労いの言葉は毒の味

労いの言葉は毒の味



時は少し遡り。照明が落ちる前の話。



「どうだい、この道の先の様子は!」

「んん……わたし、よく分かんない! バーサーカーさんは!?」

「すみません、あんまりに眩しくって……! ただ、進むにつれて魔力の光が強くなってる感じはします……! これって、奥に何かあるってことですよね!?」

「私としては何もないと嬉しいんだけどなあ!」

「そ、そうですよね! 僕がいると戦うことになったら足手まとい、ですよね……!」

「いや、そういう訳ではないんだけど……正確にはキミがいるからというより、」


「……! セイバーさんっ、止まって! 急に次の角の向こう側に……」

「人が! いるみたい! ……あれ? こ、このかんじ……もしかして……」



——突如、曲がり角の向こうに出現した人間の反応。

マルグリットの花魔術による今までの索敵を潜り抜け現れるなど……最早、候補は一人しかいない。


セイバーが声を荒らげる。

「そこに居るのは分かっている、姿を見せろ!」

それに素直に従い姿を見せたのは、マルグリットによく目元の似た、柔和そうな顔立ちの男。髪色も瞳の色も同じ、血縁を感じるその姿。


「——やあ。おかえり、マリィ。聖杯戦争は楽しかったかな? そろそろ、お父さんと一緒に帰ろうか?」

父を自称し、少女を「マリィ」と愛称で呼ぶ。

人好きのする微笑みで差し出された手の甲には、令呪が三画。

「……!?」

反射的に、セイバーは一歩前へと飛び出した。剣をすらりと抜きながら問いを叫ぶ。

「貴方はどのサーヴァントも召喚していないはずだ、それは私がこの目で確認した……! ……誰かから無理矢理奪ったか、聖杯からの再配布を……?」

「……ぃ、イヤだ! あんなひどいことするおとうさんとは! ぜっっったい、いっしょに帰らない……!」


そうだね、そうなるだろうね。

セイバーはその結論に至るだろうし、娘もそうして反発するだろうね。と男は微笑んだ。

無茶苦茶な駄々をこねる子供を前に、仕方ないなあと眺める顔。……圧倒的に上の立場から、意味もない反抗を温かく見守る様。


「お、おとうさんは……どうしてあんなことしたの? 街の人をあんな風にして! 聖杯戦争に勝ちたいなら、聖杯が欲しいなら、あげるもん! わたしにまかせてくれればちゃんと勝ったのに!」

「え、ええ……!? それは自信ありすぎじゃないですかマルグリットちゃん!?」

「いや、正当な判断だよ。アサシン、アーチャー、バーサーカーは脱落。残る陣営は四つ。そのうちの二つ、しかも三騎士——つまりは、優秀とされているクラスのことだけど——を独占した陣営が私達だからね。普通に見れば優勝候補だよ、彼女は」

セイバーは断言する。

——まあ、私が勝ち残れるとは思っていないんだけど。などという、妙に後ろ向きな呟きは胸中に収めつつ。


…………。

聖杯戦争が開始した時——正式に七騎揃ったあたりから、セイバーにはそうした妙な予感があった。

自分が他に劣るとは思っていない。マスターの為にも、手を抜くと言うこともありえない。仮に正面からの撃破が難しくとも、これは戦争。如何様にも勝ち方はある筈。

……だが! 何故だろう。

何をどう足掻いたとて、「自分が勝ち残ることはないだろう」という確信がある。勝ち残ることに忌避すら感じる。その異変の詳細は不明だが、少なくともセイバーはそれらを払拭出来ずにいた。

……というか、払拭すべきものとも思わなかった。

それなら、彼女のことを託せる誰かを用意しなくてはならないね。という思考が可能になったことに感謝しているくらいだ。

セイバーは、自分が道半ばで消滅することを前提に立ち回ってきた。間違っても勝利を願うことはなく、マスターを守りたいただ一心で。


「そうだね、可愛いマリィ『たち』は勝つだろう。その通り。そうしてランサーとセイバーが残ったとして……ねえマリィ、これはどっちが勝者になるんだい?」

「えっ?」

「勝者はどう決めるの?」

「え、えっと……話しあいとか、バトルとか、する……! ともかく、街の人をまきこむのは違うもん!」

「えー? 話し合いだと困るんだよ、マリィ。わたしは確実に、七騎の魂が収められた聖杯が欲しい」

「だからって!」

「ねえ、マリィ。聖杯戦争の勝者になるということ、敗者になるということ。それをまだ、よく分かっていないんじゃないかな?」

「え……?」

それは至極単純な話。

「マリィが勝つなら、ランサーを殺さなきゃいけない。マリィが負けるなら、セイバーは死ななきゃいけないんだよ?」

聖杯戦争の勝者は一組だけ。どちらかが勝つなら、どちらかが負けなくてはならない。消えなくてはならない。

「話し合うって言ったけども、それって、『わたしのために死んでください』ってお願いしてるってことなんだよ? 今まで仲良くしてきた人にそれって、ひどいんじゃない?」

「……!」

幼い彼女が今まで考えてこなかった……いや、意図的に考えようとしなかった、シンプルな結論。

「こ、子供にそんな言い方はないんじゃないですか!?」

「ラジアータ! それ以上の発言は——」

セイバーは更に一歩前に。

写真家の青年はマルグリットを庇うように抱きしめながら、ラジアータを睨む。

「もう一個の方のバトル……つまり殺し合いだよね? でもなー、普通に戦ってランサーを倒せるかなあ。もし、お父さんに聖杯を渡すために、絶対勝たなきゃってなるなら……ランサーのマスターを殺さないとじゃない?」

ラジアータは微笑んだままだ。


「で、だ。それが出来るのかい? 可愛いマリィは」


「無理だよね?」


「じゃあ、お父さんが聖杯を手に入れるにはどうしたらいいんだろう? 分かるかな?」



「だからああするしかなかった。わたしはマリィに辛い思いをして欲しくなかったのもあって、ああしたんだよ? 辛いだろう、自分の手で仲良くした人を殺すなんて。だからね、マリィのためなんだよ」

「……っ、……わ、わたしのため……?」

「惑わされないで、マスター。ああいう手合いは、自分のためだけに行動しながら、『人のため』といい人ぶるのが上手いんだ。被害者ぶって恩を売り付けてるのさ!」

「ぎ、ギカレーダさんとはちょっと方向違いますけどね!」

「あー、うん。あれの悪質なバージョンだね。思い出して、マスター。キミ、ギカレーダにどういう態度を取ってたっけ?」

マルグリットは一瞬困惑を浮かべたが、そのまま持ち直し。

「……そ、そんなの知らない! わたしのためとか言って、ホントはちがうじゃん……! お、おとうさんのバカっ!」

「そう! その意気!」

「ふむ……。じゃあ、マリィのせいって言い換えた方がいいのかな? 実際、マリィが勝てそうにないからああしたんだし?」

「もう黙っていてくれないかな!?」

「おや? 黙っていいのかい? 目的などは聞かなくともいいと? ねえマリィ? 知りたいんじゃないか? わたしが何故、ここまでしたのか、とか?」

「こ……『根源』に行くため、でしょ……?」

「そう、根源に行くため。根源に行って、全てを知り……『帰ってくるため』。知ってるかい、マリィ? 根源に触れて、こちらに帰って来た者はいないんだって。でもそんなのあんまりじゃないか? 後世に何も残せないんじゃ、そんなの無意味だよね?」

「か、帰ってくるために……聖杯戦争をしたの?」

「正確には、根源に行くためが聖杯戦争。帰ってくるためは、また別のこと。……まあ、その辺については後でじっくり説明出来るから。待っててね、マリィ。宿題と思って、よーく考えておくように」

「………?」


「わたしはね。間違っても、運任せに参加したような奴らに聖杯を渡したくないんだ。だから、街の人にああいうことをしたんだよ」

ラジアータは微笑んだままだ。まるで諭すかのように、穏やかに語る。


「私は何十年もかけて、根源に至り、戻るために準備してきたんだよ。色んな方法を考えた。色んな準備をした。沢山の方法を考えて……この一戦に全てを、人生を賭けてるんだ。でも、他の参加者はそこに偶然いただけ。そいつらには特に強い願いもなかったり、簡単に心変わりするような願いばかり」

例えばアーチャーのマスターとかね? とラジアータは例を挙げた。

妻を生き返らせることから妻の敵討ちという自己満足に移り、最終的には聖杯にかける望みは失ったと来た。そんな男にくれてやる聖杯などない。

……と、その場にいた訳でもないラジアータは語る。それは言外に、「その光景を見ていた」「無論、他の情報も持っているぞ」という間接的な脅しであり。


「……誰が聖杯を手に入れる権利があるかと言ったら、それは一番頑張ったわたしじゃないかな?」

「それは……そうかも、だけど……」

「おや。お父さんが頑張ったのに、マリィはそれを認めてくれないんだね。悲しいよ……そこまで酷いことになったわけでもないのに……」

「えっと……頑張ったのはすごいと思うけど……でも、やっぱり……」


彼は街中の人を傀儡とし、自らの目的のため使い捨てた。その過程で、少なくない怪我をした者もいるだろう。

何かに躓く。落ちる。ぶつかる。その他もろもろ。朦朧とした意識で外を歩くことの脅威は、誰もが予想がつくはずだ。

一箇所に大勢が詰めかければ、将棋倒しとなる可能性もある。


あの場にアーチャーが居なければ、人々を止めるには実力行使しかなかっただろう。

バーサーカーのマスターの目が無ければ、誰を救い出せばいいのかの判断もつかなかった。

ライダーが居なければ、その判断のもとに人々を救い出せなかった。

屋敷に侵入した一行が術式を砕かなければ、事態は収束しなかった。


あの騒動が街ごとの惨劇に転じなかったのは、運と各々の努力のお陰であり。決して、ラジアータの功績ではなく。


「見苦しい真似はもう止めにしないか、ラジアータ?」

彼女の目の前でなければ、その令呪ごと切り落としているところだ。

そう啖呵を切りながら、セイバーは続ける。


「そんな猿芝居で自らの娘に恥ずかしいとは思わないのか。キミが恐ろしい煽動を手引きし、街の人々まで巻き込んだことに変わりはない。どんな理由があれ、他者を害したことは紛れもない事実。そして、それはキミ自身の意思での行いであり、彼女は何ら関係ない。後から、もっともらしく理由をつけているだけだ」

「さっきから割り込んで来て、随分と無礼だな君は。久しぶりの再会から、家族として話をしていただけじゃないか」

……詭弁である。


「あ、あの! さっきから、ぎ、疑問だったんですけど! そんなに聖杯? とやらが欲しいなら、自分で参加したら良かったじゃないですか……! 何で小さい子にこんな危ないものに参加させて、それで卑怯なことをする言い訳にしてるんですか!? そんなのっ、う、嘘つきじゃないですか!!」

「うんうん、それにはね、とある深い事情が——」

「その通りだ、キミはよく言ってくれた」

「きょ、恐縮ですっ……」

セイバーに肯定された青年は、微かに声を弾ませた。

「——さて、ラジアータ。家族として話していたと言うなら、『家族の団欒を邪魔されたこと』について、もう少し憤った顔をしたらどうだい。そうして貼り付けたような笑みは、薄っぺらく感じて仕方ないな」

「……。……ふーむ。わたしとしては、どこまでも穏やかに平和的に行きたいのだけれど。他でもないお前が言うのなら仕方ない、もう少し怒りに任せてみよう」


「——なあ、セイバー。あくまで、お前の忠言のせいだからね?」

自分は悪くないのだ、と言外に。責任転嫁、著しく。

この短時間の会話で何度も顔を覗かせた、相手に非を押し付ける物言い。自分が常に優位に立ち続けるためなら、他者を糾弾することも厭わぬ浅ましさ。


薄ら寒さすら感じる例の微笑みを投げ捨て、表情の抜け落ちた彼は告げる。

「令呪を以って命じてやろう」

令呪とは、マスターが有する全三画の絶対命令権。

それは尋常ならざる力を有する使い魔を縛るための楔。

一般人の身でも、超常の存在への強制命令を可能とするもの。

自害などの意にそぐわぬ行為の強制から、両者の同意のもと空間跳躍などの行いも可能とする、純然にして強大な魔力リソース。


「——! ……キミ達は下がって!」

令呪がどのような使い方をされるにしろ、一画で盤面は大きく動く。

セイバーは素早く身構え、ただの人間である二人を庇うようにして立ち塞がる。

「ば、バーサーカーさん!」

「はいっ!」

マルグリットとバーサーカーのマスターは咄嗟に手を繋ぎ、周囲の魔力の流れに目を走らせる。

そうして何かが見えれば、セイバーの手助けに……駄目だ!

魔力が濃過ぎて何も見えない……!


「何も、真っ向から敵サーヴァントとぶつかれとは言わない。そんな無理は言わない。ただ、満ちた杯を手にすることが必須条件だ。故に、『本聖杯戦争にて令呪を手にした者を、ラジアータ・アデールを除き殺戮せよ』」

「な。……マスター、ではなく……!?」

その命令の意図する所を察知し、セイバーが顔を強張らせる。


「だって、元マスターとサーヴァントに再契約されては困るじゃないか。その可能性を減らすためにも、全てのマスターは殺戮すべき。聖杯戦争において常道だろう?」


マスターとは、サーヴァントと契約を結んだ者のこと。

契約対象であるサーヴァントが既に居ないのであれば、それは「元マスター」であり、「マスター」とは呼べないかもしれない。そうした解釈の曖昧さがあった。抜け道があった。

しかしラジアータの縛りは、「令呪を手にした者」であり。


「「……!」」

生者たる二人はほぼ同時に、自分の有する令呪/またはその痕に目を向ける。

間違いなく、自分達はその命令の対象になってしまう!


「再び、令呪を重ねる」


命令対象という指向性の足りない魔力は、更にその場に満ち満ちる。


「これは契約だ、互いの益が保証されていなくてはならないと考えている。……ハハ、使い魔風情に優しいだろう? 『参加者のうち、気に入った者を一人までは殺戮から見逃しても良い』と、この膨大なる魔力の下に誓おう」


「無論、今後わたしの命に従うのであれば、だが」

譲歩と見せかけ、どう捉えても不利な内容。しかもこの内容では、実質的に「参加者の殺戮」の補強だ。

殺戮を前提とした譲歩——に見せかけた不利な契約——なのだから。



こうして二画も重ねられてしまえば、仮にサーヴァント側が反抗したとしても効果を成すまい。いや、そもそもこの内容は明らかに反抗的な相手を縛るものだ。

高い対魔力を持っていようが、なんの意味もない。自害すらも間に合うかどうか。

じわじわと一画ずつ重ねるだけでも脅威だが——場に満ちている魔力の奔流が一気に流れ込むとなれば、その強制力は計り知れず。


「更に重ね、命じる」


更に、もう一画!?

容赦のない使い方に、マスター二人は絶句する。

マルグリットは一画のみ、写真家の青年に至っては一画も使わないままの令呪を、そんな勢いで!?


駆け引きは勢いが肝心だとでも言わんばかり、躊躇無くラジアータは三度目の命を口にする。














 ・・・・・・・・・・・・

「その暗示を解くことを赦す」








 ・・・・・・・・・・ ・・・・

「本来の主人を思い出し、隷属せよ」








 ・・・・・ ・・・・

「スパイ活動、お疲れ様!」







「三画重ねれば、後から打ち消すことも叶わないだろうからね」


「……保険のようなものだよ、単に。シンプルに、二は三に敵わない」


「それくらいの算数は出来るだろ? 令呪を無駄遣いしてしまった、可愛いマリィ?」


「そんな驚いた顔をしなくとも。ある聖杯戦争では、二人でマスターを担った陣営があったと聞く。詳細はかなり違うけれど……まあ、簡単に言えばそんな感じさ」


「セイバーは今まで、マリィに真剣に仕えてくれていたね。真剣に暗示をかけ過ぎて忘れていたけど、本来の召喚者はわたしなんだ」


「ほら。どう考えても、わたしは聖杯戦争の参加者だろう? だって、セイバーの本来のマスターはわたしなのだから」


「マリィはあくまで代理。しっかりとパスは繋がっていても、三画もの令呪で縛られているセイバーに命令出来る立場にはいない」


「……さて、どうする? ああ、そうそう。令呪の内容を忘れないように。私を傷つける事は出来ないからね。そうこちらを睨まない。そんなに命令に従っていない状態が辛いのかい? 早くした方がいいと思うがね」


「おっと、そのまま切り掛かる? バーサーカーのマスターに? ほうほう。そりゃ、救う一人を選ぶならばマリィだろうね? 正しい選択だ、全くその通り。悲しいが、彼には犠牲になってもらおう——」

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