冬の星野家 ~炬燵の上の戦場~
紅葉もとっくに落ちきって秋は終わり、木枯らしと共に本格的な冬が到来した。往来を行く人々の口からは白い息が漏れ、時々粉雪のようなものもちらほら。
そんな凍える季節の最中、俺達一家の様子はというと……。
「むにゃ…あったか~い……」
「おいルビー、いつまで俺の膝の上に居るつもりだ。いい加減足が痺れてきそうなんだが」
「だって寒いんだもーん」
「猫かお前は」
「ヒカル!はい、あーん。美味しい?」
「(モグッ)うん、美味しいよアイ、ありがとう。じゃあ僕からもお返し、あーん」
「(パクッ)ん~、美味し~!ありがとヒカル」
全員、炬燵に捕らわれていた。
俺達家族は揃いも揃って、なぜか寒さに対する耐性が著しく低い。なので我が家の冬は炬燵が絶対の必需品であり、さらには室内着として褞袍も欠かせない。
そんな俺達にとっての聖地である炬燵に入りながら、俺は昨日発売された京極夏彦の最新巻のサイコロ本を読んでおり、その俺の膝の上にはルビーが陣取って猫のように丸まって暖かさを堪能している。右隣と向かい側には父さんと母さんが座っており、互いが互いの為にみかんを剥いて食べさせ合いをしている。毎年の事なので俺とルビーは見慣れているが、ウチを訪れた壱護さんとミヤコさんはそんな光景を見て…
「見てるこっちが恥ずかしくなってくるぜ……」
「今って真冬よね?猛暑日かってくらい見てるだけで暑いわよあなた達」
と、溢れんばかりの呆れが込められた眼差しで溜め息と共にこぼしていた。やっぱり俺達兄妹の感覚が麻痺しているだけなんだな。
そんな風にそれぞれが炬燵で過ごしていると、突然母さんが「あっ」と声を上げる。
「気付いたらみかん無くなっちゃった」
「おや、もう食べきっちゃったか。確かまだ段ボールで買ってあったよね?」
「ああ、まだ1箱か2箱くらいの買い置きが勝手口出てすぐの所にあったはずだ」
「…お外、かぁ……」
ルビーがそう呟いた瞬間、全員の表情が強張る。先に言ったように、俺達は全員寒さに弱い。それはつまり、4人の内最低でも1人は極寒の外にその身を投げ出さないといけないという、地獄を味わう事に他ならない。
「……誰が行く?」
「……アクア、今日の最高気温って何度だっけ?」
「……確か、マイナス2℃」
「「「「………………」」」」
スゥ~~~~~~………………。
((((絶対に嫌だ!!))))
最高気温で氷が作れるような日に外へ出ろだなんて冗談じゃない。ましてや今は炬燵で体温が高く保たれている状態、これで外へ出ようものなら凍えて震えが止まらなくなるのは必然だろう。もっと言えば炬燵からすら出たくない。
かくなる上は……
「誰がみかんを取ってくるか決めよう。確かそこの棚にトランプが入ってたはずだから、ババ抜きか何かで負けた人に罰ゲームとして取りに行ってもらう」
「おー、アクアナイスアイディア!よーし負けないよー!」
「ババ抜きか、4人だからカードも言い具合にバラバラになりそうだから丁度良いかもね」
「じゃあ私の席ここにするから、言い出しっぺのお兄ちゃん!トランプ取ってきて!」
「ちゃっかりしやがってお前……」
言い出しっぺの法則とは誰が言い始めたものか、膠着状態を解消しようと迂闊な発言をしたのが仇となってしまった。ルビーが急かしてくるので、急いで棚からトランプを探し出す。ああ…室内は多少暖かいが、やはり炬燵から出たら足元がけっこう冷たいな……。
─────────。
「全員手札は揃ったな、じゃあ始めよう。父さんから時計回りに引いてくれ」
「分かった。じゃあアイ、1枚貰うね」
そんなこんなで、ついに始まったみかん調達要員決定戦。それぞれ残った枚数は父さんが4枚、母さんが5枚、ルビーが4枚、俺が8枚だ。俺の手札だけ多少多いのは残念だが、幸いその中にジョーカーは入っていない。誰が持っているのかは各々の表情から読み取る事は出来ないが、最後にジョーカーが手元に残っていなければそれで良い。
全員が一巡してペアを捨て終わった辺りで、ルビーが呟く。
「それにしてもお兄ちゃん、よくウチにトランプがあったの覚えてたね。普段誰も持ち出さないのに」
ああ、その事か。
「少し前に『今ガチ』メンバーで集まった時に持ち出したからな。MEMのやつが何か持ってきてくれって言うから、その時は探し回ったけどな」
「アクアが出演した時のメンバーは歴代でもトップクラスに仲が良いらしいね。色々あったけど、すごく良いメンバーだなって僕も観てて思ったよ」
「あかねちゃんの騒動の時は3人共すっごく心配したんだからね?もう危ない事しちゃダメだよアクア」
「分かってる。…そう言えばいきなり温度差のある環境に身を置いたらショックで心臓や血管が危険に晒されるんだが、これも危ない事にカウントは…」
「「「それとこれとは話が別」」」
チッ、そう上手くは乗せられないか。
そんな姑息な事を考えている内にふとルビーの方に目をやると、手札の残り枚数が1枚になっていた。
「おっと、これは私が1抜けかな~?」
「まだ分からねえだろ、お前の欲しいカードを俺が持ってるとは限らねえし」
「いや6枚もあるんだったら絶対持ってるでしょ……。というわけであっがり~!」
「なっ!」
こいつ、6分の1を1発で引き当てたのか。そういえばルビーってこういう勝負にはそこそこ強かったんだったか?まあ運も実力の内って言うくらいだし、ここは素直に称賛するべきだな。悔しいけど。
早くも勝負は佳境へと突入、残るは父さんと母さんが2枚、俺が3枚だ。恐らく次のターンでどちらかが上がり、残ったどちらかと俺の一騎討ちとなるだろう。
絶対に負けられない勝負処…なのだが、横でアホ面を晒しながら寝るルビーの顔が横目にチラつくせいで、どうにも気が抜けて仕方がない。安全圏なのが確定したから高みの見物でも決め込んでくるかと思えばまさかの斜め上、夢の中へ旅立っていくとは……。
「あ、僕も上がりだ。ごめんね2人共」
2番手上がりは父さんだった。という事は一騎討ちをするのは俺と母さんか……今から俺が引くこの1枚で勝敗の行方が決まる可能性は高い。嘘が上手い母さんの顔色からジョーカーの位置を割り出す事はほぼ不可能に近いため、俺には運否天賦の博打以外に取れる選択肢は無いだろう。どちらを引くのが正解か……。
「ねえアクア」
「ん?」
手を伸ばしてどちらを引くか決めあぐねていると、不意に母さんが俺に話しかけてきた。
「こうやってみんなで遊ぶのって、ルビーとアクアが子供の時以来だったっけ?」
「……ああ、もしかしたらそうかもな」
「最近は2人もお仕事が入ってきて余計にでもさ、みんなでの時間が取りにくくなっちゃったよね。だからアクアがババ抜きの案を出してくれた時はすっごく嬉しくてワクワクしたんだ。ありがと、アクア」
「……」
目を閉じて振り返ってみると、確かに母さんの言う通りだ。なるべく夕飯は家族で食べるようにはしているものの、大体集まれている時は仕事終わりだったり学校終わりだったりで、こんな風にトランプで遊ぼうとなる気分にはならない。最初にこのトランプを引っ張り出した時だって、結構埃を被っていたっけな。
みかんの調達なんていう取るに足らない理由から始まったこのババ抜き対決だったが、どことなくそんな忙しい日々を忘れて家族の時間を過ごしたかっただけなのかもしれない……。
(たまには、こういう時間も悪くないのかもな)スッ
(あっ)
何のしがらみも無く過ごすこの時間が終わるかもしれないのを少々惜しみながら、俺は指先に触れたカードを抜き取る。
俺が引くべきカードはJ(ジャック)、目を開けて今引いたカードを確認すると、そこに書かれていたのはJの文字。
母さんには悪いが、これで終……「ごめんねアクア」 え?
ま、まさか……。
俺は何を見ていたんだ、何を一番最初目に入ってきた文字だけで早合点をしているんだ。
俺の手にあるのは、J(ジャック)とJ(ジョーカー)。
「くっ、まだ終わっていなかったのか」
「アイ、今……」
「てへっ☆」
え、何だ?父さんは何かに気付いているようだが、母さんが何かしたのか?
「えっとね?アクアが目を瞑ってる時にね、アクアの指にジョーカーが当たるようにしたの。そしたら多分そのまま引いてくれるだろうなーって」
そ、そういう事だったのか。だが目を閉じていたのは俺が勝手にやった事だし、このカードで良いかと深く考えずに引いた俺の判断ミスだ。母さんのそれは立派な戦略の1つなので、抗議はしない。
なんて事はない、この後再びジョーカーを母さんに返せば何も問題は無いんだ。というわけで俺も1つ戦略を使わせてもらう。
「……よし、シャッフル完了だ。さあ引いてくれ」
「んん?」
「どっちを引く?母さん」
俺の戦略、それは2枚の内片方のカードを上に少し上に突き出すという古典的な手段だ。これはほぼ全員が知っているであろう手だが、だからこそ深読みをしがちになりやすい。その結果破れかぶれとなり天運に任せ勢いで引くため、その瞬間にカードの位置をすり替える。手法としてはグレーかもしれないが、こちらとて負けるわけにはいかないんだ。
少しだけ突き出しているカードはジャック。深読みをして引っ込んでいる方のカードを引くならそれで良し、勢いで引くならすり替える。これならまず負けはしないだろう。その後は泥沼化する可能性は無くないが、いづれは俺の……
「アクア」
「ん?どうした…ん…だ……?」
ふと名前を呼ばれたので母さんの方を見ると、俺に向けて微笑みを浮かべていた。しかし、何となく雰囲気が……?
「アクアもまだまだ考えが甘いよねぇ、この私に『嘘』で勝負しようなんてさ……」ユラァ
「っ!?」ゾクッ
……ああ、俺は何て自惚れていたんだ。運否天賦の勝負ならまだしも、よりにもよってこの人を相手に『嘘』で勝負を挑んでしまっていた事実を今さらながら認識した。
俺の浅はかな考えなんて全てお見通しであるかのような眼差し。さしずめ今の俺は蛇に睨まれた蛙、もしくはまな板の鯉と言ったところだろうか…まともに手が動かない。その間に母さんは悠然と手を伸ばし、まるで見えているかのように当たりのカードをゆっくりと引き抜いていく。
「──はい、私の勝ち」ニコッ
──俺の、完敗だった。
◇◆◇◆◇◆
「寒い寒い寒い寒い……」カタカタカタカタ
「アクア、大丈夫?」ヨシヨシ ツメタッ
「はいアクア。温かいお茶淹れてあるから、まず手を温めなさい」
「あっ…ああ……」カタカタ
「んー、あったかい炬燵に入りながら食べるみかん美味しい!ありがとねお兄ちゃん」
「そりゃ良かったよ……」カタカタ
結局ビリで終わってしまった俺はあれから、意を決してみかんの入った段ボールを取りに外へ出た。
しかしここで想定外だった事が1つ、いつの間にか外が吹雪いていたのだ。冷たい雪と刺すような冷気を纏った強風が全身に叩きつけられ、体温が一気に低下した感覚に陥り、全身がガタガタと震え始める。なんとか1箱確保して室内に戻るも、早足で歩く事すら出来ない程に一瞬でからだの自由を奪われた。
これじゃまともにみかんも剥けないな……。
「…よし!アクア、こっち向いて」
「?」クルッ
「はい、あーん」
「え!?」
母さんからあーんでみかんを差し出され、寒さだけじゃなく気恥ずかしさから動きがギクシャクする。流石に高校生にもなってあーんされるのはな……目の前の旦那は例外として。
「アクアが取ってきてくれたんだから、私からのご褒美!」
そんな満面の笑みで言われたら断るものも断れない。やっぱり俺は、一生この人には敵わないな……?
「あー、お兄ちゃん良いなー」
「ならルビーには僕から。1位になったご褒美って事で、あーん」
「ほんと?やった!あーん…ん、美味しー!」モグモグ
「ふふ、ルビーは美味しそうに食べるね」
…ルビーのやつは美味しい思いしかしてないんじゃないか?まあこれに関しては勝負に強かったルビーの運と、それに対する正当な褒美か。不満をこぼすのはお門違いだろう。
外の寒さは堪ったもんじゃなかったが、こんな1日もたまには良いかな。