淡々と「手指関節全てが"疲労骨折"とは。希少症例ですが参考にしづらいですね」と観察する。

牢番魚人兵は「あれが、"鋼鉄天使"…」と生唾を呑み込み、フローレンスの冷酷さに畏怖したが、彼女にしてみれば曲がりなりにも"海賊王"を目指すと言った相手への敬意のつもりだった。

その意志が、相手に伝わるかどうかはともかく。


「手間を取らせた、フローレンス嬢」

「ええ全く、本当にただの手間でした。無いとは思いますが、くれぐれも"隔離措置"を怠らぬよう。アレが"感染"しては誰の幸せにもなりません」

「わかっている、肝に銘じているよ」

「で、あるならばプリンス・フカボシ。"本命"の診察に移ってもよろしいですか?」

「……そうだな」


フローレンスが見聞色で軽く周囲を見渡すも周囲に"心音"は聞こえず。

フカボシが鮫の嗅覚で魚人・人魚の気配を探るも感知にかからず。

おぞましき"病原菌"が撒き散らす怨嗟と、それらを見張る気配以外には、何も聞こえない。

フローレンスが「見張りに聞かせても良いのですか?」と目で問うと、フカボシは静かに頷いた。

「貴方がそうおっしゃるなら」と、フローレンスは医療鞄から検査結果表を手渡した。


「結論から言いましょう、プリンス・フカボシ。あなたの骨髄から調べたHLA型は、見事"人間"のソレと一致しました。骨髄移植が可能……つまり、"造血"の器官を移植することが可能です」

「本当か?!」

「はい。しかも、一致した相手は我らが船長、ルフィのHLA型と一致しています」

「僥倖だ、新たな友のものと血を同じくすることができようとは‥‥!」

「私も驚いていますよ、ダメで元々だったので」


ことの発端はジンベエがルフィに血液を与えたこと。

国を救った新たな友を助けたい、しかし法がそれを許してくれない。王子たる自分が法を破るわけにはいかない。

ジンベエが助け舟を出してくれたとはいえ、二律背反に答えを見出せなかったことはフカボシにとって忸怩たる想いがあった。

ゆえにフカボシは一計を案じた。秘密裏に、父や弟妹にすら告げずに、フローレンスへ密談を持ち掛けた。

「血は与えることができない。だが他の臓器は可能か?」と。

フローレンスは応えた。

「その気があるのならば、調べることは可能です」と。

期待すら絶無の検査だったが、歩み寄りの一歩は「やってみなければわからない」奇跡をもたらした。

輸血はできない。しかし"血を造る器官の移植"は、ヒトと魚人のあいだで可能となった。


「まさしく奇跡です。ルフィの、仲間のドナーが見つかるとは思っていませんでしたから」

「そこまでの評価になるのか?血など型があえばどうとでもなるものと思っていたが。‥‥あえて、諸々の問題に目をつぶればだが」

「輸血であればその認識で構いません。ですが骨髄を移植するとなると、HLA型‥‥別の型が合うかどうかが必要とされるのですよ。その確率は兄弟間で25%、親子間なら3%、赤の他人なら0.01%にまで下がります」

「なるほど、奇跡というのも大仰な確率ではないらしい」


冒険を続けて、フローレンスは様々な場所で献血の提供を願った。

アラバスタではルフィやゾロのために王宮の人々へ、ロンリングロングアイランドではフォクシー海賊団から半巨人のものも含めた多種多様な血液を、託された旧ドラム王国のデータとも比較検査し、もしものときに備えてきた。

その数はゆうに100を超えるが、全て異なるHLA型であり、一味の誰とも一致しなかった。

今日この日までは。


「さすがは海賊王を目指す男だ、天運にも愛されているらしい」

「あなたもですよ、プリンス・フカボシ」

「?」

「ルフィのHLA型と一致するということは、あなたにルフィの骨髄を移植することが可能ということです」


フカボシからルフィへ骨髄移植ができる。であるならば、ルフィからフカボシへも骨髄移植ができる。

考えてみれば至極当然の理屈に、フカボシは天啓を授かったかのような衝撃を受けた。

同時に、会談のマナーとして黙して語らず居ない者に徹していた牢番の兵士が血相を変える。

牢番が、王への不敬を誅さんとする兵へと変わった。


「貴様なんたる不敬っ!」

「王子に人間の血を入れるとっ!」

「よせ!!!!」


フローレンスを射殺さんとする牢番の槍を、フカボシの三叉槍がとどめた。


「助力の申し出だぞ!!!!いいか、"麦わら"たちからの重ねての助力だ!!!!お前たちが見張っているものをみろ!!!!」


王子の一喝に牢番兵たちの目が泳ぎ、パクパクとエラが揺らいだ。

揺れる視線の先に、出してはならぬ"怪物"がいる。


「ふ、ふ、ふひゃへるなひょフカボシィ~‥‥!にんへんのひょうひを、は、ははががが、歯が、はがっ」


流木のように細く成り果てた腕が、檻の外へ向かわんと藻掻いている。


「未だ恩を返しきれぬことを忘れるな!!!!いいか、彼らの厚意を踏みにじるな!!!!」


覇王色でもあれば気絶させんとするフカボシに気圧され、牢番兵たちは槍を置いて石畳に膝をつけた。

フカボシも頭を下げる。


「我が兵が無礼をした、どうか許して欲しい」

「いえ、歴史を想えば無理からぬことです。胸に秘めておきますので、どうかご安心を」

「痛み入る」


フローレンスは「やはりか」と少し表情を曇らせる。

ジンベエから魚人の歴史を聞き、この"病"は一朝一夕では治らないだろうと頭を抱えた。

ホーディという"病巣"を摘出し、尊敬する船長が道を示してくれたとはいえ、一歩は一歩に過ぎない。

フカボシへの「歩み寄り」は受け容れられても、それが繋がるには年単位の時間がかかる。

ドナー(提供者)とレシピエント(受領者)の問題はどうあっても大きな壁が立ちはだかるが、この魚人島ではひと際大きな障害が加わっていた。

それでも。


「骨髄移植には法の縛りもない、私の信念を阻むものなどない。私は私の意志で、ルフィが必要としたときは骨髄を提供しよう」

「ありがとうございます、プリンス・フカボシ。見ず知らずの他人であればともかく、貴方への治療であればルフィも骨髄移植を拒むことはないでしょう」

「できれば無いことを願うがな、なにせそのときはどちらかが病気だ」

「これは‥‥一本とられましたね」


未来の魚人島と"麦わら"の間には、確かな絆があった。

善意によってのみ成り立つ、医の架け橋が。


「フカボシ様、"麦わら"の御客人、大変ですーーー!!」

「どうした!何があった?!」

「び、ビッグマムの使いが入国してきましたーーー!!!ホーディたちが破壊し尽くしたお菓子の行方を詰問しております!!」

「なんですって?!」

「すぐに向かう!!案内しろ!!!!」


厳粛なる空気が支配していた牢を、大時化じみた急報が乱す。

人間・フローレンスと、魚人・フカボシたちが困難に向けて共に駆ける姿は、魚人島の未来を象徴してるかのようだった。


されど。

努々、忘れることなかれ。


「まてェ~~~、にんげェん……!!」

「腕を出すな!おとなしくしていろ!!」

「ひぎゃああああァァァ!!ひ、ひ、秘孔をつく魚人空手だとォ~~~……!」

「ただ触っただけだアホウども!!!病人なんだからおとなしくしてろ!!!」


"怪物"は、すぐ傍にいる。

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