勉強会
「全然わからないです……」
「ここはこの公式を使えばいい。あとここの年号間違えてる」
ケレスさんにズバズバと間違いを指摘される。
今日はケレスさんと自宅のリビングで勉強会をしている。ケレスさんはめちゃくちゃどもりながら、スレッタの部屋でやらないか?と聞いてきたけど、私はまだ自室に招くのは恥ずかしくてこうなった。
ケレスさんがショックを受けた様子だったのは可哀想だったけど、自分の部屋で長い時間を過ごすのは一大イベントというか……心の準備が足りなかった。
「うう……このままだと赤点取っちゃうかもしれないです……」
「俺がさせないから大丈夫だよ」
ケレスさんが励ましてくれる。確かに彼の教え方は上手いから、私の頑張り次第ではあるけどこのまま頑張れば赤点は免れそうだ。
前は三兄弟で文系担当、理系担当、体育担当で役割分担していて、ケレスさんは理系担当だった。でも、文系科目の成績が悪いかといえばそうでもなくて、座学全般の成績がいい。
その代わり体育は壊滅的なようだ。最近は科目によって入れ替わるのも無くなって、球技をやれば突き指をしたり腕にあざを作ったり、短距離を走れば足がもつれてこけたり足首を捻ったり散々な目にあっているみたいだ。これから冬になって、毎回体育の授業の長距離走で2kmや3km走らされてマラソン大会までやるという事実に戦々恐々としているらしい。
「ここ、どういうことですか?」
「ああ、ここは——」
教科書の例題で分からない部分を指さす。ケレスさんが身を乗り出して教科書を覗き込み、問題文を確認している。
私もケレスさんと一緒に問題文を読んでいたけど、ふと横を向いた。
「い……!」
気付いたら肌が触れ合いそうなほど顔の距離が近い。驚いて声をあげてしまった。
「ん……?うお!?いった!」
ケレスさんも遅れて距離の近さに気付いて、驚いて飛び上がっている。距離を取ろうとしてテーブルの足に思いっきり足の指をぶつけて痛みで悶えている。
「だ、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ!これくらいなんともないよ」
なんだか熱い気がする……ケレスさんの顔も痛みか何か分からないけれど、赤くなっている。
「ひ、一通り教えてもらったので、一人で問題集を解いてみますね」
「お、おう……そうしてくれ」
ドキドキと早まる胸の鼓動を収めるように、ケレスさんから離れて問題集に取り組むことにした。
集中しなくちゃ、集中しなくちゃ、今やるべきは勉強、ドキドキにかまけている暇はないはずだ。
「よし!できた!」
問題集を解き終わった。ケレスさんに教えてもらったおかげで、比較的素早く解くことが出来た気がする。
集中してやっていたから時間を確認するのを忘れていたけど、時計を見ると1時間ほど経っていた。
「あれ、ケレスさん?」
同じテーブルに座っていたはずのケレスさんがいない。
どこに行ってしまったのか見回していると、リビングのソファに横になっていた。
そっと顔を覗き見てみると緩く口を開けて、幸せそうな顔で寝ている。起きているときは眉間に刻まれている皺も今は見えない。
そういえばエランさんとエランくんはケレスさんがいつも朝なかなか起きてくれなくて困っていると言ってたっけ。寝顔についても、
『何の悩みも無さそうな間抜けな顔』
『寝顔はIQ2のアホ面だね』
そんなことを言ってたいた。
私はケレスさんの寝顔を見るのは初めてだけど、二人と違って少し可愛いと思った。いつもはしっかりしたお兄さんなケレスさんがだらしない寝顔をしているのはギャップで可愛く思える。
「ふふ……」
ぐっすり眠っているしバレないだろうということで、頬っぺたを指先で突いてみたりふにふにと触ったりつまんでみたりしてみる。
意外と柔らかくて指先は簡単に沈み込んだし、頬っぺたの肉もすぐに摘まめてしまう。
「ん……んが」
ケレスさんがむずがるようにうめき声をあげる。頬っぺたを弄っていた指をサッと引っこめると、半開きの寝ぼけまなこだけどケレスさんが目を開けた。
「んー……?すれった……?」
呂律の回っていない口調で名前を呼ばれる。すると、寝ぼけてポヤポヤしているケレスさんに腕を掴まれて引き寄せられた。
「お?おわああ!」
そのままバランスを崩して倒れこみ、ケレスさんの胸元に収まってしまう。しかも、ケレスさんに抱き枕のように抱きしめられて身動きがとれない。頭上から規則正しい寝息も聞こえてきて、ケレスさんが再び寝てしまったのが分かった。
「(どうしよう!?どうしよう!?どうしよう!?)」
寝息と同じく規則正しく上下するケレスさんの胸と違って、私の胸はバクバクと早鐘を打って痛い。でも、どうしようか考えても、思ったより強い力で抱きしめられていて抜け出せそうにない。
「(ま、まあ……今日はお母さんもお姉ちゃんも夜遅くまで帰ってこないし、いいよね……?)」
どうにもならないと分かれば出来ることは一つ、諦めることだ。
抵抗はやめてケレスさんの胸にポフッと顔を埋めてみる。温かさと服の洗剤や柔軟剤の香りの中に彼の匂いを感じる。
すんすんと嗅いでみる。なんだか安心する匂いで段々と瞼が重くなってきた。胸に頬ずりをしたところで意識が途切れた。
「んーー、今、何時だ?」
エランは被った布団温かいけど妙に重いな、などと暢気なことを考えながら目を覚ました。時間を確認するために時計を探していると、ふと胸元に目がいった。燃えるような赤毛に褐色の肌、精巧にできたスレッタの抱き枕だ。どうやら布団ではなく抱き枕だったようだ。やはり妙に重いけど……
また時計を探そうとして、二度見した。抱き枕が動いている。いや、抱き枕じゃないスレッタだ。スレッタが無垢な顔でふにゃふにゃと笑いながら俺の胸にスリスリともちもちのほっぺを擦り付けて甘えている。
「!!?」
びくりと体は跳ねたけど、叫び声をあげてスレッタを起こさなかったことは褒めて欲しい。
幸せそうな顔で眠っているスレッタを起こすわけにもいかないので、そのままの姿勢で頭を撫でてみる。
「えへへ……」
どんな夢を見ているのか、ふやけた顔で笑っている。頭を撫でるのはそのままに、もう片方の手を背中に持って行ってトントンと叩いてみる。せっかくなので寝顔とふやけた笑顔を楽しむことにした。
この後起きてきたスレッタと気まずい雰囲気になるし、弟たちにチクチクと嫌味を言われるのは言うまでもない。