前世の男

前世の男


「お前、前世って信じるか?」

と、問われたなら愛想笑いをし、適当に会話を切り上げようとするだろう。青筋立てて起こるほど真面目でもないが、与太話に付き合ってやるほど辛抱強くもない。曖昧にかわしておくに越したことはない。

 しかしこの男の言に関しては、なあなあに済ませられないような重みがあった。

 ふざけたことは言わない男、というほど相手を知っているわけではない。どころかほぼ初対面だった。なにせ出張先に向かう電車でたまたま乗り合わせただけだ。相手が高そうなスーツを着ていて――商談相手を見極めるための審美眼は自負している――自分と同年代のように見えたのでなんとなく話しかけてみた。そうしたら思いの外馬が合って話が弾んだだけである。

 そんな相手から出た「前世を信じるか」という話。常であれば、怪しい宗教の勧誘とでも思って適当に誤魔化していたであろう。しかしドフラミンゴに話を続けさせたのは、その男の嘘は吐いていない雰囲気によるものか。それとも目的地に着くまで下りられないという閉鎖空間がさせたのか。

「前世ねえ――考えたこともねえな」

 正直に感想を述べると、男はだろうな、とひそやかに笑った。男の揺れる黒髪が艶やかで、笑うときに口元に手を当てる動作も妙に婀娜っぽく感じられ、ドフラミンゴは内心穏やかでない。なんなら電車を降りた後、喫茶店にでも誘って連絡先を交換したいぐらいの腹づもりである。商談まではまだ時間もある……と算段をつけているドフラミンゴの内面を知ってか知らずか、男は長い脚を見せつけるように組み替え、話を続ける。

「大抵の奴は前世なんか信じねえ。だが俺には前世の記憶がある」

 そう言う男の様子は真に迫っている。

「前世の記憶……って、どんな?」

 聞いてはみるものの、ドフラミンゴは当然信じてはいない。ただ男の話に乗ってみただけだ。いくら気になる相手の話とはいえ無条件に信じるほど盲目ではない。ただ電車が目的地に着くまでの時間潰しにはなりそうだ。

「よくある話では、別の国、別の時代に生きていた記憶があって、半信半疑で記憶の場所に行ってみると覚えていた通り――ってのが定番だがな。俺の記憶はそもそもこの世界じゃねえ、別の世界で生きていた記憶だ」

「じゃあその記憶が本当かどうか、確かめようがねえじゃねえか」

 そりゃあな、と男は嘯く。たちの悪い冗談でも聞かされているようだ。もともと男の話を本気にしたわけでもないが、飄々とした男の気配にドフラミンゴはついムキになる。

「確かめようがないなら、その記憶が前世のものかどうかわからねえんじゃねえか? 単に昔見た夢を勘違いしてるのかもしれねえ」

「お前がそう思うなら、それでいいんだが。まあ聞けよ――夢だとしたらなかなかの想像力だぜ」

 そう言って語り出す男の前世の記憶。海賊たちが跋扈する世界で、男は悪党として揺るがぬ地位を手にしていた。そして男の野心は砂漠の国に向かう。淡々とした語り口だが、中身は子供向けの冒険物語にしても壮大な物語だった。

「で、国を乗っ取ろうとしたけど失敗して牢屋にブチ込まれた、と……。せっかくの前世にしてはパッとしねえな」

「いや、まだ続きがある。……監獄行きになったが、あるタイミングで脱獄した俺は、世界的な戦争の前線に参加する。そこでひと暴れして本懐を遂げようとしたときに」

 首を、落とされた。

「……そこで死んだのか?」

 否、と何故か男は笑った。

「死ななかったんだよ。気づいたときには見知らぬ部屋にいた。起きようとしても身体が動かねえ。頭も朦朧として意識がはっきりしない。ただ、そこには俺の首を落とした男がいた」

 首を落とした男は言うんだ――すまねえ、すまねえ、そんなつもりじゃなかった、すまねえ、すまねえ、と。何度も。何度も。

「何がそんなつもりじゃなかった、だ。俺をこんな身体にして、もう死んでるようなもんなのに無理矢理命をつなげさせて。それから俺はその男の操り人形だ。好き勝手に使える便利な玩具さ」

 憎たらしいがその男を殺すのはおろか、自分で命を絶つことすらままならねえ――と黒髪の男は心底悔しそうに言う。前世の感情が未だこの男にくすぶっているかのように。

「好き勝手……」

「聞きたいか? 女が男を喜ばせるようなこと全部だよ。想像してみろ」

 反吐が出そうな顔で男が言うが、ドフラミンゴにはこの男に執着する気持ちが少しわかる。なにかこの男には、人を狂わせるような妙な魅力がある。その魅力に憑りつかれたら、どんな狂った行為でもしてしまいかねない。

 フー、と男がため息を一つつく。

「……俺の前世の話は、まあこんなところだ。悪かったな、妙な話に付き合わせて」

 いや、とドフラミンゴはかすれた声で呟く。想像している。目の前の男が身体を動かせなくなって、すべてを自らの手に預けている姿。男の眼が鈍い光を放つ。意志の強さを秘めた瞳が、今や自分しか映さない。均整のとれた四肢はただの肉の塊と化して、自らの望む通りの姿態を取る。夢と野心に命を賭け、数々の海を渡った男が、今や薄暗い部屋でただ自分一人のために生かされている――。

 それはとても、甘美な夢に思えた。

 電車が減速を始め、駅に着いた。扉が音を立てて開く。

 そのとき男が素早い動作で席を立った。迷いなく出口に向かう背に、せめて名前を聞こうと慌てて追いすがる。すると。

「じゃあな、『天夜叉』」

 聞き覚えのない名前を残して、男は電車を降りていった。

 

 それからどれほど時間が経ったか。放心状態のままなんとか目的の駅で降りたが、呆けて動けないでいる。あの男に遭遇したことが夢の中の出来事のようで、しかし男に遭って焼き付いた感情が去らないでいる。

――あの美しい男を自分の物にしたい。

――動かない木偶の坊にして愛でてやりたい。

――ペットのように、人形のように、玩具のように、

――征服したい、所有したい、蹂躙したい!

 今までの生涯で覚えたことのない、暴力的な衝動が次々と湧き上がる。ドフラミンゴは混乱していた。混乱のままタブレットを取り出し、電話の履歴を次々に遡る。目についた名前をタップする。数秒の呼び出し音のあとに電話が取られる――数回に一度は間違って切られてしまう相手。今回は出てくれてよかった。

『もしもし? ドフィ?』

「ロシィ……」

 電話口から聞こえる弟の声はいつも通りで、急激に夢が覚めていくのを感じた。

『どうしたの? 泣いてるの?』

 知らぬ間に涙が頬を伝っている。日常が奇跡のように思える。母がいて、父がいて、弟がいるこの日常が。

「ロシィ……俺は、正常だよな?」

 何言ってるの、と笑う弟の声が愛しくて、伝い落ちる涙は止まらなかった。

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