冒頭

冒頭



「どのくらい私が好き?」だなんてめんどくさい女のする質問だと思っていた。

 他者からの評価なんていつでも変動する不確定なものだし、第一確認する時点で愛されている自信がない証拠だ。めいいっぱい愛していると返事をされても、心に根差した不安が払拭されなければ解決しない。不毛だ。

 そう思っていたのに私は今くだらない質問を彼にしている。


「どのくらい私が好き?」

「どうした?なんかあったか?」

 おそらくこの手の質問における最適解を難なく導いて、コラさんは灰皿にタバコを押し付けた。先ほどまで肩に着火して転んで頭を打った人間とは思えないほどスマートな回答だった。この人はこういうときにきちんと大人らしい答えを持っているのだ。

「不安にさせた?誰かになんか言われた?コラさんに話してみろよ」

 膝の上をとんとん叩くので歩み寄って腰を下ろした。並外れて大きな身長を持っているコラさんの太腿に座ると、ちょうど頭が胸の位置に来る。収まりがよくてコラさんの心音を聞けるこの場所が気に入っていた。コラさんも私を落ち着かせたいときはよくここを空けてくれる。

「不安はないの。でもコラさんが不満なんじゃないかと思って」

「おれが?」

 広い胸板に頭を預ける。とくとくと鳴る鼓動の音が心地よかった。

 私の心と命の恩人にあたるコラさんは、出会った頃から私のことを性的な目を向けていた。一回り以上歳の離れた子供にそういう目を向ける自分を心底軽蔑しながら、劣情を理性で捻じ伏せ、決して欲を行動に移すことなくこの人は私を守り抜いてくれたと言えば、周りはちょっと変な顔をする。言葉で表すとペド趣味の誘拐犯とそれに絆された子供という図式になるのがいつももどかしい。

 私に対する劣情と罪悪感で感情がぐちゃぐちゃになっていたコラさんにしてあげられることは決まっていた。全て受け入れると宣言し、彼の罪悪感を取り除くべく根気強く付き合い、紆余曲折の末に男女の関係に落ち着くことは出来たが、どうにも手加減されているような気がしていた。そこで先の質問に接続する。

「もっとやりたいことがあるんじゃないかと思って」

 比較対象は知らないし、知る気もないが、コラさんとのそういう営みが非常にシンプルなものなのは理解していた。入れて出すだけ、そしてその間のコラさんはいつももどかしいほど優しい。十数年腹の底で煮詰めてきたはずの劣情はそんなものなのかと、確認したくなったのだ。

「無ェよ。おれは満足してる」

「ほんと?もっとすごいことしたいんじゃないの?」

 じっと見つめると頭上にある顔があさっての方を向いた。すぐ嘘をつくくせに嘘が下手な人だと思うと「う~~っ」と呻き声。どうやらまた罪悪感でいたたまれなくなったらしい。優し過ぎるのも難儀ね、と心の中で嘆息した。難儀なのは私もか、と考えながら再度同じ質問をする。

「コラさん、私が好き?」

「当たり前だろ!愛してる!」

「どのくらい?」

「なんでもしてやりてェ。お前が幸せになれるならおれの何を引き換えにしたって構わねェ」

 言い切られると若干恥ずかしくなってしまうが、概ね望んだ答えの通りだったので大きく頷いた。

「それと全く同じこと、私が思ってるとは考えたことない?」

 鳩が豆鉄砲を食ったようとはこんな顔を言うのだろう。当たり前のことを言ったのにコラさんにとっては相当意外なことだったらしい。虚を突かれた表情で目をぱちくりさせていた。すごくかわいかったので頬にキスをひとつ。

「なんでもしてあげたい。私がコラさんにされて嫌なことは、置いて行かれることと、他の女に目移りすることだけ」

「悪ィ……」

「謝らなくていいの。もうしないでね」

 十数年前のことを蒸し返すともじもじと上目遣いで謝罪される。そんなこともうとっくに許しているけれど、折に触れて釘を刺しておかないとこの人はまたどこかへ行ってしまう気がした。

 キャミソールの上に羽織っていた薄手のジャケットを落とす。黒い生地の下からでは見えなかった首のキスマークを見せつけるように、にじり寄った。

「ほら、コラさん」

 大きな手を取って、胸のあたりに導く。昨夜この手に体中まさぐられたのだと思うと、下腹がきゅんとさざめいた。

「コラさんの好きにしていい体よ」

 わざと煽るような言葉を選べば、腰を力強く抱き寄せられた。荒々しく口付けられて、肉厚な舌がぐちゅりと音を立てて口内を犯す。長くて厚みのある舌が口の中をいっぱいにして好き勝手していくようなキスは初めてなのに、大好きという感情で胸がいっぱいになる。タバコの苦味がする唾液も、呼吸ごと奪われそうな勢いで唇を覆われるのも、この人以外からは欲しくない。

 潜水しているかのような長い長いキスに、酸欠と陶酔で頭がバカになってきたあたりでようやく解放される。

「いい顔」

 どちらのものともつかない唾液が糸を引いて切れて口端から垂れた。目も涙でぼやけて焦点が合わない。肩で大きく息をする姿はきっとみっともないだろうに、コラさんは愛おしくてたまらないと言いたげに唾液を拭って私を抱きしめ直した。


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