勇者と魔獣 決着編②
chapter11.受け取ったものを(下)
瓦礫の上で勇者と相対する少女がいた。
それは魔獣。名は杏山カズサ。
魔獣は、降る雨の向こうに、己の敵を見る。
それは、銃と呼ぶには大きすぎる砲塔を背負った、小さな勇者。
先ほどマシンガンをぶち込んでも倒れなかった敵。名はアリス。
彼女は、勇者になりたいのだと言った、
魔王になるはずだったところを、「勇者になっていい」のだと肯定されたそうだ。
『アリスは、ハッピーエンドを望みます』
知り合ったばかりの少女の、明るい話。
嫉妬で胸が灼けついた。
カズサは何もかもを失っていた。
穏やかな放課後の狂騒。
光輝く平凡。
それが全てでいいのだと、そう思っていた。
だが、自分の手で、その理想を。
……いいや、壊された。
「砂糖」。
それから、それをばら撒いた、元凶。
それが、許せない。
だけど、今のカズサは、「小鳥遊ホシノを殺したい」と言うものの、そんなことはもう、どうでも良くなっていた。
だって、そんなことをしたところで、自分たちの壊れた関係はもう直せないから。
自分と同じように「砂糖」で日常を壊されたくせに、理想を捨てられずにいる、どこぞの熱血馬鹿と似た、そこの勇者を否定し尽くす。
それしか、考えられない。
「カズサ。まだ、遅くないです」
その勇者は、馬鹿なことを言う。
「なんで……」
なんで、この子は、どうして?
自分と同じく、『砂糖』に日常を壊されても、そんな前を向いていられる?
「なりたいものを、捨てないでください」
「うるさい……!!」
撃っても撃っても、撃っても撃っても。
バケモノじみたフィジカルで、コイツは立ち上がってくる。
「さっさと倒れて、アリス!!」
「お断りです」
コイツを否定する。
ボロボロに打ちのめす。
しなくちゃ。
そうでなくては。
○
鷲見セリナは、要請のあった、スケバンたちの救護をミネ団長たちにお願いすると、トリニティ学区を全力で走っていた。
手には端末がある。
その画面には、「杏山カズサ」と名前がある。
「既読がつかない……!」
まずい。
急がなければ。
『この子達は、私とは、関係ない』
関係ないどころか、中心にいた。
……いくらなんでも、報われない。
だから、重みに潰れて、自分ごと捨ててしまう前に、
「伝えないと……っ!!」
『私達は、カズサに……』
それは、きっと命綱になるはずだから。
○
降りしきる雨粒混じりの銃弾を、瓦礫を遮蔽物にかいくぐりながら、アリスはカズサへ問いかける。
「なりたいものを……理想を壊した、と、あなたは言いました。……それは、本当に壊れきってしまったものですか!?」
弾霰の勢いが強まるのが回答だ。
だがアリスは、光の剣を携えながら、前へと突っ込む。
「……あなたの、アイリや、ヨシミや、ナツという人が、まだ、この世にいるのならっ……ゲームオーバーではありません…」
数発の弾丸を受けながら、アリスは言う。
「まだ、関係を、紡いでいけるはずです……」
それは、自分に言い聞かせる言葉でもあった。
……まだ、この世に、いるのなら。
『私の大切な、アリス───』
もう一人の自分の。
どこまでも透明な笑顔を思い出す。
……そうです。築ける、チャンスはある。
モモイとも。ミドリとも。ユズとも。
それは、変わったりしてしまうものもあるかもしれない。
それでも。
ふたたび、きっと。
「なんでそんな甘い理想論を信じられる!?
……いいやそんなの関係ない、ぜんぶ、もう、どうだっていいっっ!!!!!!!!!」
張り裂けそうな声だった。
雨を穿つその嘆きは、カズサ自身を壊すもの。
彼女が脳裏に思い浮かべる人々のことなんて、アリスにはわかることができやしない。
結局そうだろう。
立ち上がったアリスとへし折れるしかなかったカズサでは、相互理解なんてできない。
だけど。
それでも。
「───まだ、遅くありませんっ!!!」
勢いの上がり続ける銃雨のなかで、アリスは、そう叫ぶ。
だって、だって。
「私はもう無理だ、逃げて壊した!!もう遅いんだ、もう、私は、『平凡』に……」
だって、カズサは。
『大切な人たちが……苦しんで傷つくのなら。
いっそ、アリスは……。アリス、はこのまま消えるのが正しいのです』
あの空間で。諦めるしかなかった自分と、同じかもしれない。
そう、天童アリスは思った。
相互理解はできなくとも。
シチュエーションは別でも。
アリス自身に、その怒りはなかったとしても。
「チョコミントのアイスを美味しそうに食べてたあの子みたいに、そんな普通になれない、私はどこまで行ったって変われない!!私は、ッ、そんな資格がっ、……もう、もうっ、倒れろおおおおッ!!!!」
彼女の想起する風景は、わからないけれど。
「なりたいものになれない」という絶望は、よく知っている。
だからこそ、
「カズサ。あなたはなりたいカズサに、きっとなれます。まだ、なれます」
言って、
「あなたとの大切な人と、関係できます……だから、もう遅いなんて、言わないで、
───いいえ、いいえ、っ、いいえ!!
アリスが、あなたを遅くさせません!!」
言って、
「アリスは、カズサを助けます!!」
言い切って。
「っ!!」
行く。
○
自分勝手で、虫のいい話だとしても。
『虚しくは、ないはず』
それを信じる資格はあるのか。
祈りは、届くのだろうか。
結局のところは自己満足なのかもしれない。
そう思いながら、スイーツの入手ではなく、人を思って、手を合わせる。
……もしいるのなら、お願いします。
……どうか。
『……ここにいたの』
『ごめん』
『嫌だ』
…………カズサは、本当に、何も悪くない。
ここにいる皆が思う、ただの事実だ。だから、
……誰か、お願いします。
純粋な、祈り。
塩水に濡れた、少女達の小さな想いは。
○
彼女は、巨大な砲塔を携えてこちらへ走る。
用途は牽制用だろう。
本命は、救護CQCとかいうステゴロ。
それごと、ぶっ潰してやる。
小チャージの光を放ってくる。
「アリスは、あなたを、『もう遅く』なんて、させません。絶対に!!」
迷いない言葉に立ち止まりかけ、
「ッ!」
瞬間。アリスの正拳突きが鼻先に迫る。
「くっ!」
ギリギリのところでガードしたものの余波で壁まで吹っ飛ばされる。が最中、追撃を避けるため、カズサは空中で構え直しアリスへ掃射。
「カズサはなりたいものになれます。アリスにあなたの理想は分かりませんが、なれると保障します!!」
「そんなものもう要らない!!」
ほとんど反射で叫び返す。
アリスにはわからないんだ。
私にはもうなりたいものを目指す資格がない。
「───なりたくない。ああ、ああ、そうだよ、『平凡に』なろうなんて思わなきゃ良かった!!あの時、あの日、あの子を、見なければ!!私が、無理にでも、止めてれば!!
……私は、あの綺麗な、あの子を、」
壊してしまうことは、なかったのに。
カズサは、さっきからそれを繰り返している。
それに対して、アリスは断言してくる。
まだ壊れていない。
まだ、壊れきっていないと。
だから、なりたいものを捨てるなと。
そんなことは。
……カズサにも、分かっているのだ。
三人はきっと、謝るだろうし。
自分はきっと、それを許す。
それは、すべて、砂糖のせいにできるから。
でも、カズサは許せない。
あの時逃げた自分のことを、許せない。
アビドスの風紀委員(傭兵)になるトリガーを引いた自分を、憎んでいる。
自縄自縛のデッドロックで、壊れそうだ。
なのに、目の前の勇者は、
「アリスが、
「……ぅ、」
夢みたいに確証のない言葉を。
「っ」
嘘みたいに優しくて。
「ぁ」
馬鹿みたいに眩しい、宣言をする。
「ああ……」
苦手な人間にすら、縋ってしまいたい。
だけど。
それに手を伸ばす資格すら、
『どうぞ!……あの、杏山カズサ──?』
もう自分には無い。
だからつかんではいけないと強く思う。
カズサは、捨てようとする己に対して、得たかった己や憧れたものに、過剰なまでに潔癖だ。
「ああああっっ!!」
だからこうすることしかできない。
「何も、何も、何も何も何一つ……!!」
めちゃくちゃに叫んで。
めちゃくちゃに撃ち放つ。
目の前の光を、徹底的に穿ち尽くす。
そうでもしないと。
「私の前に、立たないでっ……!!」
とっくに砕けた己を立たせることは、できなくなっている。
「倒れません」
息が止まる。
直視に耐えないほど真っ直ぐな青瞳が、どんな弾丸よりも深く、魔獣の胸の奥を抉った。
「それはそっちのエゴでしょ?私はもう手遅れなんだ。もうどうだっていい」
「それだってエゴです!!カズサの言っていることはさっきから支離滅裂ですっ、どっちなんですか!?まるで絶不調なモモイの初稿のようです!」
「そんなん知るか!」
「アリスを見つけてくれた!傷つけたのにアリスを肯定してくれた、大切な人です!」
「そんな都合のいい話があるか!!」
「……弾かれ、っ───!?」
「アンタのそれは運が良かっただけ!」
顎に銃身をまともにぶち込んだ。
アリスが初めて意識を飛ばす。
「っ、私は、あんたは……!!!!!」
「きゃあああああああっっ!?」
ゼロ距離でフードの少女はぶっ放す。
だが、
「っあ、ぁ、ううゥ!?
っ………だけど!!!!アリスは、……っ」
「な、っ」
銃弾と驟雨を浴びながら、起き上がって。
「モモイを、ゲーム開発部のみんなを、見過ごして、何も、できなかった……」
「ぇ───」
カズサが揺らぐ。
呟くような、誰にも聞かせる声色ではないそれは、あまりにも。
純粋に、弱音だったから。
「何も出来なくて……助けられなかった、ノアが、ミレニアムのたくさんの人が、アリスが好きな人たちが、敵意と殺意でいっぱいになって、誰もが敵を作るしかなくなって!!笑えなくなっていくところを、ただ見るだけしか出来きなかった!!」
やめろ。
「知らないって言ってる!!」
そんなことを、言わないでよ。
「何も出来ないのに、誰のことも止められないのに、正しいことだけしか言えなくって!!ノアに、悲しい記憶をさせてしまった……っ」
「だから、知るかそんなもの、」
「リオとヒマリが送り出してくれた先でだって、たくさん、そんな光景を見て、
いつだって、笑顔よりも、苦しむ人を、憎しみを杖にするしかなくなってしまった人たちを見るのが先で!!」
「ッ!!そんな個人的な感傷を、私に、っ押し付けんじゃないッ!!!!」
ブーメランだってわかってる。
だけど、そうでもして、アリスの叫びをつっ返すしか、今のカズサに選択肢はない。
『なにも、できませんでした』
だって、その時の笑顔でわかっていた。
この子だって、ただ前向きじゃないと。
でも。
『勝手にすれば』
それを認めれば、カズサは、もう
「個人の感傷……あはは、そうですね……。
……でも」
「……ぁ、っ」
「これがハッピーエンドなんて違います……悲しんでいる人が後悔するのも、苦しんでいる人が失意に沈むのも、誰かが犠牲になるのも、誰かが死んでしまうのも!!それで、私たちの周りだけが無事で、敵は不幸せなんて、誰かが犠牲になっての笑顔なんて、そんな結末のぜんぶが嫌です!!!だったら大団円に、手を伸ばさないと!!
───意味がないんですっ、カズサも、アリスの目指すそこにいるんです!!」
「そんなの無理に決まってんでしょ!?」
できます、と彼女は言う。
無理だ、と自分はふたたび言う。
「小鳥遊ホシノみたいなどうしようもない奴だっている!!手遅れな奴だっている!!自分で間違えて間違えて間違えたバカなやつだって!!ソイツはもう幸せになんて、望むものなんて何も持つことができない!!権利はない!!……だって皆から逃げた!!」
逃げた、というのが何を意味するかアリスは知らないだろう。
その後悔の大きさもわからないだろう。
だがヤツは叫ぶ。
「それでも!!」と。
「それを言えないからこうしてるっ」
「言えるようにするのが勇者です!」
折れられない勇者と堕ちゆく魔獣。
どこまで行っても他人は他人だ。
カズサはそれを自覚して、平行線上の敵対者へ攻撃を重ねる。
それなのに。
アリスは、やはり正面突破で。
「何度だって同じことを言います、カズサ!!
アリスのハッピーエンドには、あなただっていなくちゃダメなんですっ!
知り合ったばかりがどうなんて関係ありません!!見て知ったあなたが、あなたの望む自分になれないなんて、アリスは嫌です!!あなたはまだ戻れる!!あなたの大切な人は、誰一人欠けることなくこの世に、まだいる!!」
「こ、ッの、まだ……!?」
もうアリスは銃弾を避けない。
すべて撃たれながら来ている。
なのに、倒れてくれない。
「倒れてよ!!」
「……嫌です。アリスは、あなたの大切な人と、笑って共にいてほしい!!そうなれないで、ずっと今のままなら、
アリスは、笑えません!!」
至近距離で、傲慢を聞いて。
「ぁ」
外すつもりのない銃弾が、アリスの右耳を、逸れた。
「ぁ───」
悟った。
青空も星空も見えない、夜の雨中の。
説得も何もない、感情そのままの、声も裏返った叫び。
むき出しのエゴを、光の剣すらブラフに打ち捨てての速度獲得を、見て。
負けたと、思ってしまった。
○
走れ、走れ、走れ。
……足りないベッドと、治せない患者に折れそうだった、あの時。
あの人のもとへ、言い訳のような救護をしに行った日に。
自分は、託されただろう。
“セリナ。”
“私は、大丈夫だよ”
“あなたは、助けを求める、人のもとへ”
青い顔で。虚弱な肉体で。
キヴォトス全部の生徒を、助けようとしているあの人は、どう考えても大丈夫なんかじゃない。
そう訴えた。
あの人を、縋るものにした。
それでも。
“私は、大丈夫。”
“セリナは、きっと、”
“あなたの患者を、助けられるよ”
そう言ってくれたのなら。
「間に合わせる……!」
救護騎士団、鷲見セリナは、託された言葉を胸に、鋼鉄の決意で走る。
○
だから、立ち止まった。
真っ直ぐな疾走を、ただ見ていた。
そして。
「アリスはヒーラー系勇者。
……消えてしまいそうな今のあなたを、救護します!!」
弾丸よりも簡単に、冷めて回避すればいいだけの右手を、杏山カズサは、避けなかった。
chapter.■ 祈るように
カズサの目が、見開かれる。カズサは、抱き止められていたからだ。
○
アリスは、ヒーラー系勇者だ。
アリスは、カズサを、殴りたくない。
あの時の自分は、殴られることを望まない。
平行線なんて捻じ曲げたかった。
本当に短い付き合いだけれど。
一緒にカップラーメンを食べた人を。
ただ、攻撃したくなかった。
ただ、ただ、それだけの理由だ。
○
瓦礫だらけの大通り。
腕ごと羽交い締めにされた、その状態で、ある会話があった。
「アリス、撃つよ」
「カズサの弾切れの方が、アリスの気絶よりは早いです」
「……アリス」
「はい」
「私は、平凡な女の子になりたい」
「カズサはきっと、なりたい自分になれます。
たとえその本質が、UR級のスケバンでも。
きっと、なれます」
叶わないな、と胸中でつぶやく、フードの少女は。
「はい」
「私は、……もう一度、放課後スイーツ部のみんなと、宇沢とも、一緒にいたいよ」
ぽろぽろと、純粋な望みをこぼす。
「はい」
「それを、望んでいいのかな」
「……それは、カズサが決めることです。
自分の進む先を誰かを任せたら、きっと楽しくありません」
アリスは言う。
そして。
息を吐いて、カズサは。
「……望みたい」
───もう一度、そうしたい。
「逃げて、手遅れだけど」
「はい」
「身勝手なのは、本当に、わかってるけど」
「はい」
「ここで終わりになんて、……したくない」
そう、祈るように言葉を絞り出した。
○
そして。
「杏山さん……!!」
「あんた、は」
しっている。
救護騎士団の、生徒だ。
こんな自分にハンカチをくれた、優しい子。
でも、なんで、こんなところに───
「ヨシミさんが、目覚めました!!」
「え」
「───あなたに会いたいと、そう、言っています!!」
その、単純な言葉を聞いて。杏山カズサは、崩れ落ちる。こらえていた雨が、勢いを増した。降って、降って、こぼして。それが枯れ切るまで、多くの時間を要した。
○
そして。
ひとりの少女は。
……良かった。
そう、小さな声で、言った。