包容して、ようこそ
・IF、微ホラー注意
私はここにいるよ。
私はずっといるよ。
私は皆の幸せを願うよ。
私はここにいるよ。
私はあなたの心の中にいるよ。
あなたは、
「来てくれたんだね」
暗闇、ツートンカラーの髪が目立つ女性は男の目の前に立っていた。男は驚いて話しかけようとするが、
「待って」
女性は手を真っ直ぐに、開きかけた口に翳した。
「とても悪い海賊……そう思っていた。音楽は、みんなを幸せにするもの……傷つけるために使うなんて、音楽家の風上にも置けない」
腰に手を当てて叱るポーズを取って、男の胸に向かって指をさす。
「戦う音楽なんて、もうやめて!」
男はくだらない、と一つ欠伸をつく。小娘が何を知った気で、と、半ば嘲笑しながら喋ろうとするも、あっちの方が話を続けようとする、男の機嫌は損なわれていく。
「って……言いたかったけど、ホントは言えるわけないんだ」
女性は目を閉じて指を開くと、胸に大切そうに両手を当てた。
「あたしとあんたは、同じだからね」
輝かしく笑う顔の可愛らしさ、無邪気さ。その男にはただ鬱陶しい。男は対話を諦めた。真っ黒な地面に腰を下ろし、頬杖をつき、話が終わるまで待つことにした。
「わかったんだ」
「同じだから、あたしはみんなの心の中で永遠に生き続けていくんだって」
「それに、あたしの思いを背負ってくれる人達も……いるから」
アームカバーに記されたマークをぎゅっと握りしめ、
「聴いて」
ウタは少し遠くの方に、まるで、ある空間に向かうかのように歩いていった。スッ、とブレスの音がして、歌唱と同時に……ピアノの旋律が流れる。耳で追おうとするも、その音の出所は、全く見当もつかない。
「は?」
無意識な呟きが歌に飲み込まれる。無機質な風景が前触れもなく、青空の下ライブ会場に変貌する。そこは、男と、ウタと、どこからか現れたバックダンサー数名以外は誰一人として、いない。映像電伝虫すら見つからない。もう何百回と聴いたその歌声にも、ダンスにも、新鮮味は欠片も無かった。
だが、男はその様子にどんな音にも無い新鮮さを見出した。目を見開き、ある感情に、心を乱された……それは恐怖、既存のものだけで構成されたパフォーマンス、男の目には、とても恐ろしいものとして写っていた。時間の流れがある限りは不可能なはず、音の響き方が寸分違わずあのライブと同じものなのだ。何か未知があっても、と、男は舞台から目を、耳を逸らさない。
「ずっと終わらない you and I ここにいる限り」
様子を見つつ逃げようと席から席へ飛び移るが、
「迷わないで手招くメロディーとビートに身を任せて」
「……!?」
逃げ場が無い。
「全てが新しいこのステージ上一緒に踊ろうよ」
男はウタを睨みつけた。攻撃をする気で手を上げようとしたところ、全く気配の無い五線譜の形をした縄のようなものに、体を捕縛された。この悪夢のようなステージの中に留められ、
「あぁ……それもそうか」
男は気づいた。
「それだけでいい Hear my true voice」
音楽が終わった。残響すら、既存のものだ。
「……なあ! 観客を拘束するお前も大概じゃねーの!?」
3階席から、男は声を張り上げてウタに呼びかけた。
「だから、同じだって言ったでしょー!」
ウタはその場から動かず、悪戯っぽく笑って言う。
「何の能力者か知らねーが!! お前とおれが同類だって? 反吐が出るぜ!」
ウタは下を向き、
「あたしだって……同じだなんて、認めたくないよ」
誰にも聴こえない声で呟く。しかし、気丈に顔を上げ、男に向かって叫んだ。
「私の歌は私にしか歌えない!!」
その叫びが届く時、
「それは、おれのを塗り替えてから言うことだろうが!!」
その叫びが届く時、
「塗り替えるまでもないって言ってんの!!」
「それを決めるのはお前じゃねえ……なあ歌姫、なあ救世主、この肩書きさえお前が自ら名乗ったわけじゃねえ!! わかってんだろ?」
男は知っている。
「指くわえて見てろ!! この夢の中に閉じこもって!!」
男は薄々、考えていた。
「じゃあどうしてあんたは此処にいるの!?」
自分がウタの持つ固有の世界に引き込まれたことを。
黙る男の目は険しい。音楽の神に愛されながら、一生の伴侶になることを恐れ多くも断った。その割に音で自分を拘束するという、能力者としての格の違いを見せてきた……音楽家……。目尻がぴりぴりと激しく揺れ動く。
泡のように弾けてバックダンサーは消滅した。ウタは音符に乗って男の前まで近づき、言い放った。
「無理だよ。メロディの刻み方を変えても、ベースとドラムをどれだけ強調させても、ブラスセクションを尖らせても」
「何がだ?」
「こっちに来るのは、いつでもあんたの方だってこと。自分が一番よくわかってるでしょ……海鳴り」
アプーは目つきを変えず笑う。
「都合の良い巣の中に今だって逃げ続けてる女が随分と偉そうだなァ!」
「残念、違う」
「違う?」
「此処は私の記録の集合に干渉された、あんたの巣」
アプーは目を丸くした。脈絡のない世界の真実とやらに、純粋に驚いた。
「あんたの目に見えている私は、あくまで巣の中に居る私。世界の歌姫として君臨する神の申し子……ウタ」
冷たい汗が流れる。
「アホらしい空想だな」
ウタは誇らし気に笑って、両手を広げ、開閉させた。
「出た! 負け惜しみ〜」
「じゃあ何だそのふざけたポーズ? おれは知らねー」
呆れた顔、子供扱いされているみたいだ。まるで信じられてないみたい、教えてあげなくちゃ。ウタは優しく丁寧な口調で話す。
「確かにここはあなたの巣だけど、私の記録、それ自体は外からだよ。今でさえ蓄積し続けている」
説明するウタの目に迷いは無い。
「私に出会った人、私の歌を聴いた人、私のことを知った人、私とすれ違った人、私の姿を収めた映像、写真、音貝、私に関する全てが私も、この世界も、そうやって作って」
不気味なまでに、迷いが無い。
「みんなの心の中で、共に生き続けるの」
ウタは指をさす。真っ直ぐ、アプーの頭部に向けて。
「あなたの心の中でも」
「それじゃあ忘れてしまえば」
言い終わらないうちに、ウタは吹き出し、声をあげて笑った。
「無理だよ!」
笑い声が、青空の中に閉塞された二人だけのライブ会場に木霊する。
「出来るわけない」
笑いを維持したままウタは続ける。アプーは口の端を歪めた。言い返せない。
「自分から近づいてきた癖に」
ウタはその目に何かを宿らせ、微笑を浮かべながら歩み寄る。
「お前なぁ、いったい何なんだよ!?」
硬く締められた五線譜はびくともしない。全く体に力が入らない。
「私は私」
ウタはしゃがみこみ、未だ自分を睨み続けるその表情を覗き込むと、押し上げられた目尻を指でなぞった。
「……!」
鳥肌が立つ。恐れ慄くばかりだ。一度でも目を合わせてしまった、その瞳を見てしまった。アプーは言葉を失う。
「あなたはあなた」
「……何を……当たり前の……」
アプーは自分の狼狽を信じない。何に狼狽えているかも分からないというのに、信じることなど出来るわけがない。自分の感情の核が深淵を宿すウタの目に見透かされ、まるで操られていくようだ。
「ねえ、あんたも来る?」
ウタは問いかける。
「来なよ」
ウタは提案する。
「あんたが来たら、新しい歌を聴かせてあげる。此処にいる限りは記録しか見せられないから……本当のあたしに会える場所まで、来て」
ウタは誘う。低く美しいアルトが若い女声の瑞々しさも持ち合わせながら、
「あたしと一緒に生きようよ」
アプーの思考を一瞬止めた。
「嫌に決まってんだろうが!!」
叫んだ瞬間だった。音も無い断絶、目を開き、息を飲む。
視界に広がるのは見慣れた天井……ゆっくりと息を吐き出す。
「気色悪い夢だったな」
身を起こし、まだ夜の気配の残る空を一瞥すると、夢の記憶がわっと溢れ出し、脳内を巡り続ける。現実で起こったかのような鮮明さをもって、びっしりと、しつこくこびりついて離れない。
大量の無意味な思案を終えて我に返る頃には、朝日が昇ってきている。らしくない、と目を擦り、眼鏡をかけ、何気なく自分の手の甲を見た。
アプーは思わず反射的に叫んだ。赤くくっきりと凹んだ痕が手の甲にある……その形は、五線譜そのものだった。