分岐点
戦争が始まることに道理はない。
だが、きっかけは確かにある。
アビドスに戦争を始める理由はなかった。
多くの憎悪を産んだ。
悲劇を作り出した。
だが、彼らのしていたことはあくまでも『砂糖を広めること』だった。
戦争がしたいわけではなさそうだった。
しかし、この戦争の引き金を引いたのはアビドスである。
自分たちの高校が、麻薬を広める巨悪の集団として、三大校による排斥を、連邦生徒会による承認を受けるだけのことをしてしまったのはアビドスである。
それは間違いなく愚かしい選択であった。
かつての空崎ヒナがするわけがなかった。
かつての浦和ハナコがするわけがなかった。
かつての小鳥遊ホシノならば、決してしなかった。
だが、実行した。してしまった。
『シャーレの先生がアビドスに捕まっている。』
そのたった一つの出来事。
だが、それは、限界まで膨れ上がっていた風船を、銃弾で打ち抜いたようなものだ。
戦争が始まる。
『先生』を取り返すという大義名分を得て、銃と兵器が砂漠へ向かう。
だが、その大義は、いずれアビドスへの憎悪の波で遥か彼方に消え去ることだろう。
…これを。こうなることをわかっていてやったのなら。
わかった上で、アビドスにたった一人で行くという蛮行を実行したのなら。
先生。あなたがするべきことは…わかっていますよね?
□
先生監禁、そして戦争開始の報を受け、シャーレにとって返した私達は、もぬけの殻になったシャーレのオフィスを目にした。
この事態において、先生とよく行動を共にしていた七囚人のお二人や、カンナ局長、シロコさんもいない。
そして、私達が入室したことに反応して、録画されたビデオから、先生が私たちに語り掛けてきたのであった
1・完成した対シュガー中毒症状への対抗薬。それの拡散。
2・アリス…AL-1Sの機能によるアトラハシースの方舟を用いての砂漠の『浄化』作戦の決行。
それは、私達がキヴォトスを駆けまわっている間に、先生たちが、シャーレが働き続けた研究成果による。生徒達を最も傷つけない、今回の問題への解決策そのものだった。
そしてこの指示の意味することは、『ここから先は、私なしでやってみなさい。』という提示。キヴォトスを救うためのピースを揃え、救いたいという生徒達のために整えた筋道。
ここまでやっておいて、最後まで見届けないのは、先生がすべての生徒…アビドスの生徒達も含めた味方であるために見いだした、ギリギリの点であったのだろう。
ですがね、先生。
あなたという存在がどれだけ生徒達にとって重いのかをあなたは少し見誤っていたのではありませんか?
「先生を取り返せ!!」「あの子は帰ってこなかったのに!先生まで奪うなんて!!」「私達を裏切ったの?」「許せない許せない許せない!」「先生、先生がいないと私。」「先生は私達のものよ!やっぱり私間違ってないんだ!」「先生もこっちにいるのよ!だからあなたも来てよ!」「ふざけるな!どうせまた砂糖を使ったくせに!砂糖が…アビドスが悪い!」「先生…」「先生!」「先生っ…」「先生!!」
誰も彼もが先生、先生と騒がしい。そこまで大層な人ですか?アレ。
…まあ、すさまじい働きぶりであることは認めますが。その働きぶりにしたって、しなくてもいい善意やお節介で自分から増やしている愚かしさ故です。もっと冷静にあの大人を評価するべきなのではないでしょうか。
少しため息をついて、私は激化する対立と戦争の開始により混乱する市中の様子をレポートしていたテレビを消した。
シャーレの中の空気は緊迫感が張り詰めている。先生からのメッセージを受けて、私達は岐路に立たされていた。
「私は先生を助けに行く。…アビドスの奴らにこれ以上好きにさせてたまるもんか…!」
「生徒達の治療が先です。…先生が残してくれた確かな手から打つべきでしょう。先生の救出はシャーレの生徒達に任せるべきです。」
「あの…今のテレビのあの状況を放っておいていいんですか!?…あっ、その…あんなことになってるのに何もしに行かないのは、その…」
私達は決して一枚岩ではない。それぞれに主義があり、正義があり、目的がある。こうした場面で意見が割れること、それは当然の結果である。
だが、それでも私たちがまとまって行動できたのは…勇者一行でいられたのは、その名の通り、『勇者』がいたからである。
「世界を、救う………」
最も、今はその勇者は随分としおらしく、普段のように周囲の反応などお構いも無しに道を切り開いていく強引さはなりを潜め、一人でなにやら考え込んでいるようであった。
私?私ですか?逃げる準備をしていますよ?
戦争がおきた時点で、私がアリスさん達に協力する理由…メリットはなくなりましたから。こうなった時点で、理想論など犬の餌にでもした方がましな絵空事なのです。ひたすら利をとり、己の身を守るのは当然でしょう?
この混乱した状況に乗じればこっそりと脱走するのは超人の手腕をもってすれば難しくはありません。
むしろ、この戦争を上手く利用する案すらあるのです。
例えばそう、戦争の混乱に乗じて、アビドスシュガーの製造拠点を襲撃して丸ごと乗っとる案などね?流石はカイザー、話を持ち掛けたら1も2もなく乗ってきていただけました。やはり大人とはああいうものですね。
さて、これからもまた、別で一仕事していかなくてはいけないわけだ。だが、ようやくこの悪夢のようだった日々を抜け、この超人に相応しい華道を通っていけるというわけでもある。
そう、思って。部屋を出ようとして。
「…カヤ。」
私の服の裾を、掴む指があった。
それは、普段の彼女の怪力で、私を無理に引っ張っていく時の強引さとは比べるべくもなく弱々しい。ただ、ひっかけるだけのような小さな指先。
振り払おうと思えば、振り払える。
……。
……。
………………。
私は振り返った。
「…なんですか。」
私を見上げる彼女の目には、怯えがあった。迷いがあった。…恐怖があった。
「カヤは…どうしたいですか?」
それは、もしかしたら初めてであったかもしれない。そう思うほど、彼女が私にしたその問い掛けは珍しいものであった。
彼女と行動をしてきて、彼女はいつも私を引っ張っていった。イヤだと言っても、一計を巡らせようとしても、その前に無理矢理私を背負って持って行った。最初の内は私も断固として抗議をしたのだが、途中からは諦めていた。
だから、その問い掛けの意外さに、思案を巡らせる前に、思うままに答えてしまう。
「なぜ聞くのです?私の答えなどアナタは気にせず進んできたではないですか。」
そう言われたアリスさんは、一瞬、びくりとした表情を見せて、うつむきながらぽつぽつと言の葉をこぼし始めます。
「…アリスは、再び勇者の剣を握る必要があるとわかりました。」
「今度は一人きりだけど、それでも握らなくてはなりません。」
「…それ自体は、怖くありません。どんなアリスもアリスで…その上でなりたい私として、誰かを助けるためなら、何度だって剣をとります。」
「でも。」
「本当にそれだけでいいんでしょうか。」
「アリスができることを真っ先にするだけでいいんでしょうか。」
「…アリスは、勇者は。」
「みんなを、助けにいきたいです。」
「今、戦争が起きて、目の前で助けを求めている人みんなを、助けにいきたいって、そう思ってしまっているんです。」
「この旅で、みんな苦しそうでした。悲しそうでした。怒っていました、泣いていました。」
「戦争で、それが、もっと、もっと広がっていっています。」
「…これは、ワガママだって、アリスわかります。」
「まず、何よりも砂糖をなんとかした方がいいんだってわかっています!」
「でも、それでも、アリスは…勇者は、今のあの戦場を放っておきたくないんです…!」
それは、およそ合理的ではない提案。作戦すらない、目前の現状を受け入れ難いから、それの解決を優先したいと言うだけのあまりに短絡的な思考。
気づけば、部屋は静まり返っていて、皆が語るアリスと私のことを見ていた。ここまで自分を引き連れてきた勇者がしたいということを、黙って聞いていた。
「カヤ。」
「アリスは勇者としてしたいことをずっとしてきました。」
「でも、今やりたいことで本当に、皆を助けられるんでしょうか。」
「アリス…アリスは…今、とても怖くなりました。」
「ねえ、カヤ。」
「カヤは今、どうしたいですか?」
「みんなを助けるために何をするのが、いいのでしょうか。」
それは選択への恐怖。アリスにも、全員にも。先生がいなくなって、張り詰める緊張の中でのしかかっているもの。
選択には責任が伴う。
行動として選んだ内容を変更することはできない。
これはゲームではないのだから。
…ああ、なるほど。
先生。あなたが責任を負うと言う理由がやっと少しだけわかったかもしれません。
引き金と爆発が軽いキヴォトスは、行動力と実力さえあればある程度の無茶は通せる狂った場所です。
けれど、だからこそ、どう行動するのかを私たちは選ばなくてはいけません。
その選択の責任は重いのです。
少女たちが抱えこむにはあまりにも。
…そして、その責任は、私にとっても重くて仕方がない。
どう答えろというのだろう。
頼るように私の袖をつかんだこの愚かな少女に、なんと言えばいいのだ。
もはや私の手に負える事態ではないから、任せておいて逃げようとしていのたのだというのに。
沈黙がシャーレの一室を包む。
誰も何も言わない。アリスの問い掛けに、カヤが返答するのを待っている。
煩わしいような。言いづらいような。
怒っているような。情けないような。
そんな複雑な表情をしたカヤの口が、ゆっくりと動いた。
「私は……。」
▶「したいことをするだけです。」(カヤ同行ルートへ)
「するべきことをするだけです。」(カヤ離脱ルートへ)
「???」(???ルートへ)