摂理
非常に賢く、プライドの高いドラゴンが居た。
体は小さく非力だが、仲間と連携を取ってしたたかに生き抜く。
その名はシャリタツである。
私はドラゴン使いやかいじゅうマニア等ではないが、唯その姿に魅了されたしがない一般トレーナーだ。
図鑑のスケッチを一目見た日から、私はその存在を間近で見てみたい、なんなら冒険を共にしたいと思うようになった。
先日はフィールドワークでオージャの湖の近くに寄る機会があり、私は撮影用のスマホロトムを片手に現地へ赴いた。
実際目の当たりにした、スシに擬態し湖で活動する姿は…人間の私にとって“野生で生きる様”というには余りにも面白おかしく、私をより近くで見ろと操るような可愛さがあった。
当然だが私は遠くの地方の伝統食「スシ」が好きで、味だけでなく見た目にも光るところがあると感じるのだ。艶やかな赤身のマグロ、ロール状に巻かれたタマゴ、くるんと沿ったエビ…中には変わりダネで奇抜な食材を乗せる店もあるようで、色とりどりの豊富なネタは私の視覚をあざやかに彩ってくれる。
勿論、湖に棲息するシャリタツたちにも同じ事が言えた。
私はシャリタツたちの中でもひときわ目を引く存在…言葉にするならば「醤油のかかったエビ」に惹かれた。
私は彼とコミュニケーションを取りたくて、怖がらせないようゆっくりと歩みを進めようとした次の瞬間。
「シャリ!」
びちゃ、と水が射出される音が響いた。
私の右手は袖まで濡れていて、草むらにスマホロトムが滑り落ちた。水に落ちなくてなによりと思うのも束の間、空気と水に圧された私の手の甲はだんだんと鈍く痛みはじめた。
目当てのシャリタツは私の事を敵と認識したのか、直ぐに次のみずのはどうを撃てるよう構えている。
「シャリタツは悪賢い生き物である」ことは私にも百も承知だ。
運の悪いことに湖には人気がみられず、ここで襲われたら一溜りもないだろうと私は相棒のポケモン達でその場を凌ぐことにしたのだった。
野生の世界は、私の考えの及ばないほどに厳しい。
彼の技巧な技に、私たちは苦戦した。
彼の攻撃を相殺するために繰り出した技はミラーコートで返され、りゅうのいぶきを喰らった私の手持ちは半壊滅状態となり、まさに背水の陣だった。
「擬態」…その生存戦略に、私はまんまと嵌められていたのである。
私は天にも祈るような思いでダイブボールを投げつけた。
ボールを頭にぶつけられた彼は言葉にならない怒号を口走りながら、ギロリとこちらを睨んで光に包まれた。
激しく暴れ回っていたボールはあまりの執拗な粘着に諦めたのか、大人しく鞄に収まる。
私は痛む右手を提げて、複雑な心持ちで家路についた。
「夢にまで見たシャリタツを、ついにこの手に収めた」。今までの野生のポケモンとの出会いであれば嬉しい出来事のはずなのだが、彼の力を垣間見た私は不安さえ覚えていた。
そしてその不安も、すぐに頭角を現し始める。
シャリタツは私の言う事を一切聞かなかった。
学校の授業では、大抵のポケモンはボールに入ると主と行動を共にするようになると教わったが、彼は違った。
はじめてボールから出した時には、私の顔を見るとすぐに顰めっ面を見せた。
サンドウィッチを差し出しても、体のケアをしても、彼はずっと不機嫌だった。
技の指示をすれば、まるで手綱を引きちぎるかのように激昂しながら私に水を浴びせるのだ。
「おまえの言いなりになどなるものか」
そんな顔をしていた。
ひとしきりに水を撒き散らした後、私の方を見ながら水溜まりを前ヒレで叩く彼を見て、私は考えた。
彼の内心を読むことは出来ないが、大きな心当たりがあった。あの時の出来事がずっと心の奥底でぐるぐると渦巻いていた。
思えば私は、彼の望まないことばかりを強いていたことに気づく。
怪しい人間が近づいてきて、追い払おうとすれば攻撃され、知らない場所に連れて行かれ…
彼にとっては災難も災難である。
私は彼と目を合わせて謝ることも出来ず、ただ己のしでかした軽率な行いを省みるしかなかった。
用事の落ち着いたある日、私は彼を元いた場所に帰すことにした。
ボールから出た彼は景色に軽く戸惑い、自分の生息域であることを確認するとすぐさま近場の水へ飛び込む。
ヒレを動かして、まるで泥や汚れを落とすような仕草にひどく心が痛んだ。
私は何もせずその様子を見守っていた。
すいすい水面の向こうへと泳いでゆく彼が、こちらを振り返ることは無かった。
申し訳のないことをした。本来、これが自然の在るべき形だったのだ…と、思ったその時。
目の前で数メートル程もある巨大な魚ポケモンが跳ねた。
飛沫を真正面から全身に浴びた私は、目が覚めたような心地であった。
穴が開くほど見たはずであろう図鑑の一文を思い出す。
彼は「しれいとう」だったのだ。
彼には彼のパートナーの為、主として面倒を見るべき存在が既にいたのである。
初めて彼と出会ったとき、彼は私自体に攻撃しようとはしていなかった。彼にとっては見慣れないスマホロトムのみを弾き落とすため、器用に手だけを狙っていたのだろう。私のポケモンたちと対峙しても的確に技を躱す戦術を持ち、6匹がかりで戦ってようやくそのヒレを地についた程の実力も兼ね備えている。
彼の生きる世界は、私が手を出さずとも完結していた。
私の言うことを一切聞かずに抗い続ける態度にも納得がいった。
私は種族の壁を越え、ひとときの関係を共にした、在るドラゴンの気高さに敬意を表した。
終