前夜

前夜

このふたりは価値観とかだいぶ違いそうだなとおもいます


『明日、レースだね』

『見に行くよ』

 

 練習を終え、ふとスマホを見れば恋人であるところのユーバーレーベンからメッセージが入っていた。彼女からの文言に飾り気がないのは今に始まったことではない。それに一言『ありがとう』とだけ返信をしてアプリを閉じた。

 大一番を控えた恋人からの激励の言葉としてはあまりに素っ気ないが、短い文言の中に彼女の思いがいかに詰まっているかを知っているからこそそんな言葉が愛おしい。

 

 

「わたしが何も言わなくてもあなたは頑張ると思う」

「そして時には無理をしてでも、怪我をしてでも走り切りたいレースもあると思う」

「だから、『頑張って』も『無事に帰ってきて』もわたしには言えないの」

 

 そう語る彼女の眼はどこまでも澄んでいて、そしてどこか違う世界を見ているようだったのをよく覚えている。今までに言われたこともないような言葉に何も言えずにいたのだったか。

 

「わたしは何が何でも生きて帰って来るけれど、それを誰かに強いることなんてできない」

「だから、せめて最後までレースを見届ける。それがわたしなりの誠意で、敬意だよ」

 

 

 【生き残る】なんて祈りにも似た名前を背負う彼女には世界はどう見えているのか。

 【大帝】も大げさだとは思うけれども、乗せられた願いがあまりにも違う。違うがゆえに、世界の見方すら共有できないことを少し寂しく思う。

 

 考えを改めることも歩み寄ることもままならないが、だからこそ彼女に惹かれたのかもしれない。きっと一生かかっても理解できない相手だからこそ、一生を共に在りたいと思うのだろうか。

 

 勝っても負けても明日は電話を掛けよう。彼女の「見てたよ」という言葉を聞いて、そうしたら最近見つけた花の話でもして、それで。

 無事に帰ってきたことを無言のうちに噛みしめられたらいい。

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