冬/蟲の女王の後継

冬/蟲の女王の後継


「ここね…。」

日本に到着し、件の都市に残された怪異の痕跡を辿ることで突き止めた潜伏場所、そこに通じる路地を睨み付けて私は冷や汗をかきながら呟いた。

ここに来るまでに本当に現代の都市部かと疑いたくなるほどに何度も怪異との戦闘になった。蟲の女王なる怪異の統べる領域らしく、蟲型怪異の数がやたらと多い。おぞましい見た目をしたまさしく怪異といった蟲や、形こそ比較的普通の虫に近いが明らかにサイズが狂った蟲など、よりどりみどりな蟲型怪異による悪趣味なパレードに少し気分が悪くなったが、私は自らの武器である鎚や魔術で祓い、潰し、消し飛ばして歩みを進め、潜伏先の路地前へと辿り着いたのだ。

「待ってて、お母様…!」

僅かばかりに感じる恐怖を飲み込み、私は魔道具と呪具を準備して路地へと駆け込んだ。


「ひっ…」

直後、それを後悔した。あまりも濃すぎる呪力の濃度に本能的な恐怖を覚える。今すぐ逃げろ。取り返しがつかなくなるぞ。そんな声が私の内側から聞こえた気がした。

けれど私は、そんな弱い心を捩じ伏せて路地の更に奥へと歩みを進めた。



…もしかしたらそれは、弱気な心ではなく獣神の巫女をやっていた頃の自分からの忠告だったのかもしれない。もっとも、今となっては何の意味も無いことだけれど。



警戒しながら進み続けると、路地の終着点らしい少し開けたスペースに出た。コンクリートブロックに囲われた小さな広場のような場所だ。

(行き止まりか…?それにしてもこの淫気の濃度は…)

獣神の巫女としての血が周囲のよどみきった淫猥な霊気を敏感に感じ取り、背筋に寒気を覚える。もしかしたらここで怪異達は犠牲者を貪っいるのかもしれない。

「っつーことは…。」

私は魔道具と鎚を展開し、周囲を睨むように警戒する。直後、塀の裏や隅に乱雑に積まれたゴミ、側溝に被せられた金網の隙間から大小様々な蟲型怪異が姿を現した。

「だよなぁ…クソッ!」

私は思わず悪態をつく。それが引き金になったかのように蟲怪異達が一斉に動き出した。

「ああもうきっめぇんだよ!!潰れろ!!」

飛び掛かってくる大型は鎚を振るい叩き潰す。小型は魔道具で炎や雷を放ち焼却する。一体一体は大した力もなく私でも難なく祓える程度の力しかない。問題は…

(数が…、多い…!!)

能力は間違いなく私の方が上だ、けれど圧倒的とも言える数の差はどうしようもない。蟲共が私の元に到達するのは時間の問題だろう。

「だったら…っ!」

私はポケットにしまっていた宝石をひとつ取り出し魔力を流し込む。

「テメェら雑魚にはもったいないけど、これでも喰らって消し飛びな!!」

それはお母様の退魔の魔術を封じ込めた宝石だった。魔力を送り込み起爆させれば宝石が魔術を発動する仕組みだ。宝石の中から退魔の光が放たれ、広場を丸ごと飲み込んだ。

「…ハッ!ざまあみなさいっての。」

そして、閃光が収まれば広場にいた全ての蟲型怪異は跡形もなく消えていた。

そのはずだった。

ばしゃっ、と私は背後から何かを掛けられた。

「………は?」

チリチリと肌を焼くような感覚を堪えながら振り向けば、全ての怪異が消えたはずの広場に、一体の芋虫型の怪異が残っていた。黒い体色に水色の模様をした人間大の怪異だった。

あり得ない、あり得るはずがない!お母様の退魔の魔術は完璧だ。発動すれば残留した魔力が結界となり、その結界は怪異が近寄ることもできず内部に入ればそれだけで消滅するはずだ。だというのに、何故こいつは平然としていられる!?

液体をかけられた側の服が溶けてひやりとした空気が背中を撫でる。そして身体の奥に認めたくない熱が灯る。先程浴びせられた液体はおそらく怪異が女を堕とすために使う媚毒の類だろう。巫女としての耐魔力なのか、私の身体はそういったものに耐性があった。そのためまだ動けるが、同じものを更に何度も受けたらどうなるかんて考えるまでもない。間違いなく耐性を上回られ、私は怪異の女へと堕とされるだろう。

「この…ッ野郎!!」

だからこそ、これ以上受ける前に速攻で仕留めるしかない。私はその怪異に駆け寄ろうとするが、今度は羽音と共に背中に何かで刺されたような鋭い痛みが走った。事態を確認するより前に私の意思に反して身体がまともに動かなくなる。手に持っていた鎚を取り落とし、崩れ落ちるようにその場に倒れ伏した。

「んっぎっ…なに、が…?」

身体の動きのみを封じるという悪趣味な麻痺毒と共に流し込まれたらしい媚毒の影響で思考も回らない中でなんとか後ろを見れば、そこには先程の芋虫型怪異と同じカラーリングをした中型の蜂型怪異が飛んでいた。

(まただ、お母様の退魔結界に耐性がある怪異…!まさかこいつらにお母様は…!?)

けれど、ようやく納得できる部分もあった。退魔の魔術への耐性があるだけの怪異ならばお母様は別の手で討ち滅ぼすだろう。しかし、そんな怪異を自由に産み出せる怪異の主が相手だったのならば、お母様が不覚を取ってしまったのかもしれない。

そして気付けば芋虫や蜂以外にも蜘蛛に蛞蝓、蝿等といった大量の蟲型怪異が結界内を我が物顔で闊歩していた。それらは皆黒と水色で体色を彩っていた。

(に、げ…なきゃ…。せめて、情報だけでも持ち帰らないと…)

冬の女王の退魔魔術にすら耐える怪異の群れ、これこそが日本に発生した災厄級怪異の正体だとようやく理解した。

流し込まれた媚毒に思考を焼かれながらも自身の耐性を信じて歯を食い縛る。転移魔術のスクロールを起動するために私は必死に手を動かそうとした。けれど、麻痺毒の影響でまともに四肢が動かせない。ただ私が芋虫のようにうごめく羽目になっただけだった。そしてそんなみじめな私を蟲型怪異は取り囲むと、何処かへと運び始める。

「くそ…クソッ!離せ!離しなさいよ!!」

叫び声なんかに当然反応するはずもなく怪異達は広場の隅へと私を運んでいく。そして先頭を進んでいた芋虫型怪異の水色の模様が発光すると、怪異の眼前の空間に波紋のようなゆらぎが浮かび上がる。そして私はその波紋を正体を知っていた。

(あれは…、お母様の水鏡!?どうしてこんなヤツが…!?)

『水鏡』とは先程使おうとしていたスクロールにも記録されていた『冬の女王が作り上げた個人で使用ができる転移魔術』だ。術式が複雑過ぎるため基本スクロールで扱い、自力で扱えるのはお母様だけだという特級の反則魔術と同じ術を怪異が行使する光景を見せられた私は驚愕に飲み込まれる。

そんな私をよそに怪異達はなんの迷いもなく水鏡モドキの中に入って行き、私は結局なんの抵抗もできないまま水鏡モドキへと連れ込まれる。その直前、広場に残された旅行鞄が目に入った。

「ごめん、アルトリア…。もう、帰れないや…。」

届くはずのない親友への懺悔を呟きながら、私は路地裏から姿を消した。



水鏡モドキを抜けた先は、虫型怪異達の本来のテリトリーである異空間だった。淀みきった霊気と呼吸するだけで精神と身体を焼かれそうな淫気に満ちたおぞましい空間だ。私はその中を怪異達にまるで神輿のように運ばれていく。

怪異のテリトリーに連れ込まれる。こうなった人間の末路はだいたい決まっている。怪異の餌になるか、苗床にされるか。そして抵抗する力を奪うために流し込んだ毒は命を脅かすものではなかった以上、私の末路は蟲共の苗床だろう。

時々遠くから聞こえる犠牲者達の嬌声と泣き声を聞きながら、己の行く先をぼんやり考えていた。

(まったく、お母様の言う通りだった…。未熟な悪魔祓いが力量を見誤り、怪異の手に落ちる。ありきたりな末路だ。)

私の武器である鎚も無い。魔道具も呪具も旅行鞄と共に広場に取り残されている。退魔の宝石は効果がなく、水鏡のスクロールだけは残っているが、それだけだ。正直に言えばもはやこの状況を覆す手立てはない。だけど、

(だけど、ただヤられるだけってのは、冬の女王の後継として認められないよな…!)

恐らく私は女王とやらの元へ運ばれている。チャンスはそこだ。反撃されて死ぬか、苗床にされ女として死ぬかのどちらかしかないのならいっそ、派手に散ってやろうじゃないかと覚悟を決める。

しばらく進むと怪異達は動きを止め、私を地面へと放り捨てる。どうやら女王サマの御前へと着いたらしい。

(ここだ…っ)

媚毒に侵され麻痺の残る身体を無理矢理に酷使して一息に立ち上がる。私は蟲の女王を視界に捉え、靴に隠して持っていた小さな呪いの鉄杭を握り、それを突き刺すために駆け出そうとした。

「………え?」

けれど、私が女王に飛び掛かることはなかった。薄暗い闇に浮かび上がる蟲の女王の姿に見覚えがあったからだ。

「お母、様………?」

汚れてくすんでしまった銀の髪。形の良かった乳房はアンバランスな程大きくなり、だらだらと母乳を垂れ流している。すらりとしていた腹部は怪異の仔を孕み、産み落とす寸前だと一目でわかる程に膨らんでいた。

意識を失ってうつむいていたため前髪に隠れて顔が見えなかったが、あの女性は間違いなく私の母、魔女モルガンだ。

お母様は無惨にも蟲型怪異の苗床にされ、蜘蛛の巣の上で磔にされていた。

私は信じられない光景に呆然としていると、視線の先でお母様に変化があった。

「ぅ……ぁ…」

意識を失っていたお母様が反応を示したのだ。けれど、様子が明らかにおかしい。

「あっあっ、ああ…っ…」

まさか、と私が思った直後、

「あっぎ…っぁぁぁぁぁあーーーッ!!?!」

お母様は顎が真上を向くほど大きく仰け反り絶叫した。恐らくお母様の意思とは無関係に身体が大きく暴れ、母乳と愛液を撒き散らす。

「っや、ああっぁぁあぎあぁぁあっだ、うみだくっなぃぃぃい!やっあっあっあがぁっんグぅっああ、ぁぁあぁあーーーッ!!」

嬌声か絶叫かもわからない声をあげるお母様の乳房から母乳が飛び散り、乳房が波打つように蠢く。そして乳首から母乳と共に何かをぶりゅぶりゅと音を立てて噴き出していく。

それは蛞蝓型の怪異の幼体だった。お母様の乳房は蟲の苗床として造り変えられていた。そういう風にされることもあると悪魔祓いの知識では理解していたが、実際に見てもなお脳が理解を拒んでいる。

そんな私に気付きもせず、お母様は乳首から幼体を出産し続けている。最終的に乳房の中に詰まっている幼体すべてを産み終わるまでずっとヨガり狂っていた。けれど、それで終わったわけではない。

「はっ…はぁ…はぐっ、ううぅぁぁあぁぁぁっはぁっぁ…!」

今度は乳房以上に大きく膨らんでいたお腹が蠢き出し、秘所から飛沫が飛び散る。

「ぐぅぅぅぅぅっ、がっあっぁぁぉぉおぉっぁっうあっあぁぁあっ…」

子宮に眠っていた何かの幼体が、産道を外から見てもわかる程に盛り上げながら降りてきて、やがて秘所から顔を出した。

「ひっ…!」

私は思わず引きつった声を漏らす。お母様から顔を出したのは人の赤子の頭よりもずっと大きな芋虫の頭だったからだ。

「がっぁぁあぁあぁぁぁあああーーッ!!!」

濁った叫び声を上げながらお母様は絶頂とともにその芋虫を産み落とした。信じられないことにその芋虫はお母様とへその緒で繋がっていて、芋虫とお母様の間に血の繋がりがあることを証明していた。ヒトと蟲の混ざり合った仔を産む、それほどまでにお母様は身体をぐちゃぐちゃに造り変えられていた。

そして気付いたことがもうひとつ。お母様が産み落とした芋虫は見たことがある体色をしていた。退魔の魔術を受けず、私をここまで運んできた黒と水色の蟲型怪異たち。つまりあの怪異たちは全てお母様の子宮、あるいは乳房から産み落とされた怪異たちということだ。あの退魔結界が効かなかったのは退魔の魔術への耐性があったからではなく、魔術を形作るお母様の魔力への耐性からだったのだろう。


祖国に流れていた噂は間違っていた。

冬の女王は蟲の女王に敗れたのではない。冬の女王は蟲の女王になったのだ。

そう気付いた私は張り詰めていた足から力が抜け、へなへなと座り込んでしまった。視線の先では次の仔を孕まそうと怪異達がお母様へ我先にと群がって行き、すぐにお母様の嬌声が響いてきた。その様子をただ見ていた私の背後から私をここに連れてきた蟲達がにじり寄ってくる。

心が折れてしまった私はこの先の運命を受け入れ、蟲達の伸ばしてきた濃密な媚毒の滴る針を黙って刺され、次の瞬間には歪んだ悦楽の底に沈んでいった。


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