初めまして、愛しい貴方

初めまして、愛しい貴方


──逃げられた。


別荘の一室に、閉じ込めたはずの彼はいなかった。

彼の筆跡で壁に書かれている別れの言葉と、荒れ果てた内装が、確かに彼がここにいたことを、そして逃げ出したことを証明していた。


「……何がいけなかったんだろうか」


彼が逃げた理由が分からず、私は痕跡しかない部屋で一人立ち尽くした。



映像で見た6歳年上の彼の走りに、年若い私は魅了された。

アメリカでは珍しいターフで活躍した彼を欲しいと思った。

だから手に入れた。権力と地位を以て作り上げた箱庭に彼を閉じ込めた。

当時結婚していて、奥さんが彼の子供を宿して間もない彼を、私は誘拐して監禁した。


監禁した当初、彼は暴れに暴れた。

お前は誰だ。家に帰らせろ。と五月蠅かった。

彼の口から自分以外の誰かの名前が出るのが、とても腹立たしかった。

だから黙らせた。裏ルートで手に入れたセックスドラックを絶えなく投与させて、湧き上がる熱に蝕まれ前後不覚になった彼を毎日犯した。


私の下で啼いて許しを請う彼は、とても可愛らしかった。

性的に苛ませてる張本人に救いを求める彼は、とても愚かしく愛らしかった。


私にとって都合のいいことに彼は、男でありながら女性の性器をも持つ身体をしていた。

だから子を孕ませれば、彼を私のところに居させられると思って、実行した。


彼は意外にも鈍感というか、楽観しがちなところがあるらしく、毎日私と交わっているというのに自分は妊娠しないと思っていたらしい。

渋々診せた医者の見解によると、女性器の成熟の証──つまり月経がこれまで一度も来ていなかったそうだ。

それならまあ、そう思っても仕方なかったのかもしれない。


でも私が彼の女性器を犯して、射精し続けたことで身体が女として目覚め熟れていき、月経が来るよりも先に妊娠したようだ。

特定の食物が食べれなくなり、吐き気に襲われるようになってなお彼は気付かず、お腹が不自然に大きくなったことで漸く妊娠したことに気付いた。

半狂乱になって泣き叫び、衝動のままお腹を殴ろうとした彼を、私は慌てて止めた。

彼を傷付けるのは、例え彼自身であっても許せなかったから。


それから彼は打って変わって大人しくなった。

私が訪れても拒絶をしなくなった。


──ようやく、私を受け入れてくれた。


そうだと信じ、私は嬉しくなったのを覚えている。

だけど違った。

彼が受け入れたのは私ではなく、孕んだ子だった。

胎にいる子供のために、彼は暴れるのを一時的に止めたのだ。


私に一度も向けたことのない、慈愛に満ちた笑みを浮かべながら、大きくなった腹を撫でる彼を見て、私はそう悟った。

大人気なく激しく、まだ産まれぬ我が子に嫉妬した。


──私は彼の愛をまだ手に入れられてないのに、お前は我が子だからといとも簡単に手に入れるのか。


それは赦されない。いや、私が許せない。

だから私は、彼から産まれて間もない子を取り上げた。

返してと泣き叫ぶ彼を無視して、産声を上げる赤子を連れて外に出た私は、待機させていた女性──政略結婚で結ばれた妻に渡した。


「私の子だ。自分の子だと思って育てろ」


「分かりました」


妻は私にとても従順だった。だから私の言葉に従い、自身も産んだばかりだというのにその子を我が子として受け入れた。

嫉妬したとはいえ彼が産んだ子だったから、妻がどうするか不安になって、少しの間彼から目を離してしまった。


──その間に、彼は箱庭をぶち壊して逃げてしまった。



彼が産んだ子──イージーゴアの妹は、歪な生まれであるに関わらず健やかに育った。

妻を自身を産んだ母親だと疑うことなく慕い、イージーゴアを双子の兄となつき、私のことも父として尊敬してくれている。

彼と同じ瞳以外、私にそっくりな娘だがその血に彼のが流れていると思うと、あっさりと愛せた。

もしかしたら娘を彼の代わりにするかもしれないと思ったが、成長しても娘は私にとって娘のままだった。


勿論子供達を育てる一方で、彼のことも探していた。

私のもとから逃げてすぐ奥さんの元へ帰っていたらしいが、またすぐに所在を消してしまった。

彼の奥さんとその娘を人質にとって、彼を誘き出そうかとも考えたが、その矢先に私は大怪我を負ってしまい、その治療もあって断念せざるを得なかった。


しかし結果として、実行しなくて正解だった。

幸運なことにイージーゴアと彼の奥さんが産んだ娘──名をサンデーサイレンスは同い年だった。

そしてまるで私達の関係のリベンジをするかのように二人は惹かれ合い、交際に至っていた。

それを知った私は、家の誰もが反対する中、二人の仲を認め応援した。


何せサンデーサイレンスは彼の娘。

調べれば彼は時折、娘に会いにここに帰ってきては、また消息を絶つを繰り返しているとのこと。

それくらい可愛がっている娘が結婚するとなれば、いそいそと帰ってきて顔を出すに違いない。


だから私は、イージーゴアとサンデーサイレンスの仲を認めた。

そしてイージーゴアが彼女を逃さぬように、虚飾を交えて私から逃げた彼のことを話した。


「私は愛しい子と結ばれなかった。身を引かせてしまった。だからイージーゴア、彼女を心から愛しているのなら、身を引かせるなんてことをさせるな」


「はい。もちろんです」


それから二人が引退してから数ヶ月後。


「サンデーのお腹には僕の子がいます。でも責任取るためではなく、愛してるから彼女を伴侶にしたい。だから父さん、サンデーとの結婚を認めてください」


そんな嬉しい知らせを息子は持ってきた。

そして私の読み通り、彼は帰ってきた。


「あ、な、何で……」


久方ぶりに会った彼は、以前はなかった口籠を着けていたが、あの頃と変わらない美しさを維持していた。

曇ったガラス玉のような透き通った眼が、私を見た瞬間に恐怖と絶望で揺れている。


……ああ、なんて幸せなことだ!

心こそ手に入れ損なったが、その柔い心に消えぬ傷となって私は彼の中で生きていたのだ!

これを幸福と言わず、なんと称すればいい!?


「……初めまして、ヘイローさん」


もう私とあなたは、娘と息子にしか切れぬ縁で繋がれた。

今度こそ貴方は私から逃げられない。

他ならぬあなたが愛する娘が、その道を絶ったのだから。


「私はイージーゴアの父、アリダーと申します」


だからまた、「初めまして」をしましょうか。

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