前日譚「とある姉妹の話」
Index: 「危うしMTR部!~万魔殿狂騒曲~」
~とある姉妹の話・1~
それは、あたしがまだゲヘナの生徒になる前のこと。
『……おねえちゃん』
「どうしたの、○○○」
『……おなかすいた』
「……そうだね」
あたしだって、この何日間か何も食べてない。
だけど……妹の前で、元気のない顔を見せるわけにはいかない。
「……待ってて」
「何か……食べものを探してくるから」
~とある姉妹の話・2~
……その頃のあたし達が寝床にしていたのは、ゲヘナとトリニティの境界近くにあるスラム街。
治安はといえば……あの悪名高きブラックマーケットよりも、まあ、ちょっとはマシって程度かな。
強大な犯罪組織によって牛耳られたその地区は、ヴァルキューレや正義実現委員会、風紀委員会みたいな治安維持組織にも、簡単には手出しできない場所で。
当然、そんな場所を根城にしてる連中にだって、ろくなヤツはいない。
ゲヘナや他の学区から流れ着いたワケありの犯罪者や、戦うことしか頭にないような愚連隊。
そうした血の気の多い連中が集まって、ひっきりなしに抗争を繰り広げているような場所だった。
そんなろくでもない環境の中で、あたし達みたいな弱者の居場所なんてどこにもなくって。
生きるためには物乞いや盗人の真似事をするか、犯罪者の手下になって汚れ仕事をこなすか……それくらいしかなかった。
近くで抗争が起こるたびに情けなく逃げ出して、なんとか安全な寝床を探して、嵐が過ぎるまで息を殺して隠れ潜んで……その繰り返し。
……なんともまあ、惨めな生き方をしてたって思うよ。
あたしたちは元々、ゲヘナの生まれじゃない。
昔はあたしたちにだってちゃんとした家があったし、妹以外にも血のつながりがある人だっていた。
だけど……あいつらは、到底あたしたちの『家族』だなんて呼べるような人間じゃなくって。
あのままあそこに居続けたら、きっとあたしも妹も、ろくな終わり方はしていなかっただろうから。
だから妹を連れて、二人で逃げ出したんだ。
妹は……○○○は、あたしにとってのたったひとりの、大切な家族で。
あたしが絶対に守らなきゃいけないんだって。
ずっと……あの日までは、そう思ってたんだ。
~とある姉妹の話・3~
どういうわけだか、あたしは無駄に勘が鋭いらしい。
理由なんて分からない。物心ついた頃から何かに怯えて、何かから逃げ回るような生活を送ってきたからなのだろうか……
そういう「暴力の気配」みたいなものに、やたらと敏感なのだ。
だから抗争が起こった時も、巻き込まれる前に妹と二人で逃げ出すことができた。
そんな力があったからこそ、あたし達はこのろくでもない場所で、辛うじて生き延びて来られたのだろうけど。
……どうせなら、戦いの才能だとか、もっとそういうものがあればよかったのにな。
『……おねえちゃん』
……今も、この廃墟の外ではひっきりなしに怒号や銃声が飛び交い、爆音が鳴り響いている。
だけど、大丈夫。
ここならあいつらには見つからない。あたしの『勘』がそう言っている。
だから、大丈夫。……きっと、大丈夫。
「だいじょうぶだよ、○○○。
何があっても、お姉ちゃんが絶対に、あなたのことを守ってあげるから」
笑いながら、平然と嘘を吐く。
……本当は、誰かを守れるような力なんて、あたしにはこれっぽっちもないのに。
力無く笑って、ほんの少しだけ震える小さな手を、精一杯に握り返す。
この子のために、あたしにできることは……それくらいしかなかったから。
~とある姉妹の話・4~
~~~
『……………………』
……このごろ、妹の元気が無い。
何かの病気にでも罹ってしまったのだろうか。どうしよう。
あたしたちには、お医者さんに診てもらえるだけのお金なんて無いのに。
寝床にしていた廃墟の中で、ぼうっと考える。
ほとんど崩れかけで、無法者にでも襲われたらひとたまりもないけど……屋根が残っているだけマシな場所。
いつまで、こんな生活が続くんだろう。
あたしたちは、これからどうなるんだろう。
……気を抜けば、そんな考えが頭をもたげてしまっていて、そのたびに慌てて振り払う。
『……………………』
……妹は、喋らなくなった。
もう、まともに立ち上がる力も残っていないのだろうか。
ほとんど動かずに、廃墟の片隅に蹲って、虚ろな目で何もないところをぼうっと見つめるばかり。
最後に妹の声を聞いたのは、どれくらい前だっただろうか。
……ずっと、昔は。
物心つく前は、この子も、こんな風じゃなくって。
おねえちゃん、おねえちゃんって人懐っこくて。
向日葵みたいな笑顔を浮かべて、あたしに元気をくれる……そんな子だったのに。
いつから、こうなってしまったんだろう。
……ああ。
また、『嫌な予感』がする。
なんとなく分かるようになってきた。
ここは危険だ。危ない。今すぐ逃げた方がいいって。
……もうじき、この地区は大きな抗争の舞台となる。
この地区を牛耳る犯罪結社に、地元の特攻隊じみた不良生徒の一団が反旗を翻して、全面戦争が勃発するのだと……風の噂に聞いた。
そうなったら、このあたり一帯が戦場と化すだろう。
一度火が付いてしまえば、あたしたちなんてひとたまりもない。
幸い抗争が始まるまでは、まだほんの少しだけ時間がある。
今からすぐに尻尾を巻いて逃げ出せば、なんとか他の学区にまで辿り着けるだろう。そうすれば、命だけは助かる。
……あたし一人、だけなら。
~とある姉妹の話・5~
……顔を上げる。
ゆっくりと立ち上がり、歩き出す。……妹に気づかれないように。
なるべく足音を立てずに、廃墟の出口へと。一歩、二歩、三歩。
……進んだところで、背後から声がした。
『…………どこ、いくの?』
……ひさしぶりに、妹の声を聞いた。
振り返る。
妹がほんの少しだけ顔を上げて、こちらを見ていた。
ぼさぼさの髪の奥から、あたしに向けられた虚ろな瞳が見える。
やめて。
そんな目で、あたしを見ないで。
「……また、出かけてくるよ。食べ物を探してくる」
『……………………』
「帰ってきたら、おいしいものを食べさせてあげるから。だから、ちょっとだけ我慢してて」
そうして、またあたしは平然と嘘を吐いた。
妹は、何も言わなかった。
あたしの言うことを信じたのだろうか。
……それとも、もう喋る気力さえ、残っていなかったのだろうか。
どちらでもいい。
どちらにせよ、あたしがやることは変わらなかったから。
妹から顔を背けて、前を向いて……そっと、廃墟から抜け出す。
そこからはもう、振り返らなかった。
~とある姉妹の話・6~
そしてあたしは、逃げ出した。
誰にも気づかれないように、忍び足で。
人目につかない裏通りに出てからは、駆け足で。
誰もいない道を、力の限りに走った。決して振り返らずに。
一度でも振り返ってしまったら……もう、進めなくなると分かってたから。
~~~
走って、
走って、
……どこまで走り続けただろうか。
ようやく足を止めた時……その場所は、どことも知れない路地裏で。
辺りには、あたし以外の人は誰もいなくって。
遥か遠くの方で、怒号と爆発の音が聞こえた。
……ああ、始まった。
今から戻ったって、きっともう、間に合わない。
~とある姉妹の話・7~
最初に感じたのは、安堵だった。
次に感じたのは、恐怖。そして、罪悪感。
「……ごめんなさい」
気付けば、口をついて言葉が零れていた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめん……」
両脚から力が抜ける。
ぐしゃり、と、崩れ落ちるようにしてその場に蹲った。
声が、涙が、溢れ出して止まらない。
この選択をしたのは自分なのに。何を今さら。
……分かってる。分かってるんだ。
あたしは取り返しのつかないことをした。許されないことをしたんだ。
今更謝ったって、どうしようもないことも分かってる。
それでも……
「ごめんね……○○○」
~とある姉妹の話・後日談~
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「あれ、支部長? どうしたんっすか、ぽけーっとしちゃって」
「……え? ああうん、ゴメンゴメン。ちょっと昔のこと思い出しちゃっててさ」
「支部長の昔の話、ですか? そういえば聞いたことないですね」
「あ、あははー。まあそれは……あたしにも色々あったってことで」
「そういえば支部長って、あんまりゲヘナの学生って感じがしないっすよねー。
角も翼も尻尾もないし……あ、ヘンな意味じゃないっすよ!」
「あーうん。まあね……自分の容姿が地味ってのは自覚してるよ。確かにあんまりゲヘナっぽくはないかもね~」
「……すみません。触れてはいけないことだったのなら、謝罪します。
MTR部にいる以上は、その……支部長にもいろいろあったのでしょうし」
「あー……あんまり気にしないでねー?
まあ、よくあるっちゃよくある話だよ。あえて話すほどもないってだけの、つまらない不幸話。
とりあえず……あたしは今、幸せだから。
過去がどうあれ、今が幸せだったらそれでいいじゃん。ね?」
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……そう。これはただの、よくある話。
絶対になかったことにはできない、あたしの罪の話。
今更あたしが何をしたって、起こってしまったことは変えられない。
どれだけ過去を悔いたって、何の罪滅ぼしにもならない。
ただ……もう二度と、後悔だけはしたくないから。
だからあたしは、絶対に見捨てない。
MTR部の、このゲヘナ支部のみんなのことを。
今は、みんなが……あたしの大切な家族だから。
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