別に折りたいわけじゃない

別に折りたいわけじゃない



幼少期、俺たちは森で暮らしていた。

食べ物といえば狩ってくるものだし、着飾ると言っても限度がある。そもそもそんな必要も感じない。

特に不足を感じたことはなかった。生まれた時からそれが当たり前だったし、なんの懸念もなく、家族と仲良く暮らしていくのはやはり楽しかった。

それも、父親が呪いで死んでから様変わり。あれよあれよと俺たちは宮殿に行くことになり、諸々の作法だの何だのを叩き込まれることになった。

まだ、長男のユディシュティラが十六の頃の話だ。


王宮には百王子とかいうやつがいて、聞けばそこの長男は俺と同い年だと言う。何年後かに追いついたが、当時のそいつは俺より背が高かった。口も達者で、顔立ちも整っている。

生まれた時からそこにいただけあって、立ち振る舞いは高貴さが滲んでいた。纏う衣も豪奢で、彼の一挙一動につい、目を奪われてしまうような……

……その割に、俺たちに対する口は悪かったが。ホント、外面は良かったんだがなあ。

やーい森育ちの野蛮男! これはこう使うんですぅ〜! なんて煽られるのが悔しくて、慣れないながら結構頑張ったっけか?

そんな第一王子様だが、いつもお高くとまってたわけじゃない。

結局はどっちもガキンチョの年齢だから、きゃーきゃー言いながらその辺走り回ったりとか取っ組み合いとかは日常茶飯事だった。あの無駄に多い弟も巻き込んで、きゃーきゃー、きゃーきゃー。

…………今思うと、あれは悲鳴だったのかもしれん。

ずーっと神の血を引く兄弟とばかり遊んできていた俺は、「自分は怪力だから、加減が必要なのだ」という思考がそもそも欠落していたらしい。

走り回るのは楽しいし、戯れるのは楽しい。従兄弟の登っている木を揺らして脅かしたり(大体振り落とされていた)、川ではしゃぎ回ったり(相手を沈めたり)と、それはそれは無邪気に暴風の如く暴れ回っていた。

これが「まずいのだ」と気が付いたのはもう少し、取り返しがつかなくなってからだ。


その内王位継承権だなんだでゴタついて、大人達の雰囲気が妙に悪くなり始めて。

百王子の長男のヤツが俺に向ける目には、分かりやすく敵意が宿るようになった。

対する俺は兄弟と楽しくやれて、美味い飯が食えれば良い。王位だ何だという話で、アイツがそうなる理由はよく理解できなかった。

俺はそもそも次男だし、ソレを欲しいと思ったこともなかったからな。

だが、向こうにしてみれば面白くなかろう。

自分が王位を継ぐと決まっているものだと思っていたのに、ぽっと出の五兄弟が現れて議論が始まっている。しかもそこの次男は自分達を(悪気はなかったとは言え)ボコボコにしてくるではないか。

その割に五兄弟の周囲からの評価は高い。自分は凶兆とされたのに、向こうは五人とも神の血を引く約束された血筋。

色々と、なんかまあ。拗れて行ったんだろうな、アイツの中でも。

その後の俺の家族への仕打ちを思えば、同情はしないが。



「────貴様なんぞ死んでしまえば良かったんだ!」

深夜、顔を合わせた瞬間叫ばれた。

従兄弟揃って、河に泳ぎに行った日の晩のことだった。

「わし様がアレだけやったのに、何事もなかったみたいに生きて帰ってきやがって! この卑怯者ぉ!」

寝付けなくて辺りを歩いていたら偶然鉢合わせたので、声をかけたらこの通り。ここ最近は大人しく(王に相応しい振る舞いという事だろう)、上品なツラの彼しか見ていなかったので少し驚いた。

「……やっぱ今日の毒盛ったのはお前か! 死ぬ所だったんだぞ! いい加減やっていいことと悪いことが」

「うるさい! うるさいうるさい黙れっ! そうでもしないと死なないと思ったんだ! なのにあっさり生き残りやがって、俺と同い年のくせにッ、次男のくせに! それを言うなら貴様だって、俺の弟に何をしたか覚えていないのか!」

「は?」

「怪我をさせた! その人並外れた力を振り回して! 誰も勝てないのをいいことに、楽しかっただろうなあ!? 何日も寝込んだ奴もいるんだぞ!」

「け……怪我ぁ……?」

けが。

自分にとって怪我とは、「唾でもつけて寝ときゃ治るだろう」みたいなモノだ。

そういう些細なもの扱いで、翌日以降に怒りや恨み、苦痛を引きずるような認識ではない。

言われてみれば向こうの兄弟は百人もいたこともあって、何人か姿が見えなくても特に気にしたことはなかったが……その理由が、怪我とやらで寝込んでいた……?

ちょっと予想外だった、というか、想像に苦しんだ。どうやら、俺と向こうでは感覚が違いすぎるらしい。

「いいよなあビーマ! 貴様のようにそれだけ力があったら舐められることも無いだろう、堂々としていても負けることなんて無いんだから! そうして正当な立場で! 振り回されて、必死に食らいつこうとする側のことなんて分かりっこない! どんな思いで、俺たちが」

ひゅう、と必死に息を取り込む。細い喉が必死に動いて、次へ次へと言葉を紡ぐ。

「さ、さぞや、生きてるだけで誇らしくて良い気分だろうなあ!? だが俺、はっ、私は……違う……! おまえのせいで、全部ぜんぶめちゃくちゃだ……!」

その内涙交じりの声になっていくので困惑する。何で泣いてるんだろう、コイツは。どういう感情なのかが分からなくて、コメントに困る。


ぽろぽろと涙を溢しているのは初めて見たせいか、妙な心地になっているのも困った。いつも偉そうでどうしようもなくて、自分の弱い姿は見せてこない奴だっただろ、おまえ。

つい昼頃に毒を盛って川に投げ込んで殺そうとしてきた相手だと言うのに、罵倒や侮辱を飛ばしてくる相手だと言うのに、「随分綺麗な顔で泣くもんだな」なんてふざけた感想が浮かぶ。

まだ頭に毒が残っているのか、二人きりで深夜に話しているなんて状況がよくないのか。

これは貴重なものを見れたなという気分と同時に、現在進行形でアレの矜持を傷付けているらしいという実感も湧く。

だから、これは俺だけが知ってればいい。胸の内にしまっておきたい。

……。

そうだ。ならば、これは殺されかけた対価に得たということにするのはどうか? 独り占めは褒められたことではないが、正当な対価であるなら話は別だ。

その顔が俺だけに向くのなら、また殺されかけたって構わない。

その度に生き残ってやって、またこの対価を貰っていくというのは……おかしいな。困った、特に嫌じゃないな?

「そっ……そうやって! いつも、す、澄ました、ところっ、が、〜〜〜〜ッ!!」

何はともあれ、まずは落ち着いて貰わないと。せめて、もっと人のいない所で話すとか。もう少し声を抑えるとか。人が来たら全部バレるぞ、いいのか。

あんだけ喚いてたら内容も聞こえるだろ。


そう思っていたはずだ。どちらかといえば、向こうを心配していたはずだ。

握り込みすぎて血の気が引いて、白くなった拳が振り上げられた時だって……特に何とも思っていなかった気がする。いや、奇妙な高揚はあったかもしれないが。

その激情を避けるのは何だか面白くなくて、しかし大人しく殴られてやるつもりもなく。ただ、その拳は止めてやろうと腕に手を伸ばして。

「なあ、まず落ち着い────」




────翌日、ドゥリーヨダナは比較的いつもの調子で現れた。

分かりやすく偉そうで、分かりやすく不機嫌で、分かりやす過ぎるくらい怒っていた。

これまた分かりやすく白い布で腕を吊り、「あー痛い痛い折れた腕が痛いなあー」と被害者めいた声を上げ、足音を踏み鳴らしながらのご登場だ。

……いや実際被害者なんだが。

哀れな怪我人に対し、毒の件を察しているごく一部の者は生暖かい目を向けている。今更同情を買おうとしてるだけでは? 本当に折れてんのかそれ? と言いたげな視線だ。


「いいかこれは! あの憎きビーマの人形をぶん殴……あの豪傑に並ぶべく、全力の鍛錬中に間違えて折ったモノだ! うん。つまり大体ビーマのせいだな、おい今ここで謝れよ」

「何でそうなる」

いや、本当、何でそうなる? 自分で言うのもどうかと思うが、責め立てるには絶好の機会だったんじゃないのか?


「何でもだ。素直にゴメンナサイも言えんのか? かーっコレだから森育ちのケダモノはブツブツやんややんや」

大勢の弟達の前で、彼は俺を詰り倒す。

まさか昨日の記憶が飛んだか? と訝しんでいたら、そのままつかつかと寄ってきて「あの晩のことを言ったら殺す」と小声で凄まれたりもした。

覚えてた。とはいえ、俺は元から誰にも言うつもりはないが。


「今回は謝罪しないなんてのはあり得ないよな、ビーマ? 忘れたとは言わせんぞ」

至近距離にて胸ぐらを掴んで引っ張られたと思ったら、潜めた声が投げつけられる。会話はしたいが周囲に聞かれたくないらしい、というのは察した。

だからこちらも、努めて小さく声を絞って言葉を返す。

「あー……ごめん、なさい? ……だけでいい、のか……?」

「……よし!」

パッと手が離される。つい一秒前までギラギラ睨みつけてた癖に、一瞬で悪どい笑顔に変わっていくのが見えた。…………なんか嫌な予感がする。


「今の聞いたか我が弟達よ! 今までデカいツラとガタイして大変申し訳ありませんでしたこの先は常に壁にへばりつくようにして歩いて皆様の道を邪魔しないようにしますので何卒ご容赦をだってよー!!」

「な……そこまで言ってねえだろどう考えても! 早口でも無理があるわ!」


そうして何もかもがうやむやになった。あの晩のことはどちらも語らなかった。

だから、あの白い布に包まれた腕の真相は、俺とアイツの二人だけが知っている。

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