出会い
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荒い息遣いが響く。場所は六組の教室の付近にある階段の踊り場だ。今現在、時間割ではまだHRである為、周りに人気《ひとけ》は全く無い。
「くそ…………! 何なんだ…………」
体の奥底から溢れてくる、この出所の解らない感情の奔流を春城《はるき》は必死に抑え込もうとする。しかし、そんな抵抗虚しく、つい先程発生したこの衝動は体を支配しようとしていく。
踊り場の壁に左前腕と額を押し付け、必死に深呼吸する。
今の自分はいつもよりも輪にかけてさぞかし酷い顔をしているだろう。
(…………)
次々に心の中で湧きおこる。
驚きが。罪悪感が。歓喜が。そして、狂おしいまでの愛情が。
こうやって衝動・感情の正体自体は解っているのだ。
ただ、これで1つだけ確信できた事がある。
(やはり彼女は……………………)
春弥《はるみ》は“夢”の女性なのだと。明確な根拠等抜きに容易に腑に落ちた。
だがそうだとして、何故“彼女”が出てきたのか────
(くそ、落ち着いて考えられない……!)
思考が纏まらない。考えるのは後だ。一先ず何とかしてこの衝動を鎮めなければ────────
《《ガチャリ》》、と。耳元で金属機構が奏でる音がし、同時に右こめかみに金属質な何かが押し付けられたのを感じた。
ハッとして右を向き────思考が止まった。顔を向けた先の光景が理解出来なかったからだ。
《《自分で拳銃を握り、自分の頭に向けていた》》。
「何故……?」
心臓の鼓動がますます速くなる。
呆然と、銃を握る己の右手を見下ろす。
拳銃自体は今や見慣れた己のものだ。口径が大きく、メインに使う訳でもなく細々とした整備が面倒だという理由での|回転式拳銃《リヴォルバー》。
再び、しかし内容は異なる混乱と焦燥が己の中を支配する。
当然ながら、春城には日常的に拳銃自殺を行うなんて習慣は無い。だというのに全くの無意識の内に──羽織の下の右腰裏のホルスターから抜いた覚えも無いのに、いつの間にか己の頭に向けて構えていた。|安全装置《セーフティ》まで外して。
《《まるで日常動作の延長上とばかりに、極々自然に》》。
(何だ、何だ、何なんだ。一体全体俺に何が起こってるというんだ……)
「────あら?」
ふと背後から響いた声に春城は弾かれたかのように振り返った。
背後にある階段の上部、廊下に繋がる場所。上に取り付けられた灯りを遮るように。
そこに、“彼女”は立っていた。
(────────────!!!)
──嗚呼、やはり“彼女”は美しい。
その姿を認識した瞬間、今まで心の内を占めていた混乱は掻き消えて再度の激情の奔流が──何よりも愛おしさが爆発的に湧き上がり、逆にそれに戸惑いを覚えてしまう。否、このままならない自分の身体には、最早恐怖すら感じてしまう。
当然ながらと言うべきだが恰好こそ先程と同じだ。しかし、刹那しか微笑を浮かべなかったその顔は、今は心の底からの歓喜と愛情が滲み出た満面の笑みに覆われており、しかし対照的にその目には限りない憤怒と憎悪が溢れ出ている。
不思議と春城にはそのどちらかが作り物なんてものではなく、どちらも本物なのだろうと自然に感じ取れた。
春弥の視線がこちらの右手に向けられる。
「相変わらずなのね、その“《《クセ》》”」
吐き捨てるように紡がれたその声の印象も先程までのとは微妙に変化し、声質は艶やかなアルトのままにもかかわらず今は妖艶さと言うよりはより退廃的な危うさを感じさせており、その言葉には明確な呆れと侮蔑、そして憎悪が込められていた。
「そのまま放っておいても私の目論見は果たせそうだけど…………」
彼女が何を言っているのか春城には解らない。
しかし、そこでようやく僅かに冷静さを取り戻し、春城はある疑問を覚えた。
果たして|彼女《春弥》は何故この場にいるのか、と。
「銃声《おと》が煩《うるさ》くなるからやっぱり直接やらなくてはね」
その妖貌に掛かる翳りがより深くなったように感じた。
《《ぞわり》》、と、背筋に悪寒が走る。とにかくその場から動けと本能が叫ぶ。
それに従い春城は行動を開始した。右手の拳銃を春弥に向け移動した────春弥から離れようと、《《背後に移動しようとした》》。
「ぐあっ…………!」
突然発生した後頭部に痛みと衝撃に数舜思考に空白が生まれる。背にしていたすぐ|傍《そば》の壁にぶつかったのだと理解したのは直後のことだ。
そのたった数瞬が致命的だった。
「ラッキー」
愉しそうなその声が聞こえたのが最後だった。
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僅か数秒後。春弥が見下ろす階段の踊り場で。
《《首から上が齧り取られたかの様に無くなった》》春城の体が横倒れに転がっていた。
「うふ。うふふふふ。────────ごちそうさま」